129 / 145
新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」
35.NO LIFE
しおりを挟む
闇の中、凄まじい風が木々のかたちを歪ませている。吹き付ける風雨を浴びて、オリノコは高台に立っていた。彼のかたわらには、何か大きなものが布を被せてあった。布に、そのものの凹凸の通りに雨水が溜まり、滝のように流れ落ちている。
オリノコは荒れ狂う海を見下ろしていた。海は防波堤を隔てて、二つに分かれて見える。
「高くついたんだけどなぁ……」
雷鳴石を通じ、領民の避難完了は続々と知らされていた。彼に仕える青い騎士が、最終報告を行う。
「領民の退避を確認しました。敵に未だ動きなし。いけます」
「うん……」
気乗りしなさそうなオリノコに対し、青い騎士たちの動きは機敏だった。布の四隅を捧げ持ち、それを雨から庇う。オリノコは砲弾のこもった大筒と向き合った。
「オリノコさん」
「うん……。うん、流されるまま、流れてみよう」
筒の先は防波堤に向いている。オリノコは嘆息し、撃ち手に合図した。
「撃ち方、はじめ」
◇◇◇
耳の中で雷鳴石が反響する。ジェイルは歯を食いしばってバミユールの一撃をはじいた。ルカを守りながら槍を振るう。敵は一人ではない。わらわらと沸いてくる緑の民に、ジェイルは怯まなかった。
いつかのように目くらましの光を浴びせられると、彼は吠えた。
「見えてんだよッ」
自分を取り囲む血の流れを、雨の雫ごと薙ぎ払う。死地を乗り越えた槍遣いは鬼気迫っていた。
だがルカは、彼の異変に気がついていた。息は荒く、肌が冷たい。手傷を負ってもいないのに時おり痛みを耐えるように筋肉が緊張する。そのつど黒い首枷が嫌な音を立て、痣が明滅した。
(なにか、強さと引き換えに命をすり減らしているような)
そう思うのは、ルカだけではないようだった。
「緑が淀んでいる。それは長く保つまい」
柔軟なバミユールは、地につけていた両手を前に浮かせた。姿勢を正した彼女はジェイルより大きかった。
「前にここへ穴を空けたね」
泥にまみれた手で自分の豊かな胸をさする。
「私は同じことをする。あなたは生まれながらにして罪があるので血が絶える。楽になるよ」
「…………」
ふ、とジェイルが息をついた。槍の穂先を下げる彼にルカは驚く。バミユールは歯茎を剥き出しにして笑った。
「オリノコに言われた」
それを言うジェイルは、天を仰いでいた。
「おまえはやけに頑丈で、繁殖力が強いらしいな。罪がないとかなんとかオリノコは意味不明なことを抜かしていたが、要はしぶといんだろう。だからギリギリまで引きつけておけ、と」
バミユールの形相が変わる。後ずさり、仲間に何か言おうとしたようだ。びちゃっと音が立つ。水は彼女の足首まで来ていた。
「もう遅い」
地鳴りが響く。防波堤は崩壊した。大風により潮位は上昇し、海岸線を高波が襲う。吹き寄せられた水は扇形の集落をまたたく間に飲み込んだ。
ジェイルはルカを抱いて跳んだ。あらかじめ物見台から把握した経路をたどり、高台を目指す。ルカは追いかけてくる水の勢いよりもジェイルの息の弱々しさに怯えた。
「ジェイルさま……ジェイルさま!」
ルカは申し訳なかった。ただただ彼の荷物でしかない自分が情けなく、恥ずかしい。だが、喉から出かかった謝罪の言葉を飲み込む。彼がルカを助けるたび、何度となく求めてきたことを言った。
「あ……ありがとう、ジェイル様、ありがとう、私、あなたがいてくれて良かった……! ジェイルさまがいなかったら、私、もう」
ルカは憶えていた。さんざんルカを甘やかしておきながら、ジェイルは『俺がいないと困るだろう』と言った。まるでそれが自分の存在理由かのようにルカの世話を焼いた。騎士として守れなかった時の苦しみようは見ていられなかった。(ちがうのに)とルカは思っていた。(強さより、あなたのその優しさが、いっそう私を守っているのに)と。
地は濁流にあふれ、天からは豪雨が降り注ぐ。ルカの声はあまりにもか細かった。
「わたし――私は、もう、ジェイル様なしには生きてゆかれませんっ……大好きですっ愛してる!」
「……!」
雨に打たれて冷たくなるいっぽうだったジェイルの肌が、その時カッと燃え立った。
彼は怒っていた。
「うるせえ! おまえばっかり好き勝手言うな! バカ!」
「!?」
「ああもうクソ、この非常事態に……! 緊張感のない……ボケ修道士がっ」
いつになく語気が弱い。高台にたどりつくと同時に、ジェイルは倒れこんだ。力尽きてなお両手だけが器用に動く。ルカを守る指は、肌に施された文様をなぞった。
「なんだこの落書きは……ふざけやがって……」
「……! ジェイル様こそ、この首につけているのはなんですか」
「あぁ……?」
ジェイルの顔がふと横を向いた。「おいおい」と彼は笑う。ルカを押しのけ、槍を握りなおす。
「しぶといにも程があるだろう……」
全身に怒気をみなぎらせたバミユールが、そこに立っていた。
オリノコは荒れ狂う海を見下ろしていた。海は防波堤を隔てて、二つに分かれて見える。
「高くついたんだけどなぁ……」
雷鳴石を通じ、領民の避難完了は続々と知らされていた。彼に仕える青い騎士が、最終報告を行う。
「領民の退避を確認しました。敵に未だ動きなし。いけます」
「うん……」
気乗りしなさそうなオリノコに対し、青い騎士たちの動きは機敏だった。布の四隅を捧げ持ち、それを雨から庇う。オリノコは砲弾のこもった大筒と向き合った。
「オリノコさん」
「うん……。うん、流されるまま、流れてみよう」
筒の先は防波堤に向いている。オリノコは嘆息し、撃ち手に合図した。
「撃ち方、はじめ」
◇◇◇
耳の中で雷鳴石が反響する。ジェイルは歯を食いしばってバミユールの一撃をはじいた。ルカを守りながら槍を振るう。敵は一人ではない。わらわらと沸いてくる緑の民に、ジェイルは怯まなかった。
いつかのように目くらましの光を浴びせられると、彼は吠えた。
「見えてんだよッ」
自分を取り囲む血の流れを、雨の雫ごと薙ぎ払う。死地を乗り越えた槍遣いは鬼気迫っていた。
だがルカは、彼の異変に気がついていた。息は荒く、肌が冷たい。手傷を負ってもいないのに時おり痛みを耐えるように筋肉が緊張する。そのつど黒い首枷が嫌な音を立て、痣が明滅した。
(なにか、強さと引き換えに命をすり減らしているような)
そう思うのは、ルカだけではないようだった。
「緑が淀んでいる。それは長く保つまい」
柔軟なバミユールは、地につけていた両手を前に浮かせた。姿勢を正した彼女はジェイルより大きかった。
「前にここへ穴を空けたね」
泥にまみれた手で自分の豊かな胸をさする。
「私は同じことをする。あなたは生まれながらにして罪があるので血が絶える。楽になるよ」
「…………」
ふ、とジェイルが息をついた。槍の穂先を下げる彼にルカは驚く。バミユールは歯茎を剥き出しにして笑った。
「オリノコに言われた」
それを言うジェイルは、天を仰いでいた。
「おまえはやけに頑丈で、繁殖力が強いらしいな。罪がないとかなんとかオリノコは意味不明なことを抜かしていたが、要はしぶといんだろう。だからギリギリまで引きつけておけ、と」
バミユールの形相が変わる。後ずさり、仲間に何か言おうとしたようだ。びちゃっと音が立つ。水は彼女の足首まで来ていた。
「もう遅い」
地鳴りが響く。防波堤は崩壊した。大風により潮位は上昇し、海岸線を高波が襲う。吹き寄せられた水は扇形の集落をまたたく間に飲み込んだ。
ジェイルはルカを抱いて跳んだ。あらかじめ物見台から把握した経路をたどり、高台を目指す。ルカは追いかけてくる水の勢いよりもジェイルの息の弱々しさに怯えた。
「ジェイルさま……ジェイルさま!」
ルカは申し訳なかった。ただただ彼の荷物でしかない自分が情けなく、恥ずかしい。だが、喉から出かかった謝罪の言葉を飲み込む。彼がルカを助けるたび、何度となく求めてきたことを言った。
「あ……ありがとう、ジェイル様、ありがとう、私、あなたがいてくれて良かった……! ジェイルさまがいなかったら、私、もう」
ルカは憶えていた。さんざんルカを甘やかしておきながら、ジェイルは『俺がいないと困るだろう』と言った。まるでそれが自分の存在理由かのようにルカの世話を焼いた。騎士として守れなかった時の苦しみようは見ていられなかった。(ちがうのに)とルカは思っていた。(強さより、あなたのその優しさが、いっそう私を守っているのに)と。
地は濁流にあふれ、天からは豪雨が降り注ぐ。ルカの声はあまりにもか細かった。
「わたし――私は、もう、ジェイル様なしには生きてゆかれませんっ……大好きですっ愛してる!」
「……!」
雨に打たれて冷たくなるいっぽうだったジェイルの肌が、その時カッと燃え立った。
彼は怒っていた。
「うるせえ! おまえばっかり好き勝手言うな! バカ!」
「!?」
「ああもうクソ、この非常事態に……! 緊張感のない……ボケ修道士がっ」
いつになく語気が弱い。高台にたどりつくと同時に、ジェイルは倒れこんだ。力尽きてなお両手だけが器用に動く。ルカを守る指は、肌に施された文様をなぞった。
「なんだこの落書きは……ふざけやがって……」
「……! ジェイル様こそ、この首につけているのはなんですか」
「あぁ……?」
ジェイルの顔がふと横を向いた。「おいおい」と彼は笑う。ルカを押しのけ、槍を握りなおす。
「しぶといにも程があるだろう……」
全身に怒気をみなぎらせたバミユールが、そこに立っていた。
27
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
冷遇された第七皇子はいずれぎゃふんと言わせたい! 赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていました
taki210
ファンタジー
旧題:娼婦の子供と冷遇された第七皇子、赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていた件
『穢らわしい娼婦の子供』
『ロクに魔法も使えない出来損ない』
『皇帝になれない無能皇子』
皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。
だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。
毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき……
『なんだあの威力の魔法は…?』
『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』
『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』
『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』
そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する
美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」
御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。
ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。
✳︎不定期更新です。
21/12/17 1巻発売!
22/05/25 2巻発売!
コミカライズ決定!
20/11/19 HOTランキング1位
ありがとうございます!
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる