愚者の門番、賢者の聖杯

春森夢花

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門、現る。

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目は閉じなかった。

暗闇の中で独りで死ぬのが嫌だったからだ。


東京の夜、海、まるで生きたコールタールのようだ。

そして対岸には高いビルに光る赤い斑点ライト

死の間際のロマンチックというやつか。やけに美しく見える街という集合体が発光している灯を見つめながら俺は引き金にかけた指に力を入れた所で頭の中で声がした。


【門ヲ開ケロ】


声の調子は無機質だった。俺は咥えた煙草の煙をもう一度、吸った。


死の恐怖で幻聴が聞こえたのかと思ったからだ。

だが、その声はもう一度聞こえた。

【門ヲ開ケロ、第一ノ扉ガ開ク】

「門……?そんな物……」


思わず呟いた瞬間、その意味が解った。



門が俺の前に現れたからだ。それも、唐突に。


その門は巨大だった。感覚で言うなら五階建てのビル位の高さはあるだろう、材質は木、なのか。いや、もっと硬質な気もしたが、それよりもなにか、俺に妙な気分をもたらした。

門は緑色だった。装飾はされているが、夜中なので良く解らない。この門が俺の妄想ではなくて、本当なのだとしたら怪しい事この上ないが。


俺はその門に畏怖を感じた。


大きな鳥居が突然現れた。そんな気分だ。

人ならざる仕業、人の力及ばぬ物の仕業。俺は現実主義者リアリストではあるが、そういう空気には聡さとい。危ない仕事をしているとそういう臭いを嗅げない人間から死んでいく。直感というのか、予感というのか。ともかく、俺はその場で立ちすくんだ。

(これは、なにか厄介な匂いがする。どうする)

このまま、頭を撃ちぬいて、見て見ぬふりをしようか。

そう、思った。

だけれども、俺には時間があった。死ぬのはいつでもできる。あの世に待たせている恋人もいない。自嘲して拳銃をしまい、煙草をゆっくりと吸い終わって、吸い殻を地面に落としてから。


俺は一歩、踏み出した。


【扉ヲ、開ケロ】

頭の中でまた、声がする。それに軽く頷いて呟いた。

「もちろん門を開けるさ。だけど、こんなにでかくちゃ……、どうするんだい」

【手ヲ置ク】

「手を」

指示通りに右手を門に置く。その瞬間、俺の手が熱く、燃えるような痛みを感じた。思わず手を引っ込めると、扉が少し開いた。

「痛えじゃねえか……、なんだ、これは」

【門番ノ証ヲ刻ンダ。入レ】

「門番……?」

そこで俺は気が付いた。右手の甲に何か、文様が刻まれている。赤い矢印に似た文様が重なり、円を描いていた。おいおい、と俺は苦笑した。

「俺はそんなアルバイトの面接を受けた記憶はないぜ。勝手な事を言うね、あんた。まあ……後は死ぬだけだ。少しばかりおかしな事に付き合ってやってもいい」

【門ヲ、開ケロ】

「ああ、解っているさ」

そう言って俺は頷き、扉に手を当てて、少し引く。すると、まるで自分の一部のように門が動くのだ。これは、凄い技術だとか言いながら門の中に入ると。

そこは俺がいつも座っていた事務所の応接室だった。

思わず足が止まる。まさか。戻ってきたのか。そう思ったのと同時に、声がした。その声は俺の頭の中ではなく、目の前からだった。

「まさか、戻ってきたのか……?と思っているね?勿論ここは君が思っている場所ではない」
「じゃあここは」
「ここは【門】の中だ」

そう言って俺に微笑んだのは見覚えのない若い男だった。柔らかな物腰、日本人ではない金色の髪と白い色素の肌。服はよく解らないが、白い布のようなものを纏っていた。その男の瞳はなぜか眩しくて。

瞳の色が何かは解らない。

その男が俺に欲しいだろう?と俺が好んで吸っている煙草の新品のパッケージを俺に差し出した。

「大丈夫だ、危害を加える気はない。安心して話を聞くと良い」
「お言葉だが……断りもなく、手に何か描かれたぞ。これは危害なのでは?」
「ははは、なにを言うんだ。それは【栄誉】だ」
「栄誉?」
「そうとも。君はこの、門の門番として選ばれたのだ。おめでとう」
「おめでとうって、あんた」
「いいか、工藤清和くどう きょかず君。これは実に栄誉な事だよ。この門は神の門なのだ」
「神の門、ねえ」

相槌を打ちながら俺は新しい煙草を取り出して、咥えた。あまりに突拍子のないことばかりでこれは何かのドッキリなのではないか、という気さえしてきたのだ。
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