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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」
26.檻の中の家畜
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「そう嫌がらず、試してごらん。新しい発見があるかもしれないだろう?」
オリノコはそう言ってルカの右にいた揉み師を手招いた。ルカは驚愕する。酔ったオリノコにとっては男も女もないようだった。
「ん~っ、君、かわいいねぇ。なんて大きなお尻なんだ……」
「あぁっ、オリノコさん……」
「うふんうふん、なにかな? そんなにもじもじして……」
「あん、せんせ、せんせぇ……」
ルカのそばに残った揉み師も、チラチラと向こうを気にしている。(混ざりたいのだろうか)ルカはめまいを覚えた。いったいオリノコとバミユールの何が違うのだろう。彼女も集落で緑の民を何人も抱えていた。
ルカは嫌だった。オリノコにしがみつく揉み師は、ジェイルと背格好が近い。その肩越しに、オリノコが勝ち誇った笑みを向けてくる。
「ルカ、君も男の子ならもっと冒険しなくちゃ」
「……私が男らしくないから、それがなんなのです。節度を守るほうがずっと大切ではありませんか」
「そう言うけどさ、君ってジェイル君以外の男を知ってるの?」
「いい加減にしてください……!」
「いや、怒らないでよ。僕は不思議で仕方ないんだ」
オリノコは揉み師を脱がせながら言った。
「ルカ、君は忌み子だ。相手に恵まれなかったのは仕方ない。しかし戦地のどさくさに紛れて男を一人知っただけの君が、その一人だけにこだわるのはどうかな。もしかしたら、君の運命のお相手はいま隣にいる男の子のほうかもしれないよ?」
その物言いに、ルカの全身は火が点いたように熱くなった。困惑と怒り。羞恥と悲しみ。濁った感情が混ざり合い、咄嗟に言葉が出てこない。オリノコは歯を見せて笑った。
「ま、ジェイル君はかっこいいしね。気持ちはわかるけど」
「あ……あなたは、いったいなにを言って……」
「なにって! ジェイル君の話じゃないか」
ルカは、脱がされた揉み師の背中を見た。筋肉の薄い肌はなめらかで、傷ひとつない。
「彼はすばらしい騎士だ。あの若さで陣頭指揮から護衛までこなす才覚は尋常じゃない。あまたいる孤児の中から彼を見出したテイスティスを、僕は褒めてやりたいよ。跡を継げなかったのは残念だったね」
オリノコがねっとりした手つきで撫で上げると、揉み師は喘ぎとともに肩甲骨を震わせる。まるで翼のない鳥のように。
「そのせいでベルマインが『僕に譲れ』って横取りしようとしてさ、ずいぶん揉めてたっけ。……あ! でも考えてみれば、あの時に手放していればテイスティスも彼に殺されず済んだわけだ。アハハハハ」
無言で震えるルカに「……だからね、」とオリノコは言った。
「君たちが愛し合っていると思い込んでいるのは、単に檻の外を知らないからだよ」
訳知り顔で「戦地ではよくあることさ」とも言った。
「極度に抑圧された環境下では不自然な性衝動に駆られやすい。普通なら好きにならない相手を、かけがえのない宝物のように思うんだ。君たちは同じ檻に入った家畜で、広い森やそこにいるたくさんの仲間のことも知らない」
ルカは瞬き、過去を振り返った。
雪の降り止まない野営地にテントを建てる。枕元のランプは、消したあともまぶしい光が目に残った。暗闇に目が慣れる前の明るさがもっとも暗い。それは言葉遊びのような事実だ。
『ルカ』
ジェイルが呼びながら、かたわらのルカを手で探す。ルカは『はい』と小さく返事して居場所を知らせる。待ちきれず、自分からその手に触ることもあった。ふれ合うと、光の中にいるよりもずっと強く自分の輪郭を意識する。その輪郭がいつも唇から溶けて、彼の熱と息づかいに支配される。
甘い蜜に全身で浸かるような幸福だった。
「……あなたに、わかってもらおうとは思わない」
ルカは首を振った。オリノコは不自然な性衝動と言った。檻の中の家畜だとも。だとしても構わなかった。あの密やかな睦み合いを知っているのは、自分と、彼と、二人を巡り合わせた女神だけでいい。
「せんせ、いけないんだ」
静かになってしまった酒席で、アシャギが頬をふくらませる。
「あれっ。そう? なんか場が盛り下がってる?」
「波音をちゃんと聞いて。海の霊は怒っています」
「えぇ~? 困ったなあ。それじゃ何かなだめるような曲を頼むよ」
アシャギが奏でる竪琴を聞きながら、ルカは心ここにあらずだった。思えば、人前でこんなふうに辱められたことはなかった。旅先で会う人々はルカとジェイルを幼い修道士と口の悪い案内人くらいに思っていたはずだ。
兄妹なのかと聞かれたこともある。ジェイルはその時ひどくばつが悪そうな顔をして、妻だと答えた。自分に聞かせるつもりでそう言ったのだとルカにはわかった。つないでいた手が熱くなり、声の張り方も強くなったから。
ルカはびっくりして、頭巾の下で固まった。ジェイルはもう一度、今度はルカを横目で見ながら言った。
『……妻だ。俺の。……俺だけの』
彼の声が鼓膜にずんと響き、目が潤んだ。嘘だ。性別も身分も完全に偽っている。しかし今このゆきずりのひとの前で自分たちは使命を背負った修道士と騎士でなく、妻とその夫なのだった。罪深くて、嬉しくて、ルカはその日一日まともに口を利けなかった。胸の高鳴りが止まず、声が出なかったから。
オリノコはそう言ってルカの右にいた揉み師を手招いた。ルカは驚愕する。酔ったオリノコにとっては男も女もないようだった。
「ん~っ、君、かわいいねぇ。なんて大きなお尻なんだ……」
「あぁっ、オリノコさん……」
「うふんうふん、なにかな? そんなにもじもじして……」
「あん、せんせ、せんせぇ……」
ルカのそばに残った揉み師も、チラチラと向こうを気にしている。(混ざりたいのだろうか)ルカはめまいを覚えた。いったいオリノコとバミユールの何が違うのだろう。彼女も集落で緑の民を何人も抱えていた。
ルカは嫌だった。オリノコにしがみつく揉み師は、ジェイルと背格好が近い。その肩越しに、オリノコが勝ち誇った笑みを向けてくる。
「ルカ、君も男の子ならもっと冒険しなくちゃ」
「……私が男らしくないから、それがなんなのです。節度を守るほうがずっと大切ではありませんか」
「そう言うけどさ、君ってジェイル君以外の男を知ってるの?」
「いい加減にしてください……!」
「いや、怒らないでよ。僕は不思議で仕方ないんだ」
オリノコは揉み師を脱がせながら言った。
「ルカ、君は忌み子だ。相手に恵まれなかったのは仕方ない。しかし戦地のどさくさに紛れて男を一人知っただけの君が、その一人だけにこだわるのはどうかな。もしかしたら、君の運命のお相手はいま隣にいる男の子のほうかもしれないよ?」
その物言いに、ルカの全身は火が点いたように熱くなった。困惑と怒り。羞恥と悲しみ。濁った感情が混ざり合い、咄嗟に言葉が出てこない。オリノコは歯を見せて笑った。
「ま、ジェイル君はかっこいいしね。気持ちはわかるけど」
「あ……あなたは、いったいなにを言って……」
「なにって! ジェイル君の話じゃないか」
ルカは、脱がされた揉み師の背中を見た。筋肉の薄い肌はなめらかで、傷ひとつない。
「彼はすばらしい騎士だ。あの若さで陣頭指揮から護衛までこなす才覚は尋常じゃない。あまたいる孤児の中から彼を見出したテイスティスを、僕は褒めてやりたいよ。跡を継げなかったのは残念だったね」
オリノコがねっとりした手つきで撫で上げると、揉み師は喘ぎとともに肩甲骨を震わせる。まるで翼のない鳥のように。
「そのせいでベルマインが『僕に譲れ』って横取りしようとしてさ、ずいぶん揉めてたっけ。……あ! でも考えてみれば、あの時に手放していればテイスティスも彼に殺されず済んだわけだ。アハハハハ」
無言で震えるルカに「……だからね、」とオリノコは言った。
「君たちが愛し合っていると思い込んでいるのは、単に檻の外を知らないからだよ」
訳知り顔で「戦地ではよくあることさ」とも言った。
「極度に抑圧された環境下では不自然な性衝動に駆られやすい。普通なら好きにならない相手を、かけがえのない宝物のように思うんだ。君たちは同じ檻に入った家畜で、広い森やそこにいるたくさんの仲間のことも知らない」
ルカは瞬き、過去を振り返った。
雪の降り止まない野営地にテントを建てる。枕元のランプは、消したあともまぶしい光が目に残った。暗闇に目が慣れる前の明るさがもっとも暗い。それは言葉遊びのような事実だ。
『ルカ』
ジェイルが呼びながら、かたわらのルカを手で探す。ルカは『はい』と小さく返事して居場所を知らせる。待ちきれず、自分からその手に触ることもあった。ふれ合うと、光の中にいるよりもずっと強く自分の輪郭を意識する。その輪郭がいつも唇から溶けて、彼の熱と息づかいに支配される。
甘い蜜に全身で浸かるような幸福だった。
「……あなたに、わかってもらおうとは思わない」
ルカは首を振った。オリノコは不自然な性衝動と言った。檻の中の家畜だとも。だとしても構わなかった。あの密やかな睦み合いを知っているのは、自分と、彼と、二人を巡り合わせた女神だけでいい。
「せんせ、いけないんだ」
静かになってしまった酒席で、アシャギが頬をふくらませる。
「あれっ。そう? なんか場が盛り下がってる?」
「波音をちゃんと聞いて。海の霊は怒っています」
「えぇ~? 困ったなあ。それじゃ何かなだめるような曲を頼むよ」
アシャギが奏でる竪琴を聞きながら、ルカは心ここにあらずだった。思えば、人前でこんなふうに辱められたことはなかった。旅先で会う人々はルカとジェイルを幼い修道士と口の悪い案内人くらいに思っていたはずだ。
兄妹なのかと聞かれたこともある。ジェイルはその時ひどくばつが悪そうな顔をして、妻だと答えた。自分に聞かせるつもりでそう言ったのだとルカにはわかった。つないでいた手が熱くなり、声の張り方も強くなったから。
ルカはびっくりして、頭巾の下で固まった。ジェイルはもう一度、今度はルカを横目で見ながら言った。
『……妻だ。俺の。……俺だけの』
彼の声が鼓膜にずんと響き、目が潤んだ。嘘だ。性別も身分も完全に偽っている。しかし今このゆきずりのひとの前で自分たちは使命を背負った修道士と騎士でなく、妻とその夫なのだった。罪深くて、嬉しくて、ルカはその日一日まともに口を利けなかった。胸の高鳴りが止まず、声が出なかったから。
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