109 / 114
絶対零度の共振
9
しおりを挟む
再会の興奮はようやく収まり、佐々木はやっと巨体から逃れることができた。ぐしゃぐしゃにされた髪を直しながら苦笑する。涙ぐんだ声を聞けばどれだけ心配をかけたのか分かって文句を言う気にもならなかった。
涼とヨウは水を差さぬよう微笑ましげに遠くで見守っている。鷹野と神蔵はけらけらと笑って佐々木の帰還を喜ぶと、それぞれの仕事に戻っていった。鷹野は途中になっていた運び屋の仕事に向かうらしい。この大型トラックには積荷が乗っているのだそうだ。神蔵も完全に遅刻だと笑って鷹野に送られていった。
「サエニキは?」
熱の収まった安居は、見えぬ人影に気づいて問いかける。佐々木のことは聞いていたが、冴島の話は誰からも出なかった。佐々木は急に顔を曇らせ、俯いてしまう。嫌な予感がして仲間の無事に喜んでいた心の内が途端に翳っていく。
「悪りぃ…………」
苦しげに吐かれた言葉に、安居の表情が消える。どういうことだと掴みかかった安居を乾が慌てて止めに入った。佐々木は揺さぶられるままに苦々しい沈黙を保っている。目に見えて動揺し声を荒げる安居に返す言葉がなかった。
「言え! 何があったんや!」
追い込まれたように佐々木を責める安居を乾が落ち着かせようとする。佐々木から手は離れたが、焦燥を滲ませた安居の瞳は射抜かんばかりに強く佐々木を睨みつけていた。佐々木は静かに安居を見返す。事務所に入る余裕もなく、血生臭い夜風に吹かれたまま佐々木は口を開いた。
時は日の落ちる前に遡る。とある暴力団に潜入し、情報収集をしていた佐々木と冴島であったが派手な動きをしたつもりもないのに正体が気づかれてしまった。潜入先でただの下っ端である二人が若頭に呼ばれた時点でおかしいと思っていたのだ。部屋に入るや否や弁解の余地もなく拘束された。もはや疑いではなく確信を持って二人がスパイであると知っているようだった。
冴島は佐々木から引き離され、後ろ手に縛られたまま床に転がされた。痛みに呻いて不自由な体を捩れば、歪んだ表情を若頭が覗き込んでくる。
「お前ら、安居金融だろ」
何も知らぬものであったなら何を示す言葉かすら分からないであろう。どこから来たのだと問われることもなく言い当てられ、背筋が冷える。一体どこまで知られているのか。
「……何のことか分かりません。人違いとちゃいますか」
冴島は焦りを隠して真っ直ぐに見返す。怪しい動きはしていないという自信があった。どこで何を知ったか知らないが、正体を知られるようなことはしていない。
冴島があくまでもシラを切るつもりだと分かれば、若頭は苛立たしげに目を細めた。危険な目つきに本能的な恐怖が走る。もはや自分を人間として見てはいない。一方的に搾取される者を見る時の、よく知った視線だった。
思わず目を逸らしていた。佐々木を見やれば、若頭補佐に何事か話しかけられている。会話の内容までは分からないが、同じく安居金融の人間かと聞かれているのだろう。佐々木は何も答えていないようだった。
一体どんなやり取りをしているのだろうと佐々木に向いた意識が髪を掴まれることで無理やり引き戻される。前髪を掴みあげられる痛みで顔を上げれば、静かに見下げられた。
「全部知ってんだよ。さっさと吐いちまえ」
情報を奪いに潜入していると正直に口にすれば、その先は想像に難くない。冴島は何のことやら分からないと若頭を見つめるしかない。信じてくれとばかりに真摯な視線を送りながら、内心どこから漏れたのかと考えを巡らせていた。身内が情報を漏らすような下手は打たないはずだ。別の情報屋の仕業か、と疑念が広がっていく。
「分かりました」
突然佐々木の声が聞こえてきて冴島は思わずそちらに目をやった。強く聞こえた声は、痛めつけられて無理に言わされたという様子ではない。言葉にははっきりとした佐々木の意思が感じられた。
「俺は強い方の味方や」
聞き慣れた声がやけに鮮明に耳に届いた。堂々と言葉が発せられた途端、佐々木を拘束していた縄が切られる。呆然と見上げていると、佐々木は立ち上がって軽く手首をさすった。床に這ったままの冴島に一瞥が投げられる。その視線から考えを読み取ることができず、信じられないとばかりに瞳を大きくして見送るしかなかった。佐々木は部屋から出て行ってしまう。取り残された冴島は閉まる扉をただ見つめていた。
