裏社会の何でも屋『友幸商事』に御用命を

水ノ灯(ともしび)

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絶対零度の共振

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 再会の興奮はようやく収まり、佐々木はやっと巨体から逃れることができた。ぐしゃぐしゃにされた髪を直しながら苦笑する。涙ぐんだ声を聞けばどれだけ心配をかけたのか分かって文句を言う気にもならなかった。
 涼とヨウは水を差さぬよう微笑ましげに遠くで見守っている。鷹野と神蔵はけらけらと笑って佐々木の帰還を喜ぶと、それぞれの仕事に戻っていった。鷹野は途中になっていた運び屋の仕事に向かうらしい。この大型トラックには積荷が乗っているのだそうだ。神蔵も完全に遅刻だと笑って鷹野に送られていった。

「サエニキは?」

 熱の収まった安居は、見えぬ人影に気づいて問いかける。佐々木のことは聞いていたが、冴島の話は誰からも出なかった。佐々木は急に顔を曇らせ、俯いてしまう。嫌な予感がして仲間の無事に喜んでいた心の内が途端に翳っていく。

「悪りぃ…………」

 苦しげに吐かれた言葉に、安居の表情が消える。どういうことだと掴みかかった安居を乾が慌てて止めに入った。佐々木は揺さぶられるままに苦々しい沈黙を保っている。目に見えて動揺し声を荒げる安居に返す言葉がなかった。

「言え! 何があったんや!」

 追い込まれたように佐々木を責める安居を乾が落ち着かせようとする。佐々木から手は離れたが、焦燥を滲ませた安居の瞳は射抜かんばかりに強く佐々木を睨みつけていた。佐々木は静かに安居を見返す。事務所に入る余裕もなく、血生臭い夜風に吹かれたまま佐々木は口を開いた。








 時は日の落ちる前に遡る。とある暴力団に潜入し、情報収集をしていた佐々木と冴島であったが派手な動きをしたつもりもないのに正体が気づかれてしまった。潜入先でただの下っ端である二人が若頭に呼ばれた時点でおかしいと思っていたのだ。部屋に入るや否や弁解の余地もなく拘束された。もはや疑いではなく確信を持って二人がスパイであると知っているようだった。
 冴島は佐々木から引き離され、後ろ手に縛られたまま床に転がされた。痛みに呻いて不自由な体を捩れば、歪んだ表情を若頭が覗き込んでくる。

「お前ら、安居金融だろ」

 何も知らぬものであったなら何を示す言葉かすら分からないであろう。どこから来たのだと問われることもなく言い当てられ、背筋が冷える。一体どこまで知られているのか。

「……何のことか分かりません。人違いとちゃいますか」

 冴島は焦りを隠して真っ直ぐに見返す。怪しい動きはしていないという自信があった。どこで何を知ったか知らないが、正体を知られるようなことはしていない。
 冴島があくまでもシラを切るつもりだと分かれば、若頭は苛立たしげに目を細めた。危険な目つきに本能的な恐怖が走る。もはや自分を人間として見てはいない。一方的に搾取される者を見る時の、よく知った視線だった。
 思わず目を逸らしていた。佐々木を見やれば、若頭補佐に何事か話しかけられている。会話の内容までは分からないが、同じく安居金融の人間かと聞かれているのだろう。佐々木は何も答えていないようだった。
 一体どんなやり取りをしているのだろうと佐々木に向いた意識が髪を掴まれることで無理やり引き戻される。前髪を掴みあげられる痛みで顔を上げれば、静かに見下げられた。

「全部知ってんだよ。さっさと吐いちまえ」

 情報を奪いに潜入していると正直に口にすれば、その先は想像に難くない。冴島は何のことやら分からないと若頭を見つめるしかない。信じてくれとばかりに真摯な視線を送りながら、内心どこから漏れたのかと考えを巡らせていた。身内が情報を漏らすような下手は打たないはずだ。別の情報屋の仕業か、と疑念が広がっていく。

「分かりました」

 突然佐々木の声が聞こえてきて冴島は思わずそちらに目をやった。強く聞こえた声は、痛めつけられて無理に言わされたという様子ではない。言葉にははっきりとした佐々木の意思が感じられた。

「俺は強い方の味方や」

 聞き慣れた声がやけに鮮明に耳に届いた。堂々と言葉が発せられた途端、佐々木を拘束していた縄が切られる。呆然と見上げていると、佐々木は立ち上がって軽く手首をさすった。床に這ったままの冴島に一瞥が投げられる。その視線から考えを読み取ることができず、信じられないとばかりに瞳を大きくして見送るしかなかった。佐々木は部屋から出て行ってしまう。取り残された冴島は閉まる扉をただ見つめていた。

「あいつは自分達が安居金融だって認めたよ」

 佐々木と話していた若頭補佐が薄笑いを浮かべて冴島の元へやってくる。必死に動揺を隠そうとはしているものの冴島の焦燥が伝わっているのだろう。小馬鹿にするように見下げられ、自由の効かない体を捩った。

「仲間に売られるとは可哀想に」

 皮肉めいた口調が言ったかと思えば、笑い声が降ってくる。土足で踏みにじられるような屈辱に眼前が赤くなった。佐々木がそんなことをするはずはないと言い返したくとも、現にここに残されたのは冴島一人だ。感情の読み取れない佐々木の表情を思い出して冷えた床に吸われた体温がさらに奪われていく。
 安居金融にはずっと目をつけていたのだと若頭が嬉しそうに語る。以前潜入していた先はこの組の傘下にあったらしく、ひどい損失を受けたそうだ。乾が尋問を受けた時か、と苦く思っていれば別に恨んでいるわけではないのだと不快な笑い声が聞こえてきた。

「全部吐いてもらおうか」

 容赦の欠片もない腕が伸びてくる。これから行われるのは一方的な暴力だろう。冴島は痛みを覚悟して目を伏せた。どれだけのことをされても話す気はさらさらない。続く忍耐の時間は長いことだろう。
 身体に与えられる苦痛から逃れるように、つい先程去っていった男との過去を思い出していた。もう何年前のことか。まだ他人だった頃の佐々木との出会いは随分昔の事のように脳裏を過ぎった。
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