裏社会の何でも屋『友幸商事』に御用命を

水ノ灯(ともしび)

文字の大きさ
上 下
79 / 114
中空を駆け抜けろ

2

しおりを挟む
 空調の音だけが唸り声を上げていた。常は賑やかな声が溢れるリビングに、息苦しい沈黙が流れていた。張り裂けそうに緊張した空気が漂っている。

「今なんつった?」

 ヨウの声は低く、目つきは殺意を秘めている。その隣では友弥と幸介が同じく冷ややかな目線を浴びせている。見るものを怯ませる眼圧を受けても、涼は表情一つ変えなかった。

「聞こえなかった? 友幸商事を辞めるって言ったの」

 表情豊かなはずの男は、何も考えが読めない無表情で言い放った。大きな声を出したわけではないのに、静かすぎる室内にはあまりに強く響く。突然のことに言葉を失う三人に、にこりともせずに涼は背を向けた。

「じゃ、バイバイ。追ってこられても迷惑だから、俺のことさっさと忘れてね」

 ひらりと手を振って身一つで出て行こうとする涼に、冗談だろと笑い飛ばすこともできない。ヨウは言葉の出ない唇を歪める。去っていく背中が昔見た兄のものと重なって、失えばもう戻ってこないと分かってしまった。

「待てよ!」

 幸介が怒鳴るように引き留める。息の詰まる空気の中で、声を出せたのは幸介だけだった。涼は足を止め、鬱陶しそうに目だけで振り向いた。興味を失ったかのように暗い瞳に心臓が握り潰されたように感じる。その目が何より雄弁に語っていた。涼の心はもうここにはないのだと。

「涼……」

 友弥がなんとか声を搾り出すが、息苦しい呼吸に阻まれてそれ以上は何も言えなかった。涼の瞳には止める言葉すら言わせぬような威圧感があった。例えどれだけ訴えても、泣き喚いても、涼は出て行くのだろう。そこに立っている男はもう他人の顔をしていた。
 凍りついた時間の中を、涼だけが悠々と歩き去って行った。外出する時と同じように靴を履き、何気ない仕草で出て行ってしまう。唯一、いってきますの声だけがなかった。
 唐突に訪れた終末は誰の胸にも落ち切らなかった。まるで悪い夢の中にいるかのようだった。理由もきっかけもなく、仲間が一人いなくなった。テーブルの上には置き去りのスマートフォンがある。何も変わらぬ家の中で、涼の気配だけが抜け落ちてしまった。今しがた起きた出来事が信じられず、呆然と立ち竦む。衝撃があまりに大きすぎて体の感覚も分からないほどだった。
 どれほどの時間が経っただろう。日が傾いて薄闇が入り込んできても、誰もまともに動けなかった。頭が追いついていないのに発する言葉があるはずもなく、声を失った空間は続く。一時の気の迷いであればどれほどよかっただろう。眠れぬまま過ごした夜が明けても、涼はもう戻ってはこなかった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

紅屋のフジコちゃん ― 鬼退治、始めました。 ―

木原あざみ
キャラ文芸
この世界で最も安定し、そして最も危険な職業--それが鬼狩り(特殊公務員)である。 ……か、どうかは定かではありませんが、あたしこと藤子奈々は今春から鬼狩り見習いとして政府公認特A事務所「紅屋」で働くことになりました。 小さい頃から憧れていた「鬼狩り」になるため、誠心誠意がんばります! のはずだったのですが、その事務所にいたのは、癖のある上司ばかりで!? どうなる、あたし。みたいな話です。 お仕事小説&ラブコメ(最終的には)の予定でもあります。 第5回キャラ文芸大賞 奨励賞ありがとうございました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

よんよんまる

如月芳美
キャラ文芸
東のプリンス・大路詩音。西のウルフ・大神響。 音楽界に燦然と輝く若きピアニストと作曲家。 見た目爽やか王子様(実は負けず嫌い)と、 クールなヴィジュアルの一匹狼(実は超弱気)、 イメージ正反対(中身も正反対)の二人で構成するユニット『よんよんまる』。 だが、これからという時に、二人の前にある男が現われる。 お互いやっと見つけた『欠けたピース』を手放さなければならないのか。 ※作中に登場する団体、ホール、店、コンペなどは、全て架空のものです。 ※音楽モノではありますが、音楽はただのスパイスでしかないので音楽知らない人でも大丈夫です! (医者でもないのに医療モノのドラマを見て理解するのと同じ感覚です)

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...