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迷い込んだ舞台裏
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「本日はお忙しい中おいでくださいましてありがとうございます」
壇上に上がった主催が長々とした挨拶を述べている。ヨウは渡されたシャンパングラスを片手にそっと会場を見回していた。着飾った男女はほとんどが主催の裏の顔など知らないはずだ。取引の場を押さえて殺すとしても周囲の目を盗まねばならないと思うと少し憂鬱だ。暗殺なら友弥の得意分野ではないかと思いながら算段を立てる。
取引はまさかこんな大広間でやるとは思えない。片隅には食事が乗ったテーブルが並び、バーカウンターまである。ところどころに点在したテーブルは立食用だろう。見上げれば大きなシャンデリアがいくつかぶら下がっており、天井も高い。金持ちの世界は違うと思うばかりだ。
主催が裏に引っ込むことがあればおそらくそれが取引の時だろう。
乾杯の音頭がとられ、皆がグラスを掲げる。ヨウも合わせて軽くグラスをあげると少しだけ口をつけた。飲み慣れないシャンパンの味はヨウにはあまり好ましくは思えなかった。
あちらこちらで歓談が始まり、食事をとりに行くものが現れる。主催が挨拶回りを始めたようだった。ヨウは目立たぬように壁際で気配を消す。パーティーへの潜入なら涼や幸介が適任ではないかと思ったが、あの二人ならすぐに捕まって話の方に夢中になってしまいそうだ。
誰もが知り合いへの挨拶を始めているようだった。当然ヨウに金持ちの知り合いはいないので話しかけてくるものはない。
ヨウは注意深く参加者を監視する。この中に取引をしようと紛れているものがいるはずなのだ。あえてこんなに目立つ場で取引を行おうとしているせいでヨウ達へ依頼してきた者に目をつけられてしまったようだが、果たしてその意図はどこにあるのか。木を隠すなら森の中というように人を隠すなら人の中、というわけなのかもしれない。まさかこんな華やかな場で金と薬が動いているとは夢にも思うまい。
タキシード姿の男性の中、色とりどりのドレス姿で華を添える女性達。あちらこちらで聞こえる話し声が混ざって音となり旋律のように耳に入ってくる。見ただけではやはり分からぬよう装われているようだ。
ヨウが頼るのは己の嗅覚だった。巧妙に隠そうとも裏の人間には独特の雰囲気があるものだ。主催がいくら人のいい笑みを浮かべてもヨウには嘘くさく見えていたように、この中にも異分子が混ざっている。
磨かれた床をコツコツと叩いていく革靴とヒールの音。怪しまれぬ程度にグラスの中身を減らしながら主催の動きを見る。冷静に観察していながらもいつ声をかけられるのかと内心気が気ではない。父がお世話になって、とでも言えばいいのか、金持ちの息子らしい受け答えなどできるはずもない。それとなく目を合わせぬようにしながら早く取引でもなんでもしてくれと思っていた。
ひとつため息を吐いてヨウは壁際を離れる。あまり動かなすぎるのもかえって目立つ。気の利くボーイが何か食べるものをとって来ようかと声をかけてくる前に、食事をもらって来ようとそちらに歩き出した。なにせ並んでいる料理も豪華で美味そうだ。周囲の人間は少しつまむくらいのようだがこれが仕事でなければ皿に所狭しと盛って食べまくるものを。
「……っと、失礼」
すぐ近くで男が女性に軽くぶつかったらしい。何気なくそちらに注意を向けると、料理の芳香に混じって一瞬独特な甘い匂いが鼻先を掠めた。香水とはまた違うその臭気にヨウは悟られぬようにしながら男の姿を目に捉える。
一見どこにでもいそうな好青年だが、ヨウは微かに目を細める。麻薬常習者の体臭が嗅ぎ分けられないわけがない。こいつだ、と確信した瞬間さりげなく目を戻した。後は気づかれぬよう動向を見ていればいいだけのこと。
ヨウはこれで一体何を乗せろというのかというほど小さな皿に数種料理をもらうと隅の方へと戻った。思わず顔を輝かせながらそれをつまみ、シャンパンに口をつける。コーラが飲みたいと思いながら目を伏せているとどこからか視線を感じた。
反射的に目を上げるとこちらを見ている女性と視線がぶつかった。しまったと思ったがすぐには目が離せず数秒見つめ合う。
紺色のカクテルドレスは品がよく、緩くウェーブがかかった長い髪と合わせて知性的に見えた。露わになった肩は白く、ネックレスが華奢な首元で光っている。均整のとれた体つきだけでなく、モデルや女優とも見間違うような顔立ちにしばし見惚れる。ヨウが目を逸らした時には遅く、彼女は一歩を踏み出していた。
「あの……」
控えめな声にヨウは女性を見下ろす。黒目がちな瞳に見上げられて心拍数を上げながらも何食わぬ顔で返事をした。ぶっきらぼうな対応に怖気付いたのか、長い睫毛が微かに揺れる。
「よかったらお飲み物、どうぞ」
少し赤らんだ頬を見つめていれば彼女は新しいグラスを差し出した。
「どうも……」
手元のグラスが空になっていることに気づき、ヨウは目礼してそれを受け取る。女性はヨウが手に取ってくれたことが嬉しかったのか表情を明るくし、深く頭を下げると足早に離れていってしまった。
ヨウはしばしぼうっと揺れる髪を眺める。少し離れたところで友人らしき女性と二人で話してははにかんだ笑顔を見せていた。何やら話しながらちらりとヨウの方を見やる。ばちりと視線が合い、ヨウは礼の意味を含んで軽くグラスを持ち上げてみせた。女性は恥ずかしげに顔を逸らしてしまい友人におかしそうに笑われている。
美人にそんな反応をされれば悪い気はせず、ヨウは緩んだ顔をグラスに隠す。
そういえば目を離してしまったと慌てて主催の姿を探せば、話していた相手に何事か断って席を外すようだった。マークしていた男へ視線をやればそれに合わせて場を離れようとしているのが分かる。おそらく今だ、とヨウは静かに緊張を高めていった。主催が広間を出て、少ししてから男が出ていく。ヨウは怪しまれぬよう間を空けてその後を追った。
壇上に上がった主催が長々とした挨拶を述べている。ヨウは渡されたシャンパングラスを片手にそっと会場を見回していた。着飾った男女はほとんどが主催の裏の顔など知らないはずだ。取引の場を押さえて殺すとしても周囲の目を盗まねばならないと思うと少し憂鬱だ。暗殺なら友弥の得意分野ではないかと思いながら算段を立てる。
取引はまさかこんな大広間でやるとは思えない。片隅には食事が乗ったテーブルが並び、バーカウンターまである。ところどころに点在したテーブルは立食用だろう。見上げれば大きなシャンデリアがいくつかぶら下がっており、天井も高い。金持ちの世界は違うと思うばかりだ。
主催が裏に引っ込むことがあればおそらくそれが取引の時だろう。
乾杯の音頭がとられ、皆がグラスを掲げる。ヨウも合わせて軽くグラスをあげると少しだけ口をつけた。飲み慣れないシャンパンの味はヨウにはあまり好ましくは思えなかった。
あちらこちらで歓談が始まり、食事をとりに行くものが現れる。主催が挨拶回りを始めたようだった。ヨウは目立たぬように壁際で気配を消す。パーティーへの潜入なら涼や幸介が適任ではないかと思ったが、あの二人ならすぐに捕まって話の方に夢中になってしまいそうだ。
誰もが知り合いへの挨拶を始めているようだった。当然ヨウに金持ちの知り合いはいないので話しかけてくるものはない。
ヨウは注意深く参加者を監視する。この中に取引をしようと紛れているものがいるはずなのだ。あえてこんなに目立つ場で取引を行おうとしているせいでヨウ達へ依頼してきた者に目をつけられてしまったようだが、果たしてその意図はどこにあるのか。木を隠すなら森の中というように人を隠すなら人の中、というわけなのかもしれない。まさかこんな華やかな場で金と薬が動いているとは夢にも思うまい。
タキシード姿の男性の中、色とりどりのドレス姿で華を添える女性達。あちらこちらで聞こえる話し声が混ざって音となり旋律のように耳に入ってくる。見ただけではやはり分からぬよう装われているようだ。
ヨウが頼るのは己の嗅覚だった。巧妙に隠そうとも裏の人間には独特の雰囲気があるものだ。主催がいくら人のいい笑みを浮かべてもヨウには嘘くさく見えていたように、この中にも異分子が混ざっている。
磨かれた床をコツコツと叩いていく革靴とヒールの音。怪しまれぬ程度にグラスの中身を減らしながら主催の動きを見る。冷静に観察していながらもいつ声をかけられるのかと内心気が気ではない。父がお世話になって、とでも言えばいいのか、金持ちの息子らしい受け答えなどできるはずもない。それとなく目を合わせぬようにしながら早く取引でもなんでもしてくれと思っていた。
ひとつため息を吐いてヨウは壁際を離れる。あまり動かなすぎるのもかえって目立つ。気の利くボーイが何か食べるものをとって来ようかと声をかけてくる前に、食事をもらって来ようとそちらに歩き出した。なにせ並んでいる料理も豪華で美味そうだ。周囲の人間は少しつまむくらいのようだがこれが仕事でなければ皿に所狭しと盛って食べまくるものを。
「……っと、失礼」
すぐ近くで男が女性に軽くぶつかったらしい。何気なくそちらに注意を向けると、料理の芳香に混じって一瞬独特な甘い匂いが鼻先を掠めた。香水とはまた違うその臭気にヨウは悟られぬようにしながら男の姿を目に捉える。
一見どこにでもいそうな好青年だが、ヨウは微かに目を細める。麻薬常習者の体臭が嗅ぎ分けられないわけがない。こいつだ、と確信した瞬間さりげなく目を戻した。後は気づかれぬよう動向を見ていればいいだけのこと。
ヨウはこれで一体何を乗せろというのかというほど小さな皿に数種料理をもらうと隅の方へと戻った。思わず顔を輝かせながらそれをつまみ、シャンパンに口をつける。コーラが飲みたいと思いながら目を伏せているとどこからか視線を感じた。
反射的に目を上げるとこちらを見ている女性と視線がぶつかった。しまったと思ったがすぐには目が離せず数秒見つめ合う。
紺色のカクテルドレスは品がよく、緩くウェーブがかかった長い髪と合わせて知性的に見えた。露わになった肩は白く、ネックレスが華奢な首元で光っている。均整のとれた体つきだけでなく、モデルや女優とも見間違うような顔立ちにしばし見惚れる。ヨウが目を逸らした時には遅く、彼女は一歩を踏み出していた。
「あの……」
控えめな声にヨウは女性を見下ろす。黒目がちな瞳に見上げられて心拍数を上げながらも何食わぬ顔で返事をした。ぶっきらぼうな対応に怖気付いたのか、長い睫毛が微かに揺れる。
「よかったらお飲み物、どうぞ」
少し赤らんだ頬を見つめていれば彼女は新しいグラスを差し出した。
「どうも……」
手元のグラスが空になっていることに気づき、ヨウは目礼してそれを受け取る。女性はヨウが手に取ってくれたことが嬉しかったのか表情を明るくし、深く頭を下げると足早に離れていってしまった。
ヨウはしばしぼうっと揺れる髪を眺める。少し離れたところで友人らしき女性と二人で話してははにかんだ笑顔を見せていた。何やら話しながらちらりとヨウの方を見やる。ばちりと視線が合い、ヨウは礼の意味を含んで軽くグラスを持ち上げてみせた。女性は恥ずかしげに顔を逸らしてしまい友人におかしそうに笑われている。
美人にそんな反応をされれば悪い気はせず、ヨウは緩んだ顔をグラスに隠す。
そういえば目を離してしまったと慌てて主催の姿を探せば、話していた相手に何事か断って席を外すようだった。マークしていた男へ視線をやればそれに合わせて場を離れようとしているのが分かる。おそらく今だ、とヨウは静かに緊張を高めていった。主催が広間を出て、少ししてから男が出ていく。ヨウは怪しまれぬよう間を空けてその後を追った。
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