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幼きもの
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少年はぐっと息を詰まらせ、瞳を揺らした。縮み上がる肺に酸素を取り込もうとする動きが見られた。このままでは叫ばれる。もう限界だと飛び出そうとした瞬間だった。
「ありがとう」
少年は顔いっぱいに笑顔を浮かべ、心底安堵したようにそう言ってみせた。ヨウはその場に固まってしまう。この歳の子供らしい無垢な笑顔が傍に転がる肉親の死体とあまりに不釣り合いだった。怖いものなどないと豪語するヨウでさえゾッと嫌なものが胸に落ちる。殺していた呼吸が一瞬間乱れた。
「……普通の子供は、そんなことは言わないものだよ」
鼓動さえ揺らがないというように友弥は変わらぬ声で嗜めた。ヨウはもはや自分が介入することではないと悟って懐から手を抜き、事態をただ見守る。見上げた友弥の目はそのまま闇に溶けてしまいそうなほど暗く、相変わらず何も読み取らせてはくれなかった。
「俺たちがいなくなったら隣に助けを求めるんだ。親の死を悲しんで、怖かったと言って泣くんだよ」
友弥の淡々とした声からは同情や憐憫、恐怖、嫌悪、なにひとつ伝わってこない。少年はただじっと暗がりの中に浮かび上がる影を見つめてその言葉を聞いている。
「君は隠れていたから俺たちに会わなかった。だから助かった。いいね?」
言い聞かせるような友弥の声に少年は神妙な顔つきで頷いた。彼は犯人の顔など見ていない、何も知らない生き残りの子供だ。それが自分のためになるとこの歳でもきちんと理解したらしい。その聡明さは、きっと彼が生きるために必要だったから身についたものなのだろう。
友弥の目が一瞬細まって瞳だけで軽く笑んだのが分かった。初めてヨウへと視線が投げられ、身構えて先を待つ。友弥は退却すると目で言っていた。ヨウは頷いて友弥に続く。友弥はあらかじめ開いておいた窓から身軽に飛び出すと家の裏に静かに着地した。
しんとした住宅地を後にして無言で車に向かう。明るい車内でエンジン音が鳴り、アクセルを踏み込んでもどちらも何も話さなかった。車の駆動音だけが無機質に続いていた。
「……ごめん。こんなの、公私混同だね」
ぽつりと落ちた声に沈黙が破られる。隣のヨウにやっと聞こえるような小さな声で友弥は言った。横目で見やるが、窓枠に肘をついて外を見ている友弥の表情は分からない。フードを取り去った後ろ頭が映るだけだった。ヨウは前を向き直って運転を続けた。
「いいんじゃねえの、自由にやれば」
ヨウの答えは昔から変わらない。仕事だからと殺したくない相手を殺す必要もない。依頼人の方が気に入らなければそちらを殺してしまっても構わない。楽しければ一般人だって殺せばいい。今更法だの道徳だので縛られるような体は持ち合わせてはいない。だから自分の信じるやり方でやれば、それでいい。
友弥は何も返さない代わりに一呼吸分の笑いを零した。ふっと微笑んだのがヨウの耳に届く。
それから先は会話もなく、ただ家に向かって車を走らせた。友弥は眠ってはいないようで、薄い呼吸の気配が左側に感じられた。車の流れに乗りながら、ヨウはなんとなく他人の家の空気を思い返していた。そして薄闇のかかった友弥の横顔を。
普通の子供、と友弥は言った。あの少年がこれから普通の子供として生きていくための手ほどきの様だったと、ふと思う。ヨウの知らない顔でそう語った彼はどんな子供だったのだろう。
それ以上は余計だと、わざと思考を停滞させる。隠しているにしろ機会がなかったにしろ、本人が話していないのだから必要のないことだ。共に過ごしていればそのうち聞くこともあるだろう。
「なんか小腹空かない?」
少しばかり真面目な顔をしていたヨウの思考はあっけらかんとした声にかき乱された。へ、と友弥を見ればすっかり仕事の顔は消え、キラキラとした目でラーメンが食べたいと言ってきた。
「悩んでたんだけどね、やっぱり夜食って言えばラーメンかなーって」
どうやら窓を流れる店の看板を見ているうちにどんどん腹が減ってきたらしい。言われてみれば急速に空腹になったように思えた。麺の食感とスープの香りが口中に広がるように感じてじわっと唾液が滲む。
「よし、幸介に電話だ」
早速ヨウは近くのラーメン屋を目指して角を曲がる。友弥はすぐさま幸介に連絡を取り、夜食を終えてから帰る旨を伝えたようだった。
「たーんたんめーん」
友弥は真っ赤なスープでも想像したのか、何やらよく分からない歌を口ずさんでいる。なんだそれ、と思わず噴き出してヨウはアクセルを踏む足に力を入れた。きちんと辛い担々麺を出す店に行かねばなるまい。二人はすっかりいつも通りの緩さで暖簾をくぐるのだった。
「ありがとう」
少年は顔いっぱいに笑顔を浮かべ、心底安堵したようにそう言ってみせた。ヨウはその場に固まってしまう。この歳の子供らしい無垢な笑顔が傍に転がる肉親の死体とあまりに不釣り合いだった。怖いものなどないと豪語するヨウでさえゾッと嫌なものが胸に落ちる。殺していた呼吸が一瞬間乱れた。
「……普通の子供は、そんなことは言わないものだよ」
鼓動さえ揺らがないというように友弥は変わらぬ声で嗜めた。ヨウはもはや自分が介入することではないと悟って懐から手を抜き、事態をただ見守る。見上げた友弥の目はそのまま闇に溶けてしまいそうなほど暗く、相変わらず何も読み取らせてはくれなかった。
「俺たちがいなくなったら隣に助けを求めるんだ。親の死を悲しんで、怖かったと言って泣くんだよ」
友弥の淡々とした声からは同情や憐憫、恐怖、嫌悪、なにひとつ伝わってこない。少年はただじっと暗がりの中に浮かび上がる影を見つめてその言葉を聞いている。
「君は隠れていたから俺たちに会わなかった。だから助かった。いいね?」
言い聞かせるような友弥の声に少年は神妙な顔つきで頷いた。彼は犯人の顔など見ていない、何も知らない生き残りの子供だ。それが自分のためになるとこの歳でもきちんと理解したらしい。その聡明さは、きっと彼が生きるために必要だったから身についたものなのだろう。
友弥の目が一瞬細まって瞳だけで軽く笑んだのが分かった。初めてヨウへと視線が投げられ、身構えて先を待つ。友弥は退却すると目で言っていた。ヨウは頷いて友弥に続く。友弥はあらかじめ開いておいた窓から身軽に飛び出すと家の裏に静かに着地した。
しんとした住宅地を後にして無言で車に向かう。明るい車内でエンジン音が鳴り、アクセルを踏み込んでもどちらも何も話さなかった。車の駆動音だけが無機質に続いていた。
「……ごめん。こんなの、公私混同だね」
ぽつりと落ちた声に沈黙が破られる。隣のヨウにやっと聞こえるような小さな声で友弥は言った。横目で見やるが、窓枠に肘をついて外を見ている友弥の表情は分からない。フードを取り去った後ろ頭が映るだけだった。ヨウは前を向き直って運転を続けた。
「いいんじゃねえの、自由にやれば」
ヨウの答えは昔から変わらない。仕事だからと殺したくない相手を殺す必要もない。依頼人の方が気に入らなければそちらを殺してしまっても構わない。楽しければ一般人だって殺せばいい。今更法だの道徳だので縛られるような体は持ち合わせてはいない。だから自分の信じるやり方でやれば、それでいい。
友弥は何も返さない代わりに一呼吸分の笑いを零した。ふっと微笑んだのがヨウの耳に届く。
それから先は会話もなく、ただ家に向かって車を走らせた。友弥は眠ってはいないようで、薄い呼吸の気配が左側に感じられた。車の流れに乗りながら、ヨウはなんとなく他人の家の空気を思い返していた。そして薄闇のかかった友弥の横顔を。
普通の子供、と友弥は言った。あの少年がこれから普通の子供として生きていくための手ほどきの様だったと、ふと思う。ヨウの知らない顔でそう語った彼はどんな子供だったのだろう。
それ以上は余計だと、わざと思考を停滞させる。隠しているにしろ機会がなかったにしろ、本人が話していないのだから必要のないことだ。共に過ごしていればそのうち聞くこともあるだろう。
「なんか小腹空かない?」
少しばかり真面目な顔をしていたヨウの思考はあっけらかんとした声にかき乱された。へ、と友弥を見ればすっかり仕事の顔は消え、キラキラとした目でラーメンが食べたいと言ってきた。
「悩んでたんだけどね、やっぱり夜食って言えばラーメンかなーって」
どうやら窓を流れる店の看板を見ているうちにどんどん腹が減ってきたらしい。言われてみれば急速に空腹になったように思えた。麺の食感とスープの香りが口中に広がるように感じてじわっと唾液が滲む。
「よし、幸介に電話だ」
早速ヨウは近くのラーメン屋を目指して角を曲がる。友弥はすぐさま幸介に連絡を取り、夜食を終えてから帰る旨を伝えたようだった。
「たーんたんめーん」
友弥は真っ赤なスープでも想像したのか、何やらよく分からない歌を口ずさんでいる。なんだそれ、と思わず噴き出してヨウはアクセルを踏む足に力を入れた。きちんと辛い担々麺を出す店に行かねばなるまい。二人はすっかりいつも通りの緩さで暖簾をくぐるのだった。
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