裏社会の何でも屋『友幸商事』に御用命を

水ノ灯(ともしび)

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無駄吠えの躾

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 部屋の空気は端的に言って最悪だった。時刻はそろそろ丑三つ時に差しかかろうとしている。リビングにはヨウ、涼、幸介の三人が集まっていたが誰も一言も発していなかった。ヨウは張り詰めた空気に責められているように感じで随分前にテレビの電源を落としていた。そのせいで重たい沈黙がずっと続いているが、バラエティ番組の笑い声がこだますれば余計に空気が悪くなることは分かっていた。
 何度目か知れず時計に目をやる。こんなことになっているのは、仕事に出た友弥の帰りがあまりに遅いせいだった。数日かけて準備をした今回の仕事は、実行するには大して時間がかからないことは分かっている。時間がかかっているということは、即ちうまくいっていないということになる。予定の数倍の時間が経過した今まだ連絡は来ない。状況がわからない以上動きようがなく、何もできないせいで焦燥感が募っていた。
 幸介は部屋の時計を見、腕時計に目を落とし、端末を見ては通話どころか通信による簡単な連絡もきていないことを確かめている。仲間思いの男は、幼馴染だという友弥のことになるとさらに過保護になることはよく知っている。四人の中では依頼を受けたり割り振ったりする役回りなせいで中心に立つことが多い。冷静でいようとしているのは伝わるが、その動きには落ち着きがない。
 涼は初めのうちは遅いだの心配だのと騒がしくしていたが、一切口を開かなくなってからが不気味だった。
 幸介が最悪の事態に備えるためにも神経質になり、友弥は元々用心深い性質だ。そのバランスを取るようにヨウは楽観的でなんとかなるだろうと前向きなスタンスを取っている。常は涼もヨウに近く、騒ぎ立てはするが大抵の物事では芯から焦ることはそうそうない図太さを持っている。しかし温厚だとか柔和だとかいう外面でありながら、見た目ほど気が長い方ではないのも分かっていた。
 おそらく待つ時間が長すぎた。涼の苛立ちはほとんど頂点に達している。焦りなどとっくに通り越して殺気のようなものが二人を伺っているヨウの元へ刺さらんばかりに届いていた。いつもにこやかにしている分見慣れない仏頂面に迫力がある。目つきがどんどん悪くなっているように思う。おそらく開かれない唇の内側では呪詛のような不平不満が溜まっているのではないだろうか。
 ヨウは仲間同士でギスギスとした空気になるのを側から見ているのは面白がるが、それはせいぜい小競り合いの領域だ。口喧嘩やら睨み合いやらはたまの刺激になっていいがここまで険悪になると呼吸すら重い。基本的に楽しいことが好きなヨウからすればすぐに逃げ出してしまいたい状況だった。怖いものはないと豪語しているが、それは耐性がついているというだけであって元来の性質は繊細な方だ。仲間の殺気を浴び続けて平気な顔をしていられるほど神経は太くできていない。
 もちろんヨウも友弥を心配してはいるが、友弥の実力を知っているからこそこんな風に時計を睨みながらどす黒い空気を発しているのは過剰に思えるのだ。失敗したなら失敗したでいいからさっさと連絡をくれと友弥に訴えたくもなる。連絡がこないということは友弥がそれが適当だと判断しているということだ。子供ではないのだし、必要なら救援要請でもなんでもするだろう。
 そう思っていたのが馬鹿だった、とヨウはすぐに呆れかえることになる。友弥は冷静沈着で周りも自分もよく見る視野があって状況判断ができる人物だと思っていた。あの男が負けず嫌いで周囲を頼るのが何より苦手でそのくせ責任ばかりは背追い込みたがる奴だということをすっかり失念していたのだ。
 連絡は突然入ってきた。幸介がすぐさま通話ボタンを押し、ヨウと涼は素早く顔を上げる。応対した幸介はなぜか怪訝そうな顔をしていてすぐには状況がつかめなかった。幸介は友弥に対する口調よりは丁寧に答えながらも不機嫌さが隠せていない。友弥からではないということだけが伝わってきて何か良くないことが起こっていることは分かった。
 通話の相手は佐々木だった。幸介が通話を切ってすぐ教えてくれたことだ。情報屋をしている佐々木は偶然今夜の仕事場が近かったらしい。満身創痍の友弥を庇って逃がしてくれたという。致命傷は負っていないが左腕を骨折、後は毒薬でも盛られたか朦朧としているとのことだった。医者に連れていってくれて治療中だと言う。
 佐々木から連絡、というのがよくなかった。たとえどんな報告だろうが、長く待たせていようが、友弥から連絡が入っていればここまでにはならなかったはずだ。隣の男の苛立ちが怒りに変わった瞬間、ヨウは思わず身構えてしまった。涼は無表情のまま立ち上がり、車のキーを手に取った。何も言わず幸介を見る目が冷たい。
 おそらく踏んではいけない場所を踏み抜いたのだと思う。涼は縄張り意識なのか何なのか知らないが、仲間である三人を自分の手中だと考えている。幸介の熱い仲間意識よりももっと敵意の強いその感情は、害されることに限らず外部からただ触れられることすら好まない。
 要するに、涼のものであるはずの友弥が、涼や同じく涼のものである幸介とヨウに頼ることなく外側の佐々木に助けられたのが気に食わないのだろう。
 涼の内側で沸き立つ感情すら悟ってしまうほどにヨウはどんどん頭が冷えていくのを感じる。自分の中にある苛立ちや焦燥すら他人事のように客観視できてしまう。

「俺とヨウは後始末に行く。涼は友弥を頼む」

 幸介は涼を見返した後、ヨウに目をやってそう言った。幸介も友弥の元に駆けつけたいだろうに、友弥を傷つけた奴らを排除することを選んだようだ。涼の目を見れば相棒にヨウを選ぶのは当然のことだろう。今の涼に冷静に戦う頭があるとは思えない。
 それぞれ別の車に乗り込んで現場に向かう。幸介は涼に場所の指示をするとすぐに車に乗り込んだ。装備は万全だ。おそらく残滅戦になる。

「おい、殺すなよ」

 運転席に乗り込もうとする涼にヨウは声をかける。誰をとは言わなかった。

「うん」

 涼は短く答えると勢いよくドアを閉めた。ヨウの声など届いていない返事だ。ヨウは急発進する車を見送って幸介の車に乗り込む。
 運転だけは普段と変わらぬように見えた幸介だが、横顔は張り詰めていた。声をかける方が良くないだろうとヨウは黙ってシートに背中を預けてホルダーの銃に触れた。
 腕を折られたということは少なくとも接近を許したということだ。毒物ということはナイフにでも何か塗ってあったのか。何にせよ友弥が手こずる相手なら骨がありそうだ。どうやって叩き潰してやろうかと考える間、移動時間がやけに長く思えた。基本的に仕事はめんどくさがる自分が早く殺しをしたいと思うなんて、存外怒っていたらしい。
 内側で体温が上がっていくのを感じながらヨウは眼光を鋭くして手元をじっと見つめていた。
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