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雨のお届けもの

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 寄越されたファイルはヨウ達が依頼していたものに相違なく、ヨウはパタリとファイルを閉じた。レプリカに依頼達成の料金を払わねば、と目を上げたところで先程座っていた場所にレプリカがいないことに驚く。そしてゆっくりと目を下げ、ソファーに上半身を埋めている姿を見てぱちくりと目を瞬かせた。
 レプリカは濡れ髪にタオルを被ったままソファーに頬をつけて寝息を立てていた。口を半開きにして一切警戒心が感じられない。

「なんか前もこんなんあったな」

 ヨウがまさに思っていたことが後ろから投げかけられた。振り向けば幸介が二人ぶんの湯呑みを持ってきてくれたところだった。すっかり眠ってしまっているレプリカを見下げ、あーあ、と少し笑って眉を歪める。
 前というのは仕事終わりの友弥が玄関で寝入っていた時のことだ。幸介はやはり目が覚めていたらしく、友弥が帰ってきたのだと分かったらしい。いつの間に帰ってたの、などと言ってきたのは涼だけだ。幸介はヨウから友弥が倒れていたと聞いて呆れていたものだ。
 レプリカに任せた仕事の期限は明日の夜までだった。実際の限界はまだ少し先だ。早すぎるかと思いながら依頼したのだがまさか二日でこなしてくれるとは。なるべく早いほうがいいと念押ししたため依頼を受けてすぐに動いてくれたのだろう。さすがレプリカだと褒めたくもなるが、友人としては根を詰めすぎだと多少心配にもなる。まさか雨宿りの手間さえ惜しんで届けてくれるとは思いもよらなかった。

「友弥と涼に連絡するわ」

 幸介が資料を受け取る。今まさに仕事に当たっている二人に資料の情報をまとめて伝達するのだろう。ここで話せばレプリカの眠りを邪魔するからと場所を移してくれるようだ。

「レプさんは?」

 ヨウがソファーに座ったまま頭だけだらりと仰け反らせ、逆さの視界で幸介に尋ねた。

「寝かしといてやろ。一人で帰らせるのも心配だしさ」

 幸介は優しい顔つきでそう言う。だよな、とヨウも賛成して二階に上がっていく幸介を見送った。
 レプリカは銃の携帯をしていないほどに殺し合いというものに馴染みがない。彼曰く、慣れないものは持ち歩くほうが危険だからと。
 レプリカが持っているのはピッキングツールを始めとする盗み屋としての仕事道具と申し訳程度のナイフ一本だけだ。それも人を切る用のナイフではなく、縄やらそんなものを切る用途だ。
 青白い顔でぐったりと眠っている様子を見ればこんな治安の悪い街を一人で歩かせようとは思えない。レプリカもそれなりに恨みを買っているはずで、普段はどう対処しているのか皆目見当もつかない。側にいれば守ってやることもあるが、一人の時はそれなりにうまく逃げているのだろう。
 このままだと風邪ひきそうだな、とヨウはブランケットを持ってきてレプリカにかけてやった。ソファーで誰かしら寝てしまうことが多いので常備されているものだ。半端に腰掛けていた足もソファーに乗っけてやり、眠りやすいような体勢にしてやった。
 寒いというほどでもないが雨のせいで気温が下がっている上に、レプリカは髪を濡らしてしまっている。もしかしたらまだ冷えるかもしれないとヨウはタオルケットも持ってきてさらに上から被せてやった。
 涼が見れば珍しいと目を瞠るのだろうが、案外人の世話を焼くのは嫌いではない。ヨウは向かいのソファーに戻ると適度にぬるい茶を啜った。レプリカの連絡で起こされた時は眠気もあったが、仕事のスイッチが入ったためそれもどこかにいってしまった。さてどうしようかと鼠色の空を見やり、しとしとと続く雨の音を聞いていた。





 水の中にいるような薄ぼけた感覚に低い声が入ってきた。ふっと呼吸が浅くなり、眠りに片足を突っ込んだまま意識だけが浮上する。抑えられた声は案外響いてよく聞こえた。

「じゃあそっち頼むわ」
「おー、なんかあったら電話して」

 ぼそぼそとそんなやりとりがあり、ガチャンと小さく扉の閉まる音が聞こえた。誰かが出ていったようだ。レプリカは薄く目を開く。焦点の合わない視界には見慣れぬ色味の天井があった。ここがどこだか分からずにレプリカは眉を顰める。ぼうっと視線をさまよわせれば高い位置に赤色が見えた。視線に気づいたのかくるりとこちらを振り返り、笑みを浮かべる。

「起きた?」

 控えめな声で言われてレプリカはゆっくりと瞬く。目に映っているのがヨウだと遅れて気づいた。自分が眠っているのが自室ではなくヨウの家だと理解すると慌てて体を起こす。
 正確には、起こそうとした。完全に体は休息に入っていたらしく、急な行動についていけずにがくりと揺れてソファーの柔らかさに逆戻りした。手も足もじんじんと痺れている。揺さぶられた頭が重い。ぼふっと沈んだレプリカを見てヨウがあーあと言いたげに口端を歪めた。

「……どんくらい寝てた?」

 ひとまず起き上がることを諦め、レプリカは横目でヨウを見やる。ヨウは時計に目をやり、半日くらい、と返す。とすれば今はもう夕方になる頃だろう。眠りに落ちる前と変わらず部屋は灰色で、まだ雨の音が聞こえていた。
 レプリカは今度は気をつけてゆっくりと体を起こす。眠りすぎたのかまだぼうっとした心地が抜けない。ぱさりと体からブランケットとタオルケットが重なってずり落ち、誰かがかけてくれていたのが分かった。

「ごめん」

 居座られて迷惑だっただろうと寝起きの掠れた声で謝る。

「全然。おかげで今夜中に片付きそうだし」

 ヨウは冷蔵庫から茶のペットボトルを出して手渡してくれた。やっと力が入るようになり始めた手で少し苦戦してから開けると喉を潤す。

「俺はサボれてラッキーだわ」

 にしっといたずらっぽく笑うヨウに、やはり自分がいたせいでヨウはここに残る羽目になったのではないかとじっとりと見やる。

「俺もう帰るし、今からでも……」

 先ほどの会話はヨウが幸介を送り出したものだったのだろうと思い当たる。だったらまだそう時間は経っていないはずだ。腰を上げようとするレプリカを、誤解するなとヨウが引き止める。もともと一人はここにいる予定で、大抵こういう時は幸介が事務所に残るらしい。それを今日はレプリカがいるからと一番仲のいいヨウが留守を任されたそうだ。

「レプさんどうせ暇っしょ? 飯食ってく? デリバリーだけど」

 そう言いながらヨウは上機嫌に気になっていたというチラシを引っ張り出してくる。どうせ暇って、と失礼な物言いが引っかかるが他に仕事を入れているわけもない。

「ヨウくんの奢り?」
「謝礼から引いとくわ」

 当然のように言われてケチ、と言い返す。ヨウはけらけらと愉快そうに笑ってチラシをレプリカに差し出した。
 厚い雲のせいで外はすっかり暗くなってしまっている。雨が止むまでいればいいと、留守番が退屈なヨウに付き合って結局一晩中いることになるのだった。
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