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囀る口無し
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「っ……?」
何の変化も訪れないと思っていた矢先、不意に視界が歪んだ。眩暈に襲われたような感覚に、目がやられたのかと焦る。しかし薬物への恐怖も焦燥感もどこか遠く、意識がぼんやりとして状況がつかめなくなってくる。足が地についていないような浮遊感。酒を飲みすぎた時のような酩酊感。自分はどこにいたのだったか、と記憶を辿る。何をしている最中だったのか、考えるがなかなか答えにたどり着かない。半分眠っているような妙な心地だった。
「潜入している仲間の名前は」
見知らぬ男が何か話している。誰だったか、とぼんやりと見上げるがよく分からない。潜入、仲間、と聞き、ようやく自分が潜入捜査のために侵入したことを思い出した。それなのになぜここにいるのだったか。失敗したのだ、と長い時間をかけて結論づける。だめだ、なぜかうまく頭が働かない。ぐらぐらと揺れる視界が気持ち悪い。いつのまに酒を飲んだのだったか。
「な、かま…………?」
ずっと沈黙を守っていた乾の口から弱々しい言葉が漏れ出した。焦点の合わない瞳が緩慢に男に向けられる。男は繰り返された問答が前進したことに歓喜した。投与した自白剤はしっかりと効いているらしい。先程までの意志の強い瞳はもうそこにはなく、どこか意識の遠い表情は別人のようだった。薄く開いたままの唇が答えを探すようにはくはくと動いている。強制的に働きを鈍らされ朦朧とした意識では嘘偽りを吐くことが難しくなる。何も分からぬまま聞かれたことに答える人形になってくれればそれでいい。
「…………や」
乾の口から漏れた言葉を聞き逃すまいと男は前のめりになる。ようやく口を割ったかとほくそ笑みながら質問を繰り返せば、乾は小さな声を発した。
「いや、や……」
ふるりと頭を振る。回転の鈍った頭はよく分かりもしないのに、絶対に答えたくないと言っていた。何を聞かれているのか、質問の答えは何なのか、その判断すらしてはいけないと本能的に感じる。自分が声を出しているのかいないのかさえも、もう分からなくなっていた。とにかく何も言ってはいけないのだと、頭に浮かぶのはそれだけだった。
「なんも、いわん……」
ぽつりぽつりと言われた言葉に、男は不機嫌そうに顔を歪める。乾はどう見ても自白剤に蝕まれて思考などできない状態であろうに、情報を吐かないつもりのようだった。どこを見ているのか分からない瞳で、嫌だ嫌だと繰り返している。
「おい、もう一本よこせ」
苛立ちながら言う男に、黙って見ていた背後の男は狼狽える。
「さすがに廃人になっちまうぞ」
自白剤を使うこと自体が最終手段と言ってもいいのに、許容量を超えれば無事では済まない。体質によっては薬の使用だけで人格が壊れかねないというのに。ぶつぶつと何事か繰り返しているこの男がまだ狂っていないとは限らない。
「構うかよ。いいから出せって」
渋る姿を見て男は我慢できなくなったらしい。薬のケースを隠す男に向かって大股で歩み寄ってくる。そこまでされれば乾を庇う理由もなく、もう一本の注射器を渡すことになった。知らねえからな、と吐き捨てて様子を見ていた。
キャップを外し、注射針を露出させると軽く液体を押し出して確かめる。うすらと血の滲んだ乾の腕にゆるりと近づけ、その皮膚に穴を開けようとしたところだった。
突如凄まじい音が響いて男の手が止まる。甲高い音の正体を知る前にガラス片が床に飛び散った。弾かれるように顔を上げれば、粉々になった窓ガラスを蹴破るようにして入ってくる人影。はためくギャルソンエプロンとネクタイはいわゆるバーテン服と呼ばれるものだ。月明かりを背負って立つ男は、暗がりで顔が見えねど鬼気迫る殺気を放っていた。
「俺のダチになにしてくれてんだ」
ゆらりと持ち上げられた顔は怒気一色に染まっていた。瞳孔が開ききった瞳は獣を想起させる。そこに店で見せる落ち着いた大人らしさはない。別人のように闘争心を剥き出しにした獣が一匹。窓ガラスを割った金属バットを引きずりながら、神蔵は男達に近づいていった。
何の変化も訪れないと思っていた矢先、不意に視界が歪んだ。眩暈に襲われたような感覚に、目がやられたのかと焦る。しかし薬物への恐怖も焦燥感もどこか遠く、意識がぼんやりとして状況がつかめなくなってくる。足が地についていないような浮遊感。酒を飲みすぎた時のような酩酊感。自分はどこにいたのだったか、と記憶を辿る。何をしている最中だったのか、考えるがなかなか答えにたどり着かない。半分眠っているような妙な心地だった。
「潜入している仲間の名前は」
見知らぬ男が何か話している。誰だったか、とぼんやりと見上げるがよく分からない。潜入、仲間、と聞き、ようやく自分が潜入捜査のために侵入したことを思い出した。それなのになぜここにいるのだったか。失敗したのだ、と長い時間をかけて結論づける。だめだ、なぜかうまく頭が働かない。ぐらぐらと揺れる視界が気持ち悪い。いつのまに酒を飲んだのだったか。
「な、かま…………?」
ずっと沈黙を守っていた乾の口から弱々しい言葉が漏れ出した。焦点の合わない瞳が緩慢に男に向けられる。男は繰り返された問答が前進したことに歓喜した。投与した自白剤はしっかりと効いているらしい。先程までの意志の強い瞳はもうそこにはなく、どこか意識の遠い表情は別人のようだった。薄く開いたままの唇が答えを探すようにはくはくと動いている。強制的に働きを鈍らされ朦朧とした意識では嘘偽りを吐くことが難しくなる。何も分からぬまま聞かれたことに答える人形になってくれればそれでいい。
「…………や」
乾の口から漏れた言葉を聞き逃すまいと男は前のめりになる。ようやく口を割ったかとほくそ笑みながら質問を繰り返せば、乾は小さな声を発した。
「いや、や……」
ふるりと頭を振る。回転の鈍った頭はよく分かりもしないのに、絶対に答えたくないと言っていた。何を聞かれているのか、質問の答えは何なのか、その判断すらしてはいけないと本能的に感じる。自分が声を出しているのかいないのかさえも、もう分からなくなっていた。とにかく何も言ってはいけないのだと、頭に浮かぶのはそれだけだった。
「なんも、いわん……」
ぽつりぽつりと言われた言葉に、男は不機嫌そうに顔を歪める。乾はどう見ても自白剤に蝕まれて思考などできない状態であろうに、情報を吐かないつもりのようだった。どこを見ているのか分からない瞳で、嫌だ嫌だと繰り返している。
「おい、もう一本よこせ」
苛立ちながら言う男に、黙って見ていた背後の男は狼狽える。
「さすがに廃人になっちまうぞ」
自白剤を使うこと自体が最終手段と言ってもいいのに、許容量を超えれば無事では済まない。体質によっては薬の使用だけで人格が壊れかねないというのに。ぶつぶつと何事か繰り返しているこの男がまだ狂っていないとは限らない。
「構うかよ。いいから出せって」
渋る姿を見て男は我慢できなくなったらしい。薬のケースを隠す男に向かって大股で歩み寄ってくる。そこまでされれば乾を庇う理由もなく、もう一本の注射器を渡すことになった。知らねえからな、と吐き捨てて様子を見ていた。
キャップを外し、注射針を露出させると軽く液体を押し出して確かめる。うすらと血の滲んだ乾の腕にゆるりと近づけ、その皮膚に穴を開けようとしたところだった。
突如凄まじい音が響いて男の手が止まる。甲高い音の正体を知る前にガラス片が床に飛び散った。弾かれるように顔を上げれば、粉々になった窓ガラスを蹴破るようにして入ってくる人影。はためくギャルソンエプロンとネクタイはいわゆるバーテン服と呼ばれるものだ。月明かりを背負って立つ男は、暗がりで顔が見えねど鬼気迫る殺気を放っていた。
「俺のダチになにしてくれてんだ」
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