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「おはよ」
『おはようちゃうし…どこなん?!大丈夫なん!』
そんな雷音の挨拶を無視して、耳を劈く様な声がする。相手は奏大だ。
「何が?大丈夫だよ…」
『マジで?昨日電話したのに、ずっと出らんから!!なぁ!大丈夫なん!?』
当たり前だ。昨日はそれどころじゃなかったのだ。
そもそも店外営業中は呑気に電話している場合ではないし、それに客と居るときに電話に出るなんてプロ以下…マナーすらなっていない。女は自分と居るときは夢見心地で、見当違いの嫉妬も見せる。
それを奏大も分かっているはずだが、今回は相手が相手だけにこの反応も仕方がないのかもしれない。
「あー、ごめん。あー、そうだな。今から行くよ」
『話聞かせてもらうからな!覚悟しいや』
そう安い捨て台詞を吐いて奏大は携帯を切った。雷音はそれに嘆息して、運転席の神原を見た。
「すいません…。あの、」
「大丈夫ですよ。待ち合わせ場所まで、お送りいたしますよ」
雷音の会話を聞いて、全てを察したのだろう。イヤな顔一つ見せずにニコリと笑う神原は、流石と言わざる得ない。極道にしておくには勿体無い男だなと、ぼんやりと思った。
出来る男との会話も面白いだろうが、生憎こちらは後ろめたさがある。奏大の電話は好都合だった。
奏大と待ち合わせした店の近くで車を降り、雷音は頭を下げた。静かに走り去る車を見送りながら、これ以上深入りしないように、早く万里を忘れようと雷音は心に決めた
オープンテラス付きのコーヒーショップ。その奥の席に、まるでファッション雑誌の表紙を飾るかのように奏大が座っている。
ダメージジーンズに黒のジャケット。ミリタリーブーツにサングラスとハット。首にさりげなくスカーフを巻いて、ジャケットの袖を捲った腕に撒かれた時計はグラハム。
それに細く長い指にはクロムハーツの指輪。
「えー、あれはイヤ」
あそこに座るのかと雷音は思わず独り言を呟いた。目立ち過ぎ。悪目立ち。ただでさえ視線を集める容姿に付け加え、お前は芸能人かと言わんばかりのスタイル。
そこだけが異世界のようで、周りの女性客ならず男性客までもの注目を浴びていた。最早、落ち着いて話が出来る場所じゃないだろうと、雷音は嘆息した。
「あ!!シルバー!」
そんな雷音に気が付き、奏大が声を上げた。その声にというよりも、店の中で注目を浴びていた奏大の視線が雷音に向いたので、自然に店内の視線が雷音に集まる。そして雷音を見た客達が、ほぅ…と息を吐いた。
もう、最悪の状態だ。
雷音は諦めて奏大の居る席に行くと、開いていた前の席に座った。
するとすぐに店員が注文を取りに来た。奏大の前にはミルクティーとシナモンケーキ。
雷音はそれを見て、同じ物とは言わずにコーヒーを注文した。
「ここのシナモンケーキ上手いで?」
「シナモン、苦手だから」
「そう?やのうて!明神、大丈夫やったか!?」
寝てしまいました。言えば大騒ぎになることは間違いない。
今ここでとんでもない言葉を大声で叫んで、収集の付かない事態になることは手に取るように想像がついて、ゾッとした。
そもそもヤラせてくれと言っている相手に言えば、じゃあ俺もなんていう展開になり得なくもない。
それは御免だ。過ちは一度きりでいい。しっかり勉強になった。
「豪華なスウィートルームで乾杯」
「はぁ!?」
「それだけ。高い酒をたらふく飲んで、明神万里の酒豪さを思い知った。別に他には何もない」
雷音は運ばれて来たコーヒーに口をつけて、息を吐いた。
「えー、ほんまぁ?だって明神やで?」
「本当。ほら、指も全部揃ってるだろ?」
奏大の目の前で長い指を動かして戯けてみせる。それに奏大はムッとした顔をした。
「明神やで?明神。知っとるん?」
「仁流会明神組の明神万里。えーっと、若頭だっけな。それだけは分かったけど、後はそんな組の話してないし」
というか、出来なかったし。という言葉は胸の中に仕舞っておいて、シナモンケーキを頬張る奏大を見て笑った。
「がっつくなよ」
「だって!」
「こうして無事なんだし、いいでしょ?」
「シルバーは知らんから!仁流会がどこまででっかいか。明神っていうたら、大阪統括長やで。組長の木崎は仁流会の幹事長や。明神かてあの若さで若頭でおるんはその手腕のおかげって言われてるけど、手腕どころかただの荒くれ者!この御時世に武闘派貫いてるんは、あの明神万里がおるからやて言われてるくらいに腕が立つ言うやん。あんな形しとって」
「なぁ、どうしてそんな詳しいんだ?そっちのほうが怖いわ、俺」
「衣笠さんが久々に来はってん。せやから聞いた」
「ああ…」
衣笠というのは蓮の幼馴染みというルポライターだ。風俗から政治から娯楽まで手広くなんでも書く業界では名の知れた男は、息抜きと称してタダ酒を飲みに店にやってくる。
もちろん裏口から従業員専用休憩室でだ。
その事でよく蓮が衣笠に文句を言うが、衣笠という男は飄々とした男で、その蓮の小言を肴に酒を嗜むおかしな男だった。
「衣笠さんって、裏社会の方が得意なんだっけ?」
「せやなぁ。もともとは新聞記者で…何かの事件で踏み込みすぎて、そっちの人間に山に埋められかけたんやろ?そないやり手には見えんけどなぁ」
「そう…。まぁ、良い勉強になったよ。極道さんなんて知り合う機会ないだろ?あんな高級車に乗れたしラッキーってことで」
「何がラッキーや!あほぅ!」
カリカリ怒る奏大に笑いながら、雷音は二度と万里とは関係を持つまいと心に誓った。
あの狐につままれたような日から早一ヶ月。
一ヶ月もあれば、季節も次の季節へ移り行く準備を始めていた。それはBAISERも同じで、店のホストも訪れる客も移り行く季節に合わせて装いを変えていた。
極道とは関わらない。
鼻の効く神原が居る万里とは、いくら上客と言えどもお断りだ。
万里だってホストとの、それこそ酒の勢いの過ちの一夜なんぞすぐさま忘れたいはず。
そう思っていたのに何と三日も明けずに店に来た。流石にあれには驚いたが、幸い雷音は大手製薬会社の御令嬢の参加するパーティーのホスト役として店を出るところで助かった。
相も変わらずVIPルームへ行く万里と神原の後ろ姿から、逃げるように立ち去ったのだ。
奏大に聞いた話、雷音が店に居ないと分かると早々に帰ってしまったらしく、やはり御礼参りかとげんなりする雷音をよそに、何も知らない奏大は何かあると疑ってうるさく喚いた。
御礼参りだけで済めばいいが、深入りしすぎて色々と面倒なことになるのだけは避けたい。ホストクラブになんて、極道の幹部クラスの者が遊びになど来るわけがないと高を括ったのが間違いか。
だが、とりあえずは万里と逢う事を避けたい雷音は、なるべく店外での業務をこなす事にした。
幸いにもBAISERに来る客達は皆、不況の風も何処吹く風。
パーティーに参加したいと言えば自らパーティーを開催する力を持った人間ばかりで、店外業務にあぶれる事はなかった。
そして雷音の悩みの種である万里は、それから店に来る事がなくなったなんて事はなく、頻繁に顔を出す”常連”になっていた。
その頃になるとVIPルームばかりではなく稀にホールにも顔を出すようになっていたが、何せあの容貌だ。
屋内でも外さない意味ありげなサングラス。ベビーフェイスにアンバランスな頬の傷。
隣にホストが居るにも関わらず、客達がミステリアスな万里に目を取られて仕方がないらしい。
だが雷音にとっては、そんなことはどうでも良かった。何故いつまでも店に通うのか。
やはり御礼参りか、それとも口止めか。どちらにせよお近づきにも関わり合いは持ちたくないが、いつまでも店外営業をするわけにもいかず、万里達が来ない事を願いつつ雷音は店に出ることにした。
久々の歓楽街を一人歩く。夜になると違う顔を見せる街は誰もがみな仮面を被っているようで、雷音はだからこそ夜の街を選んだ。
手っ取り早く稼げて誰もが深入りしてこない、上辺だけの付き合いで済む世界。
ここ最近それが狂いかけているような気もするが、この世界に住む人間は飽き性だということもよく知っている。
恐らくもう少しすれば、以前のように何事もなく暮らせるはずだ。
「雷音やんけ」
突如かけられた声に自然に眉間に皺が寄る。ゆっくり振り返り、雷音は長嘆した。
「シヴァ」
そこにいたのは雷音と変わらぬ身長で、垂れ目がちの甘い瞳を持ち、高い美鼻の誰もが惚ける様な容貌の男だった。
雷音と同じ様に高級スーツを着こなし、赤茶色の髪を短くウルフカットにした男は雷音と目が合うとニヤリと笑った。
「BAISERの雷音は、徒歩で出勤かいな。ま、俺も今日は用事あって、仕方なく徒歩やけどなぁ」
厭味ったらしく言うシヴァは、BAISERへ移籍する前に雷音が在籍していたpitifulの現ナンバーワンホスト。
雷音は以前pitifulに居たときに入店して早々に対を許さぬ勢いでナンバーワンにのり上がり、シヴァの反感を買ってしまったのだ。
騙してなんぼ貢がせてなんぼ、なければ水にも風呂にも沈めてでも通わすpitifulのそのやり方が性に合わず、雷音はさっさと見切りをつけて辞めてしまった。
雷音がpitifulを辞めると知ったライバル店は雷音の獲得に躍起になった。
雷音の持つ客層は広く数多く、どういう訳か資産を遊ばすような人間が多かった。雷音を獲得できれば、自然にそれらも付いてくるということだ。
億単位の金の動く雷音を欲する店は多かった。好条件で勧誘をしてくる店の中で、雷音が選んだのがBAISERだ。
会員制で資産の余る者が余興で来て、借金をしてまで店に来ない。そもそも入れないところ。
何より客の身分がはっきりしているところ。これは雷音には好都合だった。
シヴァからすれば、それが気に入らないのだろう。BAISRはホスト界でも最高峰。雇ってくださいの一言では雇ってもらえないし、そもそもBAISERはホストの一般募集は一切かけていなかった。
BAISERのホストは皆、蓮のスカウトだ。
アパレルから同業者、普通の会社の営業マンまで蓮は長い調査を入れてホストの素質があるか、スキルの高さから調べ上げスカウトする。
身分もある程度まで調査はするようだが、雷音の場合は身辺調査をするなら店には行かないという理由からなされなかった。
夜の仕事をするにはそれなりの理由があり、大半が人に自慢できるような理由ではない。蓮もその辺は理解を示し、雷音の調査をすることはなかった。
「なぁ…雷音。店裏切ってBAISERに飛んで、さぞかし満足なんやろな」
「またその話?俺は客に金を借りさせてまで来させるのが、性に合わないから辞めたんだし」
「綺麗事抜かすな!おまえかて金が必要やからホストしとんやろがっ!」
シヴァはそう怒鳴ると、雷音の横のポリバケツを蹴飛ばした。ただならぬ雰囲気に、通行人が何事かと足を止める。
ただでさえ雷音は目立つし、シヴァもpitifulのNO.1ホストだ。容貌だけで言えば、ホスト界ではトップクラスに入るだろう。
ただの酔っぱらいの喧嘩ではないことは、一目瞭然だ。雷音はそれに蛾眉を顰めた。
「もうよそうぜ…」
「何を気取ってんねん!そういうんがムカつくねん!」
ガッと胸ぐらを掴まれ、シヴァが拳を振り上げた。
一発くらい殴れば気が済むだろうと、雷音は避けることもせず甘んじて受けようと目を瞑った。
「イタッ!」
なのに聞こえてきたのは、拳を振り上げたシヴァの声だった。目を開ければ、そこには振り上げた拳を後ろ手に捻られたシヴァが居た。
「あ、明神…」
それは今、雷音が一番逢いたくなかった男、万里だった。夜だというのにサングラスをして、口元だけで妖艶に笑ってみせる。
自分より明らかに背が高いシヴァの腕を捻り上げ、シヴァは捻られた腕の痛みに膝を付いた。
「久しゅうなぁ…。ん?あんた、どなたはん?うちの島の人間か?」
「いてぇって!!何やねん!!離せやコラぁ!」
「やめろ!シヴァ!明神組だぞっ…あんたもっ」
雷音はシヴァの腕を捻り上げる万里の手を掴んだ。万里はニヤリと笑うと、シヴァの手を離した。
「み、明神組の奴」
シヴァは捕まれていた腕を擦りながら、ゆっくり立ち上がる。心なしか青褪めているのは、気のせいではないだろう。
それも無理はない。明神組の人間だ。
この街で明神に睨まれれば、暮らすことは出来ない。夜の世界に生きる人間ならば誰でも承知のことだ。
「悪かったな、シヴァ」
人集りも出来てしまい、三人はもう見せ物だ。雷音は万里の腕を掴むと、人集りを掻き分け歩き出した。
「オマエっ!何考えてるんだよ!」
「なんを怒ってるん?」
「あんな所でホストの喧嘩に入って、ホスト同士の喧嘩なんかよくあるだろう!」
「あんたは、わざと殴られようとしとったやろ」
「それでシヴァの気が済めば、安い話だろ!」
「BAISERに来はるお客はんは、喧嘩をしはるような低俗ホストには見切りをつけてくんで」
「そんなの、どーとでも言えるんだよっ!」
「せっかく久々に会えたんに、怒りなはんなや」
「え…」
雷音は万里の言葉に思わず立ち止まった。万里はサングラスをズラすと、真紅の瞳で雷音を見つめた。
「店に会いに行ったんに、店外営業ばっかりや。そへんになんを稼ぐ必要がある」
真っ直ぐに雷音を見つめる万里に雷音は鼓動が跳ね上がり、スッと目を逸らした。
「ん?」
「別に、ただ欲しい物があるだけ。時計…時計を買うの」
「時計?」
「そう…。あーっと、Piagetの時計」
「なんやそれ」
「いいんだよ…どうでも。神原さんは?オマエ、一人で街を彷徨くのやめろよな」
「さっきまでは、どっかで見張ってったと思うけど…?今はあんはんが居てるさかい」
「はぁ!?俺はオマエの用心棒じゃねえぞ!もう、早く連絡しろよ…俺、店出るんだし」
「せやなぁ。ほな、同伴や…行くで」
今度は逆に万里が雷音の腕を掴むと、店に向かって歩き出した。
「ちょ!勝手に決めるな!」
「拉致ろうか?ホテル連れ込んでもええんやで」
妖艶に微笑む万里に、雷音はゾクリとした。
一度身体を重ねてしまうと、その身体の甘さも思い出し、雷音の身体の奥底で疼くものがある。
これだけ鮮明に思い出されるのは、やはり同性という衝撃からか。
『おはようちゃうし…どこなん?!大丈夫なん!』
そんな雷音の挨拶を無視して、耳を劈く様な声がする。相手は奏大だ。
「何が?大丈夫だよ…」
『マジで?昨日電話したのに、ずっと出らんから!!なぁ!大丈夫なん!?』
当たり前だ。昨日はそれどころじゃなかったのだ。
そもそも店外営業中は呑気に電話している場合ではないし、それに客と居るときに電話に出るなんてプロ以下…マナーすらなっていない。女は自分と居るときは夢見心地で、見当違いの嫉妬も見せる。
それを奏大も分かっているはずだが、今回は相手が相手だけにこの反応も仕方がないのかもしれない。
「あー、ごめん。あー、そうだな。今から行くよ」
『話聞かせてもらうからな!覚悟しいや』
そう安い捨て台詞を吐いて奏大は携帯を切った。雷音はそれに嘆息して、運転席の神原を見た。
「すいません…。あの、」
「大丈夫ですよ。待ち合わせ場所まで、お送りいたしますよ」
雷音の会話を聞いて、全てを察したのだろう。イヤな顔一つ見せずにニコリと笑う神原は、流石と言わざる得ない。極道にしておくには勿体無い男だなと、ぼんやりと思った。
出来る男との会話も面白いだろうが、生憎こちらは後ろめたさがある。奏大の電話は好都合だった。
奏大と待ち合わせした店の近くで車を降り、雷音は頭を下げた。静かに走り去る車を見送りながら、これ以上深入りしないように、早く万里を忘れようと雷音は心に決めた
オープンテラス付きのコーヒーショップ。その奥の席に、まるでファッション雑誌の表紙を飾るかのように奏大が座っている。
ダメージジーンズに黒のジャケット。ミリタリーブーツにサングラスとハット。首にさりげなくスカーフを巻いて、ジャケットの袖を捲った腕に撒かれた時計はグラハム。
それに細く長い指にはクロムハーツの指輪。
「えー、あれはイヤ」
あそこに座るのかと雷音は思わず独り言を呟いた。目立ち過ぎ。悪目立ち。ただでさえ視線を集める容姿に付け加え、お前は芸能人かと言わんばかりのスタイル。
そこだけが異世界のようで、周りの女性客ならず男性客までもの注目を浴びていた。最早、落ち着いて話が出来る場所じゃないだろうと、雷音は嘆息した。
「あ!!シルバー!」
そんな雷音に気が付き、奏大が声を上げた。その声にというよりも、店の中で注目を浴びていた奏大の視線が雷音に向いたので、自然に店内の視線が雷音に集まる。そして雷音を見た客達が、ほぅ…と息を吐いた。
もう、最悪の状態だ。
雷音は諦めて奏大の居る席に行くと、開いていた前の席に座った。
するとすぐに店員が注文を取りに来た。奏大の前にはミルクティーとシナモンケーキ。
雷音はそれを見て、同じ物とは言わずにコーヒーを注文した。
「ここのシナモンケーキ上手いで?」
「シナモン、苦手だから」
「そう?やのうて!明神、大丈夫やったか!?」
寝てしまいました。言えば大騒ぎになることは間違いない。
今ここでとんでもない言葉を大声で叫んで、収集の付かない事態になることは手に取るように想像がついて、ゾッとした。
そもそもヤラせてくれと言っている相手に言えば、じゃあ俺もなんていう展開になり得なくもない。
それは御免だ。過ちは一度きりでいい。しっかり勉強になった。
「豪華なスウィートルームで乾杯」
「はぁ!?」
「それだけ。高い酒をたらふく飲んで、明神万里の酒豪さを思い知った。別に他には何もない」
雷音は運ばれて来たコーヒーに口をつけて、息を吐いた。
「えー、ほんまぁ?だって明神やで?」
「本当。ほら、指も全部揃ってるだろ?」
奏大の目の前で長い指を動かして戯けてみせる。それに奏大はムッとした顔をした。
「明神やで?明神。知っとるん?」
「仁流会明神組の明神万里。えーっと、若頭だっけな。それだけは分かったけど、後はそんな組の話してないし」
というか、出来なかったし。という言葉は胸の中に仕舞っておいて、シナモンケーキを頬張る奏大を見て笑った。
「がっつくなよ」
「だって!」
「こうして無事なんだし、いいでしょ?」
「シルバーは知らんから!仁流会がどこまででっかいか。明神っていうたら、大阪統括長やで。組長の木崎は仁流会の幹事長や。明神かてあの若さで若頭でおるんはその手腕のおかげって言われてるけど、手腕どころかただの荒くれ者!この御時世に武闘派貫いてるんは、あの明神万里がおるからやて言われてるくらいに腕が立つ言うやん。あんな形しとって」
「なぁ、どうしてそんな詳しいんだ?そっちのほうが怖いわ、俺」
「衣笠さんが久々に来はってん。せやから聞いた」
「ああ…」
衣笠というのは蓮の幼馴染みというルポライターだ。風俗から政治から娯楽まで手広くなんでも書く業界では名の知れた男は、息抜きと称してタダ酒を飲みに店にやってくる。
もちろん裏口から従業員専用休憩室でだ。
その事でよく蓮が衣笠に文句を言うが、衣笠という男は飄々とした男で、その蓮の小言を肴に酒を嗜むおかしな男だった。
「衣笠さんって、裏社会の方が得意なんだっけ?」
「せやなぁ。もともとは新聞記者で…何かの事件で踏み込みすぎて、そっちの人間に山に埋められかけたんやろ?そないやり手には見えんけどなぁ」
「そう…。まぁ、良い勉強になったよ。極道さんなんて知り合う機会ないだろ?あんな高級車に乗れたしラッキーってことで」
「何がラッキーや!あほぅ!」
カリカリ怒る奏大に笑いながら、雷音は二度と万里とは関係を持つまいと心に誓った。
あの狐につままれたような日から早一ヶ月。
一ヶ月もあれば、季節も次の季節へ移り行く準備を始めていた。それはBAISERも同じで、店のホストも訪れる客も移り行く季節に合わせて装いを変えていた。
極道とは関わらない。
鼻の効く神原が居る万里とは、いくら上客と言えどもお断りだ。
万里だってホストとの、それこそ酒の勢いの過ちの一夜なんぞすぐさま忘れたいはず。
そう思っていたのに何と三日も明けずに店に来た。流石にあれには驚いたが、幸い雷音は大手製薬会社の御令嬢の参加するパーティーのホスト役として店を出るところで助かった。
相も変わらずVIPルームへ行く万里と神原の後ろ姿から、逃げるように立ち去ったのだ。
奏大に聞いた話、雷音が店に居ないと分かると早々に帰ってしまったらしく、やはり御礼参りかとげんなりする雷音をよそに、何も知らない奏大は何かあると疑ってうるさく喚いた。
御礼参りだけで済めばいいが、深入りしすぎて色々と面倒なことになるのだけは避けたい。ホストクラブになんて、極道の幹部クラスの者が遊びになど来るわけがないと高を括ったのが間違いか。
だが、とりあえずは万里と逢う事を避けたい雷音は、なるべく店外での業務をこなす事にした。
幸いにもBAISERに来る客達は皆、不況の風も何処吹く風。
パーティーに参加したいと言えば自らパーティーを開催する力を持った人間ばかりで、店外業務にあぶれる事はなかった。
そして雷音の悩みの種である万里は、それから店に来る事がなくなったなんて事はなく、頻繁に顔を出す”常連”になっていた。
その頃になるとVIPルームばかりではなく稀にホールにも顔を出すようになっていたが、何せあの容貌だ。
屋内でも外さない意味ありげなサングラス。ベビーフェイスにアンバランスな頬の傷。
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やはり御礼参りか、それとも口止めか。どちらにせよお近づきにも関わり合いは持ちたくないが、いつまでも店外営業をするわけにもいかず、万里達が来ない事を願いつつ雷音は店に出ることにした。
久々の歓楽街を一人歩く。夜になると違う顔を見せる街は誰もがみな仮面を被っているようで、雷音はだからこそ夜の街を選んだ。
手っ取り早く稼げて誰もが深入りしてこない、上辺だけの付き合いで済む世界。
ここ最近それが狂いかけているような気もするが、この世界に住む人間は飽き性だということもよく知っている。
恐らくもう少しすれば、以前のように何事もなく暮らせるはずだ。
「雷音やんけ」
突如かけられた声に自然に眉間に皺が寄る。ゆっくり振り返り、雷音は長嘆した。
「シヴァ」
そこにいたのは雷音と変わらぬ身長で、垂れ目がちの甘い瞳を持ち、高い美鼻の誰もが惚ける様な容貌の男だった。
雷音と同じ様に高級スーツを着こなし、赤茶色の髪を短くウルフカットにした男は雷音と目が合うとニヤリと笑った。
「BAISERの雷音は、徒歩で出勤かいな。ま、俺も今日は用事あって、仕方なく徒歩やけどなぁ」
厭味ったらしく言うシヴァは、BAISERへ移籍する前に雷音が在籍していたpitifulの現ナンバーワンホスト。
雷音は以前pitifulに居たときに入店して早々に対を許さぬ勢いでナンバーワンにのり上がり、シヴァの反感を買ってしまったのだ。
騙してなんぼ貢がせてなんぼ、なければ水にも風呂にも沈めてでも通わすpitifulのそのやり方が性に合わず、雷音はさっさと見切りをつけて辞めてしまった。
雷音がpitifulを辞めると知ったライバル店は雷音の獲得に躍起になった。
雷音の持つ客層は広く数多く、どういう訳か資産を遊ばすような人間が多かった。雷音を獲得できれば、自然にそれらも付いてくるということだ。
億単位の金の動く雷音を欲する店は多かった。好条件で勧誘をしてくる店の中で、雷音が選んだのがBAISERだ。
会員制で資産の余る者が余興で来て、借金をしてまで店に来ない。そもそも入れないところ。
何より客の身分がはっきりしているところ。これは雷音には好都合だった。
シヴァからすれば、それが気に入らないのだろう。BAISRはホスト界でも最高峰。雇ってくださいの一言では雇ってもらえないし、そもそもBAISERはホストの一般募集は一切かけていなかった。
BAISERのホストは皆、蓮のスカウトだ。
アパレルから同業者、普通の会社の営業マンまで蓮は長い調査を入れてホストの素質があるか、スキルの高さから調べ上げスカウトする。
身分もある程度まで調査はするようだが、雷音の場合は身辺調査をするなら店には行かないという理由からなされなかった。
夜の仕事をするにはそれなりの理由があり、大半が人に自慢できるような理由ではない。蓮もその辺は理解を示し、雷音の調査をすることはなかった。
