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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」
42.旅支度
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オリノコはとうとう帝国行きの船を手配した。長いものには巻かれる気性の彼はベアシュに――厳密にはその背後にいるギルダ、ひいてはナタリア女王に――従った。ダイバの広い港には一隻の船が用意され、次々と荷が積み込まれていく。
ルカとジェイルも揉み屋から領主の屋敷へと戻り、急に忙しくなった。旅支度を整えなければならない。帝国と王国では用いられる通貨も異なる。ジェイルはオリノコをゆするようにして領主が知り得る限りの帝国の情報を吐き出させた。結果、手持ちの資金の八割を数種類の宝石や鉱石と交換することとなった。
オリノコはジェイルをみずからダイバの石切り場に連れて行った。土を洗われ、磨き上げられた雷鳴石を一つつまみあげ、ジェイルの手に載せる。
「帝国では、石ころ一つから金を生み出す研究が盛んだ。こういった特殊な石は高値で取引される」
「……本当だろうな」
「疑り深いなあ! 今さら嘘はつかないよ」
へらへらと笑うオリノコを、ジェイルは睨みつけた。オリノコは汚れた膝をはらい「しかし君は現実的だ」と言った。
「僕が船を出すとわかってなお金銭の心配をするんだからね。そういう騎士は少ない」
「……おまえは信用できないし、俺の主人はこういうことに無頓着だ」
手の中で雷鳴石を転がしながらジェイルの口元はゆるんでいた。
「女神に祈ればものごとが解決すると思い込んでいる。いつまで経っても世間知らずのお人よしだ」
オリノコはもの言いたげな顔をしたが、沈黙を守った。実際のところルカが世間知らずのお人よしでいられるよう仕向けているのが誰かなど追及したところで、オリノコに得るものはなかったためである。
いっぽうルカは旅の修道士として聖堂で支度を整えていた。これまでの旅で頭巾と修道服はぼろぼろになり、修繕も利かなくなってしまった。思い切って新たに一着新調することにしたのだが、その際に意外な事実が判明した。
「た、丈が、足りない……!?」
驚きつつ、今までと同じ寸法の一着を胸にあててみると、間違いない。ルカは背丈が伸びていた。ジェイルに細っこくて小さいと謗られ続けていたけれど、少なくとも成長はしていたのである。
試着を経て、頭巾はそのまま、修道服はワンサイズ上に決めた。修道士は所属を証すれば聖堂から物品を受けとることができる。新しい修道服に着替えたルカは軽い放心状態にあった。導かれるように女神像の前に跪くが、驚きのあまり祈りの言葉が出てこない。しかし真新しい修道服の膝を撫でるうちにじわじわと胸に喜びが湧いてきた。
(私はもう大人で、体も大きいのだ。昔、アドルファス様に言われるがまま修道院を転々としていた頃とは違う。私は自分の行きたいところに行ける。ジェイル様と一緒に、女神様が連れていってくれる)
その時、青い衣のアガタがルカのもとへ来たのは偶然だったのだろうか。彼女はルカの肩を叩き、ふりむいた修道士が感激のあまり泣いているのを見た。
「…………」
アガタはすとんと、筵の、ルカの隣に腰を下ろした。ラウム領に女王の行幸があったことは、すでに彼女の耳に入っていた。作戦は中止となり、彼女は領地間の通行が可能となるまでダイバにとどまっていた。
「……それで、どうなのでしょう」
ものも言えずに泣くルカに、アガタは静かな声で尋ねた。
「あなたは今でも女神を信じているの?」
「はい」
「……お連れの方ともども酷い目にあったと聞きましたけど」
「それは、ひとはたいてい、良いときに来て、悪いときに離れていきますけれど」
ルカは祈り手を組み、女神に礼拝した。
「女神さまはどんな時もそばにいて、私の心身を養ってくださいました」
アガタはそれ以上語る言葉を持たなかった。伏し拝むルカから、ゆっくりと女神像に目をやる。縄をからだに巻き付けて立つ像は、筵に座るアガタには実際よりも大きく感じられた。
