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感傷主義にはならずとも
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乾はどかりと席に戻ると深いため息を吐いた。書類のデータが入った端末を放り出し、口直しにペットボトルに手を伸ばす。甘すぎてかえって口内が気持ち悪い。
「ただいまぁ。さっきの客……」
コンビニ袋片手に戻ってきた冴島は、乾の様子に気づくと口を噤んで歩み寄った。端末に目をやり、書類の名前を確認する。負債者が思い当たったのか、冴島の瞳が彩度を落とした。遅かれ早かれこうなることを予想していた契約だったのだろう。
「……肉まん食う?」
労いのつもりか、袋を差し出される。乾に向けられた瞳は人好きする柔らかいものに戻っていた。他にも菓子やら何やら買い込んできたらしい。
「お疲れさん」
よろめき帰る姿を見ればどんなやりとりがあったか予想に難くない。冴島の手が軽く乾の頭に乗せられた。別に、と言いながら乾は袋を開ける。
「どっかの馬鹿を思い出しただけです」
それ以上の言葉を封じるようにかぶりついた乾を見て、冴島は手を離す。事務所の冷蔵庫にコンビニ袋ごと入れているのを乾は眺めていた。
裏切られて絶望して喚き散らしたいつかの男を見ているようで気分が悪くなる。挙句の果てに吐かれた定型文を鏡写しに口から出して今やのうのうと肉まんを食っている馬鹿を思うと、肉の味も滲んでしまう。
「サエニキは、なんでこの仕事してるんですか」
過ごす時間を重ねるごとにこんな場所が似合わない人だと思わされる。優しい瞳に影が差す度、本当は醜いものなど見ずに生きるべき人だったのではないかと。
棒に刺さった唐揚げを咥えた冴島は不明瞭な声を出して軽く首を傾げてみせた。なんで急にそんなことをと言いたげな丸い目をじっと見返せば、一瞬悩んだような間の後に口が自由になる。
「なんでやろなぁ」
へらりと笑った仕草に誤魔化すつもりかと拗ね顔になる。この人は誰でも懐に入れるようでいて掴み所がない。のらりくらりと躱して煙に巻くのが上手い人だ。警戒心の強い乾の方が余程分かりやすいと言われるほどなのだから。
ムスッとしたまま乾は意表返しのように口先で言ってやる。
「てっきりやっすんに惚れてるからかと」
そう言えば冴島はきょとんとした後に盛大に噴き出した。
「ははははは! わんこもそういう冗談言うんやなあ!」
あかん腹痛い、と崩れ落ちる勢いで笑い続けた冴島は、唐揚げの油が垂れて指を汚すまでヒーヒー言っていた。笑いすぎて涙まで滲ませる様子に、乾はつられて笑いながらあながち冗談でもなかったのになと思うばかりだ。
乾が出会った時、もう二人は共にいた。この事務所を仕切っているのが安居である以上、安居が冴島を引き込んだのだと思っていた。ただ安居もこの仕事に向いているとは思えないのが不可思議なところだ。
「ま、腐れ縁かなあ」
ようやく笑いを収めた冴島はそう言うと冷め始めた唐揚げを食べることに集中し始めた。
捉えるのが難しい人ではあるが、その言葉は本心であると思えた。乾ですらいつの間にかこうしているのだから、縁というより他はないのかもしれない。普通のまま生きていたら絶対に交わることのなかった人々の中で、今自分は生きている。
寒すぎる気温のせいか、やかましい客のせいか、どうも感傷的になってしまった。まだ一日は長く、やるべきことも残っている。乾もまた湯気の立つ肉まんを口に運び、飲み下していった。
「ただいまぁ。さっきの客……」
コンビニ袋片手に戻ってきた冴島は、乾の様子に気づくと口を噤んで歩み寄った。端末に目をやり、書類の名前を確認する。負債者が思い当たったのか、冴島の瞳が彩度を落とした。遅かれ早かれこうなることを予想していた契約だったのだろう。
「……肉まん食う?」
労いのつもりか、袋を差し出される。乾に向けられた瞳は人好きする柔らかいものに戻っていた。他にも菓子やら何やら買い込んできたらしい。
「お疲れさん」
よろめき帰る姿を見ればどんなやりとりがあったか予想に難くない。冴島の手が軽く乾の頭に乗せられた。別に、と言いながら乾は袋を開ける。
「どっかの馬鹿を思い出しただけです」
それ以上の言葉を封じるようにかぶりついた乾を見て、冴島は手を離す。事務所の冷蔵庫にコンビニ袋ごと入れているのを乾は眺めていた。
裏切られて絶望して喚き散らしたいつかの男を見ているようで気分が悪くなる。挙句の果てに吐かれた定型文を鏡写しに口から出して今やのうのうと肉まんを食っている馬鹿を思うと、肉の味も滲んでしまう。
「サエニキは、なんでこの仕事してるんですか」
過ごす時間を重ねるごとにこんな場所が似合わない人だと思わされる。優しい瞳に影が差す度、本当は醜いものなど見ずに生きるべき人だったのではないかと。
棒に刺さった唐揚げを咥えた冴島は不明瞭な声を出して軽く首を傾げてみせた。なんで急にそんなことをと言いたげな丸い目をじっと見返せば、一瞬悩んだような間の後に口が自由になる。
「なんでやろなぁ」
へらりと笑った仕草に誤魔化すつもりかと拗ね顔になる。この人は誰でも懐に入れるようでいて掴み所がない。のらりくらりと躱して煙に巻くのが上手い人だ。警戒心の強い乾の方が余程分かりやすいと言われるほどなのだから。
ムスッとしたまま乾は意表返しのように口先で言ってやる。
「てっきりやっすんに惚れてるからかと」
そう言えば冴島はきょとんとした後に盛大に噴き出した。
「ははははは! わんこもそういう冗談言うんやなあ!」
あかん腹痛い、と崩れ落ちる勢いで笑い続けた冴島は、唐揚げの油が垂れて指を汚すまでヒーヒー言っていた。笑いすぎて涙まで滲ませる様子に、乾はつられて笑いながらあながち冗談でもなかったのになと思うばかりだ。
乾が出会った時、もう二人は共にいた。この事務所を仕切っているのが安居である以上、安居が冴島を引き込んだのだと思っていた。ただ安居もこの仕事に向いているとは思えないのが不可思議なところだ。
「ま、腐れ縁かなあ」
ようやく笑いを収めた冴島はそう言うと冷め始めた唐揚げを食べることに集中し始めた。
捉えるのが難しい人ではあるが、その言葉は本心であると思えた。乾ですらいつの間にかこうしているのだから、縁というより他はないのかもしれない。普通のまま生きていたら絶対に交わることのなかった人々の中で、今自分は生きている。
寒すぎる気温のせいか、やかましい客のせいか、どうも感傷的になってしまった。まだ一日は長く、やるべきことも残っている。乾もまた湯気の立つ肉まんを口に運び、飲み下していった。
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