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中空を駆け抜けろ
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眼下を睨みつける涼の元に、激しい音が聞こえた。比にならないほど強く吹き付ける風に思わず顔を庇う。薄く目を開けて見た先、太陽の眩しさを背負って回るプロペラが見えた。
「涼ーっ!」
機械越しではなく、確かに肉声が聞こえた。視界を塞ぐ腕を取り去ると、ヘリコプターに乗った仲間の姿が見えた。身を乗り出すようにして全力で涼に呼びかけている。涼はその姿を見ただけで、胸の内がいっぱいになるのを感じた。自分を吸い込もうとしていた空が、不意に自由で清々しいものに見えてくる。仲間の声に掻き消されて死の呼び声が消えた。足首を掴もうとしている炎さえも、取るに足らぬ物に感じられる。
「もっと寄せろ!」
徐々に近づいてきたヘリコプターは、一定の距離を保つと停止してしまった。これ以上近づけばヘリコプターも不安定になって危険なのだ。その場に留まる機体に対してヨウが怒鳴るが、無理だと応える声が聞こえる。激しい風が涼を煽り、飛ばされてしまいそうだった。背後でまた爆発が聞こえ、体が傾ぐ。青の中に落ちてしまいそうだったが、必死に脱出口の扉を掴んで体勢を立て直した。
幸介が心配そうな声を出す。ヨウがなんとか手を伸ばしているが、涼に届きはしない。身を乗り出しているヨウを友弥が支え、ヨウに持っていかれてしまいそうな友弥を幸介が引き留めるように掴んでいるのが見えた。ヨウは切羽詰まった表情でもう少し近寄れないのかと叫んでいる。大口を開けた炎が涼の背中を飲み込もうと涎を垂らしていた。
「ねえ!」
涼が強風に負けぬよう、乾いた喉で声を張り上げる。運転席を見ていたヨウが涼に目を戻した。ヨウの表情から焦燥が消え、瞳が見開かれる。涼は場にそぐわぬ満面の笑みで三人を見つめていた。
「俺と一緒に死んでくれる?」
腹の底から出された声が、プロペラの音を超えて三人の耳に届いた。ヨウも、友弥も、幸介も、顔を見合わせることもなく真っ直ぐに涼を見つめていた。それぞれが出した声が自然と一つに混じり合う。
「当たり前だろ!」
その言葉を聞いて涼は子供のように無邪気に笑った。後ずさった涼の踵が炎を踏む。断続的な爆発さえ、今の涼には背を押す起爆剤でしかなかった。空の青さに照らされた表情に絶望などありはしない。ただ、涼の目は仲間の姿だけを見ていた。
つま先が地を蹴りつける。傷つき疲れ切った体に力が満ちている。一人ではないから、恐怖などありはしない。涼の体は風の中に投げ出され、宙を跳んだ。思い切り飛び出した涼の手が、真っ直ぐに伸ばされる。ヨウはさらに身を乗り出し、ほとんど体を投げ出すようにして涼に手を差し出す。空の真ん中で、二人の手が力強く合わさった。
突然加わった重みに機体が揺れる。ヨウの腕は悲鳴を上げていたが、強く掴んだその手は絶対に離されなかった。ヨウの腰を捕まえている友弥もヘリコプターから引き摺り落とされそうになっている。涼の体が風に煽られて揺れた。幸介は全力を込めて友弥の体を引き戻す。不安定に揺れる機体に足を踏ん張って、ほとんど気力だけで涼の体が持ち上げられた。三人がかりでなんとか涼を引き摺り込み、扉が閉められる。ごうごうと響く風の音が遮断された途端、機内は荒い呼吸の音でいっぱいになっていた。
涼が無事に戻ったのを確認すると、ヘリコプターは全力で飛行船を離れていった。その瞬間凄まじい爆発が起き、脱出口から炎が噴き上がるのが見えた。その炎は外装を舐め上げ、ガス袋まで這い上がっていく。どんどん遠ざかっていく飛行船が、ついに爆発の連鎖に粉微塵になるのが見えた。
涼は燃え上がる飛行船を呆然と眺めていた。へたり込んでいる機体の床にまだ現実味がない。あのまま眠ってしまっていたら、少しでも決断が遅れていたら、涼はまだあの中にいた。崩れ落ちていく巨大な船は悪い夢のようだった。大きく鳴っている心臓の音が、自分がまだ生きているのだと伝えていた。
「涼、お前っ……」
背後から聞こえた声に、涼はようやく意識を戻した。同じように床にしゃがみこんでいるヨウが、涼を見据えていた。言いたいことはいくらでもあるのに、何も言葉にできないもどかしげな表情だった。幸介と友弥も同じなのだろう。話すべき言葉を探して居心地の悪い沈黙があった。
「本当に……出てく気だったのかよ」
俯いたヨウが、やっとの事でそう言った。何度も何度も涼を呼び止めたヨウが、内心はずっと涼の言葉を気にしていたのだと知る。彼らを巻き込まないために、他人になったのだと涼は強く突き放した。敵対し、銃を向け、もうここに心はないと言い切った。
何と答えていいのか分からず、涼は押し黙ってしまう。本心を告げたい時にこそどうしてこんなに不器用になってしまうのだろう。溢れる感情を伝える言葉を持たず、涼は口を結んだまま目を合わせることができない。正直に顛末を話すことも、謝罪することも、違うように思えた。息苦しい空気に声が出ない。着慣れぬ長袍の裾が焦げているのが目に入った。拳を握り、何か話さなければと薄く唇を開く。
それを遮るように、影が動いた。思わず目で追えば、友弥が一人立ち上がっていた。ぼんやりと見つめる涼を真っ直ぐな目が射抜く。友弥は強い目で微笑を作ると、いつかのように涼に向かって手を差し伸べた。
「殺し屋に興味はない?」
今よりもまだ幼く、未完成だった彼の声が重なって聞こえた気がした。涼は見開いた瞳を揺らす。その一言から、自分は彼らの仲間となった。人生が変わった一夜の出会いを思い出し、ぐっと胸が熱くなる。涼はひとつ息を吸い、泣き出しそうな笑顔を見せた。
「殺し屋に興味はないけど……お前らの、仲間でいたいよ」
涼は再び友弥の手を取った。震えた涼の声に、友弥は嬉しそうな笑顔を見せる。潤んだ視線が絡んだ時、涼の体を横から潰すように勢いよく幸介が飛び込んできた。
「こんのっ、心配かけやがって!」
幸介は太陽のように笑って涼を思い切り抱き締める。容赦なく力を込められて、涼はバシバシと幸介の背中を叩いた。痛い痛い、と叫ぶ涼の顔も知らず満面の笑みが覆っていた。
「思いっきり殴りやがって! 帰ったら百倍返しだかんな!」
いつものように顔いっぱいの笑顔になったヨウが、涼の首をがっちりと締め上げてくる。
「ごめんってえ!」
本当に苦しいから、と言って暴れながら笑い声が重なった。死地から脱し仲間を取り戻して見せる笑顔には一点の曇りもない。また四人揃って馬鹿騒ぎができる喜びに満たされる。涼は気の抜け切った眦で仲間の顔を眺めていた。
「おーい、ちゃんと掴まってろよ?」
運転席から聞こえたNの声に、ようやく思い出したかのように四人の意識が向く。いたの、と言わんばかりの四人にNは仕方ない奴らだとひっそり笑った。
「それ似合わねえからさっさと脱げよ」
「えー? ひどくない?」
はしゃいだ話し声は止まらず、楽しげに会話は続いていく。数日の出来事であったはずなのに随分久し振りに四人が揃ったような気がした。
飛行船はもう跡形もなく散っていた。賑やかなヘリコプターは雲を横切って日常へと帰っていく。地上に向かう窓から見える空は、鮮やかな赤色に染まっていた。
「涼ーっ!」
機械越しではなく、確かに肉声が聞こえた。視界を塞ぐ腕を取り去ると、ヘリコプターに乗った仲間の姿が見えた。身を乗り出すようにして全力で涼に呼びかけている。涼はその姿を見ただけで、胸の内がいっぱいになるのを感じた。自分を吸い込もうとしていた空が、不意に自由で清々しいものに見えてくる。仲間の声に掻き消されて死の呼び声が消えた。足首を掴もうとしている炎さえも、取るに足らぬ物に感じられる。
「もっと寄せろ!」
徐々に近づいてきたヘリコプターは、一定の距離を保つと停止してしまった。これ以上近づけばヘリコプターも不安定になって危険なのだ。その場に留まる機体に対してヨウが怒鳴るが、無理だと応える声が聞こえる。激しい風が涼を煽り、飛ばされてしまいそうだった。背後でまた爆発が聞こえ、体が傾ぐ。青の中に落ちてしまいそうだったが、必死に脱出口の扉を掴んで体勢を立て直した。
幸介が心配そうな声を出す。ヨウがなんとか手を伸ばしているが、涼に届きはしない。身を乗り出しているヨウを友弥が支え、ヨウに持っていかれてしまいそうな友弥を幸介が引き留めるように掴んでいるのが見えた。ヨウは切羽詰まった表情でもう少し近寄れないのかと叫んでいる。大口を開けた炎が涼の背中を飲み込もうと涎を垂らしていた。
「ねえ!」
涼が強風に負けぬよう、乾いた喉で声を張り上げる。運転席を見ていたヨウが涼に目を戻した。ヨウの表情から焦燥が消え、瞳が見開かれる。涼は場にそぐわぬ満面の笑みで三人を見つめていた。
「俺と一緒に死んでくれる?」
腹の底から出された声が、プロペラの音を超えて三人の耳に届いた。ヨウも、友弥も、幸介も、顔を見合わせることもなく真っ直ぐに涼を見つめていた。それぞれが出した声が自然と一つに混じり合う。
「当たり前だろ!」
その言葉を聞いて涼は子供のように無邪気に笑った。後ずさった涼の踵が炎を踏む。断続的な爆発さえ、今の涼には背を押す起爆剤でしかなかった。空の青さに照らされた表情に絶望などありはしない。ただ、涼の目は仲間の姿だけを見ていた。
つま先が地を蹴りつける。傷つき疲れ切った体に力が満ちている。一人ではないから、恐怖などありはしない。涼の体は風の中に投げ出され、宙を跳んだ。思い切り飛び出した涼の手が、真っ直ぐに伸ばされる。ヨウはさらに身を乗り出し、ほとんど体を投げ出すようにして涼に手を差し出す。空の真ん中で、二人の手が力強く合わさった。
突然加わった重みに機体が揺れる。ヨウの腕は悲鳴を上げていたが、強く掴んだその手は絶対に離されなかった。ヨウの腰を捕まえている友弥もヘリコプターから引き摺り落とされそうになっている。涼の体が風に煽られて揺れた。幸介は全力を込めて友弥の体を引き戻す。不安定に揺れる機体に足を踏ん張って、ほとんど気力だけで涼の体が持ち上げられた。三人がかりでなんとか涼を引き摺り込み、扉が閉められる。ごうごうと響く風の音が遮断された途端、機内は荒い呼吸の音でいっぱいになっていた。
涼が無事に戻ったのを確認すると、ヘリコプターは全力で飛行船を離れていった。その瞬間凄まじい爆発が起き、脱出口から炎が噴き上がるのが見えた。その炎は外装を舐め上げ、ガス袋まで這い上がっていく。どんどん遠ざかっていく飛行船が、ついに爆発の連鎖に粉微塵になるのが見えた。
