裏社会の何でも屋『友幸商事』に御用命を

水ノ灯(ともしび)

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囀る口無し

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 揺さぶられた頭がぐらぐらと痛む。乱暴な拳を受けた頬が熱い。口内は血の味が広がり、切れた唇が腫れ始めているのが分かった。足元には眼鏡が落ちてしまっている。間違いなく今日は乾にとってここ数ヶ月で最悪の日だった。
 椅子に縛り付けられている腕が痛い。下手くそな縛られ方をしているせいで縄が食い込み、血流が悪くなっている。肘掛けに何重にも巻き付けられて抜け出すことができなかった。もしも縄が解けたとしても、乾の前と後ろに一人ずつ男が立っている。今の状態で二人を相手に立ち回ることは難しい。どうにか脱出できないかと部屋の中を見回したところ、窓があることから地下ではないことがわかった。
 重大な失敗をしてしまったと乾は歯噛みする。彼らは闇金融の事務所をやっている傍ら、情報屋として動くこともある。今回は情報屋の仕事として潜入捜査をしていた。乾はハッキングを得意とし、普段は現場に向かうことがあまりない。直接潜って調べるのは佐々木の得意とするところだった。しかし今回は佐々木が既に潜入しているところへ増援という形で入り込んだ。偽装に隙はなかったはずだが、妙な勘の良さから正体に気づかれてしまい今に至る。背格好のせいか、堅く思われる性質のせいか、どうも紛れ込むのは得意になれないらしい。

「他にも仲間がいるんだろ」

 何度目とも知れない質問に、乾はまた沈黙する。幸いまだ佐々木と接触はしていない。繋がっていることが分かるような行動はとっていないが、単独で侵入したわけではないというのは気づかれている。知らぬ存ぜぬを貫き通しているが、内心焦って仕方がない。ただでさえ計画が失敗しているというのに、佐々木まで巻き込むわけにはいかない。
 そして乾は借金の取り立て以外の現場にはあまり出向かないせいで、暴力沙汰には不慣れだった。本心を言えば、恐怖心が強い。必死に取り繕いながらも、気を抜けば足が震えてしまいそうだった。怒鳴りつけられるのも、殴られるのも、体の芯が冷たくなるほど怖い。このまま殺されてしまうかもしれないと思うと、ぞわりと肌が粟立って涙が滲みそうだった。

「口が固いな。腕くらい折っても構わねえか」

 殴られても平然と見返してくる乾に焦れたのか、眼前の男が吐き捨てる。折られることを想像して血の気が下がった。何をされても情報を吐くわけにはいかないと思っていたが、これ以上苦痛を与えられたら音を上げてしまうかもしれない。全身が緊張し、脂汗が流れる。容赦なく蹴りつけられた腹がまだじんじんと痛んでいた。

「待てよ、それよりこれ使っちまった方が早い」

 背後からもう一人の男の声がする。何かを取り出したようだが、乾からは見えなかった。眼前の男がニヤリと笑ったのが見えて嫌な感覚に襲われる。はたしてその予感は当たっており、見せつけるように目の前に翳されたものに乾は唇を引き結んだ。
 男が手にしていたのは何かの薬品が入った注射器だった。得体の知れない薬を前に体が無意識に逃げを打つ。ガタリと椅子が軋み、逃れようと身をよじらせたが当然緩むことすらない。顔色を変え暴れ出した乾を見て、男は愉快そうに笑った。

「死にゃしねえよ」

 力が入って筋の浮いた腕が縄の上から押さえつけられる。近づけられる注射針を見つめ、乾の瞳が見開かれた。恐怖のあまりひゅうひゅうと喉が鳴っている。歯の根が合わず、硬質な音を立てる。頬を伝った汗が垂れ落ちていった。皮膚を破り、異物が侵入してくる痛みがある。ゆっくりと液体が押し込まれていくのを見つめ、乾は悲鳴を噛み殺した。
 注射針が抜かれ、男はゆっくりと後ずさると観察するように乾を見やった。注射痕から滲んだ血が丸い雫を作る。体内に得体の知れない薬物を入れられ、身体より先に精神が拒絶した。吐き気に襲われ、必死に呼吸を落ち着かせようとする。嫌な汗が止まらない。自分の体がどうなってしまうのか恐ろしくて、耐えるように身を固くしていた。心臓の音が早い。どくどくと脈打つその動きは侵入した薬物を体内に巡らせていった。
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