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4章
<12話>
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「こ、こんばんは……」
愛想笑いを貼り付けた顔で答えると、ユーリは意地悪く口の両端を引き上げる。
「夜這いか? ガキのくせに大胆な奴だ」
「い、いえ。そういうわけじゃ……ってユーリ様! 大丈夫ですか!?」
激しくせき込んだユーリの手から、背に当てられていた小刀が床に滑り落ちた。
よろけた体をなんとか抱き留めると、ユーリが咳の合間に苦しげに悪態を吐く。
「これが大丈夫に見えるなら、おまえの脳みそは犬猫以下だな」
いつもはイラつくユーリの悪態も今は相手にしている暇がない。
「そうですね。早くベッドにお戻りください」
流されたのが腹立たしいのか、舌打ちの音が聞こえる。だがよほど苦しいようで、その後は黙ってベッドの中へ入る。
火照った額に再び氷嚢を当ててやると、少しだけラクそうに見えた。俺は魔力で氷を作って細かく砕くと、枕より一回り小さな麻袋の中に入れる。
氷には魔法をかけているため溶けてしまうことはない。麻袋をタオルでひと巻したものを持ってベッドに乗り上げた。
「クソチビ、なんのつもりだ」
不快そうに顔を歪めて起き上がろうとするユーリを制して枕元に座り込む。ベッドが大きいのと体が小さいせいで、こうして乗り上げなければいけないのが悔しい。
「ユーリ様、失礼しますね」
首の後ろに手を入れて頭を持ち上げると、その下に素早くタオルを巻いた麻袋を敷く。
そっと頭をその上に乗せてやると、ユーリが目を見開いた。
「熱が高いときは額だけじゃなくて、首の後ろや後頭部を冷やすと気持ちいいんですよ。頭痛も和らぎますし。いかがですか」
ユーリはしばらく黙っていたが、天井を向いたまま小さな声で呟く。
「……悪くは、ない」
「そうですか! よかった」
「だがおまえ、さっき水差しに何か入れていただろう。俺に毒でも盛ろうとしているのか」
「ち、違います! ユーリ様がお薬を飲まれないと聞いて。なにかできることはないかと……昨日の噴水の件、きっと僕のせいですから」
「ほう。おまえだったのか」
罵倒されるかと思ったのに、ユーリは視線をこっちに向けてニヤリと笑っただけだった。
「この俺の隙をつくなんて、多少はやるな」
「はぁ」
昨日はあんなに怒っていたのに、いったいどういう心境の変化なんだろう。
「で、罪滅ぼしに何やら企んで、こんな深夜に俺の部屋に忍び込んだというわけか」
「申し訳ございません……やり方が間違っているとは思います」
「俺は謝れと言っているわけじゃない。何をしていたのかと聞いている」
「ええと、その……僕が作った水に砂糖や塩を混ぜた飲み物です。わが家では風邪を引いたときは水よりもこっちを飲むことが多くて。食欲がないときにもいいんですよ」
ユーリはなにかを見定めるように俺のことをじっと見ている。毒を盛られたことがある人間だから警戒するは当然のことだ。
(でも、薬を飲まずに回復するなら経口補水液は絶対飲んでいたほうがいい)
「ユーリ様。少しだけお待ちいただけますか?」
「なんだ」
「すぐ戻ってきますので!」
ユーリが何か言おうとしているのが見えたが、いったん無視してキッチンへ転移する。透明なガラスのピッチャーと砂糖、塩、それにレモンを2個ほど籠から取って再び部屋に戻る。
「何をするつもりだ」
戻って来た俺を見て、ユーリが眉を顰める。
「ユーリ様がご覧になっている場所で作れば心配ないかなと思いまして」
「は?」
あ然とするユーリの側で、俺はピッチャーに水を注ぐ。魔法を使っているので、すべてが空中で行われているために横たわっているユーリからもバッチリ見えるはずだ。
その中に、砂糖、塩、そして2個分のレモン果汁を入れ、マドラーでよくかき混ぜる。
「これで出来上がりです。先に僕が試飲してみますね」
出来立てのそれをグラスに少し注ぎ、飲み干す。
「うん、よくできていると思います。ユーリ様、いかがですか」
ユーリは俺を睨むように見ながら、俺も飲むと小さく呟いた。再びベッドに乗り上げて上半身を起こすのを手伝う。それから経口補水液をたっぷり注いだグラスを手渡す。
ユーリは手に持ったグラスの中身をしばらく覗き込んでいたが、やがて意を決したように口をつけた。
「……悪くない味だ」
「よかった! もう1杯いかがですか? たくさん汗をかかれて、かなり水分が失われてしまっているのではないかと」
ユーリは黙って空のグラスを差し出してくる。俺は再びグラスを満たすとユーリに渡した。今度は少しゆっくり、だが確実に飲み干していく。
「少し気分が良くなった……ちょっとは使えるじゃないか」
「ありがとうございます。ところでユーリ様、お食事やお薬はどうなさっているのでしょう」
薬を飲まないことを知っているのは隠して聞いてみる。
「部屋の隅にワゴンがあっただろう」
「はい」
「俺は使用人に口に入れるものの世話をされるのが大嫌いだ。厨房からワゴンを運んできたのも、リエンツから連れてきた従者だ。気が向いたときに自分で食うからと用意だけしてもらっている。まあ、食欲がなくてほとんど手をつけていないが」
「そうなんですね」
ユーリは頷く。
「薬は、事情があって飲まない。いつも風邪のときは薬に頼らず、回復するのを待っている。いつも1週間もあれば全快するし大したことじゃない。だが今回は水を飲むことすら億劫だったからな、助かった」
少し話しすぎて疲れたのだろう。ゆっくりとユーリの瞼がおりていく。やがて部屋の中に、さっきよりもずっと落ち着いた寝息が聞こえてきた。
(よかった……これで少しはマシになっただろ)
俺は今度こそ安堵の息を吐いて、自室へ戻った。
愛想笑いを貼り付けた顔で答えると、ユーリは意地悪く口の両端を引き上げる。
「夜這いか? ガキのくせに大胆な奴だ」
「い、いえ。そういうわけじゃ……ってユーリ様! 大丈夫ですか!?」
激しくせき込んだユーリの手から、背に当てられていた小刀が床に滑り落ちた。
よろけた体をなんとか抱き留めると、ユーリが咳の合間に苦しげに悪態を吐く。
「これが大丈夫に見えるなら、おまえの脳みそは犬猫以下だな」
いつもはイラつくユーリの悪態も今は相手にしている暇がない。
「そうですね。早くベッドにお戻りください」
流されたのが腹立たしいのか、舌打ちの音が聞こえる。だがよほど苦しいようで、その後は黙ってベッドの中へ入る。
火照った額に再び氷嚢を当ててやると、少しだけラクそうに見えた。俺は魔力で氷を作って細かく砕くと、枕より一回り小さな麻袋の中に入れる。
氷には魔法をかけているため溶けてしまうことはない。麻袋をタオルでひと巻したものを持ってベッドに乗り上げた。
「クソチビ、なんのつもりだ」
不快そうに顔を歪めて起き上がろうとするユーリを制して枕元に座り込む。ベッドが大きいのと体が小さいせいで、こうして乗り上げなければいけないのが悔しい。
「ユーリ様、失礼しますね」
首の後ろに手を入れて頭を持ち上げると、その下に素早くタオルを巻いた麻袋を敷く。
そっと頭をその上に乗せてやると、ユーリが目を見開いた。
「熱が高いときは額だけじゃなくて、首の後ろや後頭部を冷やすと気持ちいいんですよ。頭痛も和らぎますし。いかがですか」
ユーリはしばらく黙っていたが、天井を向いたまま小さな声で呟く。
「……悪くは、ない」
「そうですか! よかった」
「だがおまえ、さっき水差しに何か入れていただろう。俺に毒でも盛ろうとしているのか」
「ち、違います! ユーリ様がお薬を飲まれないと聞いて。なにかできることはないかと……昨日の噴水の件、きっと僕のせいですから」
「ほう。おまえだったのか」
罵倒されるかと思ったのに、ユーリは視線をこっちに向けてニヤリと笑っただけだった。
「この俺の隙をつくなんて、多少はやるな」
「はぁ」
昨日はあんなに怒っていたのに、いったいどういう心境の変化なんだろう。
「で、罪滅ぼしに何やら企んで、こんな深夜に俺の部屋に忍び込んだというわけか」
「申し訳ございません……やり方が間違っているとは思います」
「俺は謝れと言っているわけじゃない。何をしていたのかと聞いている」
「ええと、その……僕が作った水に砂糖や塩を混ぜた飲み物です。わが家では風邪を引いたときは水よりもこっちを飲むことが多くて。食欲がないときにもいいんですよ」
ユーリはなにかを見定めるように俺のことをじっと見ている。毒を盛られたことがある人間だから警戒するは当然のことだ。
(でも、薬を飲まずに回復するなら経口補水液は絶対飲んでいたほうがいい)
「ユーリ様。少しだけお待ちいただけますか?」
「なんだ」
「すぐ戻ってきますので!」
ユーリが何か言おうとしているのが見えたが、いったん無視してキッチンへ転移する。透明なガラスのピッチャーと砂糖、塩、それにレモンを2個ほど籠から取って再び部屋に戻る。
「何をするつもりだ」
戻って来た俺を見て、ユーリが眉を顰める。
「ユーリ様がご覧になっている場所で作れば心配ないかなと思いまして」
「は?」
あ然とするユーリの側で、俺はピッチャーに水を注ぐ。魔法を使っているので、すべてが空中で行われているために横たわっているユーリからもバッチリ見えるはずだ。
その中に、砂糖、塩、そして2個分のレモン果汁を入れ、マドラーでよくかき混ぜる。
「これで出来上がりです。先に僕が試飲してみますね」
出来立てのそれをグラスに少し注ぎ、飲み干す。
「うん、よくできていると思います。ユーリ様、いかがですか」
ユーリは俺を睨むように見ながら、俺も飲むと小さく呟いた。再びベッドに乗り上げて上半身を起こすのを手伝う。それから経口補水液をたっぷり注いだグラスを手渡す。
ユーリは手に持ったグラスの中身をしばらく覗き込んでいたが、やがて意を決したように口をつけた。
「……悪くない味だ」
「よかった! もう1杯いかがですか? たくさん汗をかかれて、かなり水分が失われてしまっているのではないかと」
ユーリは黙って空のグラスを差し出してくる。俺は再びグラスを満たすとユーリに渡した。今度は少しゆっくり、だが確実に飲み干していく。
「少し気分が良くなった……ちょっとは使えるじゃないか」
「ありがとうございます。ところでユーリ様、お食事やお薬はどうなさっているのでしょう」
薬を飲まないことを知っているのは隠して聞いてみる。
「部屋の隅にワゴンがあっただろう」
「はい」
「俺は使用人に口に入れるものの世話をされるのが大嫌いだ。厨房からワゴンを運んできたのも、リエンツから連れてきた従者だ。気が向いたときに自分で食うからと用意だけしてもらっている。まあ、食欲がなくてほとんど手をつけていないが」
「そうなんですね」
ユーリは頷く。
「薬は、事情があって飲まない。いつも風邪のときは薬に頼らず、回復するのを待っている。いつも1週間もあれば全快するし大したことじゃない。だが今回は水を飲むことすら億劫だったからな、助かった」
少し話しすぎて疲れたのだろう。ゆっくりとユーリの瞼がおりていく。やがて部屋の中に、さっきよりもずっと落ち着いた寝息が聞こえてきた。
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