アナザー・リバース ~未来への逆襲~

峪房四季

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Scene1 埋もれた弱者

scene1-7 赤い蛇 前編

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「お疲れ様ですッッ!! 兄貴ッ! 姉御ッ!」

 呆然と立ち尽くしていた司の横で、先ほどまで自分こそがこの世で一番偉いかの様に威張り散らしていた雅人が、素早く足を肩幅に広げて両手を背中で組み九十度のお辞儀でその男と傍らの和服少女を迎える。

 ここに来て初めて見た雅人の目上に対する態度。
 ただ、その敬いもなんだか安易にヤクザ的な動作を好んで真似しているだけな感じで、ただ立っているだけでも威圧的な男と比べるとやはり薄っぺらく見えた。

「あぁ、久し振りだな。そして……こんばんわ、御縁司君。初めましてだね。私は皆から〝博士ラーニィド〟と呼ばれている。君も気軽にそう呼んでくれたま――」

「良善さ~ん? 初対面でいきなり嘘はいけませんよ?」

「へへッ! そうっすよ、兄貴♪」

 〝博士〟と名乗る男の言葉を間髪入れずに遮る和服少女と雅人。
 すると呆気に取られる司の前でその良善というらしい男はガクリと肩を落とし、代わりに和服少女がトコトコと司の前に歩み寄って来た。

「初めまして、司君♪ 私は宇奈月紗々羅といいます。私は初対面の相手でも気軽に下の名前で呼び合える関係を希望します! オーケーかな?」

 ニッコリと笑い小首を傾げる少女。
 見た目は明らかに歳下。
 しかし、こうして近付いて見ると妙に大人びた雰囲気というか、寧ろ逆にこちらが甘えてしまいたくなる様な不思議な魅力が感じられ、司はまた理解が追い付かない情報が更新されながらも、思わずコクリと頷いてしまった。

「うふふ……いい子ね♪ 好きよ、あなたみたいな素直な子……ちゅ♡」

「うわぁッ!?」

 足袋に漆の下駄を合わせた両足で目一杯背伸びをして司の頬……というよりも身長が足りず顎の横へ軽い口付け。
 まさに子どものキスといった感じだが、それでも目に見えて狼狽え後退る司に、紗々羅はやはりその見た目にそぐわぬ大人びた微笑を浮かべる。

「んふふ~可愛い♪ さぁ、まずは甘味とお茶で穏やかに始めましょ? 曉燕、用意をなさい」

「はい、畏まりました。紗々羅様」

 当たり前の様に曉燕を扱き使う紗々羅という名の少女。
 しかし、当の曉燕は寧ろ命じられて嬉しいとばかりに満面の笑顔で返事をすると、すぐさま紗々羅ご所望のお茶の席を用意する。
 そのテキパキとした動きですぐに持て成しの場は整えられ、そのまま司、紗々羅、雅人、良善の四人はテーブルを囲んで何とも奇妙な茶会が始まった。

「すぅ……ふぁ~~美味しい♪ 雅人君、なかなかいいお茶を用意してくれたわね?」

 バルコニー席には芳しく柔らかな香りが広がり、相変わらず一人だけ床に跪いていた曉燕は、今回ボトルからではなく急須からお茶を注いでいた。
 やはり奇抜な構図だが、高級品音痴な司でも葉というよりはまるで花の香りの様なそのお茶に思わず目を剥いた。

「うっす! あざっす! えっと……曉燕、これなんて茶だっけ?」

「はい、今回は大青袍だいそうほうの原木側をご用意しました」

(え? お茶なのに木なの? でも美味しいし、また飲みた――)

「ハッ!? あ、あの李さん? ち、ちなみにこのお茶は……おいくらで?」

「フフ……こらこら、よしたまえ御縁君。美味しい物を前にその手の質問は無粋というモノだよ?」

「あ……は、はい」

 湯飲みを掌に置き、片手を添えて優雅に飲む良善の朗らかな微笑に司は緩く肩の力を抜かれる。
 イタリアンマフィアの様な出で立ちでお茶を啜る姿がサマになるというのもすごい話だが、とにかく良善の放つ雰囲気は場の空気を完全にコントロールしており、ホームである雅人を律し、アウェイである司に安堵を与えて落ち着かせてくれる。
 だが、それでも背後から聞こえて来る雑音が落ち着きつつあった司をまた搔き乱して来る。

「…………」

 どうやらステージではいよいよ残りが少なくなって来たのか、狂った声援が激しさを増していて、ニヤニヤと笑う雅人と紗々羅が椅子から立ち上がりバルコニー席の縁まで歩み寄る。
 そして、そんな中で司はぎごちなく顔を隠す様に湯のみを口元へ運んでいると……。

「……下のショーが気になるかい、御縁君?」

「――ッッ!? あッ! い、いやッ! 何て言うか、寧ろあんまり……――あッ! す、すみません!」

 雅人の様な〝偉そう〟ではなく、本当に〝偉い〟雰囲気に溢れる足組みで身体を少し傾けほくそ笑む良善の指摘で、あからさまにしどろもどろになり顔を伏せる司。

「はッはッはッ! 構わんさ、あれは私の企画ではない。それに、正直私もあんな程度の低い戦いには全くそそられない」

「ちょッ!? その言い方はひどいっすよ、兄貴ぃ~~ッ!」

「そーよそーよ! 「殴り合いはやっぱり男同士じゃないと……」とでも言うの!? そういうの男女差別だからね!!」

「はぁ……そういう話ではないよ、全く」

 おどける雅人とプンプンと怒る紗々羅。
 それに呆れて項垂れる良善と口元に手を当て小さく笑う曉燕。
 そして、一人取り残される司。

 論点がそもそもおかしい。
 この三人はあの悍ましい催し物を管理する側の様だが、そのことにまるで罪悪感を感じておらず、その三人に服従している立場にあるらしい曉燕も全く敬遠していない。
 どうすればそんな心境になるのか理解出来ない……いや、理解するべきではないだろう。

 少しは話が出来そうな者が出て来た様に感じられたが、自分が取るべき行動は話をすることではなく、手遅れになる前に一刻も早くこの場を去ることだと司は再認識した。

「あ、あの……すみません。俺……明日大学があるので、そろそろ……」

 きっと普段の自分なら、何も言えずズルズルとこの場に留まり続ける羽目になっていただろう。
 しかし、今回はあまりの危機感に精神が防衛へ極振りされ、いつもよりは滑らかに舌が動いた。

「はぁ? おい、ちょっと待てよこらッ! 兄貴の前で何調子乗って――うぐッ!?」

 司のあからさまな拒否反応に、雅人がここへ来ていよいよ〝らしい〟荒声を上げて来る。
 しかし、そんな雅人の恫喝を良善が口元に指を立てる僅かな動作一つで黙らせた。

「あぁ、そうだね。君はまだ学生の身分だし勉学は大事だ。それにアポイントも取らず無理矢理連れて来てしまったのがそもそも礼に欠けていた。よし、私が家まで送ろう。曉燕、車を用意してくれ。無駄に大きな車で無く、普通の乗用車を頼むよ」

「はッ! 畏まりました、良善様!」

 曉燕は心なしか雅人や紗々羅に対するよりも深く頭を垂れ、すぐに壁際の内線でどうかに連絡を取り始めた。

「あ、あの! 大丈夫です! 一人で帰れますので! 道も大体分かるし……」

 ソファーから立ち上がりコートを羽織る良善に恐縮する司。
 それに対する良善は、中折れ帽を頭に乗せてやはり落ち着いた大人の笑みを向けて来る。

「若いうちからそう遠慮するものでは無い。第一こうして客人を招き、そのまま送りもせず勝手に帰れというのは私の顔に傷が付く……どうか送らせて欲しい」

 どこまでも真摯。
 何一つ嫌味の無いその態度に司はそれ以上拒否の意思を示す気にはなれず、家を知られるというリスクが頭を過ぎったが、すでに雅人に知られているのだからどの道一緒だと素直にその厚意を受けることにした。

 そして、曉燕から車の用意が出来たことを知らされると、良善と司は連れ立ってエレベーターに乗り込みバルコニー席をあとにする。

「ケッ、なんだよ! やっぱり気が合いそうにねぇな……あのクソ陰キャ! どうしてあんなのに兄貴はこだわって……ん? 姉御?」


 ――パタン。


 不満げにテーブルへ足を投げ出した雅人の横で、フッと身体の力が抜けた様に紗々羅がソファーに倒れ込む。

「え? ちょ……ど、どうしたんすか、姉御?」

 紗々羅は常に身なりや作法にうるさい。
 気分によって信じられないほどズボラな態度や行儀の悪い時もあるが、彼女ともうそこそこに長い付き合いがある雅人の見立てでは、今日の彼女は〝大和撫子モード〟
 こんな風に突然寝転がる姿などありえないはずだった。

「あ、あはは……参ったなぁ。これは一本取られたわ。もぉ~~良善さんったら、ホントに人が悪いんだから……あ、あはは……あははは…………」

 顔を伏せて乾いた笑い声を上げる紗々羅。
 一体どういうことかと雅人が戸惑っていると、紗々羅はソファーに寝転んだ体勢から突然……


 ――ガシャンッッ!!


「ぐぇッ!? あがッ!?」

 急須や湯飲みが薙ぎ払われ、雅人は気付いた時にはテーブルに仰向けて叩き倒され、その身体の上に跨る紗々羅の両手に緩く首を絞められていた。


「雅人君? 絶対に彼をこちらに引き入れなさい……よ? もし【修正者ミショナリー】に先を越されて彼を殺されでもしたら、私貴方を殺してしまうと思うから。……オーケーかな?」


「ひぃッ!? うっすッ!! わ、分かりましたッッ!!」

 傍若無人に見下している様な態度に終始していた雅人が、本気で怯え竦み引きつった返事をする。
 そして、司を笑えないくらいに怯え震えながら歯を鳴らす真っ青なその顔を見下ろす紗々羅は、やはりその少女な見た目には不釣り合いな妖艶さとほんのり赤らんだ頬で身の毛がよだつ艶めかしい舌舐め擦りをしたあと、少しだけ雅人の首を絞めてからすぐにその手を離してやった…………。
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