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甘ったれ拷問吏

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 仕事の際に運転をするのは運転免許を持っていない友弥以外の三人だった。必要に駆られれば無免許だろうと友弥はハンドルを握るが、リスクが高いため切羽詰まっていなければそんなことはそうそうしない。ヨウは一人の時や友弥との仕事では運転をするが、涼や幸介がいれば任せてしまう。そして涼と幸介が二人ならばカーチェイスにならない限り幸介が運転をすることが多かった。
 今夜は幸介と涼の二人で仕事にあたり、幸介がハンドルを握っている。幸介が路肩に停めていた車のドアが開かれ、涼が後部座席にどすんと乗り込んでくる。急にかかった体重で車が揺さぶられた。幸介がバックミラーで確認すれば涼はターゲットをしっかりと捕獲しており、気絶した男に縄をかけているようだった。
 今夜の仕事はここまでは楽なものだった。ただ男を攫ってくるだけなど彼らには朝飯前だ。それも自ら人気のない道を選んでくれたのだから開けていた口に餌が入ってくるようなものだった。涼が背後から近づき首筋にスタンガンを当てただけで男は昏倒した。それを軽々と抱き上げて車に押し込めばおしまいだ。
 涼が手早く縄をかけ、目隠しから猿轡まで終えたのを確認して幸介はアクセルを踏んだ。窓にはスモークがかかっているため隣を走る車でさえも誘拐に気づくことはできないだろう。
 男を連れ帰ることは仕事の始まりにすぎない。今回の依頼はこの男から情報を引き出し、その情報を使ってターゲットを殺すことだ。これから家に戻ればこの男への尋問と拷問が待っている。
 四人の暮らす家には地下に射撃場やトレーニングルームがあるが、さらに深い地下に拷問を行うための牢が作られているのだ。そう使用頻度は高くないとはいえ血肉の匂いと死の気配が染み付いた地下牢に好んで近づきたがるものはいない。特に鼻のいいヨウは落ち着かないから嫌いだと言ってほとんど出入りすることはない。
 拷問は大抵幸介の仕事だ。死ぬほど痛くても絶対に死ねない痛めつけ方を彼は幼少期に自らの体で覚えている。人当たりがよく話のうまい彼は依頼人との交渉を主にしているが、そのスキルは尋問や拷問でも役に立った。地下牢の防音が優秀だったことを感謝するべきだろう。そうでなければ大人の男が一晩中赤子のように泣き叫ぶ声で眠れなかったところだ。
 今夜もいつものように幸介が男から情報を引き出すつもりだ。幸介はハンドルを切りながらどの手口が使えるだろうと段取りを考えていたところだった。不意に後部座席から呻き声が聞こえ、次いで暴れる振動が伝わってきた。目が覚めたかと幸介はちらりとバックミラーを見やる。

「ほら、静かにしよーね」

 涼は縛られたまま必死に体をよじる男の肩を抱き寄せ、優しい声音で囁きかけた。もう片方の手はナイフの刃先を男の首に突きつけている。尖った先端が柔い肌に食い込み、血の玉が膨れ上がってつうっと男のシャツに吸われていった。男は不明瞭に喚き散らしていたが喉元に刃があることを知って小さく悲鳴をあげた。びくりと体を跳ねさせたがまだ虚勢を張る力はあるのか、気丈にも背筋を伸ばしていた。
 へぇ、と涼がゆっくりと唇に笑みを乗せる。低く艶のある声は興奮を表していて、幸介には涼が良からぬことを考えている時の声音だと聞き分けることができた。

「ねえ、こーちゃん」

 シートにずしりと後ろから体重がかけられる。甘ったるい声が頭上から聞こえてきて、涼が運転席のシートにしなだれかかってきたのだと分かった。涼がこんな声を出す時はろくなことにならないと幸介は仏頂面だ。

「今日は俺にやらせてくんないかなあ~? ちょっとやる気出てきちゃったぁ」

 涼は猫撫で声でそうねだる。もし運転中でなければ幸介に絡みついて体を擦り付けてきていただろう。わざとらしい甘え方は男にブランド物のバッグをねだる商売女そのものだ。涼が言うには男の顔が結構かわいいからとのことだ。男のどの態度にくすぐられたのかは分からないが、興が乗ったのだろう。
 涼は幸介とは違うやり方で拷問を得意としている。涼が行うのはほとんど肉体に傷をつけない拷問だ。出会う前に調教師まがいのことをやっていた時期もあったというのだからプロの技とも言える。そういったことを苦手とする幸介は直接現場を見たことはないが、惨殺死体に顔色ひとつ変えないあの友弥が凄惨だと青ざめていた。その時には絶対に見るものかと改めて思ったものだ。痛めつけなくても人間は死ぬんだよ、と言った涼の笑顔にゾッとしたことを鮮明に覚えている。

「情報さえ引き出せんならいいけど」

 彼は仕事よりも楽しみを優先するところがある。つい楽しくなってしまったからとやりすぎて壊してしまったり得たい情報を吐かせられなかったりすれば意味がない。仕事であるということさえ忘れなければ涼の腕は確かだ。幸介の仕事も減ることだし、断る理由はなかった。

「もっちろん、ちゃんとやるから!」

 女のように甘えてきたと思ったら今度は子犬をねだる子供のように主張してくる。結局幸介だけでなく、仲間はみんな涼に甘いのだ。だったら任せると言えば、涼はぱあっと嬉しそうに笑った。

「やった、久しぶりに本気出せるなあ」

 ふふ、とはしゃいだ声を漏らす涼は心底楽しそうだ。拷問をするにもされるにも慣れるために訓練をすることはあるが、涼は仲間を壊さないように注意しているらしい。
 涼は鼻歌交じりに拘束された男の肩を抱く。仲間には絶対にできないような責めがいくつも頭に浮かんでくる。涼が気ままに弄んだせいで廃人のようになってしまった輩もいた。だからこそ何をしても構わない玩具が与えられれば涼は虫を殺す子供のように無邪気な残酷さを発揮する。
 自分をこれから拷問しようという相手が純粋に楽しげにしているので男は震えを隠しきれなくなってきていた。まさか傷ひとつ付けられずに人格すら塗り潰されるような責め苦を受けるとは夢にも思っていないだろう。

「たまにやっとかないと腕なまっちゃうからね」

 ころころと声音を変えて媚びていた男だと忘れてしまうような妖しい笑みが浮かぶ。見るものを惹きつけ魅了しながらも、ゾクリとしたものを感じさせる微笑だった。背後からその気配を感じて幸介もまた寒気を覚える。人を壊すことを何とも思っていない人間が発する残酷さがあった。涼にガッチリと捕まっている男に同情もする。万が一にも彼の手にかかるようなことにはなりたくないものだ。

「なるべく早く情報吐かせろよ、その後は好きにしていいから」

 自宅の駐車場へと車を入れながら幸介は釘をさしておく。涼が楽しいならそんな男は好きなだけ嬲ってくれとあっさりと突き放した。はーい、と弾んだ声で返事をされれば同情など塵のようなものだ。
 バックで駐車するために振り返れば、男はすっかり怯えて縮こまっているようだった。幸介と目が合うと涼はいつものように懐っこい笑みを見せるのだった。
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