「あいつは自分達が安居金融だって認めたよ」
佐々木と話していた若頭補佐が薄笑いを浮かべて冴島の元へやってくる。必死に動揺を隠そうとはしているものの冴島の焦燥が伝わっているのだろう。小馬鹿にするように見下げられ、自由の効かない体を捩った。
「仲間に売られるとは可哀想に」
皮肉めいた口調が言ったかと思えば、笑い声が降ってくる。土足で踏みにじられるような屈辱に眼前が赤くなった。佐々木がそんなことをするはずはないと言い返したくとも、現にここに残されたのは冴島一人だ。感情の読み取れない佐々木の表情を思い出して冷えた床に吸われた体温がさらに奪われていく。
安居金融にはずっと目をつけていたのだと若頭が嬉しそうに語る。以前潜入していた先はこの組の傘下にあったらしく、ひどい損失を受けたそうだ。乾が尋問を受けた時か、と苦く思っていれば別に恨んでいるわけではないのだと不快な笑い声が聞こえてきた。
「全部吐いてもらおうか」
容赦の欠片もない腕が伸びてくる。これから行われるのは一方的な暴力だろう。冴島は痛みを覚悟して目を伏せた。どれだけのことをされても話す気はさらさらない。続く忍耐の時間は長いことだろう。
身体に与えられる苦痛から逃れるように、つい先程去っていった男との過去を思い出していた。もう何年前のことか。まだ他人だった頃の佐々木との出会いは随分昔の事のように脳裏を過ぎった。
涼とヨウは水を差さぬよう微笑ましげに遠くで見守っている。鷹野と神蔵はけらけらと笑って佐々木の帰還を喜ぶと、それぞれの仕事に戻っていった。鷹野は途中になっていた運び屋の仕事に向かうらしい。この大型トラックには積荷が乗っているのだそうだ。神蔵も完全に遅刻だと笑って鷹野に送られていった。
「サエニキは?」
熱の収まった安居は、見えぬ人影に気づいて問いかける。佐々木のことは聞いていたが、冴島の話は誰からも出なかった。佐々木は急に顔を曇らせ、俯いてしまう。嫌な予感がして仲間の無事に喜んでいた心の内が途端に翳っていく。
「悪りぃ…………」
苦しげに吐かれた言葉に、安居の表情が消える。どういうことだと掴みかかった安居を乾が慌てて止めに入った。佐々木は揺さぶられるままに苦々しい沈黙を保っている。目に見えて動揺し声を荒げる安居に返す言葉がなかった。
「言え! 何があったんや!」
追い込まれたように佐々木を責める安居を乾が落ち着かせようとする。佐々木から手は離れたが、焦燥を滲ませた安居の瞳は射抜かんばかりに強く佐々木を睨みつけていた。佐々木は静かに安居を見返す。事務所に入る余裕もなく、血生臭い夜風に吹かれたまま佐々木は口を開いた。
時は日の落ちる前に遡る。とある暴力団に潜入し、情報収集をしていた佐々木と冴島であったが派手な動きをしたつもりもないのに正体が気づかれてしまった。潜入先でただの下っ端である二人が若頭に呼ばれた時点でおかしいと思っていたのだ。部屋に入るや否や弁解の余地もなく拘束された。もはや疑いではなく確信を持って二人がスパイであると知っているようだった。
冴島は佐々木から引き離され、後ろ手に縛られたまま床に転がされた。痛みに呻いて不自由な体を捩れば、歪んだ表情を若頭が覗き込んでくる。
「お前ら、安居金融だろ」
何も知らぬものであったなら何を示す言葉かすら分からないであろう。どこから来たのだと問われることもなく言い当てられ、背筋が冷える。一体どこまで知られているのか。
「……何のことか分かりません。人違いとちゃいますか」
冴島は焦りを隠して真っ直ぐに見返す。怪しい動きはしていないという自信があった。どこで何を知ったか知らないが、正体を知られるようなことはしていない。
冴島があくまでもシラを切るつもりだと分かれば、若頭は苛立たしげに目を細めた。危険な目つきに本能的な恐怖が走る。もはや自分を人間として見てはいない。一方的に搾取される者を見る時の、よく知った視線だった。
思わず目を逸らしていた。佐々木を見やれば、若頭補佐に何事か話しかけられている。会話の内容までは分からないが、同じく安居金融の人間かと聞かれているのだろう。佐々木は何も答えていないようだった。
一体どんなやり取りをしているのだろうと佐々木に向いた意識が髪を掴まれることで無理やり引き戻される。前髪を掴みあげられる痛みで顔を上げれば、静かに見下げられた。
「全部知ってんだよ。さっさと吐いちまえ」
情報を奪いに潜入していると正直に口にすれば、その先は想像に難くない。冴島は何のことやら分からないと若頭を見つめるしかない。信じてくれとばかりに真摯な視線を送りながら、内心どこから漏れたのかと考えを巡らせていた。身内が情報を漏らすような下手は打たないはずだ。別の情報屋の仕業か、と疑念が広がっていく。
「分かりました」
突然佐々木の声が聞こえてきて冴島は思わずそちらに目をやった。強く聞こえた声は、痛めつけられて無理に言わされたという様子ではない。言葉にははっきりとした佐々木の意思が感じられた。
「俺は強い方の味方や」
聞き慣れた声がやけに鮮明に耳に届いた。堂々と言葉が発せられた途端、佐々木を拘束していた縄が切られる。呆然と見上げていると、佐々木は立ち上がって軽く手首をさすった。床に這ったままの冴島に一瞥が投げられる。その視線から考えを読み取ることができず、信じられないとばかりに瞳を大きくして見送るしかなかった。佐々木は部屋から出て行ってしまう。取り残された冴島は閉まる扉をただ見つめていた。
「あいつは自分達が安居金融だって認めたよ」
佐々木と話していた若頭補佐が薄笑いを浮かべて冴島の元へやってくる。必死に動揺を隠そうとはしているものの冴島の焦燥が伝わっているのだろう。小馬鹿にするように見下げられ、自由の効かない体を捩った。
「仲間に売られるとは可哀想に」
皮肉めいた口調が言ったかと思えば、笑い声が降ってくる。土足で踏みにじられるような屈辱に眼前が赤くなった。佐々木がそんなことをするはずはないと言い返したくとも、現にここに残されたのは冴島一人だ。感情の読み取れない佐々木の表情を思い出して冷えた床に吸われた体温がさらに奪われていく。
安居金融にはずっと目をつけていたのだと若頭が嬉しそうに語る。以前潜入していた先はこの組の傘下にあったらしく、ひどい損失を受けたそうだ。乾が尋問を受けた時か、と苦く思っていれば別に恨んでいるわけではないのだと不快な笑い声が聞こえてきた。
「全部吐いてもらおうか」
容赦の欠片もない腕が伸びてくる。これから行われるのは一方的な暴力だろう。冴島は痛みを覚悟して目を伏せた。どれだけのことをされても話す気はさらさらない。続く忍耐の時間は長いことだろう。
身体に与えられる苦痛から逃れるように、つい先程去っていった男との過去を思い出していた。もう何年前のことか。まだ他人だった頃の佐々木との出会いは随分昔の事のように脳裏を過ぎった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
紅屋のフジコちゃん ― 鬼退治、始めました。 ―
木原あざみ
キャラ文芸
この世界で最も安定し、そして最も危険な職業--それが鬼狩り(特殊公務員)である。
……か、どうかは定かではありませんが、あたしこと藤子奈々は今春から鬼狩り見習いとして政府公認特A事務所「紅屋」で働くことになりました。
小さい頃から憧れていた「鬼狩り」になるため、誠心誠意がんばります! のはずだったのですが、その事務所にいたのは、癖のある上司ばかりで!? どうなる、あたし。みたいな話です。
お仕事小説&ラブコメ(最終的には)の予定でもあります。
第5回キャラ文芸大賞 奨励賞ありがとうございました。


お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

よんよんまる
如月芳美
キャラ文芸
東のプリンス・大路詩音。西のウルフ・大神響。
音楽界に燦然と輝く若きピアニストと作曲家。
見た目爽やか王子様(実は負けず嫌い)と、
クールなヴィジュアルの一匹狼(実は超弱気)、
イメージ正反対(中身も正反対)の二人で構成するユニット『よんよんまる』。
だが、これからという時に、二人の前にある男が現われる。
お互いやっと見つけた『欠けたピース』を手放さなければならないのか。
※作中に登場する団体、ホール、店、コンペなどは、全て架空のものです。
※音楽モノではありますが、音楽はただのスパイスでしかないので音楽知らない人でも大丈夫です!
(医者でもないのに医療モノのドラマを見て理解するのと同じ感覚です)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる