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曼珠沙華
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不毛の土地に、太陽は容赦なく照りつける。地平線よりもずっと向こう。永遠に続く。そこに一本の道があった。その道は、荒野を一直線に伸びていき、荒野と同様、際限なく永遠と続いていた。誰が、何のために敷いた道なのか、何もかもわからないこの道の、一つ知られていることがある。それは、この道には、居場所を追われた追放者が通ることである。このことから、追放者の道と呼ばれていた。そして、この延々と続く道を歩くものが一人…
男は、薄汚いボロ雑巾のような、服ともつかない布地を身にまとていた。顔は、汗やら涙やらでぐっしょりとしていて、打ちひしがれた、疲れとも諦めとも受け取れるような、血色の悪い、乾いたものだった。皮肉な話だ。容赦のない太陽は、依然と彼と大地を、灼熱の地獄へと陥れる。彼は、熱光を浴び続けたからだろうか、なぜ彼自身がこの道を歩むのかをわかっていなかった。しかし、追放者の道を歩くということは、自分には居場所はもう存在しないのだろう、そう男は悟っていた。男は延々と続く道を、三日三晩、歩き続けていたのだ。
男の身体は、腕が糸を切られたパペット人形のようにだらりと下を向いていて、脚は重苦しくギシギシと壊れそうな音を立てながら動いている。身体中には、痛みという痛みが列車の如く駆け抜け、男の進めという、ある意味、本能に近い意思に曇りをかけていた。
ある時、男は人骨と出会った。その人骨は、女のもので、太陽に射たれて白く光っていた。男の、進めという意思が、本能とは違った理由とは、この人骨が視界に入った途端、それめがけて進みだしたということに起因する。なお、その人骨の周りには、水たまりがあったであろう、干からびた窪みと枯れた草木、薄汚いが衣服と見分けがつく洋装があった。見たところ、彼女はキャリアウーマンだったのだろう。足から脱げ落ちているヒールがすり減った黒いパンプスが物語っている。彼女も居場所を追われたのだろう。しかし、彼女は、可哀想に、道半ば死んでしまったのだろうか。男は、亡き同士に同情の思いと不安を感じ出した。それと同時に、何故か、自分が進まなければならない理由ができたのだ。同士が、道半ばで倒れたのを、目の当たりにしたというのもあるのだが、それよりも衝撃だったのだ。今まで、自分以外、追放者の存在なんぞにかまってはいられなかったのだが、同士の存在、亡骸にしろ、存在していたことが男に衝撃を与えたのだ。そして彼は、思い出したのだ。おぼろげだが、それでも彼には十分だった。前に進まなければならない、そう彼は自分に言い聞かせた。
男は、会社員をしていた。年甲斐にしてはそこそこの地位に上り詰めた、いわばできるやつだった。そんな男が、追放者の道を歩くとなると、余程落ちぶれたのだろうと、そう思うのは必然的なことだろう。しかし、男がその道を歩み始めるにあたり、「余程」など必要としなかった。ある時、勝手に経済が不景気になり、勝手に会社の経営が傾き、勝手にリストラに会い、勝手にフィアンセに指輪を置いて逃げられた。少なくとも、男の解釈上、勝手さえあれば、誰でも追放者の道を歩むのだ。勝手…そう回想にふけりながら男は、ふと懐中を弄ると、そこには一輪の彼岸花。それを人骨の下に突き刺すと、敬意を胸に、男の足取りは道の先へと向かった。
