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中空を駆け抜けろ

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 次から次へと現れる男達を薙ぎ払いながら進む。隠れる気もなく、むしろ自分達の存在を知らしめるように派手に銃弾をばら撒いた。ヨウは相手の懐に潜り込んで至近距離から頭をぶち抜き、崩れた体を蹴り飛ばして道を作る。友弥は滅多に見ない二丁拳銃でとにかく敵を減らしていく。幸介は最後方で後ろから襲い来る敵を全て処理し、挟み撃ちにならぬように気を配っていた。三人の猛進は止まらない。聞き取れぬ言語で焦る声が聞こえてくるが、大抵は無線の途中で叫び声に変わって通信が途絶えてしまう。
 飛行船中がパニックに包まれていた。これは仕事ではなく私情だ。面倒な事情を考慮しながらも数々の修羅場を潜り抜けてきた実力のある殺し屋がなりふり構わず暴れれば、当然の如く被害は甚大だった。最も効率的に敵を消すことだけを考えられた動きに、いくらマフィアとはいえ反応出来るものはいない。
 何事か叫びながら突然敵が踵を返した。後ろから撃たれても構わず、波が引くように去っていく。死屍累々の通路に立ち尽くし、三人は急な動きに何事かと訝った。

「誘われてるみたいだな」

 走り去った人波が大きな扉に消えていくのを見て、幸介が苦笑する。ここで迎え撃つのでどうぞ入ってくださいと言わんばかりだ。目の前に鎮座する扉を眺め、下手くそすぎる誘導を鼻で笑った。

「そんなん乗るしかねえじゃねえか」

 罠であると見せつけられれば正面突破するまでだ。大量に浴びた返り血を拭い、獰猛な目つきをするヨウに友弥は呆れたような顔をする。

「待ち伏せしてるって分かってて行く馬鹿がいると思ってんの?」

 やれやれ、と肩を竦めた友弥は、次の瞬間ヨウと同時に扉を蹴破った。馬鹿ならここに三人いる。
 左右から蹴り開けられた扉の先、ずらりと並ぶ銃口が見えた。そこは大広間のようで、柔らかな絨毯が敷かれた広い空間が広がっている。中央には左右から伸びる階段があり、奥に繋がっているようだった。
 三人が動きを止めたのは向けられた銃に怯えたからではない。整列した男達の向こう側、階段の上に知った男を見とめたからだった。そこに立っていたのは探し求めた涼その人だった。濃い紫の生地に黄金の蛇があしらわれた長袍を身に纏い、温度のない瞳でこちらを見下している。

「涼ッ……!」

 ヨウが怒気に満ちた瞳で睨み上げる。激情を孕んだ三人の顔つきを見ても、涼は眉一つ動かすことはなかった。

「ほんと馬鹿な奴ら……自分から殺されに来るなんて」

 涼の唇に冷ややかな笑みが乗る。そこには仲間に向けていた無邪気さも親しさもありはしなかった。人が変わったような態度に無関心ではいられない。

「てめぇどういうつもりだよ! 一年や二年の付き合いじゃねえぞ!」

 怯んだ心を打ち消すようにヨウが声を荒げた。今更簡単に手放せるほど浅い仲ではない。初めは衝突が絶えず、涼のことを疎ましく思っていた時期もあった。ヨウも涼も住処を別にしており、仕事以外では顔を合わせなかった。その仕事さえ涼は神出鬼没で、気まぐれに手を貸したかと思えば重大な任務をすっぽかして危険に晒されたこともあった。年月を重ね、少しずつ歩み寄っていったからこそ今がある。それが一夜で全て無くなってしまうなどあり得ない。

「仲良くなるのに時間なんて関係ないってよく言うでしょ? 別れるのだって一緒だよ」

 涼は悪びれることなくそう言ってのけた。その程度だったのだと切り捨てるような言葉に、ヨウは絶句する。声を失ったヨウに続くように友弥が重い口を開いた。

「ここにいるのも、自分の意思だって言うの?」

 友弥が真っ直ぐに涼を射抜く。汚れた世界に生きていながら、友弥の目は澄み切った子供のような無垢さを持っていた。口先だけでなく本音を引き出そうとしているのだ。無防備な心を晒すような真摯な問いかけに、涼は軽く首を傾げてみせた。

「そうに決まってるでしょ。なぁに? 攫われた俺を助けに来たつもりだったわけ?」

 小馬鹿にしたような笑いが剥き出しの内側に突き刺さる。友弥は唇を噛み俯いた。悔しげに歪む表情は見るものを悲しくさせるほど痛ましかったが、涼は指先ひとつ動揺を見せない。

「俺達は意地でもお前を連れて帰る」

 涼を睨め上げ、強く言ったのは幸介だった。どんな言葉にも揺らがない堂々とした立ち姿で涼に対峙する。

「そうやって束縛されるの迷惑だって言わなかった?」

 涼は嫌悪感を露わにした表情で吐き捨てる。仲間を大切に思う気持ちを、家族のように慕う絆を、枷のように言われて叩き落された。この言動全てが涼を遠ざけているというのだろうか。こんなにも長い時間を共に過ごしたというのに。
 硬直した三人に向けて、涼は感情を感じさせない唇だけの笑みを作った。

「まあ、やってみたら? この状況でどうやって俺を連れ出すのか見ものだよ」

 芝居掛かった仕草で涼の両腕が広げられる。長袍の柔らかな生地がなびく。涼の命で動く無数の部下達を引き連れ、高みから指揮を取る姿は一国の王を想起させた。涼からの殺気が降り注ぐ。分かりやすいほど変わった雰囲気に、身構えざるを得なかった。

「じゃあやっちゃって」

 その割に部下への指示は気の抜けたものだった。涼はひらりと手を振って踵を返す。上階に向かう背中がまるで幻のように消えていく。
 喪失に浸る間も無く、銃を構える硬質な音が響いた。部屋を埋めていた涼の兵たちが一斉に三人を狙う。待機から臨戦態勢へ、そして引き金にかけた指に力を入れる。その動作は、あまりにも遅かった。涼の殺気に構えていた三人は一足早く戦闘に意識が戻っていた。
 悠長に銃を構える男達の足元に、硬い物音が転がってくる。三人は涼の退場に合わせるように一目散に元来た扉に駆け戻っていた。凄まじい速度で開けた扉に転がり込み、叩きつけるように閉める。その瞬間、激しい破裂音がして幸介が背中で押さえた扉が浮いた。中からは悲鳴すら聞こえなかった。友弥が全身に仕込んだ暗器の中から気づかれぬよう手榴弾を取り出し、群れの中に投げ込んだのだ。
 ヨウが銃を構え、注意深く中を確かめるが生き残ったものは一人もいなかった。残念なことに階段は崩壊し、もう二階へは上がれそうになかった。爆煙の中の惨状を目にし、再び静かに扉を閉める。わざわざ多くの部下を集めてくれたおかげで随分と敵が減った。絶体絶命にしか見えなかったあの状況が一変して自分達に有利に進んだ。

「早く離れよう、音で集まってくるぞ」

 幸介の言葉に頷いてその場を離れる。次に囲まれればもう勝機はない。上階への道を探して走りながらも、その表情は暗い。それぞれ涼の言葉を思い返して考えに沈んでいるようだった。

「まるで……出会った頃の涼みたいだった」

 友弥が小さく言う。ヨウも幸介も、同じように感じていた。信頼を重ね、無防備な姿も見せ合えるようになった今の涼とは纏う空気が違った。人を内側に踏み込ませない冷ややかな瞳。完璧でありながら温度のない笑顔。触れれば食われてしまいそうな獰猛な気配。誰も飼いならすことのできないしなやかな獣のような奔放さ。

──殺し屋に興味ある?

 今より幼い声が懐かぬ獣に問いかける。昔の影が出会った夜まで時間を巻き戻していく。あの日交わした言葉が耳元で囁かれたように感じれば、いつしか過去へと引きずりこまれていった。
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