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言葉を発せなくても

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一般の病室に移されたあと、初めて面会した時、母は、言葉を発することができなくなっていた。
しかし、一見、眠っているように見えても、私の様子や言葉はわかっているようだった。

短期間だけ事実婚状態にあった人のことを、彼が単なるご近所さんだった頃のように、
「Yさん、母国に帰ったよ」
とだけ伝えた。

一度だけ彼と一緒に特養を訪れた時も、ご近所さんの一人が一緒に来てくれたという感じで会話をしただけだ。

あの時の帰り際、彼に「よろしくお願いします」と言ったのは、ご近所さんとして、という意味だったのかどうか、今は知るよしもない。
(母は、彼の奥さんの死を知らないはずだけど。)

「一回だけは結婚してみたら?」
と言われていたのを、事実婚という形で果たしたことは、言わずに終わった。


病室を出ようとすると、
「あー、あー」
と、言葉にならない声を発して、引き留めようとしているのを全身で伝えてきた。

「今、新しい感染症が流行っていて、15分しか面会できないの。また来るからね」
と言うと、承知した様子で引き留めるのをやめた。


昨今さっこんの状況を思えば、短時間だけでも面会できるだけ、まだましなのかも知れない。

母の入院先を訪れるのは、所要時間や体力的な面で楽ではないけれど、通院のついでに出来るだけ行くことにした。
自宅から行くよりは、多少はましだ。
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