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夏休み
しおりを挟む七月。
夏が来ていた。
風は段々と暖かく、そして熱気を帯びていた。
あいつらの夏が始まるんだな。
夏の大会は見に行こうか。
見に行った先で、なにを思うか確認したい。
結果どうこうではなく、純粋に今の自分がどう思うか、知りたい。
七月の中旬を迎える頃には野球部の大会が始まっていた。
一回戦、二回戦は順調に勝ち進んだらしい。
どちらも正一の完投。
あいつも投げてるじゃねぇか。
なんて少々思いながらも感心した。
この暑さの中、投げるというのは大変なのだ。
たった一人で、立たなければならない孤独感。
野球場独特の暑さ。
そして体力的にはもちろん、肘や肩の疲労。
どれもマウンドに立った者にしか分からないものだ。
三回戦も順調に勝ち進み、準々決勝の前日。
携帯が鳴った。
正一からだった。
ドキリとした。
恐る恐る電話に出る。
「おう。見てくれてるか?」
「ま、まあな」
「明日の試合、見に来てほしい」
そんなバカ正直に言われると思ってなかったので、拍子抜けしてしまう。
言われなくても行くつもりだった。
対戦相手は強豪校だった。
だからこそ、見なくてはならないと思った。
「ああ。見に行くよ」
「そっか…ありがとう。コウ…俺な…」
正一はそこで黙ってしまった。
「いや、なんでもない。明日、必ず来いよ」
そう言って正一は電話を切った。
あいつがなにを言いたかったか、分かる気がした。
分かる気がしたけど、それを言い当てようとか、励まそうとは思わなかった。
あの場に、その状況にいるやつにしか分からない、興奮と恐怖心。
自分の中の得体の知れない何かが、急に出てくる感覚。
そしてそれは不思議と嫌ではなく、なぜかとても心地良い。
なんとも表現し難いものだった。
おそらく正一は俺なら分かると思ったのだろう。
だから言いかけた。
けれど、言わなかった。
それは俺がもう離れてしまっているから。
それらとはもう無縁の生活をしているからだ。
そうだ。俺はもう関係ないんだ。
改めて、しかしはっきりと痛感した。
なぜだか、怪我をした時よりもずっと、悔しかったーーー
次の日、朝から気温は三十度を超えていた。
昼には三十五度にも達するらしい。
Tシャツと半パンに着替えて家を出る。
あいつ、大丈夫だろうか。
去年よりも暑いと感じられるこの中、あいつは一人っきりで戦わなければならない。
俺がいればな…
チラッと考えたけど、すぐにその思いは打ち消した。
着いた球場は五年前に改築されたばかりの市営球場だった。
スタンドやスコアボードは綺麗なのに、グランドが天然芝なのが、アンバランスで、妙な雰囲気に感じられた。
久々にきたな。
球場に足を踏み入れるのは実に一年ぶりだし、ここはグランドの外なのにこんなにも懐かしく感じる。
グランドではもう選手達がシートノックをしている。
真っ白なボールがグランドを駆け巡るのを見て、綺麗だなと思った。
野球をやっている頃、ボールを握っている頃は思いもしなかったことだ。
シートノックが終わって、散水をしてる時、ベンチに腰掛けている、正一の姿が見えた。
集中しているのだろう、体から熱気を放っているように見えた。
試合が始まって、俺は驚いた。
うちの高校が先制したのだ。
スタンドは大いに盛り上がり、早くも最高潮だった。
初回に二点を取れるなんて思ってみなかった。
すげえ。
あいつらはこの一年、死ぬ気でやってきたということがよく分かる攻撃だった。
その裏の守備。
正一がマウンドに上がる。
少々コントロールが乱れるものの、三人で仕留めた。
こっちも、すげえ。
全くまいったもんだ。
人というのはこんなにも進化する。
ある日突然、殻を破り、得体の知れないなにかに、生まれ変わる。
じゃあ、俺はどうだろう。
怪我をして、諦めて、ただ生きてる。
あの時のまま、止まったまま、スタンドで見ている。滑稽だった。
やっぱこなきゃ、良かったんだ。
あいつからなにを言われようと家で涼しい中、アイスでも食べながら、ゴロゴロしとけば良かったんだ。
そんなことを、考え、イマイチ試合に集中もしない中、試合はどんどん進んでいった。
七回、犠牲フライで一点を取られはしたが、まだリードは保っていた。
しかし、やばいなと思った。
正一のスタミナだ。
明らかにオーバーペースだ。
相手が相手だから、初回から飛ばしていたのだろう。そのツケが回ってきている。
八回のこちらの攻撃がゼロで終わったその裏、相手の打線に火がついた。
ヒットとフォアボールでワンナウト、ランナー一、三塁の大ピンチだ。
正一の顔が歪む。
その顔を見ると、なぜか、俺が苦しかった。
カウントがツーボールになったところで、正一が間をとった。
こちらを見た。
そう思った。
側から見ればわからないかも知れないが、俺は確かに、そう感じた。
あいつが一人で苦しんでいる。
いいのか?俺は、こんなところにいて、なんの戦力にもなれないけど、俺は、このまま黙って見てるだけでいいのか?
そう思った時にはすでに立ち上がっていた。
「逃げるな!絶対に逃げるな!」
俺が叫んだ瞬間、正一がふっと笑った気がした。
そうだ。
あの祭りの日、俺があいつに言われた言葉だ。
そっくりそのまま、返してやるよ。
だから、頑張れ。
正一は、一つ大きな深呼吸をするとセットポジションに入った。
大きく足を上げる。
そして腕がしなる。
真っ直ぐに飛び込んでいくそのボールは
この日一番のボールだった。
その一球が答えだった。
俺も、あいつも、悩んで、苦しんで、今いる場所は違うけれど、きっとおんなじような気持ちを抱えていたんだ。
俺は涙が止まらなかった。
周りの人たちは困惑していたが、そんなの関係なかった。
とにかく涙が止まらなかった。
その日、試合は負けた。
四対二。
あの一球で全ての力を使った正一は逆転を許した。
俺は結末とかどうでも良くて、ただあいつのことだけを涙でボヤけながらも目で追っていた。
試合が終わり、応援団に挨拶をして、多くの選手が涙を流している中、正一だけが泣いていなかった。
なにか決意したような目をしていた。真っ直ぐに前を見ている。
大丈夫だな
直感的にそう思った。
あいつならきっと最後は勝つだろう。
根拠など無かったが、なぜかそう言い切れた。
挨拶が終わり、帰ろうとした時、肩を掴まれた。
正一だ。
数秒俺を見た後、真っ直ぐ目を見て言った。
「俺一人じゃ、無理だ。戻ってこい。お前が必要だ」
そして、続けた。
「分かるだろ?お前なら」
そう言って笑った。
久しぶりに正一の笑った顔を見た。
全身から力が抜けた。
もう立ってはいられなかった。
この一年、一番言って欲しかった言葉を、一番言われたかったやつに言われたのだ。
捻くれて、むくれていたのは俺の方だった。
こいつは、正一は、いつも真正面から向き合ってくれていた。
なのに、いつも俺は背を向けて逃げていた。
情けなかった。
けど、どうしたらいいのか、分からなかった。
初めて知ることばかりで、困惑した。
答えを探していたけれど、見つからなかった。
それはそうだ。
もっと近くに、でも一番遠く感じていたところにあったのだから。
「泣くなよ。お前が誰よりも泣いて、どうする」
少し小馬鹿にした感じで言われた。
けど、このやり取りすら、懐かしく感じ、嬉しかった。
「うるせぇよ」
そう言って、二人で笑ったーーー
新チームが始まる日に、俺はチームに戻った。
監督やチームメイト達は快く受入れてくれた。
ブランクもあるし、やる事は沢山あったけれど、またここに戻ってこれて良かったと心底思った。
勝ちたい。
この思いは変わらない。
けれど、それは前とは少し違う。
今は、このチームで、みんなと、そして正一と勝ちたい。
そして、その力に少しでもなりたい。
大きく息を吸う。
今まで見えていた景色がザワザワと動き、変わっていく。
目の前の景色が色付いていく。
本当の夏はこれからだ。
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