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Scene1 埋もれた弱者
scene1-1 太陽が苦手な青年
しおりを挟む20XX年――初夏。
ジメジメとした梅雨が明け、陽射しが日増しに強まり始める某日。
都心の繁華街からは少し離れるも、近所にある総合大学の学生達には重宝されている某チェーン店のコンビニ。
時折通る新聞配達の原付のエンジン音だけ響いていた店の外が徐々に白み、もうすぐ朝食を買い求める人々でごった返すであろうその前の僅かな合間の時間。
そんな店奥の控え室に、ようやくあと数分でワンオペの夜勤労働から解放される一人の青年が、机に突っ伏してささやかなサボタージュをしていると店の入口が開く音がする。
「おつかれさまで~す、おはよう! 御縁君♪」
「やっほぉ~! 司、おっはよ~♪」
「――ッ!? あッ! お、おはよう! 天沢さん……綴さん……」
聞き覚えのある爽やかな朝の挨拶。
事務机に突っ伏していた青年――〝御縁司〟は、弾かれた様に飛び起きて、連日の夜勤がたたり疲弊し切った充血目を擦りながら店内へ顔を出す。
すると、まさに眩い朝陽の様な二つの笑顔がカウンターを抜けこちらにやって来ていた。
「ふ、二人とも……いつも早いね。そ、その……ホント、助かるよ」
いつもささやかな心の清涼剤にしている存在達に自然と頬が緩む。
にも拘らず、司は二人が目の前まで来るや途端に俯き気味になってしまった。
「うふふ♪ 大丈夫だよ。私達の家近いから別に苦じゃないもん」
「そうそう、というか、あんた最近連勤しすぎじゃない? さすがにちょっと心配になるわ……大丈夫?」
「あうッ!? あ、あぁ……えっと、あの……あはは! 大丈夫、大丈夫……」
大学生になってもう一年以上が過ぎて、今なおロクな交友関係を築けていない孤独な苦学生である司。
そんな自分をいつも気に掛けてくる二人に一瞬ニヤけてしまいそうになる表情を隠す為、合っている様で合っていない微妙にズレた視線を続ける司。
彼女達は司と同じ大学の一つ上と同回生。
それぞれが非公式の学年別ミスコンで優勝を飾ったこともある二人を前に、司は情けないほどに口篭もっていた。
「あらら……その感じは本当にお疲れだね。やっぱり最近シフト入れすぎなんじゃない? 無理しちゃだめだよ?」
天沢奏。
司が通う大学の三回生。
容姿端麗スタイル抜群にして勉学も学年首席を三年間継続中で、一応籍を置いている吹奏楽部のフルートはプロ顔負けの腕前。
しかし、そんな完璧さとバランスを取るかの様に運動神経に関しては、バレーボールをやれば顔面トス、ソフトボールをやればバットが内野手の耳横を掠めていく驚異のスペック。
だが、人懐っこい性格に日本人離れしたメリハリのある顔立ち。男の理性にヒビを入れるライトグレーのサマーニットを押し上げる胸元の豊かな膨らみと腰のくびれに、トドメを刺しに来る臀部の丸みを彩る濃紺のデニムパンツ。
何をしても許される……いや、寧ろ許したくなる存在。
それが天沢奏だった。
「うわぁ、髭もジョリジョリだよぉ~? ふふッ♪ 御縁君、将来こんなお髭に出来るんじゃない?」
地毛なのか、光の加減で少し茶色が浮かぶセミロングの髪の両脇をつまみ、それを鼻の下へあてがい戯ける奏。
年上としての魅力はありつつもあどけないその笑みが微笑ましく、気付いたら身動ぎ一つで肩が触れる距離まで近付かれていて……あらぬ期待をしてしまう。
「あッ!? 司、顔赤ッ! 奏に近付かれて意識してる! キモォ~!」
奏での隣で早々と店の制服を羽織っていたもう一人の美女が、キモいと言いながらもケラケラと笑い、あくまで笑い話であると誤解させない快活さで司を冷やかす。
綴真弥。
奏の一つ下でルームシェアをしている間柄らしく、学内外問わず大抵は一緒にいて奏の方が年上でも大分砕けた付き合いをしている。
司とは同じ学年で学部も同じ。選択科目で顔を合わせることも多く、奏と同様に大学に入ってから初めて知り合ったのだが、日頃からとても親しく接してくれている。
そして、彼女もまた奏に負けず劣らずの美貌とスタイル。二人が並んで歩けばどんな日常の一コマを切り取っても、ファッション雑誌の表紙を飾れる様な一枚になる。
ただ、中身に関してはまるで真逆。スポーツをやらせればどんな種目もオリンピックを目指せるのではと期待させるが、いかんせん頭の方は本当に大学入試を受けたのかと疑わせるレベルに壊滅的。
お互いに長短を補い合う姿は一部の学生の間では〝尊い〟や〝推しカプ〟などとも密かに呼ばれていて、まさに非の打ちどころの無い存在達だった。
「にしても……はぁ~~最近結構暑くなってきたよね。もぉ……やだなぁ~~」
「うぐッ!?」
真弥が服の胸元を摘まみあおぎ、白い喉元がチラリと覗く。
自分の身体への視線にかなり無頓着な真弥は、少々暑がりな質なのか基本どこででも服装は一貫して薄着で無防備な動作を取ることが多い。
しかし、だからと言って決して性にルーズな訳ではなく、その辺を勘違いして不埒な近付き方をして、格闘家への道も開けそうな彼女のローキックを食らう輩は後を絶たない。
かく言う司はというと……。
「あ、あのッ! ひ、引き継ぎなんだけど、今日の昼過ぎに明日から始まるキャンペーンのバナーがと、届くから……バックヤードの整理をしておいて欲しい……ら、らしいんだ」
寄って来る天沢から距離を取り、真弥の不用心さにも背けて強引に話を変える司。
逆上せた思考も不埒な目線も慎む。
自分みたいな日陰者がこんな陽光そのものの様な女の子達にそんな期待は許されない。
(勘違いするな、俺……)
身長はごくごく平均。
体格は訳あって、同年代と比べるとかなり細く頼りない。
顔は野暮ったく、勉強も運動もいつも自分なりの死に物狂いで取り組んで何とか中の下。
誇れることなど何も無く、果ては後ろ楯すら無い自分が将来テレビの向こう側に行ってもおかしくない美女達とたまたま学外でも顔を合わす機会があるだけ。
それだけでも正直身に余る。
その上、分不相応な期待など……トラウマという名の心の傷を残すのがオチだ。
「じ、じゃあ……あとよろしく」
事務的な引き継ぎを済ませ、司は私服の上から羽織っていたコンビニの制服を脱ぎ、ロッカーに投げ込んで帰宅の準備に入る。
「あッ! ダメだよ御縁君、ちゃんとハンガーに掛けないと……」
「え? あッ――ちょッ!?」
男の汗臭さを消臭スプレーで誤魔化しただけのロッカーを躊躇いも無く開き、奏は皺の寄った司の制服を手で優しく整えてハンガーに掛け直してくれた。
「あ、ぁ……」
なんだかありがちな新婚夫婦の三文芝居に出て来そうなシチュエーションが、司の胸に温かい気持ちを抱かせる。
「これで……よし! ん? んん~~? 御縁君? その服……襟がもうヨレヨレだよ? ちゃんと服とか新調してる?」
ジトッとした非難めいた目で奏は司を睨む。
ちなみに真弥は来店の音を察してすでに店内に出ており、裏の詰所には司と奏が二人きりだった。
「あ、あぁ……いや、その……た、たまには?」
「うっそだ~~。御縁君とはもう結構長くここのバイトで一緒だけど、去年の今頃もそのシャツ着てなかった?」
「うぐッ!? ご、ごめんッ! 気持ち悪いよね……ごめん……」
司の顔が蒼白になり、奏との距離を一気に開く。
「あ! あ、いや……そういうのじゃないの! 御縁君って多分そういうの「面倒くさい」って思っちゃう人でしょ? たまにそういう人いるよね。それで……そ、その……よかったらさ、今度真弥ちゃんと私と三人で一緒に服を見に行かない?」
「…………は?」
司の目が点になる。
「あッ! いや、その……大した意味とかじゃなくて! 私、最近服選びに凝っててね? 真弥ちゃんの服も色々コーディネートしてるんだけど、たまには男の人の服も選んでみたいな~って! ……だ、だめかな?」
「あ、あぁッ! そ、そういうことか! あはははは! そうですよね! あはははは……」
司は慌てて奏に背を向ける。
自分が今どんな顔をしているか分からないが、とにかく見られたくはなかった。
「そ、そうなの! あははは………えぇ、気付いてよぉ……」
「――ッッ!?」
ラブコメの主人公なら、ここで「え、何?」とでも聞くのが正解なのだろう。
だが、現実に手を伸ばせば届く距離で聞き漏らす難聴持ちなどそうはいない。
司はしっかり奏の後半の意味深な囁きを聞き取り顔を引きつらせる。
「あ、あのッ! えっと……あのッ! すごく……う、嬉しいです! 選んで貰っても……いい……ですか?」
滑稽と言わざるを得ないほどのたどたどしい司の返事。
振り向きはしたが、やはり視線は合わせれなくて焦点は奏の肩の辺りを彷徨っている。
しかしそれでも視界の端にある奏の表情は、パッと花が開く様な笑みを見せていた。
「うん! じゃあ……来週の日曜はどうかな? 御縁君、前の日夜シフト入ってないよね?」
「あ……はい、大丈夫! 全然大丈夫です!」
その後、壁のシフト表を見ながらしばし会話して約束を取り決めた司は、店頭で気さくな緩いサムズアップを向けて来る真弥に片手を上げて返して店を出る。
「はは、あ……あははは……」
嬉しい……本当に嬉しい。
今まで人生で女性とこんなに親しくなり、休日に出掛ける約束など初めてだった。
それどころか、休日に誰かと出掛けるということ自体がもう何年振りかも定かでは無い。
奏と真弥。
今の司にとって、学生生活と私生活のどちらにとっても彼女達との一時は大切な安らぎだった。
そんな二人と休日に約束。
頭の中で言葉にしただけでも頬が緩んでしまうが、一人ニヤニヤと笑っていては周囲に気味悪がられてしまうと両手で頬を揉み、コンビニ前の交差点で信号が変わるのを待つ。
振り返ると、店へ出て来た奏が始業前の規則である手洗いをしている。
信号を待つ間、もう一目だけその顔を見て帰りたかったが、信号が変わっても奏はこちらに背を向けて手を洗い続けていたので、仕方ないと諦めた司は浮き足立って歩き出し家路に付いた…………。
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