もふけもわふーらいふ!

夜狐紺

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第一章 お屋敷編

第五十二話 雨の日にお出かけ?

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 隠し部屋から出た俺とよもぎさんと十徹とうてつさんは、玄関に向かって廊下を歩いている。どうやら蓬さんと十徹さんはこれから、御珠様が先に向かった場所へと出かける様だった。
 俺は隠し部屋の前に置いてあったバケツと箒を持って、廊下を歩いていく。ちらっと振り返れば、襖はまた十八枚から、元の十六枚へと戻っていて……隠し部屋の痕跡はどこにも無くなっていた。
「景君も、何か剣術をしていたの?」
 俺の左側を歩いている蓬さんの、そんな質問。
「い、いえ。俺は全然素人でして……」
「そうなんだ。わたしも前、憧れて初めてみたんだけど、からっきしでねえ」
 そう言いながら蓬さんは俺から箒を借りると、エイッと剣を振るう動作をして、笑った。
「……だが、蓬は」
 と、そこで、右側を歩いていた十徹さんが。
「十一段」
 そんなことを呟いたのだった。
「えっ……?」
 十一、段? 聞き慣れない言葉の響き。
「柔術の……」
 耳を疑っていると、十徹さんは更にこう付け足す。
 蓬さんが、柔術の十一段……?!
「と……十徹君! それは……!」
 蓬さんがぱたぱたと、激しくしっぽを振って十徹さんを止めようとする。
 初、二、三……十一、段。それがどんな柔術なのかは分からないけれど、とにかく凄まじ過ぎる。
 それこそ、軽く相手に触れただけで技を掛けられるとか、投げられるとか、そんなレベルを想像してしまう。そもそも段位って、二桁から先って有ったのか……?
「十一段なんですか? 凄いですね……!」
 本心からそう伝えるけれど、蓬さんは嬉しくなさそうで、複雑な表情をしていて……。
「そ、そんな、わたしなんて十徹君に比べたら、全然……! ……ううっ」
 肩を落として、がっくしとうなだれてしまった。しゅん……と、太めの筆みたいなあ形で先が黒くなっている狸のしっぽも、垂れてしまっていて。……どうやら、あんまり触れられたくないことだったみたいだ……。
「……内緒にしておくつもりだったのに……」
 ちょっと恨めしそうに十徹さんを睨む蓬さん。
 そのぎらりとした瞳には確かに、十一段にふさわしい闘志が宿っている気が……絶対に、口に出しては言わないけれど……。
「……何故、隠す……?」
 だけど十徹さんの方は特に億することはなく、不思議そうに首を傾げるだけで。
「だ、だって、そんなの昔の話だし……それに……」
 今度はもじもじとして、十徹さんと俺から目を逸らして……。
「だって、柔術なんて、おしとやかじゃないし、かわいげも無いし……」
 小さな声で、そう言った。恥ずかしいからか、蓬さんのしっぽが今度はぱたぱたと激しく揺れ始めて。
「……もっと、ちよちゃんみたいに、おしとやかになりたいんだけど……」
 蓬さんは慌てて自分のしっぽを、なだめる様に優しく撫でて、ため息をつく。
 でも、蓬さんはそんなこと、全然気にしなくても良い気もするけどなあ……。
「蓬さんが作ってくれる料理、いつも本当においしいですよ!」
 俺は、へこんでいる様子の蓬さんに、励ましの言葉を掛ける。
 ちゃんと、上手く伝えられているかは不安だけど……とにかく。
「それに普通は、着物をあんなに丁寧に、美しく仕立てるなんて、できませんよ……!」
 そう、別に気にしなくても、蓬さんは十分におしとやかだ。繊細じゃないと絶対にできない仕事を難なくこなしている。それに蓬さんは優しくて、とても親切で。そんな蓬さんの思いやりが、皆のことを支えているのだ。割と適当な御珠様が主なのにこのお屋敷の秩序が保てているのは、間違いなく蓬さんの努力のお陰だし……。
 その上、更に強さも兼ね備えているなんて。素敵で格好良いし、素直に憧れる。まあここでは、柔術のところは触れない方が良いな……己の身の為にも。
「えっ……そ……そう、かい……? そ、それほどでも、ない気がするけれど……」
 目を丸くする蓬さん。どうやら照れているらしく、丸い耳がぴこぴこと細かく動いている。
「お陰で皆、常に綺麗な服を着れている」
 十徹さんも頷いて蓬さんを褒めた。やはり蓬さん、このお屋敷の人達が着ている服を殆ど――もしかしたら全部、仕立てているらしい。流石としか言いようがない。
「……二人とも、ありがとう」
 蓬さんはまだちょっと頬を赤らめてしっぽから手を離して、嬉しそうに笑った。
 小さい子の様に無邪気なその笑顔はやっぱり、おしとやかだった。


 そして俺達三人は、お屋敷の広い玄関へとたどり着いた。
「お昼ごはんはもう作ってあるから、好きな時に食べてね」
 玄関で蓬さんが鼻緒の赤い下駄を履きながら、言う。
「分かりました」
 黒い鼻緒の下駄を履いた十徹さんが、からからからと扉を引いた。
 サアアアアア――と、雨の音がお屋敷の中で再び聞こえ始めた。
 思った通り、中々止まないタイプの雨だったみたいで、その音にも衰えは感じさせない。
 これはもしかして、五日間ぐらいは降り続けるんじゃないか……?
「それじゃあ行ってくるね、景君」
「――行ってきます」
 蓬さんと十徹さんが一歩、お屋敷の外に出る。
「行ってらっしゃい。気を付けて下さいね」
 俺もつっかけを履いて、玄関の軒下に立った。涼しい空気に肌を撫でられる。
「じゃあね!」
 門まで歩く途中で蓬さんが振り返って、元気良く手を上げて。
「……」
 十徹さんもこっちを向いて、そっと手を上げて挨拶をしてくれた。
 俺も思いっ切り手を振り返して、二人を見送る。そんな十徹さんと蓬さんの姿は次第に遠ざかって、雨が作り出す白い空気の中にかすんで行って……門を潜った後は、すぐに見えなくなってしまった。
 そして俺はからからから……と、玄関を閉める。雨の音が遠ざかった。
 つっかけを脱いで廊下に上がる。足首についた水滴が、ぽたりと落ちる。
 それにしても、蓬さんと十徹さん、それから御珠様は、街の中のどこに、何をしにいったんだろう?
 あの感じだと、そんなに帰りが遅くなることは無いだろうけど……何となく、ただの買い物とかじゃなくて、もっと特別な用事がある様にも感じた。
 三人が帰ってきたら、もう一度訊いてみようかな。
 と、俺は深く考えることを止めてお茶の間に向かうことにする。木刀を磨いていた時集中していたから、その分今になって急に腹が減ってきている。
 今日のお昼ご飯は何だろう? お屋敷に残っている他の三人――ちよさんと都季と灯詠も呼ぼうかな。
 そんなことを考えながら俺は、まずはお茶の間に向かって廊下を歩いていく。
「――」
 だけど、ふと違和感を感じて途中で立ち止まった。とっさに後ろを振り返るけれど。
「あれっ?」
 思わず声が出てしまう。
 俺の背後には、誰も居なかった。いや、それは当然で、それよりももっと不思議だったのは……。
 おかしいな、あの気配がしたと思ったのに……。
 そう、ここ数日俺のことを後ろから観察している、正体不明の気配を、わずかに感じたはずなのに。
 今日はいつもとは違って、すぐにそんな気配は消えてしまって。見られているという感覚も無くなったのだ。それとも……今のは完璧に、俺の気のせいだったのか? 疑問に思いながらも、俺は再び歩き出す。
 ……実はと言えば、昨日、一昨日よりも、姿の見えない謎の気配に対する恐怖心は、かなり薄れていた。それは慣れと言っても良かったし、その気配に誰かを攻撃しようとする様な悪意や敵意は全く見受けられないということも理由だった。
 でも……どうして俺のことなんか見てるんだろう……?
 それだけが今一つ分からないまま俺は雨音を聞きながら、お茶の間へと向かうのだった。
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