男の身体は、確実にガタが入ってきている。太陽の容赦ない光に飽き足らず、これまた三日三晩、ほぼ静止することなく進み続けたからである。男をここまで突き動かしたのは、同士への敬意の余韻もあるのだろうが、それよりも、脚を止めれば、確実に動けなくなると、無意識に理解していたからであった。脚を絶え間なく前に出していると、男はふと、この先、何が待ち受けるのかと煩い出した。延々と続き、地平線のその先、続く道を歩いて何になるのか…そのような邪念が、彼の心を曇らせ、敬意の余韻をかき消した。そんなとき、彼は懐中を弄り、一輪の花を引っ張り出し、心を保とうと試みた。その花、彼岸花は、スラリとした緑色の茎から赤々とした花びら、つぼみ、そして雄しべと雌しべが、蜘蛛の足の如く生えていた。花を見ると、まだ進まなければ…と、その花のような熱い決意で心を満たされるのだ。幾度となく、この花が、心を保たせてくれたのだろうか。身体を駆け巡る痛みを忘れて、前に進むことができるのだ。
彼岸花、またの名を曼珠沙華は、古来、不吉の象徴として、飢饉時には貴重な食料として、人間と営みをともにしてきた。葉を生やすことなく、秋に突然現れ、冬という死季の到来を告げる使者としても、生えたと地にモグラや虫が寄り付かなくなるというのも、不吉さに起因するものであろう。その花は、印象とは裏腹に、赤々と激しく、妖艶な見た目をしていて、見たものを虜にする、刺激的な様相を呈していた。
男は、進み続けると、そこには、一面に広がる彼岸花。男の身体は、もう限界を迎えていた。花を手にした男は、その妖艶な花原に向かって、脚を進めていた。花たちは男を求め、男はそれに応えた。男の手足めがけて、彼岸花たちは、雄しべと雌しべを器用にくねらせながら絡みつけた。男は、絡みついた雄しべと雌しべに、道を歩み始めてからずっと味わったことのない、圧倒的な安心感と、暖かく包み込む快楽に恍惚とした表情を浮かべながら、花原めがけて進んだ。雄しべや雌しべからは、快楽と安心、そして痛みを伴う毒が流し込まれていた。たちまち男の身体は、痛みのあまり、花原の中心で崩れ落ちた。次第に、痛みは和らぎに変わり、和らぎの代償に、身体の自由を奪われるにまでに至った。男は考えた。なぜ、道半ば倒れてしまったのか。手に握られた花、出会った人骨(どうし)。花たちは、男を赤々と妖艶に、且つ、甘く包み込む。男の頭の中で、ぐるぐる巡っていた思考がある結論に至った。男は涙を一粒流し、最後に一言。「ただいま…」
荒野は、地平線を超えて延々と続き、そこには一本の道が続いていた。道には、水たまりがあったであろう窪みと枯れた草、その傍らに人骨が。その先には、かつて満面に咲き誇っていたのであろう、枯れた花の跡がずっと続いていた。その中心に一輪、赤々と花は、勝手に咲いていた。
男は、薄汚いボロ雑巾のような、服ともつかない布地を身にまとていた。顔は、汗やら涙やらでぐっしょりとしていて、打ちひしがれた、疲れとも諦めとも受け取れるような、血色の悪い、乾いたものだった。皮肉な話だ。容赦のない太陽は、依然と彼と大地を、灼熱の地獄へと陥れる。彼は、熱光を浴び続けたからだろうか、なぜ彼自身がこの道を歩むのかをわかっていなかった。しかし、追放者の道を歩くということは、自分には居場所はもう存在しないのだろう、そう男は悟っていた。男は延々と続く道を、三日三晩、歩き続けていたのだ。
男の身体は、腕が糸を切られたパペット人形のようにだらりと下を向いていて、脚は重苦しくギシギシと壊れそうな音を立てながら動いている。身体中には、痛みという痛みが列車の如く駆け抜け、男の進めという、ある意味、本能に近い意思に曇りをかけていた。
ある時、男は人骨と出会った。その人骨は、女のもので、太陽に射たれて白く光っていた。男の、進めという意思が、本能とは違った理由とは、この人骨が視界に入った途端、それめがけて進みだしたということに起因する。なお、その人骨の周りには、水たまりがあったであろう、干からびた窪みと枯れた草木、薄汚いが衣服と見分けがつく洋装があった。見たところ、彼女はキャリアウーマンだったのだろう。足から脱げ落ちているヒールがすり減った黒いパンプスが物語っている。彼女も居場所を追われたのだろう。しかし、彼女は、可哀想に、道半ば死んでしまったのだろうか。男は、亡き同士に同情の思いと不安を感じ出した。それと同時に、何故か、自分が進まなければならない理由ができたのだ。同士が、道半ばで倒れたのを、目の当たりにしたというのもあるのだが、それよりも衝撃だったのだ。今まで、自分以外、追放者の存在なんぞにかまってはいられなかったのだが、同士の存在、亡骸にしろ、存在していたことが男に衝撃を与えたのだ。そして彼は、思い出したのだ。おぼろげだが、それでも彼には十分だった。前に進まなければならない、そう彼は自分に言い聞かせた。
男は、会社員をしていた。年甲斐にしてはそこそこの地位に上り詰めた、いわばできるやつだった。そんな男が、追放者の道を歩くとなると、余程落ちぶれたのだろうと、そう思うのは必然的なことだろう。しかし、男がその道を歩み始めるにあたり、「余程」など必要としなかった。ある時、勝手に経済が不景気になり、勝手に会社の経営が傾き、勝手にリストラに会い、勝手にフィアンセに指輪を置いて逃げられた。少なくとも、男の解釈上、勝手さえあれば、誰でも追放者の道を歩むのだ。勝手…そう回想にふけりながら男は、ふと懐中を弄ると、そこには一輪の彼岸花。それを人骨の下に突き刺すと、敬意を胸に、男の足取りは道の先へと向かった。
男の身体は、確実にガタが入ってきている。太陽の容赦ない光に飽き足らず、これまた三日三晩、ほぼ静止することなく進み続けたからである。男をここまで突き動かしたのは、同士への敬意の余韻もあるのだろうが、それよりも、脚を止めれば、確実に動けなくなると、無意識に理解していたからであった。脚を絶え間なく前に出していると、男はふと、この先、何が待ち受けるのかと煩い出した。延々と続き、地平線のその先、続く道を歩いて何になるのか…そのような邪念が、彼の心を曇らせ、敬意の余韻をかき消した。そんなとき、彼は懐中を弄り、一輪の花を引っ張り出し、心を保とうと試みた。その花、彼岸花は、スラリとした緑色の茎から赤々とした花びら、つぼみ、そして雄しべと雌しべが、蜘蛛の足の如く生えていた。花を見ると、まだ進まなければ…と、その花のような熱い決意で心を満たされるのだ。幾度となく、この花が、心を保たせてくれたのだろうか。身体を駆け巡る痛みを忘れて、前に進むことができるのだ。
彼岸花、またの名を曼珠沙華は、古来、不吉の象徴として、飢饉時には貴重な食料として、人間と営みをともにしてきた。葉を生やすことなく、秋に突然現れ、冬という死季の到来を告げる使者としても、生えたと地にモグラや虫が寄り付かなくなるというのも、不吉さに起因するものであろう。その花は、印象とは裏腹に、赤々と激しく、妖艶な見た目をしていて、見たものを虜にする、刺激的な様相を呈していた。
男は、進み続けると、そこには、一面に広がる彼岸花。男の身体は、もう限界を迎えていた。花を手にした男は、その妖艶な花原に向かって、脚を進めていた。花たちは男を求め、男はそれに応えた。男の手足めがけて、彼岸花たちは、雄しべと雌しべを器用にくねらせながら絡みつけた。男は、絡みついた雄しべと雌しべに、道を歩み始めてからずっと味わったことのない、圧倒的な安心感と、暖かく包み込む快楽に恍惚とした表情を浮かべながら、花原めがけて進んだ。雄しべや雌しべからは、快楽と安心、そして痛みを伴う毒が流し込まれていた。たちまち男の身体は、痛みのあまり、花原の中心で崩れ落ちた。次第に、痛みは和らぎに変わり、和らぎの代償に、身体の自由を奪われるにまでに至った。男は考えた。なぜ、道半ば倒れてしまったのか。手に握られた花、出会った人骨(どうし)。花たちは、男を赤々と妖艶に、且つ、甘く包み込む。男の頭の中で、ぐるぐる巡っていた思考がある結論に至った。男は涙を一粒流し、最後に一言。「ただいま…」
荒野は、地平線を超えて延々と続き、そこには一本の道が続いていた。道には、水たまりがあったであろう窪みと枯れた草、その傍らに人骨が。その先には、かつて満面に咲き誇っていたのであろう、枯れた花の跡がずっと続いていた。その中心に一輪、赤々と花は、勝手に咲いていた。
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