裏社会の何でも屋『友幸商事』に御用命を

水ノ灯(ともしび)

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中空を駆け抜けろ

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 薄く開いた目に、ぼやけた景色が飛び込んでくる。なかなか焦点が定まらない視界の中で赤が揺らめいている。僅かな時間手放していた意識を取り戻した涼は、床にぐたりと横たわっていた。自分が今どこで何をしていたのか、頭が働かない。
 見上げた天井に火が広がっている。格納庫にまで及んだ炎は物品に燃え移り、少しずつ勢いを増していた。肺まで焦がすような熱と煙に、涼は曖昧な意識で死を悟る。投げ出した体に力が入らない。動かし方を忘れてしまったかのように、起き上がることができなかった。
 なんだか酷く疲れていた。爆弾を仕掛けた時から、こうなることはどこかで覚悟していた。仲間の脅威が取り除けるのならば、自分ごと消し去ってしまえればいいと思っていた。仲間を守って死ねるならば、本望だ。涼はゆるりと目を閉じる。少しずつ部屋を埋めている炎がやがて自分の体も燃やしてしまうだろう。このまま飛行船は海に落ち、沈んで消えていく。
 ごうごうと焼き尽くす音が耳鳴りのように響いている。涼の首に手をかけんとする火の手に混じって、微かに仲間の声が聞こえたような気がした。
 自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がして、涼は僅かに目を開く。見えるのは変わらず燃え続ける格納庫だけだった。走馬灯でも見始めているのかと再び目を閉じると、先程よりも鮮明に声が聞こえた気がした。無意識に反応するように体が動く。身動ぐと、固い物が当たって鈍い痛みが走った。ようやく神経が繋がったように言うことを聞き始めた手でポケットを探る。指に引っかかったものを引きずり出すと、自分を呼ぶ声はさらに鮮明になった。

「はは…………」

 思わず掠れきった笑いが漏れる。転がり出てきたものは幸介に押し付けられた通信機だった。幻でも何でもなく、本物の声が聞こえていたのだろう。緩慢に耳につけると仲間が絶え間なく自分を呼ぶ声が聞こえてくる。涼は目を瞑ったまま、暫しその声を聞いていた。静かすぎる顔つきに満足気な笑みが浮かぶ。聞き慣れた声だった。三人は無事に逃げられたのだろう。

「……ヨウ、幸介、友弥」

 涼は呟くような小さな声で、大切な物の名前を口にする。掠れた声は自分の耳にも危うかったが、きちんと届いたのだろう。機械の向こう側で三人が息を飲んで黙り込んだ。自分の声が聞こえていることが分かり、涼の笑みは穏やかなものに変わる。

「来てくれて、嬉しかったよ……ありがとう」

 自分にこんなに優しく柔らかな声が出せたのだと思えてしまうような、初めて出す声音だった。死の匂いを嗅いだ人間しか出せぬ声があるのだろう。眠りに落ちる寸前のように、ふわりと意識が霧散していく。世界と自分の境界線が曖昧になり、溶けていく。闇に包まれようとする涼を呼び戻したのは、鼓膜が破れてしまいそうなほどの大声だった。

「ふざっけんな! 俺はまだ許してねえぞ!」

 ヨウの怒声が頭を覚醒させる。ヨウの声はあまりに必死で、泣き出してしまいそうに聞こえた。眉を吊り上げ、引き結んだ唇を震わせて怒っているヨウの顔が目に浮かぶ。

「お前のこと待ってんだぞ! 置いてけるわけねえだろ!」

 次いで聞こえてきたのは、幸介の力強い声だった。いつも仲間を支える頼れる背中を思い出す。力を与えてくれる太陽のような笑顔と、心から信頼してくれる優しい目。

「涼! 諦めてんじゃねぇだろうな! 最後まで足掻けよ! ばかぁっ!」

 耳がキンとなるほどマイクに近い大声は友弥のものだった。腹の底から、心の底から溢れた叫びが全身に響く。初めて会った夜、自分に手を差し伸べた友弥の姿が瞼の裏に見えた。どれだけ窮地に陥っても諦め悪く生き抜いてきた自分達の今までが思い起こされる。
 いつだって死と隣り合わせで、棺桶に片足を突っ込みながらそれでも留まり続けてきた。傷だらけで、泥まみれで、倒れてしまいそうな時でも四人でいれば支え合って歩み続けることができた。
 こんな所で仲間を庇って一人死ぬなんて、あまりに格好良すぎる。自分にこんな英雄のような真似は似合わない。

「誰が……馬鹿だよっ……!」

 吊り上がった唇から犬歯が覗く。ようやく開かれた瞳は強く、逆境でこそ輝く光を灯していた。涼は顔を顰め、力を振り絞って体に命じる。震える腕が少しずつ上体を持ち上げ、疲弊した体がふらつきながらも床から離れていった。床を踏む足の力が抜けそうになり、よろめいて壁に手をつく。爆風に部屋の最奥まで飛ばされたおかげで燃やされずに済んだ。自分の悪運の強さに笑いが漏れる。充満する煙で視界が悪い中、涼は手探りで壁を進んでいった。
 一歩一歩、今にも崩れてしまいそうになりながら、僅かでも前に。通信機からはずっと涼を呼ぶ仲間の声が聞こえ続けていた。気力だけで体を動かし、ようやく目当ての物を探り当てる。
 やっとの思いで脱出口を開けば、眼前の壁が取り払われて風が吹き込んできた。真下には雲の海が見える。新鮮な空気が流れ込んできて、涼はようやく肺いっぱいに息を吸い込んだ。長袍の生地が風に遊ばれ、髪が踊る。どこまでも広がる空を見渡し、涼は深呼吸をした。パラシュートは既に炎に飲まれてしまった。熱は背後まで迫っている。飛び降りた所で、万が一にも生き残れないだろう。それでも決断の時は迫っていた。
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