4 / 136
Scene1 埋もれた弱者
scene1-3 穢れた招待 前編
しおりを挟む身体中を滑るひんやりとした感触。
それは脇や腕、首筋など丁寧に全身を清めてくれている様に動き続けて実に心地良かった。
「んッ! ……ん、ぁ?」
眠る様に意識を失い、目覚める様に意識が戻った司。
最初に視界へ入って来たのは、異様に低い天井と微かな揺れ。
そして、後頭部に感じる滑らかで柔らかい感触と、謎の揺れに合わせて揺れる見慣れな天井の半分以上を覆う巨大な半球の影が二つ。
「あ、あれ? ……夢?」
そう、夢だったと考える方が遥かに自然だ。
女性がハイヒールの爪先でコンクリートの壁を蹴り貫く……そんな馬鹿げた話があるものか。
きっと自分はここ最近の過剰なバイトのシフトのせいで、階段付近ではもう半分寝落ち状態で妙な夢を見ながら帰宅と同時に布団も敷かず床に倒れ込んで寝てしまったのだろう。
それなら全て納得出来る。あんな奇想天外なことなどアニメや漫画の中だけの話だ。
納得出来て落ち着いた司はホッと溜息を付き……そして、現実に引き戻された。
「はッ!? 御縁様ッッ! お気付きになられましたか!? あぁッ、よかった! 申し訳ございません!! 私如きが御縁様に危害を加えかけてしまうだなんてッ!!」
「え? え!? ――んぶぅッッ!?」
突然視界が塞がれた。
何やらとてつもなく柔らかなモノに顔が挟まれて締め付けられ、また全身から力が抜ける様な甘い香りが鼻の奥にまで流れ込んで来る。
なんだかとても心地良い。
しかし、顔面が完全に塞がれてまともに息が出来ず、次第に酸欠で司の身体が痙攣し始める。
「ンッッ!? ンン――ッ!! ンンッッ!?」
「あぁ……御縁様、よかったです! お話をお伺いした時からあなた様に服従させて頂く日々をずっと待ち望んでおりましたのに、いきなりこのような粗相をしてしまい、なんとお詫びすればよいか……」
何やら引っ切り無しに耳元に届く謝罪と不自然な敬い。
視界は依然として覆われているが、どうやら自分はこの声の主……恐らく部屋の前にいたあの白いスーツの美女に膝枕された状態から顔を覆い抱き締められているのだと察する。
するとつまり、今自分の顔に押し付けられているのはあの豊満な胸なのか?
それは男としてあまりにも畏れ多い至福だが、如何せんその幸運に浸るには絶望的に酸素が足りていなかった。
「ンンッッ!! ンッ! ン゛ン――ッッ!! ン゛ン゛ン゛ン゛――ッッ!!」
「おい、曉燕……そろそろ放さないと、今度こそそいつ死ぬぞ?」
「え? ――あぁッ!? も、申し訳ありません!!」
埋もれた耳に届く第三者の男性声。
その一言で、司を色殺しにしかけた白スーツの美女――曉燕は、慌てて司を開放すると飛び跳ねる様に司が寝ていた長い座席から降りて、指先を揃え床に深々と土下座する。
「ぷはッ!? ハァ……ハァ……ケホッ、ゴホッ! な、なんだ……? って、こ、ここは?」
並の芸能人など歯牙にも掛けない美女から豪快に抱き締められる僥倖。
だが、あまりの不意打ちに息の準備が出来ておらず本気で危なかった司は、息を整えつつ身体を起こして唖然とする。
そこは全く見覚えの無い車内だった。
しかも乗用車やバスなどではなく、こじんまりとしているがガラスの天面に高級感のあるローテーブルをLの字にソファーが囲むいっそギャグにさえ思えるほどの高級リムジンの中。
正直、窓の外で見慣れた街並みが流れて過ぎていなければ、とても車の中とは思えなかったくらいのラグジュアリーな空間。
そして、次に気が付いたのはどういう訳か上半身を裸にされていた自分の状況。
ただ、これに関しては傍らに濡れタオルが落ちていることから察するに、どうやら曉燕が司の身体を清めてくれていたらしいと理解出来る。
そして、最後に向かって左側、この贅を尽くされたリムジンの車内でもっとも立場が上の者が座る場所であろう最後部の座席で優雅に葉巻を咥えて横柄に背もたれに肩を掛ける例のチャラ男――雅人。
状況はこれで全て確認出来た。
しかし、確認は出来たが理解は出来ない。
一体何がどうなってこの状況が出来上がったのか。
ただ、少なくともあの玄関前で起きた一連の出来事は夢ではなかったということが確定し、司は再び怖気に震えながらも、とにかくまずは説明が欲しかった。
「はぁ……全く、ようやくお目覚めかよ。ようやく帰って来たかと思えばソッコー気失いやがって……部屋に連れ込んで寝かせてやっても一向に起きねぇから、そのまんま車に乗せさせて貰ったぜ? 外見ろ外! もう日が暮れちまってんだろ?」
呆れ顔で車外を指差す雅人。
それに釣られて再び外を見たが、確かにもう空は茜色だ。
夜勤明けで家に帰った時はまだ朝方。
つまり自分はこんな意味不明な奴らを前に半日以上眠りこけていたというのか?
ここのところの疲労があったとはいえ、我ながら何たる迂闊さかと肝が冷える。
しかし、それにしてもこちらが批難を受けるのはどう考えてもおかしな話だ。
「な、なんなんだよお前ら! 一体何者だよッ!? ら、拉致か!? な、なんで俺なんかを!?」
車の中にしては明らかに広いが、それでもしょせん車中は車中。
大して距離を取ることも出来ない内に運転席との隔てである壁に背中が当たり、それでも可能な限り身を反らせた司は雅人と暁燕を威嚇する様に怒鳴り散らす。
明らかにまともな奴らでは無い。
場合によっては走行中でも扉をこじ開けて逃げるしかない。
怒声を上げてはいるが、司の心臓は得体の知れないこの二人組への恐怖に今にも破裂してしまいそうだった。
「あぁん? んだよ、ようやく起きたかと思えばいきなり大声出しやがって……ほれ」
司の裏返り掛ける怒鳴り声に男は顔をしかめ、ポケットから一枚の紙をトランプの様にピンと投げ私てそれが司の太ももの上に落ちる。
「は? 何……名刺?」
司は二人の動きに警戒しつつ、その厚紙を拾い、硬直した…………。
Samaelグループ
総合愉悦産業株式会社〝blood,hall〟
代表取締役会長兼主席ご主人様
冴木 雅人
「…………」
「あ、あの……私も」
絶句する司に土下座から顔を上げた曉燕が膝歩きでソファーとローテーブルの僅かな隙間を進んで来て、司におずおずと名刺を差し出し追い打ちを掛けて来る。
Samaelグループ
総合愉悦産業株式会社〝blood,hall〟
代表取締役社長兼会長専属奴隷
李 曉燕 [ディーヴァ:0255764148号]
「どうかお見知りおきを頂ければ幸いでございます……御縁様」
名刺を受け取って貰えてホッとした笑みを浮かべた曉燕は、また丁寧に三つ指を付いて頭を垂れて来る。
(はは……間違いなく狂ってるな、こいつら……)
こんな低俗なギャグ名刺を恥ずかしげもなく渡してくる謎の男女。
どう考えても社会常識から逸脱している。
このまま関わっていれば、日本中のお茶の間がおぞましげに眉をひそめる様な罪状で頭にコートを被せられて警察署に連行される姿を晒してしまうかもしれない。
(そんなの人生終わりだろ……冗談じゃない!)
日々苛まれる謎の罪悪感でゴミの様な人生を生きて来たが、実際に他人から後ろ指を差される様なことは一度だってしたことはない。
人並みでいい……いや、もうこの際多少以下でも構わない。
貧しかろうが惨めだろうが、司はただ心穏やかに暮らしたい。
こんなふざけた輩にそんなせめてもの展望さえ奪われて堪るか。
いよいよ覚悟を決め、司は肘掛け部分の良く分からないいくつものスイッチを横目で見ながら、どうにか窓だけでも開いて車が止まるタイミングで逃げ出せないかと模索する…………。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
【二章開始】『事務員はいらない』と実家からも騎士団からも追放された書記は『命名』で生み出した最強家族とのんびり暮らしたい
斑目 ごたく
ファンタジー
「この騎士団に、事務員はいらない。ユーリ、お前はクビだ」リグリア王国最強の騎士団と呼ばれた黒葬騎士団。そこで自らのスキル「書記」を生かして事務仕事に勤しんでいたユーリは、そう言われ騎士団を追放される。
さらに彼は「四大貴族」と呼ばれるほどの名門貴族であった実家からも勘当されたのだった。
失意のまま乗合馬車に飛び乗ったユーリが辿り着いたのは、最果ての街キッパゲルラ。
彼はそこで自らのスキル「書記」を生かすことで、無自覚なまま成功を手にする。
そして彼のスキル「書記」には、新たな能力「命名」が目覚めていた。
彼はその能力「命名」で二人の獣耳美少女、「ネロ」と「プティ」を生み出す。
そして彼女達が見つけ出した伝説の聖剣「エクスカリバー」を「命名」したユーリはその三人の家族と共に賑やかに暮らしていく。
やがて事務員としての仕事欲しさから領主に雇われた彼は、大好きな事務仕事に全力に勤しんでいた。それがとんでもない騒動を巻き起こすとは知らずに。
これは事務仕事が大好きな余りそのチートスキルで無自覚に無双するユーリと、彼が生み出した最強の家族が世界を「書き換えて」いく物語。
火・木・土曜日20:10、定期更新中。
この作品は「小説家になろう」様にも投稿されています。
結界師、パーティ追放されたら五秒でざまぁ
七辻ゆゆ
ファンタジー
「こっちは上を目指してんだよ! 遊びじゃねえんだ!」
「ってわけでな、おまえとはここでお別れだ。ついてくんなよ、邪魔だから」
「ま、まってくださ……!」
「誰が待つかよバーーーーーカ!」
「そっちは危な……っあ」
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい
一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。
しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。
家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。
そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。
そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。
……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
拾った子犬がケルベロスでした~実は古代魔法の使い手だった少年、本気出すとコワい(?)愛犬と楽しく暮らします~
荒井竜馬
ファンタジー
旧題: ケルベロスを拾った少年、パーティ追放されたけど実は絶滅した古代魔法の使い手だったので、愛犬と共に成り上がります。
=========================
<<<<第4回次世代ファンタジーカップ参加中>>>>
参加時325位 → 現在5位!
応援よろしくお願いします!(´▽`)
=========================
S級パーティに所属していたソータは、ある日依頼最中に仲間に崖から突き落とされる。
ソータは基礎的な魔法しか使えないことを理由に、仲間に裏切られたのだった。
崖から落とされたソータが死を覚悟したとき、ソータは地獄を追放されたというケルベロスに偶然命を助けられる。
そして、どう見ても可愛らしい子犬しか見えない自称ケルベロスは、ソータの従魔になりたいと言い出すだけでなく、ソータが使っている魔法が古代魔であることに気づく。
今まで自分が規格外の古代魔法でパーティを守っていたことを知ったソータは、古代魔法を扱って冒険者として成長していく。
そして、ソータを崖から突き落とした本当の理由も徐々に判明していくのだった。
それと同時に、ソータを追放したパーティは、本当の力が明るみになっていってしまう。
ソータの支援魔法に頼り切っていたパーティは、C級ダンジョンにも苦戦するのだった……。
他サイトでも掲載しています。
パーティーから追放され婚約者を寝取られ家から勘当、の三拍子揃った元貴族は、いずれ竜をも倒す大英雄へ ~もはやマイナスからの成り上がり英雄譚~
一条おかゆ
ファンタジー
貴族の青年、イオは冒険者パーティーの中衛。
彼はレベルの低さゆえにパーティーを追放され、さらに婚約者を寝取られ、家からも追放されてしまう。
全てを失って悲しみに打ちひしがれるイオだったが、騎士学校時代の同級生、ベガに拾われる。
「──イオを勧誘しにきたんだ」
ベガと二人で新たなパーティーを組んだイオ。
ダンジョンへと向かい、そこで自身の本当の才能──『対人能力』に気が付いた。
そして心機一転。
「前よりも強いパーティーを作って、前よりも良い婚約者を貰って、前よりも格の高い家の者となる」
今までの全てを見返すことを目標に、彼は成り上がることを決意する。
これは、そんな英雄譚。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる