我儘王女は目下逃亡中につき

【小話】～サイドストーリー

【小話⑪姪で従兄で叔父上で】

【小話⑪】


イルミナはいつになく苛立っていた。毎月、嫌でも己が『女』であることを自覚させられる下半身から強制的に血が流れ出るこの時期が来たからだ。

成人の女として、ごく当然のあるべき周期ではあっても、イルミナにとっては毎度ながら忌々しい不愉快な気分にさせられ、

しかも己ではどうすることもできないという苛立ちが更に追い打ちをかけ、この時ばかりは全身から殺気が立ち昇っているらしく、周囲の人間は誰も近寄っては来なかった。

それもそうだろう。近くに寄って来て、あからさまに人の顔色を窺う人間を見ると、イルミナの苛立ちが更に強まり同時に嗜虐心を酷く煽られて、己の感情の赴くままに相手を攻撃してしまうのだ。

それは自分の愛人達であっても例外ではなく、気分直しにと情事に耽れば、混沌とした苛立ちと性欲が混ざり合い、極限まで昂った興奮が抑えられずに愛人達を虐待の末、幾度か殺しかけたことがあり、

今ではこの時期が来ると、愛人達を己自身から守る為に、なるべく視界に入らぬよう他所に隔離した。でなければ、いつか本当に殺してしまうとも限らない。

どの子も自らの手でじっくりと時間を掛けて調教し大事に育てた、お気に入りの可愛い愛人達だ。飼っている以上は命の保障をしてやらねば、当然飼い主としては失格だろう。


そんなイルミナ本人は、物心がついた時から己の性別に違和感を感じていた。

それは体は女であっても、心が女として全くといっていいほど反応しないのだ。しかも成長と共に変化していく己の身体に酷く嫌悪するようにもなっていた。

いずれ自分はどこぞの男と結婚するのだろう。そしてその男の子供を己の腹に宿すのだ。

――ああ、駄目だ。考えるだけでも吐き気がするほど、おぞましい。
　
逆にどうして己が男のように相手を孕ます事が出来ないのだろうか。己が欲しいのは女を孕ませる為の生殖器であって、子を宿す腹や授乳の為の乳房など全く必要ないというのに。

それなのに、切望虚しくも世の男達には当然あるものが己には全く存在しない。

その心と体の矛盾に長年葛藤し、年齢と共に女の体つきに否応なく変わってきたことが兎にも角にも我慢ならず、

母や周囲の反対を押し切り、男の騎士達に混じって身体をを鍛え上げ、更には父王のように筋肉隆々な力強い肉体を手に入れるべく日々の努力を怠る事はなかったが、

やはりそこは女の骨格である以上、確かに普通の女よりは格段に逞しい身体付きにはなったものの、結局はどうやっても男の筋肉美溢れる理想の体付きには到底及ばなかった。

そんな己が抱えている性の違和感をこれ以上隠すことは難しいと判断し、思いきって母親に打ち明けてはみるも、

母はあり得ないことだと嫌悪感を露に激高しただけではなく、すぐに沢山の精神医の診療を半ば強制的に受けさせられた。

そして、その誰もが口々に「第一王女に全く異常はございません」「きっと偉大なる父王を見てお育ちになられたので、世継ぎの男児がおられない事もあり、最初にご誕生された御子であらせられるが故に一時的に男性的な思考になられたのではないでしょうか」

などと、王族である事を重んじてなのか、勝手本位な解釈で本人の感じる違和感を真っ向から否定され、母である王妃が望んでいるであろう回答をつらつらと並べ立てた。

しかも言うに事欠いて「時が来れば自然と落ち着いてくるはずです。いずれにせよ、ご成婚されて夫君をお迎えするようになれば、きっと全てが改善に向かうことでしょう」と虫唾すら走る回答もあった。

母である王妃はそれを聞いて安心したのか、以来イルミナに結婚をそれはしつこく急かし始めてきたので、その都度、激怒し暴れ捲った挙げ句、腹立ち紛れに様々なものを破壊してやった。

その荒い直情の気性が幸いしたのか、母も毎回暴れて手がつけられない娘に期待が持てないことをようやく認識したらしく、

もっぱら母の関心は従順なミレニアと甘え上手なアニエスに向かったので、妹達には申し訳ないが、自分の荷が降りたことでホッと胸を撫で下ろしていた。

少なくとも直ぐに激昂してしまう自分とは違い、ミレニアは従順に見えて実は計算高く要領が良いので、母のご機嫌取りには慣れている。

そして末妹のアニエスも何かにつけて母親に甘えているが、それでいて自分の意思ははっきりしている頑固な面があるので、その辺りは上手く立ち回っているようだ。

そんなイルミナの性癖にいち早く気づいたのは妹のミレニアだった。普段から他人の機微をよく観察しているミレニアは、イルミナが多くを語らずとも姉の言葉に理解を示した。

更には信頼の出来る理解者を他にも作った方が良いと助言され、まずは身内から、とはいえど、実の父親は名ばかりで自分達に全く関心がない事は幼き頃より分かっていたので当然除外し、妹のアニエスは精神的にもまだ子供なので問題外だ。

そして最も近しい親戚で同い歳なこともあり、昔から気心が知れている従兄で叔父でもあるクラウスに、本人の性格を踏まえた上で軽蔑されるのも覚悟で相談してみると、

意外にも真面目で厳格な性格であるはずのクラウスが戸惑いは大いに見せたものの、最終的には理解を示したのには流石に驚いた。

更に機会を得て、実質的に我ら三姉妹の父親代わりとなって支援してくれている母の長兄であり、フォルセナの国王である伯父にも、なんとなく気は引けたが相談してみれば、

そもそも建設的な考え方を持つ人間だったので、母や他の者達のように真っ向から否定はされなかったが、

それでも一族を束ねる長としての苦言とも言える言葉で、母や妹達の為にもなるべく性癖を世間から隠すようにと言われ、

続けて「しかし、王族として生まれたからには性別がどうであれ、最低限の己の責務だけは果たさねばならない」と内容は敢えて触れずに遠回しに釘を刺された。

その意味はーー己の感情も個人の意思も関係ないのだと。王族として国を治める一族の頂点にある者はその血脈を決して途絶えさせてはならない。己に流れる血は国の血液であり心臓でもある。その血脈を己の意思で滅してはならない

――と、王族達は長い歴史に渡り、誰もがそのように厳しく教育されてきた。

だからフォルセナの国王は一国の王女である私に、王族の国王の言葉として毅然と戒めたのだ。

ーー王族の責務として最低一人でも己の血を受け継いだ子を残せと。


そんなことは改めて言われずとも分かっている。それは王族として生まれた者に課せられた宿命であり存在価値だった。

だから、たとえ我が父母達のように全く愛のない無機質な政略結婚ではあっても、子孫だけは当然残さねばならない。


そうだ、分かっている。分かってはいるのだ。しかし頭では理解していても、心は頑なに拒絶しているのだから、どうすることも出来ない。


ああ、どうして自分は『男』ではないのだろうか。かといって『女』でもない。

そんな中途半端な生き物である私は一体何なのだ？　何を肯定すればいい？　いっその事、この存在自体を消しさえすれば、このような矛盾に悩まされる事もなく楽になれるのか？


フォルセナの国王の言葉は至極当然であり、真っ向から否定されなかっただけでもまだ良い方だった。

だが、やはり己の中に積年蓄積されてきたものは思いの他、精神的にも色々堪えていた。時折自棄を起こしても仕方なかろうか。

だからこうして己の身体が浅ましくも女を主張し、心を亡きものとして蝕むこの時期が来ると自室に篭もり、酒にどっぷりと浸って全ての感覚を麻痺させていたのだが、

今回ばかりは、それでなくても気分が悪く苛ついているところに、思わぬ母のヒステリーに付き合わされ、爆発した感情の昂ぶりは最早抑えられず衝動的に部屋の中を滅茶苦茶に破壊し、

ひとしきり暴れた後、疲れてソファーにだらしなく身体を横たわらせながら酒をひたすら煽っていた。


すると、突然扉の前でコンコン、とノックをする音が聞こえてくる。

今や暴力的に感情の荒れ狂っているイルミナに近付こうとする者は誰もいないはずだ。不用意に近付けば危険だということを分かっているのだから。

なので、もしいるとすれば第一王女の暴走を止める為に遣わされた完全武装をした第二騎士団の騎士達だろうが、部屋の扉の外はあまりにも静まり返っているので、どうやら違うようだ。


となると、後はもう一人。ーーお節介な奴。



「ーー失礼する。入るよ」


そこに現れたのは、父王の異母弟にして母である王妃の実姉の息子であり、イルミナ達三姉妹の従兄で叔父でもある、クラウスだった。



「……また、随分と派手にやったものだな」


壊れた家具の残骸片や床に飛び散ったガラス片、ボロボロになった無惨な壁など、あまりにも変わり果てた部屋の惨状を見て、クラウスは呆れたように小さなため息をつく。

そんなイルミナは身体をソファーにダラリと力なく傾けながら、ククッと嘲笑した。


「ははっ、これはこれは、誰かと思えば我が叔父上殿ではないか。今の私に近寄って来ようとする命知らずはおらぬというのに、酔狂なことだな」


しかしクラウスは全く意に介さず、床に散乱した様々な破壊片を踏まないように細心の注意を払いながらイルミナの方へと近付いて行く。

そして床に転がっている数本の空になった酒瓶を拾うと邪魔にならないようにテーブルの隅に置いた。

イルミナのいる周辺はムワッと酒の匂いが強く漂っていて、きっと酒に弱い人間ならば、匂いだけで忽ち酔ってしまうだろう。

しかしクラウスは表情も変わらず慣れた様子で、次にテーブルの上に雑然と乗っている瓶や食器も綺麗に並べて片していく。相変わらずの神経質な行動にイルミナは小さく肩を竦めた。


「自分の私室をここまで破壊するやつがあるか。これじゃ、しばらくは使用できないだろうに。しかもその辺に飛び散っているガラス片とかも踏んだりしたら危ないから、とりあえず他の部屋へ直ぐに移動した方がいい」


またクラウスの小言が始まったなと、イルミナは反抗的にそっぽを向いた。


「ふん、何しに来たかと思えば、またいつもの説教か？　それなら聞く耳は持たんぞ。見ての通り今日の私はもの凄く機嫌が悪い。とばっちりを受けたくないのなら、とっとと帰れ」


そんなイルミナの悪態にも、クラウスは片付ける手は止めずに平然とした真顔のまま口を開く。


「こんな状態の君を見て放置は出来ない。一人にして君が怪我でもしたら、それこそ大変だからな。それに酒もこんな飲み方は感心出来ないと前から言っているだろう。これではいつか身体を壊しかねないともな。皆だって君を心配している」


それに対してイルミナは気怠そうに乾いた笑い声を上げる。


「ふはは、心配だって？　それを言うなら自分達の心配だろうに。大方私に危害を加えられることを恐れて、こちらの顔色を窺っているだけだろうさ。どいつもこいつも腰抜け共が生意気なことだな」


イルミナは眉間に苦々しく皺を寄せると、片腕を伸ばしてテーブルの上にある酒瓶を掴もうとする。が、一足早くその瓶をクラウスが先に掴んだ。


「イルミナ、それは違う。君の近しい者達は本当に君の事を心配しているんだ。勿論私もだよ。ーーイルミナ、一体何があったんだ？　私では頼りないのかもしれないが、これでも私は君の従兄であり叔父でもある。身内として相談相手にくらいはなれると思っているよ」


真摯な表情で真っ直ぐな視線をこちらに向けてくるクラウス。

本当に真面目で実直でお節介でいて神経質。冗談すらも通じず、表情が乏しくて一見冷淡そうに見えても実はどこまでもお人好しな、不器用で優しい従兄殿。

イルミナにとって、彼は最も扱いづらい人間ではあったが、叔父と姪という間柄で、しかし同い歳という互いに生まれた時から常に近くにいたからか、もはや家族同等の腐れ縁の友人のような関係だ。

そしてイルミナはクラウスの聖人君子を彷彿とさせるような馬鹿正直な性格は正直気に食わないし、それに加えて真面目に説教などされた日には、毎度うっとおしくて非常に面倒くさい。

それでもクラウスを嫌いになれないのは、彼はどんな時でも偏見なく真っ直ぐな清廉とした眼で誰かと比較するでもなく、本人自身をその人となりを見てくれているから。

そして嘘をつかないという彼のポリシーから、時に非情で不愉快な言葉が返ってきたりもするが、良くも悪くもそれは、相手の事を真剣に捉えてでの、彼なりの心からの実直な本音なのだろう。だからこそ彼は信用出来る人間なのだ。

しかし、そんな彼はその性格が災いして感情を表すことが不器用なので、扱いにくく面倒くさい奴だと一部の人間からは煙たがられているのもまた事実で、無論イルミナもその一人だ。

けれど不思議と彼を嫌いになることはなかった。それこそ性格は全く合わないし、会話だって何の面白味もなければ、話途中で逃げたくなるくらい、ウンザリしてしまうのも少なくはない。それなのに何故か彼の存在は心地良い拠り所だった。

あの暴君と呼ばれている父王が、異母弟であるにもかかわらずクラウスを溺愛しているのも、きっと父王にとってクラウスの存在は唯一の心を置ける拠り所なのだろうと、イルミナは自分と置き換えつつも、

今更どうでもよい形式だけの関心もない父王と自分は、父親似の外見だけではなく、中身もやはり親子なのだなと、皮肉に思いながらも苦笑いをするしかなかった。



【続】