110 / 114
絶対零度の共振
10
しおりを挟む
新築とまでは言えないまでも比較的新しいビルは、思った以上に内装は清潔だった。治安は期待できないが立地もそう悪くはない。十分な広さのある部屋に、給湯室にはガスコンロまで付いている。事務所を構えるに申し分ない場所であった。
安居、冴島、乾はうろうろと見回しながら自分達の仕事場となる新たな城に満足げだった。早速どこにデスクを置こう、ここは応接室に相応しいと相談が始まる。余った部屋は仮眠室ということで、ベッドが欲しいと冴島が言い出した。いざとなったら泊まり込みで働ける仕様に、どれだけ仕事をするつもりだと安居が苦笑する。常は落ち着きを見せる乾も舞い上がっているのが隠しきれず、あちこちを忙しなく見て回っている。
ここが自分達の事務所になるのだと、安居は感慨深い気持ちで広い室内を見回していた。
「これからやで」
まるで登頂仕切った後のような達成感を見せる安居に、冴島が笑いかける。まだまだしなければならないことは山積みで、少しも気を抜いてはいられない。
「分かっとるよ」
安居はそう返したが、胸に広がる思いは冴島も同じだと分かっていた。やっとここまで辿り着いたと、長かった日々を思う。自分達はここから始まっていく。この先も決して簡単な道ではない。新たに加わった乾の力も借りて、絶対に生き延びてみせるのだと決意を固めた。
本格的に始動した闇金融ではあったが、滑り出しは好調に思えたもののどうも悪い風が吹いていた。新品のデスクで頭を抱える安居の手元には、借金を丸ごと返して去っていった顧客のリストがある。彼らの仕事は客が借金の利子を払い続けて借りた金まではなかなか返せぬところに儲けがある。長く借りているほど長い儲けが出るため、こうあっさりと全額返済されれば一人の顧客から取れる金額は美味しくはない。そもそも、簡単に返せるあてがあるなら初めから闇金融など頼っていないはずだ。どこから捻出してきた金だと訝しむ。
「これは客取られてんなあ」
同じくリストを睨みつけていた冴島が苦く言った。おそらく、借金の借り換えが行われている。要はうちの方が利子が少ないからうちで借りてくれと、丸ごと金を出してくれる会社があるということだ。たとえ数パーセントだろうと払う金が少ない方に顧客は流れる。そこで借りた金で借金を返し、この事務所から逃れていっているのだろう。
そんなことをされては商売上がったりだ。決して防げるようなことではないが、それにしては数が多すぎる。新しくできたライバル会社が宣伝でもしているのか、と思ったがそれなら耳に入ってきてもいいはずだ。乾ですら低金利の闇金融について情報を得ていないのだから、不自然であった。
「…………ちょっといいですか」
乾は不意に席を立つと、安居のデスクに向かってきた。一体何かと顔を上げれば乾はパソコンを貸せと手で示した。安居が席を譲り、乾に任せる。何をどう操作しているのか分からなかったが、乾は何かのデータを見ているようだった。
「この間インターネット工事の業者が来ましたよね」
事務所の工事で業者を呼んだが、それがどうしたのだと安居は不思議そうにする。一体何が引っかかっているのか分からなかったが、乾が担当の者と連絡を取れというのでもらった書類と名刺を引っ張り出してきた。訳もわからず安居は電話をかける。
やりとりを聞いていれば、安居の声はだんだんと訝しげになり受け答えは乱れていく。狐につままれたような顔で受話器を置いた安居に、予想通りだと言いたげに乾は視線をやった。
「この佐藤さんって人、確かに自分の名刺やけど行った覚えはないって……」
工事は完了していることになっているが、誰が担当に行ったか分からないという。互いに何が起きているのか分からず、向こうも調べてみると狼狽えていた。
やっぱり、と乾が口にするので何か掴んだのかと冴島も画面を覗き込んだ。しかし英数字の羅列に多少の意味は分かっても乾のように核心は見えてこない。
「これ、顧客データ抜き取られてるんですよ。勝手に送るようになってます」
マウスカーソルが文字をなぞっていく。今まで気づかなかったのが不服だとばかりに乾は不機嫌な顔つきだった。安居も冴島もまさかデータを覗き見られていたとは知らず、真っ青になる。紙面で顧客管理をしていては効率が悪いとデータ化した結果がこれなのかと頭が痛かった。
「ええ度胸やなあ」
安居と冴島が先を考える前に、乾はゆらりと瞳に炎を灯していた。曰く、こんなに手垢を残しまくって喧嘩を売るなんてどうなっても知らないぞと。乾の敵対心が煽られてしまったらしい。こうなっては下手に触れると飛び火する危険がある。安居と冴島の視線が噛み合った。ここは乾に任せようと無言で意見が合致する。何やら真剣にキーボードを叩き出した乾からそっと距離を取り、邪魔をしないよう物音を殺して部屋を出たのだった。
安居、冴島、乾はうろうろと見回しながら自分達の仕事場となる新たな城に満足げだった。早速どこにデスクを置こう、ここは応接室に相応しいと相談が始まる。余った部屋は仮眠室ということで、ベッドが欲しいと冴島が言い出した。いざとなったら泊まり込みで働ける仕様に、どれだけ仕事をするつもりだと安居が苦笑する。常は落ち着きを見せる乾も舞い上がっているのが隠しきれず、あちこちを忙しなく見て回っている。
ここが自分達の事務所になるのだと、安居は感慨深い気持ちで広い室内を見回していた。
「これからやで」
まるで登頂仕切った後のような達成感を見せる安居に、冴島が笑いかける。まだまだしなければならないことは山積みで、少しも気を抜いてはいられない。
「分かっとるよ」
安居はそう返したが、胸に広がる思いは冴島も同じだと分かっていた。やっとここまで辿り着いたと、長かった日々を思う。自分達はここから始まっていく。この先も決して簡単な道ではない。新たに加わった乾の力も借りて、絶対に生き延びてみせるのだと決意を固めた。
本格的に始動した闇金融ではあったが、滑り出しは好調に思えたもののどうも悪い風が吹いていた。新品のデスクで頭を抱える安居の手元には、借金を丸ごと返して去っていった顧客のリストがある。彼らの仕事は客が借金の利子を払い続けて借りた金まではなかなか返せぬところに儲けがある。長く借りているほど長い儲けが出るため、こうあっさりと全額返済されれば一人の顧客から取れる金額は美味しくはない。そもそも、簡単に返せるあてがあるなら初めから闇金融など頼っていないはずだ。どこから捻出してきた金だと訝しむ。
「これは客取られてんなあ」
同じくリストを睨みつけていた冴島が苦く言った。おそらく、借金の借り換えが行われている。要はうちの方が利子が少ないからうちで借りてくれと、丸ごと金を出してくれる会社があるということだ。たとえ数パーセントだろうと払う金が少ない方に顧客は流れる。そこで借りた金で借金を返し、この事務所から逃れていっているのだろう。
そんなことをされては商売上がったりだ。決して防げるようなことではないが、それにしては数が多すぎる。新しくできたライバル会社が宣伝でもしているのか、と思ったがそれなら耳に入ってきてもいいはずだ。乾ですら低金利の闇金融について情報を得ていないのだから、不自然であった。
「…………ちょっといいですか」
乾は不意に席を立つと、安居のデスクに向かってきた。一体何かと顔を上げれば乾はパソコンを貸せと手で示した。安居が席を譲り、乾に任せる。何をどう操作しているのか分からなかったが、乾は何かのデータを見ているようだった。
「この間インターネット工事の業者が来ましたよね」
事務所の工事で業者を呼んだが、それがどうしたのだと安居は不思議そうにする。一体何が引っかかっているのか分からなかったが、乾が担当の者と連絡を取れというのでもらった書類と名刺を引っ張り出してきた。訳もわからず安居は電話をかける。
やりとりを聞いていれば、安居の声はだんだんと訝しげになり受け答えは乱れていく。狐につままれたような顔で受話器を置いた安居に、予想通りだと言いたげに乾は視線をやった。
「この佐藤さんって人、確かに自分の名刺やけど行った覚えはないって……」
