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嘆いてももう遅い。これからは、この世界でシュプリームオメガとして生きていくしかない。
俺は軽く頬を叩いて自分なりに気合いを注入した。

「そうだ、仕事……溜まってんだろうなあ」

所属事務所にはヒート休暇という制度があるため、きちんと有給として申請することができる。
俺はすぐにマネージャーにメッセージを送った。

『ヒート終わった』

秒で既読がつき、明日からのスケジュールが送られてくる。ドラマの撮影、映画の打ち合わせ、雑誌の取材……休んだ分、仕事が日付を変わる頃までびっしりと詰まっていた。

「転生しても社畜なのかよ」

スケジュールの最後に

『明日、午前6時にお迎えにあがります。それまではゆっくりお休みになってください』

と書いてあった。

今日は12月5日。時刻は13時を回ったところだ。仕事までにはまだまだ時間がある。

せっかくヒートが終わってスッキリしているのに、このままダラダラ過ごすのももったいない。
俺は腹筋を使って勢いよく起き上がった。

「おっ! すげえ!」
思いっきり力を入れないと腹筋で起き上がることなんて出来なかったはずなのに、びっくりするほど簡単に起き上がることができた。

それが嬉しくて何回もやってしまう。「ほっ!」とか「はっ!」とか掛け声をつけて楽しんでいると、リビングのほうからガシャンと大きな音がした。

「なんだ?」

泥棒でも入ってきたんだろうか。ドキドキしながらリビングのドアを開けると、
割れたグラスの横に小さな子どもが立っていた。金色の髪に青い目といういかにもαらしい見た目で、人形のように整っている。

はだしの子どもは、怯えた目で俺のことを見ている。

「大丈夫か?! ケガするぞ」

俺は子どもを抱き上げると、リビングのソファまで運んでやった。

姪っ子や甥っ子を抱き上げるだけでひと苦労していたのに、この身体は同じくらいの体格の子どもをひょいと持ち上げることができる。

子どもは目を見開いて俺を見ている。
「金成、何か飲みたかったのか?」
するりと子どもの名前が出てくる。と、同時に記憶が蘇ってくる。

この子どもの名前は金成(かんなり)。父が再婚した女の連れ子で、血縁関係のない俺の弟だ。
こいつの母親は数年前に交通費事故で死んでいる。

俺は金成を施設に預けることを提案したが、父は頑として受け入れなかった。とはいえ世界的なファッションデザイナーとして主にヨーロッパを中心に飛び回っている父が日本にいることはほとんどない。

半ば無理やり俺に預けられたのが、2年ほど前のことだ。
弟のことがもともと嫌いだった俺は激しく抵抗した。

けれどもし放棄するなら今後一切の仕送りは停止、マンションも解約するという父の脅しに負け、渋々同居している。

最初はただ目障りなだけだったが、番ができてからは弟は邪魔で、憎むべき存在になっていた。今までの俺なら、グラスを割ったらこの子どもを蹴り飛ばしていただろう。

だが、番への恋慕も弟への憎しみも今の俺にはない。


「金成、大丈夫。怒らないから。何か飲みたかったのか?」
目線を合わせ、できるだけ優しく問いかけると弟はこくりと頷いた。

「ちょっと待ってな。今コレ、片付けっから」

掃除用具の入った棚から箒とちりとりを取り出すと、フローリングに散らばったガラスの破片をかき集める。
新聞紙に包んでビニール袋に入れると、這いつくばってさまざまな角度から床を見る。
まだ破片が残っていると、こうして見るとキラキラ光るのだ。

俺はガムテープを床に貼り付けて細かな破片を取り除くと、仕上げに濡れ雑巾でこすって細かい破片まで片付けた。

「片付けたけどあぶねーからこれ履いてな」

子ども用スリッパがなかったので、とりあえず大人用のスリッパを弟に履かせる。

「オレンジジュース飲みたかったのか?」
弟は首を横にふる。
「じゃあ桃ジュースかな」

冷蔵庫にはそのほかにも色とりどりのフルーツジュースのボトルが並んでいる。
どれもやけに高そうなのが気になった。

子どもはやっぱり首を横に振る。
そうだ、これは全部俺専用なんだった。

パタパタとスリッパを鳴らして近くまでくると蛇口を指差した。

「水? もしかして水が飲みたかったの?」

弟はやっと首を縦に振る。

俺は黙って冷蔵庫を開けると、これまた高そうなガラスのボトル入ったミネラルウォーターを新しいグラスに注いでやった。

弟は目を丸くして俺とグラスを交互に見ている。これまで、どれだけ冷たくあしらわれ、ひどい対応を受けていたんだろうか。記憶の中の自分の行動に、俺は静かな怒りを感じた。

「金成、これからはこっち飲みな。好きな時に好きなだけ飲んでいいから。で、飲んだら出かけるぞ。お前の服とかスリッパとか、色々買いに行こうぜ」

金成は再び、頷いた。
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