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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」
19.オリノコ
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ルテニア王国。女神の小指の爪のかたちをしたその地は、地図上ではタブラーサ大陸に突き出た小さな半島に過ぎない。
王国を侵略せんとするタジボルグ帝国とは最北端のジェミナ領と地続きで、東のかたイグナス領の山から内海を見渡してもすぐそこにある。
もしもジェミナに人を憎む樹林がなければ、イグナス領の内海が磁場を狂わす魔の海域でなければ、このような小国はあっという間に飲み込まれていたことだろう。
しかし濃紺領ダイバは、優しい外海に面していた。季節性の大風がかすめることはあるが気候は温暖で、肥沃な海はさまざまな富をもたらす。魚に海藻、塩、さらには『情報』。
諸外国との交易を禁じられた港に、時として遭難者は流れ着いた。彼らは女神の爪にかかったまれびととして世話され、周辺国の情勢を知る手がかりとなる。とりまとめられた情報は聖都を中心とした各領へ送られた。
先触れの地、ダイバで領主の館は市場の中心にある。強い日差しに磯のにおい、買い物客の喧噪が充満するなかをオリノコは歩いていた。
「オリノコさん! うちの干物を買ってよ!」
「あらまぁ、ありがとう。でもこれ以上は持てないからさ、うちまで届けてよ」
「なんて横着な領主様だろう!」
「青い騎士のひと、果物をどうぞ!」
気前の良い領主が市場を歩けば、漁師や物売りがこぞってまとわりつく。オリノコも彼に従う騎士も両手いっぱいに品物を持っている。
早歩きしていた二人は、ぼろをまとった少女の前で立ち止まった。
「・・・・・・この子、知ってる?」
主人の問いかけに、騎士は耳打ちした。
「緑の民に親を殺された子です。孤児院で世話しているのですが」
慣れない環境を嫌い、すぐに抜け出してしまうのだった。オリノコは子猫を呼ぶように少女を手招いた。逃げようとする少女を、領民たちが前へ押し出す。
「おおよしよし。可愛い子だ」
少女を抱き上げたオリノコは、剃ってなお青々とした髭を彼女の顔に押しつけた。男たちは笑い、女たちは渋面を作る。
「かわいそうじゃない。オリノコさん、下ろしてあげてよ!」
「悪いひとね! 緑の民をやっつけられないうえ、女の子を嫌がらせて」
明るい女の声に、さっとその場に緊張が走る。だが、誰も彼女を諫めはしなかった。口には出さないが、皆同じ気持ちだったからだ。静まりかえった場の中心でオリノコは破顔した。若い女に少女を託し、肩をすくめてみせる。
「なぜ黙る?」
「オリノコさん、違うのよ。あたしは、ただ・・・・・・」
うつむいて口を濁す女を、オリノコは少女ごと抱擁した。
「情けない領主でごめんよ」
おちゃらけた口調に反し、その声音は重かった。女は喉をつまらせる。二人の大人に挟まれた少女は、無言で目を見張っていた。賑やかな街角はほんの数秒、悼むような沈黙に満ちた。
「そろそろ、なんとかしなけりゃいけないよねえ・・・・・・」
館に戻ったオリノコに、騎士はうなずいた。
「ラウムを追われた緑の民たちは、このダイバで勢力を増しています。襲われた漁船も多い。先ほどの少女の家族も、それで・・・・・・」
「女王様にも上手いこと逃げられちゃったからなー。あ~あ、いやな感じ・・・・・・」
廊下に列を成す侍女たちに荷物を預け、外套を脱ぐ。オリノコは窓の外の離れに目をやった。
「お客様はどう? くつろいでる?」
青い衣をまとった侍女は首を横に振った。
「倒れたお連れの方につきっきりです。手伝いを申し出ても『私が看ます』の一点張りで・・・・・・」
「おや、まあ」
オリノコは苦笑した。
「人間もどきが、ずいぶんと入れあげているようだ」
◇◇◇
全身を焼かれるような痛みと喉の渇き。その合間にジェイルは切れ切れに夢を見た。今まで思い返すこともなかった過去の記憶が奔流となって押し寄せてくる。
騎士として初めて従軍した戦があった。親しくしていた仲間が死んだ。ベルマインに身柄をとられそうになった。
そしてギルダが世継ぎを生んだ。産屋で汗みずくのままジェイルを呼びつけた彼女は『おまえの新しい主人です』と、呪うように言い放った。
現実には『俺はテイスティスにしか従わん』と返したのに、夢の中では足がすくんで動けなかった。
あの時、彼女の言葉にうなずいたらジェイルはベアシュの親衛隊に入れられていたはずだ。冬麗の戦に従軍せず、テイスティスを殺すこともなく、ルカとも出会わなかった。炎のような目をしたギルダが、なぜかそれを知っていたような気がする。
悪夢に苦しみ抜いた末、ふと、優しい香りに誘われて目を開けた。
ルカだった。
寝台のふちに突っ伏して眠っている。寝息に上下する後頭部が銀の毛糸玉のようだ。痺れた手を動かして触ろうとした時、知らない声がした。
「まだ寝かせておくといい」
「・・・・・・!」
離れを覗きに来たオリノコだった。寝台に近づいた彼は、ルカを物珍しそうに見下ろしている。
「ふうん! こうして見るとただの子供みたいだけどね」
「・・・・・・あんた、オリノコか」
低くかすれた声に、オリノコは「うん」とうなずいた。
「そう言う君はテイスティスの秘蔵っ子じゃないか。たしかジェイル君だっけ? いやあ大きくなったもんだ」
「・・・・・・」
ジェイルは暗い室内に目を走らせた。両手両足に包帯を巻かれ、衣類は取り替えられている。看護台には薬草と水差しが並べられ、粥の盛られた膳があった。床に置かれているのは、尿瓶だ。
「僕は何もしてないよ。この子だ」
オリノコが顎でルカを差した。
「念のため侍女をつけていたが、大した献身ぶりだったらしい。意識の戻らない君のために口移しで食事を与え、下の世話まで。愛だね、愛」
「・・・・・・目的は、なんだ」
ジェイルは唸るように問いかけた。まだ完全には熱のひかない頭を回転させ、オリノコの狙いを探ろうとする。
「聞いたぜ・・・・・・あんた、ベルマインと組んで帝国に鮮緑の雷筒を送ったんだってな。どうせ今の状況もクソッタレのベルマインが一枚噛んでいるんだろう。ルカの命を狙った連中が、なぜ俺たちを助ける」
「いいね。話が早くて助かるよ」
オリノコは愉快そうに肩をすくめた。対照的に、ジェイルは眉間に皺を寄せた。
王国を侵略せんとするタジボルグ帝国とは最北端のジェミナ領と地続きで、東のかたイグナス領の山から内海を見渡してもすぐそこにある。
もしもジェミナに人を憎む樹林がなければ、イグナス領の内海が磁場を狂わす魔の海域でなければ、このような小国はあっという間に飲み込まれていたことだろう。
しかし濃紺領ダイバは、優しい外海に面していた。季節性の大風がかすめることはあるが気候は温暖で、肥沃な海はさまざまな富をもたらす。魚に海藻、塩、さらには『情報』。
諸外国との交易を禁じられた港に、時として遭難者は流れ着いた。彼らは女神の爪にかかったまれびととして世話され、周辺国の情勢を知る手がかりとなる。とりまとめられた情報は聖都を中心とした各領へ送られた。
先触れの地、ダイバで領主の館は市場の中心にある。強い日差しに磯のにおい、買い物客の喧噪が充満するなかをオリノコは歩いていた。
「オリノコさん! うちの干物を買ってよ!」
「あらまぁ、ありがとう。でもこれ以上は持てないからさ、うちまで届けてよ」
「なんて横着な領主様だろう!」
「青い騎士のひと、果物をどうぞ!」
気前の良い領主が市場を歩けば、漁師や物売りがこぞってまとわりつく。オリノコも彼に従う騎士も両手いっぱいに品物を持っている。
早歩きしていた二人は、ぼろをまとった少女の前で立ち止まった。
「・・・・・・この子、知ってる?」
主人の問いかけに、騎士は耳打ちした。
「緑の民に親を殺された子です。孤児院で世話しているのですが」
慣れない環境を嫌い、すぐに抜け出してしまうのだった。オリノコは子猫を呼ぶように少女を手招いた。逃げようとする少女を、領民たちが前へ押し出す。
「おおよしよし。可愛い子だ」
少女を抱き上げたオリノコは、剃ってなお青々とした髭を彼女の顔に押しつけた。男たちは笑い、女たちは渋面を作る。
「かわいそうじゃない。オリノコさん、下ろしてあげてよ!」
「悪いひとね! 緑の民をやっつけられないうえ、女の子を嫌がらせて」
明るい女の声に、さっとその場に緊張が走る。だが、誰も彼女を諫めはしなかった。口には出さないが、皆同じ気持ちだったからだ。静まりかえった場の中心でオリノコは破顔した。若い女に少女を託し、肩をすくめてみせる。
「なぜ黙る?」
「オリノコさん、違うのよ。あたしは、ただ・・・・・・」
うつむいて口を濁す女を、オリノコは少女ごと抱擁した。
「情けない領主でごめんよ」
おちゃらけた口調に反し、その声音は重かった。女は喉をつまらせる。二人の大人に挟まれた少女は、無言で目を見張っていた。賑やかな街角はほんの数秒、悼むような沈黙に満ちた。
「そろそろ、なんとかしなけりゃいけないよねえ・・・・・・」
館に戻ったオリノコに、騎士はうなずいた。
「ラウムを追われた緑の民たちは、このダイバで勢力を増しています。襲われた漁船も多い。先ほどの少女の家族も、それで・・・・・・」
「女王様にも上手いこと逃げられちゃったからなー。あ~あ、いやな感じ・・・・・・」
廊下に列を成す侍女たちに荷物を預け、外套を脱ぐ。オリノコは窓の外の離れに目をやった。
「お客様はどう? くつろいでる?」
青い衣をまとった侍女は首を横に振った。
「倒れたお連れの方につきっきりです。手伝いを申し出ても『私が看ます』の一点張りで・・・・・・」
「おや、まあ」
オリノコは苦笑した。
「人間もどきが、ずいぶんと入れあげているようだ」
◇◇◇
全身を焼かれるような痛みと喉の渇き。その合間にジェイルは切れ切れに夢を見た。今まで思い返すこともなかった過去の記憶が奔流となって押し寄せてくる。
騎士として初めて従軍した戦があった。親しくしていた仲間が死んだ。ベルマインに身柄をとられそうになった。
そしてギルダが世継ぎを生んだ。産屋で汗みずくのままジェイルを呼びつけた彼女は『おまえの新しい主人です』と、呪うように言い放った。
現実には『俺はテイスティスにしか従わん』と返したのに、夢の中では足がすくんで動けなかった。
あの時、彼女の言葉にうなずいたらジェイルはベアシュの親衛隊に入れられていたはずだ。冬麗の戦に従軍せず、テイスティスを殺すこともなく、ルカとも出会わなかった。炎のような目をしたギルダが、なぜかそれを知っていたような気がする。
悪夢に苦しみ抜いた末、ふと、優しい香りに誘われて目を開けた。
ルカだった。
寝台のふちに突っ伏して眠っている。寝息に上下する後頭部が銀の毛糸玉のようだ。痺れた手を動かして触ろうとした時、知らない声がした。
「まだ寝かせておくといい」
「・・・・・・!」
離れを覗きに来たオリノコだった。寝台に近づいた彼は、ルカを物珍しそうに見下ろしている。
「ふうん! こうして見るとただの子供みたいだけどね」
「・・・・・・あんた、オリノコか」
低くかすれた声に、オリノコは「うん」とうなずいた。
「そう言う君はテイスティスの秘蔵っ子じゃないか。たしかジェイル君だっけ? いやあ大きくなったもんだ」
「・・・・・・」
ジェイルは暗い室内に目を走らせた。両手両足に包帯を巻かれ、衣類は取り替えられている。看護台には薬草と水差しが並べられ、粥の盛られた膳があった。床に置かれているのは、尿瓶だ。
「僕は何もしてないよ。この子だ」
オリノコが顎でルカを差した。
「念のため侍女をつけていたが、大した献身ぶりだったらしい。意識の戻らない君のために口移しで食事を与え、下の世話まで。愛だね、愛」
「・・・・・・目的は、なんだ」
ジェイルは唸るように問いかけた。まだ完全には熱のひかない頭を回転させ、オリノコの狙いを探ろうとする。
「聞いたぜ・・・・・・あんた、ベルマインと組んで帝国に鮮緑の雷筒を送ったんだってな。どうせ今の状況もクソッタレのベルマインが一枚噛んでいるんだろう。ルカの命を狙った連中が、なぜ俺たちを助ける」
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