工事は完了していることになっているが、誰が担当に行ったか分からないという。互いに何が起きているのか分からず、向こうも調べてみると狼狽えていた。
やっぱり、と乾が口にするので何か掴んだのかと冴島も画面を覗き込んだ。しかし英数字の羅列に多少の意味は分かっても乾のように核心は見えてこない。
「これ、顧客データ抜き取られてるんですよ。勝手に送るようになってます」
マウスカーソルが文字をなぞっていく。今まで気づかなかったのが不服だとばかりに乾は不機嫌な顔つきだった。安居も冴島もまさかデータを覗き見られていたとは知らず、真っ青になる。紙面で顧客管理をしていては効率が悪いとデータ化した結果がこれなのかと頭が痛かった。
「ええ度胸やなあ」
安居と冴島が先を考える前に、乾はゆらりと瞳に炎を灯していた。曰く、こんなに手垢を残しまくって喧嘩を売るなんてどうなっても知らないぞと。乾の敵対心が煽られてしまったらしい。こうなっては下手に触れると飛び火する危険がある。安居と冴島の視線が噛み合った。ここは乾に任せようと無言で意見が合致する。何やら真剣にキーボードを叩き出した乾からそっと距離を取り、邪魔をしないよう物音を殺して部屋を出たのだった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
紅屋のフジコちゃん ― 鬼退治、始めました。 ―
木原あざみ
キャラ文芸
この世界で最も安定し、そして最も危険な職業--それが鬼狩り(特殊公務員)である。
……か、どうかは定かではありませんが、あたしこと藤子奈々は今春から鬼狩り見習いとして政府公認特A事務所「紅屋」で働くことになりました。
小さい頃から憧れていた「鬼狩り」になるため、誠心誠意がんばります! のはずだったのですが、その事務所にいたのは、癖のある上司ばかりで!? どうなる、あたし。みたいな話です。
お仕事小説&ラブコメ(最終的には)の予定でもあります。
第5回キャラ文芸大賞 奨励賞ありがとうございました。


お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
よんよんまる
如月芳美
キャラ文芸
東のプリンス・大路詩音。西のウルフ・大神響。
音楽界に燦然と輝く若きピアニストと作曲家。
見た目爽やか王子様(実は負けず嫌い)と、
クールなヴィジュアルの一匹狼(実は超弱気)、
イメージ正反対(中身も正反対)の二人で構成するユニット『よんよんまる』。
だが、これからという時に、二人の前にある男が現われる。
お互いやっと見つけた『欠けたピース』を手放さなければならないのか。
※作中に登場する団体、ホール、店、コンペなどは、全て架空のものです。
※音楽モノではありますが、音楽はただのスパイスでしかないので音楽知らない人でも大丈夫です!
(医者でもないのに医療モノのドラマを見て理解するのと同じ感覚です)
本日、訳あり軍人の彼と結婚します~ド貧乏な軍人伯爵さまと結婚したら、何故か甘く愛されています~
扇 レンナ
キャラ文芸
政略結婚でド貧乏な伯爵家、桐ケ谷《きりがや》家の当主である律哉《りつや》の元に嫁ぐことになった真白《ましろ》は大きな事業を展開している商家の四女。片方はお金を得るため。もう片方は華族という地位を得るため。ありきたりな政略結婚。だから、真白は律哉の邪魔にならない程度に存在していようと思った。どうせ愛されないのだから――と思っていたのに。どうしてか、律哉が真白を見る目には、徐々に甘さがこもっていく。
(雇う余裕はないので)使用人はゼロ。(時間がないので)邸宅は埃まみれ。
そんな場所で始まる新婚生活。苦労人の伯爵さま(軍人)と不遇な娘の政略結婚から始まるとろける和風ラブ。
▼掲載先→エブリスタ、アルファポリス
※エブリスタさんにて先行公開しております。ある程度ストックはあります。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる