136 / 145
新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」
42.旅支度
しおりを挟む
オリノコはとうとう帝国行きの船を手配した。長いものには巻かれる気性の彼はベアシュに――厳密にはその背後にいるギルダ、ひいてはナタリア女王に――従った。ダイバの広い港には一隻の船が用意され、次々と荷が積み込まれていく。
ルカとジェイルも揉み屋から領主の屋敷へと戻り、急に忙しくなった。旅支度を整えなければならない。帝国と王国では用いられる通貨も異なる。ジェイルはオリノコをゆするようにして領主が知り得る限りの帝国の情報を吐き出させた。結果、手持ちの資金の八割を数種類の宝石や鉱石と交換することとなった。
オリノコはジェイルをみずからダイバの石切り場に連れて行った。土を洗われ、磨き上げられた雷鳴石を一つつまみあげ、ジェイルの手に載せる。
「帝国では、石ころ一つから金を生み出す研究が盛んだ。こういった特殊な石は高値で取引される」
「……本当だろうな」
「疑り深いなあ! 今さら嘘はつかないよ」
へらへらと笑うオリノコを、ジェイルは睨みつけた。オリノコは汚れた膝をはらい「しかし君は現実的だ」と言った。
「僕が船を出すとわかってなお金銭の心配をするんだからね。そういう騎士は少ない」
「……おまえは信用できないし、俺の主人はこういうことに無頓着だ」
手の中で雷鳴石を転がしながらジェイルの口元はゆるんでいた。
「女神に祈ればものごとが解決すると思い込んでいる。いつまで経っても世間知らずのお人よしだ」
オリノコはもの言いたげな顔をしたが、沈黙を守った。実際のところルカが世間知らずのお人よしでいられるよう仕向けているのが誰かなど追及したところで、オリノコに得るものはなかったためである。
いっぽうルカは旅の修道士として聖堂で支度を整えていた。これまでの旅で頭巾と修道服はぼろぼろになり、修繕も利かなくなってしまった。思い切って新たに一着新調することにしたのだが、その際に意外な事実が判明した。
「た、丈が、足りない……!?」
驚きつつ、今までと同じ寸法の一着を胸にあててみると、間違いない。ルカは背丈が伸びていた。ジェイルに細っこくて小さいと謗られ続けていたけれど、少なくとも成長はしていたのである。
試着を経て、頭巾はそのまま、修道服はワンサイズ上に決めた。修道士は所属を証すれば聖堂から物品を受けとることができる。新しい修道服に着替えたルカは軽い放心状態にあった。導かれるように女神像の前に跪くが、驚きのあまり祈りの言葉が出てこない。しかし真新しい修道服の膝を撫でるうちにじわじわと胸に喜びが湧いてきた。
(私はもう大人で、体も大きいのだ。昔、アドルファス様に言われるがまま修道院を転々としていた頃とは違う。私は自分の行きたいところに行ける。ジェイル様と一緒に、女神様が連れていってくれる)
その時、青い衣のアガタがルカのもとへ来たのは偶然だったのだろうか。彼女はルカの肩を叩き、ふりむいた修道士が感激のあまり泣いているのを見た。
「…………」
アガタはすとんと、筵の、ルカの隣に腰を下ろした。ラウム領に女王の行幸があったことは、すでに彼女の耳に入っていた。作戦は中止となり、彼女は領地間の通行が可能となるまでダイバにとどまっていた。
「……それで、どうなのでしょう」
ものも言えずに泣くルカに、アガタは静かな声で尋ねた。
「あなたは今でも女神を信じているの?」
「はい」
「……お連れの方ともども酷い目にあったと聞きましたけど」
「それは、ひとはたいてい、良いときに来て、悪いときに離れていきますけれど」
ルカは祈り手を組み、女神に礼拝した。
「女神さまはどんな時もそばにいて、私の心身を養ってくださいました」
アガタはそれ以上語る言葉を持たなかった。伏し拝むルカから、ゆっくりと女神像に目をやる。縄をからだに巻き付けて立つ像は、筵に座るアガタには実際よりも大きく感じられた。
ルカの気持ちが落ち着いた後、二人は聖堂の外で少し話した。アガタは言った。
「私はいずれラウムへ戻ることになります。女王が動かれた今、あなたの叔父君には誰も手だしできないでしょうから」
それからルカをじっと見て言葉をつづけた。
「結果的に見れば、私達は陛下に泳がされていたのかもしれません。ベルマイン様もオリノコも忌み子と騎士に目がくらみ、聖都の動向に気づかずにいました」
ルカは首を振った。
「女王様は人を操るような真似はしません。ただ、私がぐずぐずして……」
ナタリアが自分を逃がそうとしていたことをルカは知っていた。しかしルカが権力争いから離れるどころかかえって自分から権力のあるところへ突き進んでいくので、見かねて外から手を差し伸べたのだろう。アガタは目をすがめて「わかっていますか」と尋ねた。
「ひとたび海に出れば、こんなふうにあなたを助けてくれるひとはいません。……いないと、私は思います。修道士のあなたが女神を信じるのは自由だけど」
ルカは微笑んだ。揉み屋を離れる時、アシャギも『あなたの頭の中には深い暗闇がある』と言った。
『今は白い光に照らされて見えないのよ。この土地を離れてお船に乗ったらその光は遠のく。あまりにも暗ければ花は枯れてしまう』
アシャギの謎めいた言葉をルカは不思議と受け入れていた。むしろ時が過ぎ、アガタが同じようなことを言ったために、予言はますます真実味を帯びて聞こえる。「わかっています」とルカは小さな声で答えた。
「どうか祈っていてください」
ルカの言葉に、アガタは後ずさった。
「……わ、私に、祈れと? あなたのために?」
「ええ。私が成し遂げられるように。再びこの地に戻り、平和を知らせられるように」
「まあ、なんというか……それは……」
強い宗教心におののいているアガタに、ルカは「祈りは最善の助けです」と言い切った。泣いたあとの赤い目もそのままにアガタの両手を握り、「どうか私のために祈っていてください」と頼む。
「…………」
アガタはらしくもなく口をまごつかせていたが、やがて「あなたのお望みとあらば」と承諾した。実際、ルカの申し出はアガタを安らがせていた。祈りは、立場や持ち物を必要としない。身一つで叶う献身だった。
ルカとジェイルも揉み屋から領主の屋敷へと戻り、急に忙しくなった。旅支度を整えなければならない。帝国と王国では用いられる通貨も異なる。ジェイルはオリノコをゆするようにして領主が知り得る限りの帝国の情報を吐き出させた。結果、手持ちの資金の八割を数種類の宝石や鉱石と交換することとなった。
オリノコはジェイルをみずからダイバの石切り場に連れて行った。土を洗われ、磨き上げられた雷鳴石を一つつまみあげ、ジェイルの手に載せる。
「帝国では、石ころ一つから金を生み出す研究が盛んだ。こういった特殊な石は高値で取引される」
「……本当だろうな」
「疑り深いなあ! 今さら嘘はつかないよ」
へらへらと笑うオリノコを、ジェイルは睨みつけた。オリノコは汚れた膝をはらい「しかし君は現実的だ」と言った。
「僕が船を出すとわかってなお金銭の心配をするんだからね。そういう騎士は少ない」
「……おまえは信用できないし、俺の主人はこういうことに無頓着だ」
手の中で雷鳴石を転がしながらジェイルの口元はゆるんでいた。
「女神に祈ればものごとが解決すると思い込んでいる。いつまで経っても世間知らずのお人よしだ」
オリノコはもの言いたげな顔をしたが、沈黙を守った。実際のところルカが世間知らずのお人よしでいられるよう仕向けているのが誰かなど追及したところで、オリノコに得るものはなかったためである。
いっぽうルカは旅の修道士として聖堂で支度を整えていた。これまでの旅で頭巾と修道服はぼろぼろになり、修繕も利かなくなってしまった。思い切って新たに一着新調することにしたのだが、その際に意外な事実が判明した。
「た、丈が、足りない……!?」
驚きつつ、今までと同じ寸法の一着を胸にあててみると、間違いない。ルカは背丈が伸びていた。ジェイルに細っこくて小さいと謗られ続けていたけれど、少なくとも成長はしていたのである。
試着を経て、頭巾はそのまま、修道服はワンサイズ上に決めた。修道士は所属を証すれば聖堂から物品を受けとることができる。新しい修道服に着替えたルカは軽い放心状態にあった。導かれるように女神像の前に跪くが、驚きのあまり祈りの言葉が出てこない。しかし真新しい修道服の膝を撫でるうちにじわじわと胸に喜びが湧いてきた。
(私はもう大人で、体も大きいのだ。昔、アドルファス様に言われるがまま修道院を転々としていた頃とは違う。私は自分の行きたいところに行ける。ジェイル様と一緒に、女神様が連れていってくれる)
その時、青い衣のアガタがルカのもとへ来たのは偶然だったのだろうか。彼女はルカの肩を叩き、ふりむいた修道士が感激のあまり泣いているのを見た。
「…………」
アガタはすとんと、筵の、ルカの隣に腰を下ろした。ラウム領に女王の行幸があったことは、すでに彼女の耳に入っていた。作戦は中止となり、彼女は領地間の通行が可能となるまでダイバにとどまっていた。
「……それで、どうなのでしょう」
ものも言えずに泣くルカに、アガタは静かな声で尋ねた。
「あなたは今でも女神を信じているの?」
「はい」
「……お連れの方ともども酷い目にあったと聞きましたけど」
「それは、ひとはたいてい、良いときに来て、悪いときに離れていきますけれど」
ルカは祈り手を組み、女神に礼拝した。
「女神さまはどんな時もそばにいて、私の心身を養ってくださいました」
アガタはそれ以上語る言葉を持たなかった。伏し拝むルカから、ゆっくりと女神像に目をやる。縄をからだに巻き付けて立つ像は、筵に座るアガタには実際よりも大きく感じられた。
ルカの気持ちが落ち着いた後、二人は聖堂の外で少し話した。アガタは言った。
「私はいずれラウムへ戻ることになります。女王が動かれた今、あなたの叔父君には誰も手だしできないでしょうから」
それからルカをじっと見て言葉をつづけた。
「結果的に見れば、私達は陛下に泳がされていたのかもしれません。ベルマイン様もオリノコも忌み子と騎士に目がくらみ、聖都の動向に気づかずにいました」
ルカは首を振った。
「女王様は人を操るような真似はしません。ただ、私がぐずぐずして……」
ナタリアが自分を逃がそうとしていたことをルカは知っていた。しかしルカが権力争いから離れるどころかかえって自分から権力のあるところへ突き進んでいくので、見かねて外から手を差し伸べたのだろう。アガタは目をすがめて「わかっていますか」と尋ねた。
「ひとたび海に出れば、こんなふうにあなたを助けてくれるひとはいません。……いないと、私は思います。修道士のあなたが女神を信じるのは自由だけど」
ルカは微笑んだ。揉み屋を離れる時、アシャギも『あなたの頭の中には深い暗闇がある』と言った。
『今は白い光に照らされて見えないのよ。この土地を離れてお船に乗ったらその光は遠のく。あまりにも暗ければ花は枯れてしまう』
アシャギの謎めいた言葉をルカは不思議と受け入れていた。むしろ時が過ぎ、アガタが同じようなことを言ったために、予言はますます真実味を帯びて聞こえる。「わかっています」とルカは小さな声で答えた。
「どうか祈っていてください」
ルカの言葉に、アガタは後ずさった。
「……わ、私に、祈れと? あなたのために?」
「ええ。私が成し遂げられるように。再びこの地に戻り、平和を知らせられるように」
「まあ、なんというか……それは……」
強い宗教心におののいているアガタに、ルカは「祈りは最善の助けです」と言い切った。泣いたあとの赤い目もそのままにアガタの両手を握り、「どうか私のために祈っていてください」と頼む。
「…………」
アガタはらしくもなく口をまごつかせていたが、やがて「あなたのお望みとあらば」と承諾した。実際、ルカの申し出はアガタを安らがせていた。祈りは、立場や持ち物を必要としない。身一つで叶う献身だった。
27
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
冷遇された第七皇子はいずれぎゃふんと言わせたい! 赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていました
taki210
ファンタジー
旧題:娼婦の子供と冷遇された第七皇子、赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていた件
『穢らわしい娼婦の子供』
『ロクに魔法も使えない出来損ない』
『皇帝になれない無能皇子』
皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。
だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。
毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき……
『なんだあの威力の魔法は…?』
『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』
『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』
『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』
そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する
美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」
御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。
ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。
✳︎不定期更新です。
21/12/17 1巻発売!
22/05/25 2巻発売!
コミカライズ決定!
20/11/19 HOTランキング1位
ありがとうございます!
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる