裏社会の何でも屋『友幸商事』に御用命を

水ノ灯(ともしび)

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意中探しの雨隠れ

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 細かく降り注ぐ雨に濡れながら夜道を歩く。アスファルトは外灯の光を映す程に濡れてしまっていた。屋外に出てきたばかりの涼は一体いつから雨が降っていたのか分からなかったが、それなりの時間降り続けていたのだろう。
 街を濡らす雨の中、ポケットに両手を突っ込んで帰路に着く。靴やら髪やらが濡れてしまうのはいただけなかったが、わざわざコンビニに寄って傘を買う程の雨量でもない。それなりに寒さは感じたが帰ってすぐにシャワーを浴びればいいと思う程度の距離だった。
 表通りを走る車の音に飛沫を上げるような音が混じっている。たん、たん、と頭上では屋根に雨粒が跳ねる音がしていた。足元ではパシャパシャと一歩ごとに小さく水が舞う。涼は何食わぬ顔で歩きながら、背後に意識を向けていた。
 どうやらつけられている、と気配を探る。周囲を警戒することが日常化されている涼だからこそ気づいたが常人ならば気にもしないだろう。もしくは涼が酒を飲んで浮かれていたら分からなかったかもしれない。今夜はあまり機嫌がよくなかったため多少殺気立っていたから感じ取ることができたのだ。

「ねえ」

 涼は呼びかけながら振り返る。このまま家まで連れて帰ってしまっては困るのだ。振り返った先には人通りのない細い道が続いているだけだったが、どこかに潜んでいるのが分かる。

「俺に何か用? 隠れてないで出ておいでよ」

 今夜の遊びがつまらないものに終わってしまった苛立ちから涼の声は常より低い。柔和な言い回しをしながらも瞳が鋭くなっているのが相手にも伝わっていることだろう。逃げるのかそれとも攻撃してくるかと出方を伺っていると、路地からゆっくりと人影が現れた。

「やっぱ見つかります?」

 関西訛りの低い声。苦笑混じりに言いながら目の前に現れた人物に涼は数度瞬いた。

「わんちゃん?」

 気配を消して追跡してくるのはてっきり涼やその仲間に恨みがある人物だったり依頼を受けた殺し屋だったりするのかと思ったのだが、それはあまりにも知った顔だった。神経質そうな顔立ちに乗った黒縁の眼鏡。上背のある体躯は程よく鍛えられている。彼は乾という。わんちゃんというのはイヌの字から連想したあだ名だった。
 乾は情報屋の佐々木が所属する安居金融の一員である。なにせこの気難しい男をわんこと呼び始めたのは佐々木なのだ。乾は涼達と親交が深く、ふらりと事務所に遊びに行くこともある。

「どうしたの、こんなところで」

 だからこそなぜ後をつけるような真似をしたのかと涼は訝しげに乾を見据えた。どちらも相手の間合いに踏み込まない危ういところで立ち止まっている。乾もまた傘をさしておらず、短い黒髪は濡れ、眼鏡のレンズにも水滴が付いてしまっていた。疑わしげな視線を受けても乾が表情を変えることはない。

「ちょおっと手をお借りしたいなーと思いまして」

 乾はあっけらかんとした口調で言うが、それならば直接友幸商事の事務所を訪ねれば済む話だ。涼は笑みの形に目を細めながら瞳の奥を暗くする。乾の唇からどんな話が出てくるのかと注意深く先を促した。
 乾は表情を変えないままにひとつの名前を発音した。どこかで聞いた覚えのある名前だ、と涼は記憶を辿る。数秒の後にそれが次の仕事の依頼主の名前であったことを思い出した。普段ならば絶対に覚えていないのだが、ヨウが変な名前だと言い出して二人で笑い合ったから偶然覚えていたのだ。

「その顧客のデータをいただきたいんですよねぇ」

 涼が思い当たったと見るや乾はあっさりとそう口にした。丁寧な割に口調に重さはない。だが、目だけは油断なく涼の様子を伺っている。どうして自分達に依頼を持ってきた相手の情報など知りたいのだろう。涼は意図を図りかねてじっと乾を見返す。普段は笑顔でいることが多いからか表情を消した涼の姿は拒絶に見えたようで乾はじわりと敵意を滲ませる。

「快諾していただけないなら、力尽くでも」

 軽く背筋が伸びる程度の殺気を向けられて涼はどくっと心臓が跳ねるのを感じていた。それはつまらない夜に与えられた刺激への歓喜だった。思わずニヤついてしまいそうなのを堪える。乾といえば前線に出るよりも後方での情報収集や司令塔の役割を担っているはずだ。その彼が自ら出向き自分に牙を向こうとしているなど面白くないわけがない。

「それって俺だったら勝てると思ったってこと?」

 わざわざ自分を選んで声をかけたということは、拒まれたとしても涼相手なら吐かせられると思ったからだろうと挑発的な目を投げる。

「あんたくらいしかこんな時間に出歩かんでしょう」

 物騒な言葉に対して身を固くするどころか表情を緩めた涼を見て乾は眉を曲げた。たしかに、と涼は歌うように返す。
 サアア、と小雨の音が続いている。霧がかった薄白い視界の向こうで濡れ髪を貼り付けた男が目元を陰にして微笑しているのを乾は見た。その両手はジーンズのポケットにねじ込まれているが、いつ飛びかかられてもおかしくないような気がした。雨のせいだけでなく体温が下がったように感じる。その瞬間、視界の端に動くものが見えてそちらに目を奪われた。
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