ルカの気持ちが落ち着いた後、二人は聖堂の外で少し話した。アガタは言った。
「私はいずれラウムへ戻ることになります。女王が動かれた今、あなたの叔父君には誰も手だしできないでしょうから」
それからルカをじっと見て言葉をつづけた。
「結果的に見れば、私達は陛下に泳がされていたのかもしれません。ベルマイン様もオリノコも忌み子と騎士に目がくらみ、聖都の動向に気づかずにいました」
ルカは首を振った。
「女王様は人を操るような真似はしません。ただ、私がぐずぐずして……」
ナタリアが自分を逃がそうとしていたことをルカは知っていた。しかしルカが権力争いから離れるどころかかえって自分から権力のあるところへ突き進んでいくので、見かねて外から手を差し伸べたのだろう。アガタは目をすがめて「わかっていますか」と尋ねた。
「ひとたび海に出れば、こんなふうにあなたを助けてくれるひとはいません。……いないと、私は思います。修道士のあなたが女神を信じるのは自由だけど」
ルカは微笑んだ。揉み屋を離れる時、アシャギも『あなたの頭の中には深い暗闇がある』と言った。
『今は白い光に照らされて見えないのよ。この土地を離れてお船に乗ったらその光は遠のく。あまりにも暗ければ花は枯れてしまう』
アシャギの謎めいた言葉をルカは不思議と受け入れていた。むしろ時が過ぎ、アガタが同じようなことを言ったために、予言はますます真実味を帯びて聞こえる。「わかっています」とルカは小さな声で答えた。
「どうか祈っていてください」
ルカの言葉に、アガタは後ずさった。
「……わ、私に、祈れと? あなたのために?」
「ええ。私が成し遂げられるように。再びこの地に戻り、平和を知らせられるように」
「まあ、なんというか……それは……」
強い宗教心におののいているアガタに、ルカは「祈りは最善の助けです」と言い切った。泣いたあとの赤い目もそのままにアガタの両手を握り、「どうか私のために祈っていてください」と頼む。
「…………」
アガタはらしくもなく口をまごつかせていたが、やがて「あなたのお望みとあらば」と承諾した。実際、ルカの申し出はアガタを安らがせていた。祈りは、立場や持ち物を必要としない。身一つで叶う献身だった。
ルカとジェイルも揉み屋から領主の屋敷へと戻り、急に忙しくなった。旅支度を整えなければならない。帝国と王国では用いられる通貨も異なる。ジェイルはオリノコをゆするようにして領主が知り得る限りの帝国の情報を吐き出させた。結果、手持ちの資金の八割を数種類の宝石や鉱石と交換することとなった。
オリノコはジェイルをみずからダイバの石切り場に連れて行った。土を洗われ、磨き上げられた雷鳴石を一つつまみあげ、ジェイルの手に載せる。
「帝国では、石ころ一つから金を生み出す研究が盛んだ。こういった特殊な石は高値で取引される」
「……本当だろうな」
「疑り深いなあ! 今さら嘘はつかないよ」
へらへらと笑うオリノコを、ジェイルは睨みつけた。オリノコは汚れた膝をはらい「しかし君は現実的だ」と言った。
「僕が船を出すとわかってなお金銭の心配をするんだからね。そういう騎士は少ない」
「……おまえは信用できないし、俺の主人はこういうことに無頓着だ」
手の中で雷鳴石を転がしながらジェイルの口元はゆるんでいた。
「女神に祈ればものごとが解決すると思い込んでいる。いつまで経っても世間知らずのお人よしだ」
オリノコはもの言いたげな顔をしたが、沈黙を守った。実際のところルカが世間知らずのお人よしでいられるよう仕向けているのが誰かなど追及したところで、オリノコに得るものはなかったためである。
いっぽうルカは旅の修道士として聖堂で支度を整えていた。これまでの旅で頭巾と修道服はぼろぼろになり、修繕も利かなくなってしまった。思い切って新たに一着新調することにしたのだが、その際に意外な事実が判明した。
「た、丈が、足りない……!?」
驚きつつ、今までと同じ寸法の一着を胸にあててみると、間違いない。ルカは背丈が伸びていた。ジェイルに細っこくて小さいと謗られ続けていたけれど、少なくとも成長はしていたのである。
試着を経て、頭巾はそのまま、修道服はワンサイズ上に決めた。修道士は所属を証すれば聖堂から物品を受けとることができる。新しい修道服に着替えたルカは軽い放心状態にあった。導かれるように女神像の前に跪くが、驚きのあまり祈りの言葉が出てこない。しかし真新しい修道服の膝を撫でるうちにじわじわと胸に喜びが湧いてきた。
(私はもう大人で、体も大きいのだ。昔、アドルファス様に言われるがまま修道院を転々としていた頃とは違う。私は自分の行きたいところに行ける。ジェイル様と一緒に、女神様が連れていってくれる)
その時、青い衣のアガタがルカのもとへ来たのは偶然だったのだろうか。彼女はルカの肩を叩き、ふりむいた修道士が感激のあまり泣いているのを見た。
「…………」
アガタはすとんと、筵の、ルカの隣に腰を下ろした。ラウム領に女王の行幸があったことは、すでに彼女の耳に入っていた。作戦は中止となり、彼女は領地間の通行が可能となるまでダイバにとどまっていた。
「……それで、どうなのでしょう」
ものも言えずに泣くルカに、アガタは静かな声で尋ねた。
「あなたは今でも女神を信じているの?」
「はい」
「……お連れの方ともども酷い目にあったと聞きましたけど」
「それは、ひとはたいてい、良いときに来て、悪いときに離れていきますけれど」
ルカは祈り手を組み、女神に礼拝した。
「女神さまはどんな時もそばにいて、私の心身を養ってくださいました」
アガタはそれ以上語る言葉を持たなかった。伏し拝むルカから、ゆっくりと女神像に目をやる。縄をからだに巻き付けて立つ像は、筵に座るアガタには実際よりも大きく感じられた。
ルカの気持ちが落ち着いた後、二人は聖堂の外で少し話した。アガタは言った。
「私はいずれラウムへ戻ることになります。女王が動かれた今、あなたの叔父君には誰も手だしできないでしょうから」
それからルカをじっと見て言葉をつづけた。
「結果的に見れば、私達は陛下に泳がされていたのかもしれません。ベルマイン様もオリノコも忌み子と騎士に目がくらみ、聖都の動向に気づかずにいました」
ルカは首を振った。
「女王様は人を操るような真似はしません。ただ、私がぐずぐずして……」
ナタリアが自分を逃がそうとしていたことをルカは知っていた。しかしルカが権力争いから離れるどころかかえって自分から権力のあるところへ突き進んでいくので、見かねて外から手を差し伸べたのだろう。アガタは目をすがめて「わかっていますか」と尋ねた。
「ひとたび海に出れば、こんなふうにあなたを助けてくれるひとはいません。……いないと、私は思います。修道士のあなたが女神を信じるのは自由だけど」
ルカは微笑んだ。揉み屋を離れる時、アシャギも『あなたの頭の中には深い暗闇がある』と言った。
『今は白い光に照らされて見えないのよ。この土地を離れてお船に乗ったらその光は遠のく。あまりにも暗ければ花は枯れてしまう』
アシャギの謎めいた言葉をルカは不思議と受け入れていた。むしろ時が過ぎ、アガタが同じようなことを言ったために、予言はますます真実味を帯びて聞こえる。「わかっています」とルカは小さな声で答えた。
「どうか祈っていてください」
ルカの言葉に、アガタは後ずさった。
「……わ、私に、祈れと? あなたのために?」
「ええ。私が成し遂げられるように。再びこの地に戻り、平和を知らせられるように」
「まあ、なんというか……それは……」
強い宗教心におののいているアガタに、ルカは「祈りは最善の助けです」と言い切った。泣いたあとの赤い目もそのままにアガタの両手を握り、「どうか私のために祈っていてください」と頼む。
「…………」
アガタはらしくもなく口をまごつかせていたが、やがて「あなたのお望みとあらば」と承諾した。実際、ルカの申し出はアガタを安らがせていた。祈りは、立場や持ち物を必要としない。身一つで叶う献身だった。
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