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第1章〜初恋の味は少し苦くて、とびきり甘い〜⑤

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 入学二日目の放課後に、続けて予想外のショッキングな出来事に見舞われたことで、頭の中を整理できないまま、針太朗しんたろうは、心ここにあらず、といった状態で生徒会室をあとにする。

 しかし、そんな意識散漫いしきさんまんうわそらの状況で、フラフラと校舎内を歩く彼は、さらに衝撃的な事態に直面することになる。

北川きたがわさんと言い、東山ひがしやま会長と言い、いったい、どういうつもりなんだ?)

 針本針太朗はりもとしんたろうは、特別に疑り深い性格というわけではないが、さすがに、同じクラスになったばかり、もしくは、校内見学で顔見知りになったばかりの女生徒(しかも、二人とも学院を代表するような容姿の持ち主と言って良い)から、交際を申し込まれるような状況を手放しで喜べるほど、お人好しではなかった。

(ボクと出会ったばかりで、付き合いたいって、どういうことなんだろう……?)

 そんなことを考え、注意散漫になっていた針太朗しんたろうは、図書館に続く廊下の曲がり角に差し掛かったところで、

「あっ! やっと見つけた……」

と、小声でつぶやいたあと、
 
「えいっ!」

という掛け声とともに、彼に体当たりをかましてくる小柄な女子生徒の高速タックルを避けることができなかった。

「うわっ!」

 間の抜けた声とともに、廊下に身体を打ち付けそうになった針太朗が、かろうじて受け身を取り、怪我を避ける体勢で床に着地すると、ぶつかってきた女子生徒は彼ともつれるように、倒れ込んできた。

「いった~い!」

 可愛らしく声をあげた彼女は、次の瞬間、わざとらしくハッとしたような表情になり、

「あっ、ゴメンナサイ! 大丈夫ですか?」
 
と、針太朗しんたろうに声を掛ける。

「いや……ボクは大丈夫だけど……それより、キミ、いま『えいっ!』とか言って、ぶつかって来なかった?」

 だが、彼の極めて冷静な指摘にも、彼女は、顔色ひとつ変えることなく平然と

「えぇ~? 気のせいだと思いますよ~」

などと、言ってのける。

 そんな彼女の言動からは怪しさしか感じられず、

「いやいやいやいや、ちょっと待って……」

ツッコミを入れようとする針太朗しんたろうに対して、やや小柄で綺麗に外ハネしたショートヘアが印象的な女子生徒は、

「ひかりのこと、信じてもらえませんか? うるうる……」

と、効果音付きで、自らの潔白を主張しようとする。
 その仕草に、女子との会話が苦手な彼は、これ以上、面倒くさい状況に巻き込まれたくないと考え、真相の追及を切り上げることにした。

「わかった……考え事をしながら、ボーッと歩いていたボクも悪かったよ。お互い、廊下を歩くときは気をつけようね」

 彼が、自身の感情を押し殺しながら、なるべく冷静に答えると、体当たり……いや、衝突事故を起こした彼女は、針太朗しんたろうの胸元をチラリと確認し、スンスンと小さく鼻を鳴らしたあとに立ち上がると、

針本はりもとセンパイは、やっぱり優しいですね。あなたが、ひかりのだと思います」

などと、一方的に斜め上な発言をする。

「ハァ……運命の人? ってなんなの?」

 困惑した針太朗しんたろうが、疑問を呈するのにも構うことなく、またも彼に付け入る隙を与えずに言い放つ。

「あっ、私は、中等部3年の西田にしだひかりって言います! 突然なんですけど、針本はりもとセンパイ、これ読んでください!」

 そう言って、手渡されたのは、淡いピンク色の封筒だった。

「えっ、また、手紙?」

 と、思わず口にしてしまった針太朗しんたろうの言葉を気にも留めない様子で、中等部の西田にしだひかりと名乗った少女は、ウサギが駆け出すように、あっという間に去って行った。

 ◆

(今日は、占いで言うところのアンラッキー・デーかなにかなのか……?)

 星占いなどの非科学的な事柄を信じるタイプではなかったが、読書全般が趣味ということもあり、さまざまな雑学を身につけている針太朗しんたろうは、占星術で吉日とされる一粒万倍日いちりゅうまんばいびの反対に、不吉が重なるアンラッキー・デーが存在するということが、記憶の片隅に残っていた。

(さすがに、これ以上、女子に関わることはないと思うけど……)

 放課後の出来事を振り返りながらも、こんな日は、図書館で心を落ち着かせるに限る――――――。

 自分の趣味と実益(?)を考慮して、校内見学のときに考えた予定どおり、放課後のお楽しみとして、蔵書50000冊以上を誇る学院の図書館に向かった針太朗しんたろうだが、彼は、自身に降りかかる大いなる宿命の影響をまだ甘く見ていたようだ。

 校内探索オリエンテーションで紹介されたとおり、ひばりヶ丘学院の図書館は、三階建ての豪華な建物で、一階は受付カウンター、二階は探究学習を行う際に利用する専門書、そして、三階は文学書を中心とした書物が置かれている。

「さてさて、この図書館には、どんな本が置かれているのかな?」

 意識の高い転職サイトのコマーシャルの登場人物のようなテンションで、針太朗しんたろうは、三階の文学書のコーナーを探索する。

「どれどれ……日本文学の蔵書は申し分なさそうだ……」

「へぇ~! 稲垣足穂いながきたるほ泉鏡花いずみきょうかの全集が……」

「こ、これは、まぼろしのサンリオSF文庫!」

「おいおい、こんな稀少本きしょうぼんをどこで!?」

 中途採用者を面接する上司のように、興奮のあまり、思わず心の声を漏らしてしまった針太朗しんたろうだが、そんな彼のそばに忍び寄る人影があった。
 書棚のラインアップに集中するあまり、周囲を気にすることなく、フィリップ・K・ディックの『流れよ我が涙、と警官は言った』の文庫本に手を伸ばそうとした彼のそばで、一人の女子生徒が、

「ビ◯リーチ!」

と、人差し指を立てて、声を掛けてくる。

「おわっ!」

 今日、何度目になるかわからない、素っ頓狂で間抜けな声をあげた針太朗しんたろうに対して、かたわらの女生徒は、小さくクスクスと笑う。

「驚かせてしまって、ごめんなさい。あなたが、あまりにも、熱心に本棚を見ていたものだから……サイエンス・フィクションがお好きなんですか?」

 SFや幻想文学が並ぶ書棚に目を向けながらたずねる彼女の存在に驚きながらも、彼は、自分の趣味と言っても良い分野についての質問をされたこともあり、いつもより冗舌に答えを返す。

「SFに限らずですけど……珍しい本がたくさんあって驚いていたところです。あのサンリオSF文庫が学校の図書館に大量に置かれているなんて、想像できなかったので、嬉しくてつい……あっ、サンリオSF文庫っていうのは……」

 年間キャラクター大賞でおなじみの、我が国が世界に誇るキャラクターを次々と生み出す巨大企業が、かつて刊行していた文庫本についての説明を行おうとする針太朗しんたろうを制し、同級生と思われる女子生徒は返答する。

「知っていますよ。サンリオが出版していた文庫本ですよね? フィリップ・K・ディックの作品を最初に大量刊行したのは、このレーベルですものね。あなたの熱量が上がるのもわかりますよ」

 今日、これまでに出会った女子たちとは異なり、どこか儚げな印象すら受ける、いかにも文学少女という雰囲気を醸し出しながらも、彼女は、ハッキリと口調で自身の見解を述べる。

 繊細で、たおやかな印象の声で発せられたその返答に、針太朗しんたろうが、大きくうなずきながらも、

「そうなんです! それで、つい興奮しちゃって……なんだか、恥ずかしいところを見せてしまったね」

照れ隠しに、そう答えると、彼女は、小さく首を横に振り、

「いいえ……なにかに熱中している男子って、私は、とっても素敵だと思いますよ」
 
と、彼が予想もしなかった回答を形の整った唇からつむぐ。

 その一言に、これまでの女子との会話で、驚き、動揺することはあっても、胸が高鳴ることなどなかった針太朗しんたろうは、自分の胸の鼓動が早くなるのを感じた。

「いや、そんな……ボクは、ただ本を読むのが好きで、他に取り柄なんてない人間なので……」

 同世代の女子に褒められた(?)ことを嬉しく感じたためか、ほおが赤みを帯びるのを感じながら、彼がそう答えると、彼女は、ふたたび首を小さく横に振ったあと、

「いいえ……素敵な趣味じゃないですか? 私も、本のお話しができる同級生がいたら嬉しいな、と思っていたので……」

少しはにかみながら答える。そして、小さく鼻で呼吸をすると、

「私、本好きなヒトは、よ」
 
と言って、いたずらっぽくクスクスと笑う。
 
 その彼女の言葉に、針太朗しんたろうは、自分の胸がさらに高鳴っていることを感じざるを得ない。

「あの……ボクは、今年から高等部に入学してきた1年2組の針本針太朗はりもとしんたろうって言います」

 自ら名乗り出た彼に対し、相手の女子生徒は、丁寧にうなずいたあと、

「私は、1年3組の南野楊子みなみのようこと言います。針本はりもとくん、お近づきの印に、これを読んでもらえないでしょうか?」

 そう言って、楊子ようこと名乗った少女は、薄い緑色の封筒を針太朗しんたろうに手渡す。
 気になる女子から手渡されたモノを受け取ると、彼は、彼女から受け取ったそれを大切に制服の内側ポケットに仕舞った。

 針太朗しんたろうが、封筒を差し込んだ部分が少し熱を帯びるのを感じていると、楊子ようこは、

「私、放課後は、図書館で過ごすことが多いので、よければ、また、お話し出来ませんか?」

と、彼にとって、この上なく魅力的な提案をしてくる。
 彼女のその申し出に喜びを感じた針太朗しんたろうが、

「えぇ、ぜひ!」

と返答すると、楊子ようこも満足したように薄い笑顔でうなずいた。

「このあと、用事がある」ということを言い残した彼女と別れたあと、一日の終りに、胸が静かに高鳴る出会いを経験した針太朗しんたろうは、今度こそ下校するべく、心地よい気分で生徒昇降口に向かう。

 しかし、そんな彼を呼び止める声があった。

「そこの一年生……キミ、?」

 唐突に掛けられた声に、針太朗しんたろうが振り返ると、そこには、白衣を着た保健医らしい女性教師が立っていた。
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