裏社会の何でも屋『友幸商事』に御用命を

水ノ灯(ともしび)

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中空を駆け抜けろ

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 世界で一番敵に回したくない組織バルサム、その本丸とも呼べる中枢部にアポイントなしで乗り込んできた客がいた。西洋風の豪奢な応接室で向かいに座っているのは、天才とも悪魔とも呼ばれ恐れられる壱という男だ。その後ろにはバルサム随一の戦闘力を持つ肆が控えている。悪名高い彼を前にして、ヨウは堂々と椅子に体を預けていた。

「そちらからわざわざ出向かれるとは、また珍しい」

 壱はにこやかにヨウを見据える。時折仕事上の付き合いはあれど、ヨウと壱が直接対峙するのは随分と久しい。ましてや国の最高権力者が住まう城よりも警備が厳しいと言われるこの館まで立ち入ることはほとんどない。

「時間がねえ、頼みがある。ヘリを貸してほしい」

 世界の要注意人物に直接対面して言うことはそれだけだった。ヘリコプターを貸せと言う突然の要望に、壱は面白そうに首を傾げてみせる。その程度、ヨウ達が用意できぬはずもない。とすれば、わざわざ発注する手間も惜しく確実に使える状態の物をいち早く手に入れたいほど切羽詰まった状況と言うことだ。

「理由を聞いても?」

 白手袋をはめた手を組み、壱は体重を僅かにヨウに向ける。その仕草だけで何十人の政治家や軍人が怯えてきたか知れないが、ヨウの表情は変わらない。

「言いたくねえ。言わなきゃ貸さねえってんなら別だが」

 強気な態度に、壱は眉ひとつ動かさない。譲歩するような言い方をしているが、ヨウの目は今にも射殺さんばかりに鋭い。全身全霊で絶対に口を割りたくないと言っている。それは自分の主張を通そうとする子供に瓜二つだったが、刺すような気配は戦場の兵士を想起させた。壱の笑みは深まるだけだ。

「自由を信条にしていると思っていたのだが、去る者は追うのだな」

 わざとらしくゆったりと言うと、壱の瞳が挑発的な弧を描いた。ヨウの瞳孔が開く。部屋の空気が鋭く変わる。話の成り行きを見守っていた肆は、思わず身構えた。抜刀した刃先が喉元に当てられたような錯覚に襲われる。実際、ヨウは身動ぎひとつしていない。しかし彼から放たれる凄まじい殺気は突風のように全身を襲った。

「壱さんよぉ」

 地を這うような低い声が獣の喉から絞り出される。正気とは思えないほど怒りを孕んだ目が真正面から壱を睨みつける。今にも飛びかかってきそうな敵意に晒されても、壱の笑みは崩れなかった。

「俺は気が立ってんだ。今ならどんな安い挑発にでも乗るぜ」

 僅かでも動けば身が切れそうなほど張り詰めた空気が漂っていた。ヨウは試すように壱を見据える。硬直した時間の中で、壱の唇だけが深く愉悦を滲ませた。

「ふっ、ははははは! 肆、すぐヘリを用意してやれ」

 たまらないと言うように笑い声を上げた壱に、肆は警戒の体勢を解いた。無邪気な子供のような笑い声に、仕方のない奴だと言わんばかりだ。その場を離れ、肆は部下に何事か命じる。ヨウも仏頂面は変わらないが、落ち着きを取り戻して一度目を伏せた。

「あんたも意地が悪ぃ」

 吐き捨てるように言われても壱からすれば賞賛の言葉だ。涼が最俺を抜けると言って黄蛇会と共にいることも、ヨウ達が追いかけようとしていることも、既に知っていたらしい。相変わらず恐ろしい情報網だった。

「ヘリは表だ。案内しよう。全く、殺気に部下達が落ち着かなくて敵わん」

 壱は口先ではそう言いながら楽しくて仕方ないと言った様子だ。平和より混沌を好むこの男が、この一大事に喜ばないわけがなかった。

「今回は貸しということにしておこう」

 踊るように先を歩く壱を追いかけ、ヨウは皮肉をたんまり込めて礼の言葉を吐く。この悪魔に貸しを作るのがどれほど恐ろしいことか。だが今は先のことを気にしている余裕はない。ヨウもまたスタッカートで靴音を鳴らし、男が導く先へと向かっていった。
 執務室から足早に去っていく二人を、廊下の陰から見送る者がいた。その人影はやり取りの始終をひっそりと盗み聞きしていた零だった。殺気立った空気が元に戻っていることに、詰めていた息を吐く。小さくなっていく背中を見守るその表情は暗く曇っていた。

「だから忠告したってのに……」

 その呟きを聞くべき男はここにはいない。いつかの喫茶店で彼に注意を促したことを思い出す。零は切り替えるように軽く頭を振り、自身を忙殺せんとする大量の仕事に戻っていった。
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