アナザー・リバース ~未来への逆襲~

峪房四季

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Scene1 埋もれた弱者

scene1-3 穢れた招待 前編

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 身体中を滑るひんやりとした感触。
 それは脇や腕、首筋など丁寧に全身を清めてくれている様に動き続けて実に心地良かった。

「んッ! ……ん、ぁ?」

 眠る様に意識を失い、目覚める様に意識が戻った司。
 最初に視界へ入って来たのは、異様に低い天井と微かな揺れ。
 そして、後頭部に感じる滑らかで柔らかい感触と、謎の揺れに合わせて揺れる見慣れな天井の半分以上を覆う巨大な半球の影が二つ。

「あ、あれ? ……夢?」

 そう、夢だったと考える方が遥かに自然だ。
 女性がハイヒールの爪先でコンクリートの壁を蹴り貫く……そんな馬鹿げた話があるものか。
 きっと自分はここ最近の過剰なバイトのシフトのせいで、階段付近ではもう半分寝落ち状態で妙な夢を見ながら帰宅と同時に布団も敷かず床に倒れ込んで寝てしまったのだろう。

 それなら全て納得出来る。あんな奇想天外なことなどアニメや漫画の中だけの話だ。
 納得出来て落ち着いた司はホッと溜息を付き……そして、現実に引き戻された。

「はッ!? 御縁みえにし様ッッ! お気付きになられましたか!? あぁッ、よかった! 申し訳ございません!! 私如きが御縁様に危害を加えかけてしまうだなんてッ!!」

「え? え!? ――んぶぅッッ!?」

 突然視界が塞がれた。
 何やらとてつもなく柔らかなモノに顔が挟まれて締め付けられ、また全身から力が抜ける様な甘い香りが鼻の奥にまで流れ込んで来る。
 なんだかとても心地良い。
 しかし、顔面が完全に塞がれてまともに息が出来ず、次第に酸欠で司の身体が痙攣し始める。

「ンッッ!? ンン――ッ!! ンンッッ!?」

「あぁ……御縁様、よかったです! お話をお伺いした時からあなた様に服従させて頂く日々をずっと待ち望んでおりましたのに、いきなりこのような粗相をしてしまい、なんとお詫びすればよいか……」

 何やら引っ切り無しに耳元に届く謝罪と不自然な敬い。
 視界は依然として覆われているが、どうやら自分はこの声の主……恐らく部屋の前にいたあの白いスーツの美女に膝枕された状態から顔を覆い抱き締められているのだと察する。

 するとつまり、今自分の顔に押し付けられているのはあの豊満な胸なのか?
 それは男としてあまりにも畏れ多い至福だが、如何せんその幸運に浸るには絶望的に酸素が足りていなかった。

「ンンッッ!! ンッ! ン゛ン――ッッ!! ン゛ン゛ン゛ン゛――ッッ!!」

「おい、曉燕……そろそろ放さないと、今度こそそいつ死ぬぞ?」

「え? ――あぁッ!? も、申し訳ありません!!」

 埋もれた耳に届く第三者の男性声。
 その一言で、司を色殺しにしかけた白スーツの美女――曉燕は、慌てて司を開放すると飛び跳ねる様に司が寝ていたから降りて、指先を揃え床に深々と土下座する。

「ぷはッ!? ハァ……ハァ……ケホッ、ゴホッ! な、なんだ……? って、こ、ここは?」

 並の芸能人など歯牙にも掛けない美女から豪快に抱き締められる僥倖。
 だが、あまりの不意打ちに息の準備が出来ておらず本気で危なかった司は、息を整えつつ身体を起こして唖然とする。

 そこは全く見覚えの無いだった。
 しかも乗用車やバスなどではなく、こじんまりとしているがガラスの天面に高級感のあるローテーブルをLの字にソファーが囲むいっそギャグにさえ思えるほどの高級リムジンの中。

 正直、窓の外で見慣れた街並みが流れて過ぎていなければ、とても車の中とは思えなかったくらいのラグジュアリーな空間。

 そして、次に気が付いたのはどういう訳か上半身を裸にされていた自分の状況。
 ただ、これに関しては傍らに濡れタオルが落ちていることから察するに、どうやら曉燕が司の身体を清めてくれていたらしいと理解出来る。

 そして、最後に向かって左側、この贅を尽くされたリムジンの車内でもっとも立場が上の者が座る場所であろう最後部の座席で優雅に葉巻を咥えて横柄に背もたれに肩を掛ける例のチャラ男――雅人。

 状況はこれで全て確認出来た。
 しかし、確認は出来たが理解は出来ない。
 一体何がどうなってこの状況が出来上がったのか。
 ただ、少なくともあの玄関前で起きた一連の出来事は夢ではなかったということが確定し、司は再び怖気に震えながらも、とにかくまずは説明が欲しかった。

「はぁ……全く、ようやくお目覚めかよ。ようやく帰って来たかと思えばソッコー気失いやがって……部屋に連れ込んで寝かせてやっても一向に起きねぇから、そのまんま車に乗せさせて貰ったぜ? 外見ろ外! もう日が暮れちまってんだろ?」

 呆れ顔で車外を指差す雅人。
 それに釣られて再び外を見たが、確かにもう空は茜色だ。
 夜勤明けで家に帰った時はまだ朝方。

 つまり自分はこんな意味不明な奴らを前に半日以上眠りこけていたというのか?
 ここのところの疲労があったとはいえ、我ながら何たる迂闊さかと肝が冷える。
 しかし、それにしてもこちらが批難を受けるのはどう考えてもおかしな話だ。

「な、なんなんだよお前ら! 一体何者だよッ!? ら、拉致か!? な、なんで俺なんかを!?」

 車の中にしては明らかに広いが、それでもしょせん車中は車中。
 大して距離を取ることも出来ない内に運転席との隔てである壁に背中が当たり、それでも可能な限り身を反らせた司は雅人と暁燕を威嚇する様に怒鳴り散らす。

 明らかにまともな奴らでは無い。
 場合によっては走行中でも扉をこじ開けて逃げるしかない。
 怒声を上げてはいるが、司の心臓は得体の知れないこの二人組への恐怖に今にも破裂してしまいそうだった。

「あぁん? んだよ、ようやく起きたかと思えばいきなり大声出しやがって……ほれ」

 司の裏返り掛ける怒鳴り声に男は顔をしかめ、ポケットから一枚の紙をトランプの様にピンと投げ私てそれが司の太ももの上に落ちる。

「は? 何……名刺?」

 司は二人の動きに警戒しつつ、その厚紙を拾い、硬直した…………。


 Samaelサマエルグループ
 総合愉悦産業株式会社〝bloodブラット,hallホール
 代表取締役会長兼主席ご主人様
 冴木さえき 雅人まさと


「…………」

「あ、あの……私も」

 絶句する司に土下座から顔を上げた曉燕が膝歩きでソファーとローテーブルの僅かな隙間を進んで来て、司におずおずと名刺を差し出し追い打ちを掛けて来る。


 Samaelサマエルグループ
 総合愉悦産業株式会社〝bloodブラット,hallホール
 代表取締役社長兼会長専属奴隷
 リー 曉燕シャオイェン  [ディーヴァ:0255764148号]


「どうかお見知りおきを頂ければ幸いでございます……御縁様」

 名刺を受け取って貰えてホッとした笑みを浮かべた曉燕は、また丁寧に三つ指を付いて頭を垂れて来る。

(はは……間違いなく狂ってるな、こいつら……)

 こんな低俗なギャグ名刺を恥ずかしげもなく渡してくる謎の男女。
 どう考えても社会常識から逸脱している。
 このまま関わっていれば、日本中のお茶の間がおぞましげに眉をひそめる様な罪状で頭にコートを被せられて警察署に連行される姿を晒してしまうかもしれない。

(そんなの人生終わりだろ……冗談じゃない!)

 日々苛まれる謎の罪悪感でゴミの様な人生を生きて来たが、実際に他人から後ろ指を差される様なことは一度だってしたことはない。

 人並みでいい……いや、もうこの際多少以下でも構わない。
 貧しかろうが惨めだろうが、司はただ心穏やかに暮らしたい。
 こんなふざけた輩にそんなせめてもの展望さえ奪われて堪るか。
 いよいよ覚悟を決め、司は肘掛け部分の良く分からないいくつものスイッチを横目で見ながら、どうにか窓だけでも開いて車が止まるタイミングで逃げ出せないかと模索する…………。
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