涼は燃え上がる飛行船を呆然と眺めていた。へたり込んでいる機体の床にまだ現実味がない。あのまま眠ってしまっていたら、少しでも決断が遅れていたら、涼はまだあの中にいた。崩れ落ちていく巨大な船は悪い夢のようだった。大きく鳴っている心臓の音が、自分がまだ生きているのだと伝えていた。
「涼、お前っ……」
背後から聞こえた声に、涼はようやく意識を戻した。同じように床にしゃがみこんでいるヨウが、涼を見据えていた。言いたいことはいくらでもあるのに、何も言葉にできないもどかしげな表情だった。幸介と友弥も同じなのだろう。話すべき言葉を探して居心地の悪い沈黙があった。
「本当に……出てく気だったのかよ」
俯いたヨウが、やっとの事でそう言った。何度も何度も涼を呼び止めたヨウが、内心はずっと涼の言葉を気にしていたのだと知る。彼らを巻き込まないために、他人になったのだと涼は強く突き放した。敵対し、銃を向け、もうここに心はないと言い切った。
何と答えていいのか分からず、涼は押し黙ってしまう。本心を告げたい時にこそどうしてこんなに不器用になってしまうのだろう。溢れる感情を伝える言葉を持たず、涼は口を結んだまま目を合わせることができない。正直に顛末を話すことも、謝罪することも、違うように思えた。息苦しい空気に声が出ない。着慣れぬ長袍の裾が焦げているのが目に入った。拳を握り、何か話さなければと薄く唇を開く。
それを遮るように、影が動いた。思わず目で追えば、友弥が一人立ち上がっていた。ぼんやりと見つめる涼を真っ直ぐな目が射抜く。友弥は強い目で微笑を作ると、いつかのように涼に向かって手を差し伸べた。
「殺し屋に興味はない?」
今よりもまだ幼く、未完成だった彼の声が重なって聞こえた気がした。涼は見開いた瞳を揺らす。その一言から、自分は彼らの仲間となった。人生が変わった一夜の出会いを思い出し、ぐっと胸が熱くなる。涼はひとつ息を吸い、泣き出しそうな笑顔を見せた。
「殺し屋に興味はないけど……お前らの、仲間でいたいよ」
涼は再び友弥の手を取った。震えた涼の声に、友弥は嬉しそうな笑顔を見せる。潤んだ視線が絡んだ時、涼の体を横から潰すように勢いよく幸介が飛び込んできた。
「こんのっ、心配かけやがって!」
幸介は太陽のように笑って涼を思い切り抱き締める。容赦なく力を込められて、涼はバシバシと幸介の背中を叩いた。痛い痛い、と叫ぶ涼の顔も知らず満面の笑みが覆っていた。
「思いっきり殴りやがって! 帰ったら百倍返しだかんな!」
いつものように顔いっぱいの笑顔になったヨウが、涼の首をがっちりと締め上げてくる。
「ごめんってえ!」
本当に苦しいから、と言って暴れながら笑い声が重なった。死地から脱し仲間を取り戻して見せる笑顔には一点の曇りもない。また四人揃って馬鹿騒ぎができる喜びに満たされる。涼は気の抜け切った眦で仲間の顔を眺めていた。
「おーい、ちゃんと掴まってろよ?」
運転席から聞こえたNの声に、ようやく思い出したかのように四人の意識が向く。いたの、と言わんばかりの四人にNは仕方ない奴らだとひっそり笑った。
「それ似合わねえからさっさと脱げよ」
「えー? ひどくない?」
はしゃいだ話し声は止まらず、楽しげに会話は続いていく。数日の出来事であったはずなのに随分久し振りに四人が揃ったような気がした。
飛行船はもう跡形もなく散っていた。賑やかなヘリコプターは雲を横切って日常へと帰っていく。地上に向かう窓から見える空は、鮮やかな赤色に染まっていた。
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