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与太話は終わらない
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夜が深くなっても街の賑わいは変わらない。ネオンはますます眩しく光り、酔いに溺れた千鳥脚が増える。表通りに面したとある店にヨウはやってきていた。名はBAR Flat。
飲めないわけではないが、ヨウは普段好んで酒を飲みはしない。ここに来たのは冴えない夜にアルコールを注ぐためではなく、仕事の用事だった。
洒落た扉を押し開ければ、橙色の細かな照明が並んだグラスに反射して華やかに光る。カウンターの向こう側にはマスターの姿があった
「いらっしゃいませ」
顔を上げたマスターに、ヨウは片手を上げて挨拶をする。見知った顔だと気づくとマスターの笑顔に親しさが混じった。
「こんばんは」
挨拶をし直し、マスターは奥のテーブルを指差した。いくつかのテーブル席は半個室のように仕切られており、入口からはその姿が見えない。どうやら待ち合わせ相手は先に来ているらしい。
礼のつもりで頭を下げ、ヨウは奥のテーブル席に向かった。カウンターでは二人の女性がマスターと楽しげに話している。彼女達は後ろを通り過ぎるのが殺し屋だと知りもしないだろう。彼はヨウの仕事を知っているが、このバーはほとんど表の客を相手にしている。マスターとバーについてはまたの機会に詳しく紹介するとしよう。
ヨウが向かいに腰掛けると、先に来ていた男はビールを飲んで待っていた。癖のある黒髪を真ん中で分けており、二重の大きな瞳を露わにしている。彼は佐々木という情報屋だ。友幸商事のようなある組織にも所属しており、二足の草鞋を履いている。それもまた別の機会に話すことになるだろう。
「サッキー」
互いに軽い口調で挨拶を交わす。佐々木と親しいものは、彼の名を文字ってサッキーというあだ名を使っているのだ。ヨウが今夜ここにやってきたのは佐々木に頼んでいた仕事の結果を聞くためだ。
「いやー、大変だったわぁ」
へらへらと笑った口から関西弁が飛び出してくる。佐々木は普段と同じ軽い口調ではあったが、言葉通り疲れが見えた。今回も潜入して情報を探っていたのだ。それも警察組織だというのだから、常よりも神経を削ったことだろう。
「おつかれー」
ヨウが労うと、丁度よくマスターがグラスを持ってきてくれた。ヨウが酒を飲まないのを知っているため、いつも頼んでいるコーラだ。ヨウは機嫌良く受け取ると、佐々木とグラスを合わせて乾杯をした。
「いやほんま、今回はちょっとヒヤッとしたで」
佐々木はビールを煽ると、深く溜息を吐く。佐々木が潜入していたのは通称マル暴と呼ばれる組織犯罪対策部総務課だ。情報屋であることを見抜かれたそうだが、相手も同じく潜入している身で事なきを得たという。口封じの取引として余計な仕事が増えたとぼやいていた。
そんなことはいい、と佐々木は話を戻す。
ヨウが欲しがっていたのは、次のターゲットとなる相手についての情報だった。依頼を受けたはいいが、足取りが分からず殺しの機会を掴めずにいた。狭い街ではあるが内部は入り組んでおり人は多すぎる。地道に探すには骨が折れるということで、情報屋を頼った。
「どうやらカジノに出入りしてるらしい」
佐々木は声を低めて言うと、小さなメモ用紙をテーブルに滑らせた。ヨウは手元に渡された紙に目を落とす。そこにはカジノの名前らしきものと、住所が記されていた。当然、裏カジノに決まっていた。
佐々木は警察の情報網を使って裏カジノに出入りしている人間を見ることができたのだろう。佐々木がどうやってカジノまで絞り込んだのか分からないが、見事ターゲットの名前を見つけた。
「ゆうても、カジノ自体はよう分かっとらん」
佐々木は正直に言って汗をかいたグラスを持ち上げる。黄金色に光る水面に、佐々木の難しい顔が映り込んだ。
警察もまだ調べが進んでいないため、踏み込むところまで至ってはいない。警察組織の鈴木に扮して調査してもこれ以上の情報は出てこなさそうだった。
「なんでも裏ではアメリカのマフィアが絡んでるって噂や」
「アメリカのマフィア……」
ヨウの眉がぴくりと持ち上がる。ヨウが険しい顔つきになったのを受けて、佐々木も表情を引き締めた。何か思うところがあったのだろうか。佐々木には、ヨウがなぜその情報に引っかかったのか判断がつかない。
「必要ならカジノの方に潜るか? まあ危なそうなら手引かせてもらうけどな」
佐々木らしく逃げ道を確保しながらも申し出る。カジノの情報が欲しければ、今度は内側から探るしかない。マフィアの縄張りに潜入するなど死地に飛び込むようなものだ。武闘派でない佐々木にとってはさらに恐ろしいことだ。それでもこの情報屋は何度となくその無茶をこなしてきた。
「いや、十分。ありがとう」
しかしヨウは仕事が終わったことを告げる。テーブルの下で報酬の入った封筒が渡された。手に取った厚みで佐々木は成功報酬以上の金額が入っていることを知る。
「おいヨウ」
咎めるように呼ぶが、ヨウは氷をガラガラと言わせながらコーラを飲んでいた。
「大変だったんだろ?」
ヨウは気にした様子もなく当然の響きで言う。佐々木は友人相手に愚痴を溢しただけのつもりだった。報酬の上乗せをねだったわけではないのに。ヨウもそれは分かっているのだろう。初めから多く渡すつもりで準備してきたに違いない。
「じゃ、遠慮なく」
戸惑っては見せたが、貰えるものは貰っておく主義だ。佐々木が手元に収めたのを見ると、ヨウは満足そうに笑う。
「ヘマすなよ」
佐々木は案ずるような言葉を吐くとグラスを干した。おう、とヨウは不敵な笑みを浮かべるばかりだ。この殺し屋はこれくらいの危険などいつも笑って踏み越えている。
この男に向かって今更心配をする必要もないか、と佐々木はほろ酔いの吐息を零した。ヨウがおかわりのためにマスターを呼ぶ。仕事の話は終わったが、まだ佐々木を帰す気はないらしい。せっかく会ったのだからとくだらぬ話が始まる。声を上げて笑う二人は、まるで放課後に遊ぶ子供のような顔をしていた。バーの客が入れ替わる。さらに夜が更けても話は尽きず、いつまでも楽しい時間は続いていた。
飲めないわけではないが、ヨウは普段好んで酒を飲みはしない。ここに来たのは冴えない夜にアルコールを注ぐためではなく、仕事の用事だった。
洒落た扉を押し開ければ、橙色の細かな照明が並んだグラスに反射して華やかに光る。カウンターの向こう側にはマスターの姿があった
「いらっしゃいませ」
顔を上げたマスターに、ヨウは片手を上げて挨拶をする。見知った顔だと気づくとマスターの笑顔に親しさが混じった。
「こんばんは」
挨拶をし直し、マスターは奥のテーブルを指差した。いくつかのテーブル席は半個室のように仕切られており、入口からはその姿が見えない。どうやら待ち合わせ相手は先に来ているらしい。
礼のつもりで頭を下げ、ヨウは奥のテーブル席に向かった。カウンターでは二人の女性がマスターと楽しげに話している。彼女達は後ろを通り過ぎるのが殺し屋だと知りもしないだろう。彼はヨウの仕事を知っているが、このバーはほとんど表の客を相手にしている。マスターとバーについてはまたの機会に詳しく紹介するとしよう。
ヨウが向かいに腰掛けると、先に来ていた男はビールを飲んで待っていた。癖のある黒髪を真ん中で分けており、二重の大きな瞳を露わにしている。彼は佐々木という情報屋だ。友幸商事のようなある組織にも所属しており、二足の草鞋を履いている。それもまた別の機会に話すことになるだろう。
「サッキー」
互いに軽い口調で挨拶を交わす。佐々木と親しいものは、彼の名を文字ってサッキーというあだ名を使っているのだ。ヨウが今夜ここにやってきたのは佐々木に頼んでいた仕事の結果を聞くためだ。
「いやー、大変だったわぁ」
へらへらと笑った口から関西弁が飛び出してくる。佐々木は普段と同じ軽い口調ではあったが、言葉通り疲れが見えた。今回も潜入して情報を探っていたのだ。それも警察組織だというのだから、常よりも神経を削ったことだろう。
「おつかれー」
ヨウが労うと、丁度よくマスターがグラスを持ってきてくれた。ヨウが酒を飲まないのを知っているため、いつも頼んでいるコーラだ。ヨウは機嫌良く受け取ると、佐々木とグラスを合わせて乾杯をした。
「いやほんま、今回はちょっとヒヤッとしたで」
佐々木はビールを煽ると、深く溜息を吐く。佐々木が潜入していたのは通称マル暴と呼ばれる組織犯罪対策部総務課だ。情報屋であることを見抜かれたそうだが、相手も同じく潜入している身で事なきを得たという。口封じの取引として余計な仕事が増えたとぼやいていた。
そんなことはいい、と佐々木は話を戻す。
ヨウが欲しがっていたのは、次のターゲットとなる相手についての情報だった。依頼を受けたはいいが、足取りが分からず殺しの機会を掴めずにいた。狭い街ではあるが内部は入り組んでおり人は多すぎる。地道に探すには骨が折れるということで、情報屋を頼った。
「どうやらカジノに出入りしてるらしい」
佐々木は声を低めて言うと、小さなメモ用紙をテーブルに滑らせた。ヨウは手元に渡された紙に目を落とす。そこにはカジノの名前らしきものと、住所が記されていた。当然、裏カジノに決まっていた。
佐々木は警察の情報網を使って裏カジノに出入りしている人間を見ることができたのだろう。佐々木がどうやってカジノまで絞り込んだのか分からないが、見事ターゲットの名前を見つけた。
「ゆうても、カジノ自体はよう分かっとらん」
佐々木は正直に言って汗をかいたグラスを持ち上げる。黄金色に光る水面に、佐々木の難しい顔が映り込んだ。
警察もまだ調べが進んでいないため、踏み込むところまで至ってはいない。警察組織の鈴木に扮して調査してもこれ以上の情報は出てこなさそうだった。
「なんでも裏ではアメリカのマフィアが絡んでるって噂や」
「アメリカのマフィア……」
ヨウの眉がぴくりと持ち上がる。ヨウが険しい顔つきになったのを受けて、佐々木も表情を引き締めた。何か思うところがあったのだろうか。佐々木には、ヨウがなぜその情報に引っかかったのか判断がつかない。
「必要ならカジノの方に潜るか? まあ危なそうなら手引かせてもらうけどな」
佐々木らしく逃げ道を確保しながらも申し出る。カジノの情報が欲しければ、今度は内側から探るしかない。マフィアの縄張りに潜入するなど死地に飛び込むようなものだ。武闘派でない佐々木にとってはさらに恐ろしいことだ。それでもこの情報屋は何度となくその無茶をこなしてきた。
「いや、十分。ありがとう」
しかしヨウは仕事が終わったことを告げる。テーブルの下で報酬の入った封筒が渡された。手に取った厚みで佐々木は成功報酬以上の金額が入っていることを知る。
「おいヨウ」
咎めるように呼ぶが、ヨウは氷をガラガラと言わせながらコーラを飲んでいた。
「大変だったんだろ?」
ヨウは気にした様子もなく当然の響きで言う。佐々木は友人相手に愚痴を溢しただけのつもりだった。報酬の上乗せをねだったわけではないのに。ヨウもそれは分かっているのだろう。初めから多く渡すつもりで準備してきたに違いない。
「じゃ、遠慮なく」
戸惑っては見せたが、貰えるものは貰っておく主義だ。佐々木が手元に収めたのを見ると、ヨウは満足そうに笑う。
「ヘマすなよ」
佐々木は案ずるような言葉を吐くとグラスを干した。おう、とヨウは不敵な笑みを浮かべるばかりだ。この殺し屋はこれくらいの危険などいつも笑って踏み越えている。
この男に向かって今更心配をする必要もないか、と佐々木はほろ酔いの吐息を零した。ヨウがおかわりのためにマスターを呼ぶ。仕事の話は終わったが、まだ佐々木を帰す気はないらしい。せっかく会ったのだからとくだらぬ話が始まる。声を上げて笑う二人は、まるで放課後に遊ぶ子供のような顔をしていた。バーの客が入れ替わる。さらに夜が更けても話は尽きず、いつまでも楽しい時間は続いていた。
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