「なぁ…雷音。店裏切ってBAISERに飛んで、さぞかし満足なんやろな」
「またその話?俺は客に金を借りさせてまで来させるのが、性に合わないから辞めたんだし」
「綺麗事抜かすな!おまえかて金が必要やからホストしとんやろがっ!」
シヴァはそう怒鳴ると、雷音の横のポリバケツを蹴飛ばした。ただならぬ雰囲気に、通行人が何事かと足を止める。
ただでさえ雷音は目立つし、シヴァもpitifulのNO.1ホストだ。容貌だけで言えば、ホスト界ではトップクラスに入るだろう。
ただの酔っぱらいの喧嘩ではないことは、一目瞭然だ。雷音はそれに蛾眉を顰めた。
「もうよそうぜ…」
「何を気取ってんねん!そういうんがムカつくねん!」
ガッと胸ぐらを掴まれ、シヴァが拳を振り上げた。
一発くらい殴れば気が済むだろうと、雷音は避けることもせず甘んじて受けようと目を瞑った。
「イタッ!」
なのに聞こえてきたのは、拳を振り上げたシヴァの声だった。目を開ければ、そこには振り上げた拳を後ろ手に捻られたシヴァが居た。
「あ、明神…」
それは今、雷音が一番逢いたくなかった男、万里だった。夜だというのにサングラスをして、口元だけで妖艶に笑ってみせる。
自分より明らかに背が高いシヴァの腕を捻り上げ、シヴァは捻られた腕の痛みに膝を付いた。
「久しゅうなぁ…。ん?あんた、どなたはん?うちの島の人間か?」
「いてぇって!!何やねん!!離せやコラぁ!」
「やめろ!シヴァ!明神組だぞっ…あんたもっ」
雷音はシヴァの腕を捻り上げる万里の手を掴んだ。万里はニヤリと笑うと、シヴァの手を離した。
「み、明神組の奴」
シヴァは捕まれていた腕を擦りながら、ゆっくり立ち上がる。心なしか青褪めているのは、気のせいではないだろう。
それも無理はない。明神組の人間だ。
この街で明神に睨まれれば、暮らすことは出来ない。夜の世界に生きる人間ならば誰でも承知のことだ。
「悪かったな、シヴァ」
人集りも出来てしまい、三人はもう見せ物だ。雷音は万里の腕を掴むと、人集りを掻き分け歩き出した。
「オマエっ!何考えてるんだよ!」
「なんを怒ってるん?」
「あんな所でホストの喧嘩に入って、ホスト同士の喧嘩なんかよくあるだろう!」
「あんたは、わざと殴られようとしとったやろ」
「それでシヴァの気が済めば、安い話だろ!」
「BAISERに来はるお客はんは、喧嘩をしはるような低俗ホストには見切りをつけてくんで」
「そんなの、どーとでも言えるんだよっ!」
「せっかく久々に会えたんに、怒りなはんなや」
「え…」
雷音は万里の言葉に思わず立ち止まった。万里はサングラスをズラすと、真紅の瞳で雷音を見つめた。
「店に会いに行ったんに、店外営業ばっかりや。そへんになんを稼ぐ必要がある」
真っ直ぐに雷音を見つめる万里に雷音は鼓動が跳ね上がり、スッと目を逸らした。
「ん?」
「別に、ただ欲しい物があるだけ。時計…時計を買うの」
「時計?」
「そう…。あーっと、Piagetの時計」
「なんやそれ」
「いいんだよ…どうでも。神原さんは?オマエ、一人で街を彷徨くのやめろよな」
「さっきまでは、どっかで見張ってったと思うけど…?今はあんはんが居てるさかい」
「はぁ!?俺はオマエの用心棒じゃねえぞ!もう、早く連絡しろよ…俺、店出るんだし」
「せやなぁ。ほな、同伴や…行くで」
今度は逆に万里が雷音の腕を掴むと、店に向かって歩き出した。
「ちょ!勝手に決めるな!」
「拉致ろうか?ホテル連れ込んでもええんやで」
妖艶に微笑む万里に、雷音はゾクリとした。
一度身体を重ねてしまうと、その身体の甘さも思い出し、雷音の身体の奥底で疼くものがある。
これだけ鮮明に思い出されるのは、やはり同性という衝撃からか。
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皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。
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