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中空を駆け抜けろ
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ヨウが殴りかかったのか、はたまた殴らされたのか、分からない。体重ごと預けてしまわぬよう、身を低くして腰の捻りで拳を繰り出す。下から抉るように撃たれた拳を、涼は避けるでも弾くでもなくその勢いを利用した。ヨウが突き出した腕を引く。力の乗った拳は押し戻す力には強いが引かれれば戻すことなどできない。拳に引き摺られて強制的に体が開く。崩れた体勢では眼前に迫った涼の拳を避けることなどできなかった。
「っ…………!」
目の前が赤くなり、火花が散る。鼻がひしゃげたような衝撃が走って堪らず崩れ落ちた。容赦なく顔面に叩き込まれた拳の威力に声も出ない。どろっと血が流れ出す感触があり、鉄の味が広がった。顔面を狙うのは賢明だ。人体の急所であり、戦意を喪失させることもできる。ヨウは顔を押さえながらもかろうじて目を開き、涼の姿を追う。大きな影がのしかかってくる。しかし、目で見えていても体が反応することはできなかった。
背中から地面に落とされる。受け身を取ることもできず転がれば、容赦なく涼の体が乗り上げてきた。涼越しに天井が見える。霞む視界に瞳孔が開ききった涼の目が見えた。出会ったあの夜のように、涼の大きな手が首にかけられる。ぐっと気道が圧迫され、苦しさに身悶えた。鼻から逆流した血が喉を流れ落ちていく。見上げた涼もまた、肩で息をしていた。
「……やれよ」
涼の手は軽く圧迫するだけでそれ以上絞めようとはしない。絞め落としてしまえばいいのに、涼はそれをしなかった。
「うるせぇ……!」
涼の瞳が揺れる。荒げた声は、よく知る涼のものだった。涼は圧倒的に優位な立場でありながら、苦痛を堪えるように眉根を寄せる。
「くそっ、なんで来たんだよ……!」
ギリッと奥歯を噛む音が聞こえた。涼は殺意に満ちた暗い怒りとは違い、眉を吊り上げて怒っていた。柔い首筋に震えた指が食い込んだ。どくりどくりと血が通う音が聞こえる。ヨウは血に塗れたまま涼を見上げた。
「仲間だからに決まってんだろ」
至極当然のように口から出た言葉に、涼はさらに顔を歪める。自分の言葉がしっかりと涼の胸に届いていることが感じられた。ヨウは目の奥まで覗こうとするように強い視線を送り続ける。
「なあ、涼」
血の味の呼びかけに、涼は迷子になった子供に似た目を向けたように見えた。ようやく視線が交じる。長い時間をかけて繋がった二人を邪魔したのは駆けてくる足音だった。
「ヨウ!」
こちらに走ってくる幸介を横目で見やり、ヨウは苦い顔をする。幸介は血だらけで押さえ込まれているヨウを救い出そうと慌てて駆けつけてくれた。涼は幸介の姿を見とめるとヨウから手を離し、飛び退って距離を取る。
「俺の勝ちだよ。早く出てって」
涼は突き放すようにそう言った。大丈夫かと心配してくれる幸介に落ち度はないのだが、ヨウは立ち上がりながら不機嫌を振りまいた。涼は元通りの飄々とした態度に戻ってしまっている。重大な機会を逃してしまったような気がした。
「それらしい部屋はあったけど、だめだ。カードキーがないと開かねえ」
乱暴に鼻血を拭い取るヨウに、幸介は口早に報告する。常ならハッキングツールを使うこともあるのだが、いかんせん何の下調べもできなかったために用意がない。危険ではあるがいっそ無理やり突破するか、と幸介は提案する。ぐいっと顔を拭った拳の下で、ヨウはニィッと笑みを浮かべた。
「そのカードキーってのはこれのことか?」
スッと目の前に出された二本指の間にカードキーが挟まっている。長い指を揺らして悪い笑みを浮かべるヨウに、涼が狼狽した。涼は慌てて自分の体を探るが、目当ての物は見つからない。動揺した涼の様子にますますヨウは笑みを深くしてみせる。
「っ、いつのまに……! 返せよ!」
涼がヨウを打ち負かすことに集中していた時、どさくさに紛れてポケットから抜き取っていたのだ。カードキーを予期していたわけではないが、視界の端に見えた僅かな膨らみがヨウを呼んでいた。幼い頃から生きるために繰り返していたことだ。価値のあるものかどうかもはや無意識で分かるようになっていた。
その相手がよく知った涼なら尚更だ。少しの癖から大切なものが入っているのが分かった。正々堂々と戦いを持ちかけはしたが、どんな手を使ってでも涼を取り返すつもりだったのだ。隙を狙ったお陰で何発か痛い思いをしたが、試合に負けて勝負に勝つというやつだ。
「やだね」
笑うヨウに涼は飛び込む機を見計らっているようだった。力付くで奪い返そうとしてもヨウだけでなく幸介もいればどう見ても不利だ。素早さでヨウに勝てるはずもない上に、予想できているがゆえに突っ込んでいっても簡単に躱されてしまうだろう。
互いの出方を窺って場が硬直する。緊張した時間は、ガコンという重たい音に乱された。睨み合う両者を裂くように真ん中に落ちてきた物に身構える。それがダクトの蓋だと気づいた瞬間、追いかけるように人影が降ってきた。
「よいしょ」
間の抜けた声を出して立ち上がったのは友弥だった。友弥は暫く成り行きを見守っていたようで、一人だけ平静な顔をして涼を見る。
「涼、エンジンルームに行ってきたよ」
真っ直ぐかけられた言葉に、涼の目つきが変わった。明らかに動揺した表情を見せたがそれも数秒で消え、試すような顔で緩く首を傾げてみせる。
「それがどうしたの?」
その反応を見て、友弥は何も言わなかった。涼にだけ向けられた友弥の顔つきは、何か確信したような強いものに見えた。
「カードキー貸して」
友弥が差し出した手に、ヨウは迷っていた。渡してしまえば涼はまた手の届かない場所まで行ってしまう。それでも友弥が譲らない姿勢を見せれば、そっと手の上にカードキーが乗せられた。
友弥はカードキーを受け取ると、懐に手を差し入れた。再び現れた手に銃が握られているのを見て涼は警戒するが、友弥の銃は涼を狙い定めることなく、ただ差し出された。何の含みもなく目の前に出されたカードキーと銃に、涼は片眉をあげて探るように友弥を見る。
「これ、涼の銃だよ。置いてったでしょ」
友弥は普段と変わらぬ声でそう言うだけだ。涼は暫し友弥を見つめていたが、そっと手を伸ばして受け取った。慣れた重さに、銃弾が全弾装填されていることが感じられる。愛銃から目を上げて友弥と視線を合わせると、無言のまま数秒見つめあった。
「これも持ってろ」
大股で近寄ってきた幸介が、押し付けるように涼に何かを手渡す。勢いのままに受け取った涼は、自分の手の平に乗っているものが通信機だと確認した。まだ戸惑っているヨウと違い、幸介は友弥の態度を見て何か察したらしい。二人を見返す涼は困っているように見えた。
涼が何かを言おうと薄く口を開く。突如、言葉を遮るようにして足音が近づいてきた。それも一つ二つではない。ドカドカと地を蹴る集団の音に、涼の顔色が変わった。
「行け! 早く!」
涼の怒鳴り声を待たず、ヨウは反射的に捨てた武器を拾い上げていた。共に戦う気でいたところを追い立てられ、納得のいかない表情で涼を睨む。ヨウの背後から退路を塞ぐように敵の群れが波となって押し寄せていた。
「待ってるから!」
友弥が大きな声で呼びかけるのを、涼は背中で聞いていた。友弥達は向かってくる敵にぶつかるように進んでいく。
「離せよっ! 涼! 涼っ!」
友弥と幸介に引き摺られながら、ヨウが遠ざかっていく背中を呼び続ける。友弥が宥める声を打ち消すようにヨウの咆哮は尾を引いた。激しい銃声が鳴り響く。呼びかける声と戦闘の音を振り切るように涼は走り出した。やけに早い自分の呼吸音が煩い。長袍の裾を翻し、息が乱れても構わず走り続けた。
「っ…………!」
目の前が赤くなり、火花が散る。鼻がひしゃげたような衝撃が走って堪らず崩れ落ちた。容赦なく顔面に叩き込まれた拳の威力に声も出ない。どろっと血が流れ出す感触があり、鉄の味が広がった。顔面を狙うのは賢明だ。人体の急所であり、戦意を喪失させることもできる。ヨウは顔を押さえながらもかろうじて目を開き、涼の姿を追う。大きな影がのしかかってくる。しかし、目で見えていても体が反応することはできなかった。
背中から地面に落とされる。受け身を取ることもできず転がれば、容赦なく涼の体が乗り上げてきた。涼越しに天井が見える。霞む視界に瞳孔が開ききった涼の目が見えた。出会ったあの夜のように、涼の大きな手が首にかけられる。ぐっと気道が圧迫され、苦しさに身悶えた。鼻から逆流した血が喉を流れ落ちていく。見上げた涼もまた、肩で息をしていた。
「……やれよ」
涼の手は軽く圧迫するだけでそれ以上絞めようとはしない。絞め落としてしまえばいいのに、涼はそれをしなかった。
「うるせぇ……!」
涼の瞳が揺れる。荒げた声は、よく知る涼のものだった。涼は圧倒的に優位な立場でありながら、苦痛を堪えるように眉根を寄せる。
「くそっ、なんで来たんだよ……!」
ギリッと奥歯を噛む音が聞こえた。涼は殺意に満ちた暗い怒りとは違い、眉を吊り上げて怒っていた。柔い首筋に震えた指が食い込んだ。どくりどくりと血が通う音が聞こえる。ヨウは血に塗れたまま涼を見上げた。
「仲間だからに決まってんだろ」
至極当然のように口から出た言葉に、涼はさらに顔を歪める。自分の言葉がしっかりと涼の胸に届いていることが感じられた。ヨウは目の奥まで覗こうとするように強い視線を送り続ける。
「なあ、涼」
血の味の呼びかけに、涼は迷子になった子供に似た目を向けたように見えた。ようやく視線が交じる。長い時間をかけて繋がった二人を邪魔したのは駆けてくる足音だった。
「ヨウ!」
こちらに走ってくる幸介を横目で見やり、ヨウは苦い顔をする。幸介は血だらけで押さえ込まれているヨウを救い出そうと慌てて駆けつけてくれた。涼は幸介の姿を見とめるとヨウから手を離し、飛び退って距離を取る。
「俺の勝ちだよ。早く出てって」
涼は突き放すようにそう言った。大丈夫かと心配してくれる幸介に落ち度はないのだが、ヨウは立ち上がりながら不機嫌を振りまいた。涼は元通りの飄々とした態度に戻ってしまっている。重大な機会を逃してしまったような気がした。
「それらしい部屋はあったけど、だめだ。カードキーがないと開かねえ」
乱暴に鼻血を拭い取るヨウに、幸介は口早に報告する。常ならハッキングツールを使うこともあるのだが、いかんせん何の下調べもできなかったために用意がない。危険ではあるがいっそ無理やり突破するか、と幸介は提案する。ぐいっと顔を拭った拳の下で、ヨウはニィッと笑みを浮かべた。
「そのカードキーってのはこれのことか?」
スッと目の前に出された二本指の間にカードキーが挟まっている。長い指を揺らして悪い笑みを浮かべるヨウに、涼が狼狽した。涼は慌てて自分の体を探るが、目当ての物は見つからない。動揺した涼の様子にますますヨウは笑みを深くしてみせる。
「っ、いつのまに……! 返せよ!」
涼がヨウを打ち負かすことに集中していた時、どさくさに紛れてポケットから抜き取っていたのだ。カードキーを予期していたわけではないが、視界の端に見えた僅かな膨らみがヨウを呼んでいた。幼い頃から生きるために繰り返していたことだ。価値のあるものかどうかもはや無意識で分かるようになっていた。
その相手がよく知った涼なら尚更だ。少しの癖から大切なものが入っているのが分かった。正々堂々と戦いを持ちかけはしたが、どんな手を使ってでも涼を取り返すつもりだったのだ。隙を狙ったお陰で何発か痛い思いをしたが、試合に負けて勝負に勝つというやつだ。
「やだね」
笑うヨウに涼は飛び込む機を見計らっているようだった。力付くで奪い返そうとしてもヨウだけでなく幸介もいればどう見ても不利だ。素早さでヨウに勝てるはずもない上に、予想できているがゆえに突っ込んでいっても簡単に躱されてしまうだろう。
互いの出方を窺って場が硬直する。緊張した時間は、ガコンという重たい音に乱された。睨み合う両者を裂くように真ん中に落ちてきた物に身構える。それがダクトの蓋だと気づいた瞬間、追いかけるように人影が降ってきた。
「よいしょ」
間の抜けた声を出して立ち上がったのは友弥だった。友弥は暫く成り行きを見守っていたようで、一人だけ平静な顔をして涼を見る。
「涼、エンジンルームに行ってきたよ」
真っ直ぐかけられた言葉に、涼の目つきが変わった。明らかに動揺した表情を見せたがそれも数秒で消え、試すような顔で緩く首を傾げてみせる。
「それがどうしたの?」
その反応を見て、友弥は何も言わなかった。涼にだけ向けられた友弥の顔つきは、何か確信したような強いものに見えた。
「カードキー貸して」
友弥が差し出した手に、ヨウは迷っていた。渡してしまえば涼はまた手の届かない場所まで行ってしまう。それでも友弥が譲らない姿勢を見せれば、そっと手の上にカードキーが乗せられた。
友弥はカードキーを受け取ると、懐に手を差し入れた。再び現れた手に銃が握られているのを見て涼は警戒するが、友弥の銃は涼を狙い定めることなく、ただ差し出された。何の含みもなく目の前に出されたカードキーと銃に、涼は片眉をあげて探るように友弥を見る。
「これ、涼の銃だよ。置いてったでしょ」
友弥は普段と変わらぬ声でそう言うだけだ。涼は暫し友弥を見つめていたが、そっと手を伸ばして受け取った。慣れた重さに、銃弾が全弾装填されていることが感じられる。愛銃から目を上げて友弥と視線を合わせると、無言のまま数秒見つめあった。
「これも持ってろ」
大股で近寄ってきた幸介が、押し付けるように涼に何かを手渡す。勢いのままに受け取った涼は、自分の手の平に乗っているものが通信機だと確認した。まだ戸惑っているヨウと違い、幸介は友弥の態度を見て何か察したらしい。二人を見返す涼は困っているように見えた。
涼が何かを言おうと薄く口を開く。突如、言葉を遮るようにして足音が近づいてきた。それも一つ二つではない。ドカドカと地を蹴る集団の音に、涼の顔色が変わった。
「行け! 早く!」
涼の怒鳴り声を待たず、ヨウは反射的に捨てた武器を拾い上げていた。共に戦う気でいたところを追い立てられ、納得のいかない表情で涼を睨む。ヨウの背後から退路を塞ぐように敵の群れが波となって押し寄せていた。
「待ってるから!」
友弥が大きな声で呼びかけるのを、涼は背中で聞いていた。友弥達は向かってくる敵にぶつかるように進んでいく。
「離せよっ! 涼! 涼っ!」
友弥と幸介に引き摺られながら、ヨウが遠ざかっていく背中を呼び続ける。友弥が宥める声を打ち消すようにヨウの咆哮は尾を引いた。激しい銃声が鳴り響く。呼びかける声と戦闘の音を振り切るように涼は走り出した。やけに早い自分の呼吸音が煩い。長袍の裾を翻し、息が乱れても構わず走り続けた。
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