109 / 138
新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」
15.⬛︎⬛︎⬛︎
しおりを挟む
暗い牢にひとすじの光が差す。松明のように掲げられた光は、しかし異様に青白い。光が男たちの褐色の肌と緑の瞳をあらわにする。
人数は二人。武器も持たない軽装だった。腰に巻きつけた大布を肩に回しかけ、背に下ろしている。露わな片胸に、聖なる幾何学の紋様を彫りこんでいた。
先頭の男が、松明を高く掲げた。
「起きろ、ヒツジ」
ルカは薄目を開けたまま、うつ伏せに倒れていた。その唇を伝う血を見て、男たちは即座に膝を折った。
「死?死死死死?」
「待て、もう一匹は」
あたりを見回した男の首に、ジェイルは背後から踵を叩き込んだ。悲鳴を上げようとしたもう一人の顎を蹴り上げ、「……ふん」とため息をつく。
「神を気取るわりに急所も人と同じか」
口に付けた血はジェイルのものだ。目を開けたルカを引っ張り起こしながら、ジェイルは笑った。
「おまえの親戚はずいぶん俺たちと近いらしいな? ルカ」
「……自然と似てしまったそうです」
ルカは気絶した男たちを見下ろした。母からおとぎ話のように聞いたことがある。
「このひとたちの……いいえ、私たちの祖先は空から来ました。ルテニアに降り立った時点では、こういった姿かたちをしていなかったはずです。環境に適した姿をただただひたすらに真似て、時が経ちすぎた今ではもう元に戻れなくなってしまったと、そう聞きました」
「……ふうん」
ジェイルはルカを負ぶって走った。地下牢を上がれば、切り立った石壁の真上。下で月光を反射しているのは川の流れだ。降りるのは不可能であることはわかっている。ジェイルはここまで連れて来られた道を覚えていた。前を塞ぐ緑の民を見据え、ジェイルが叫んだ。
「突破する。舌噛むなよ!」
「はい!」
駆け抜ける緑の民の集落――彼らの言葉でサモンと呼ばれるすみかはひどく奇妙な構造をしていた。よくしなる木をあばら骨として成形した巨大な幕屋は、まるで四つ足の獣の体内だ。骨と骨の隙は薄い被膜に覆われ、星が透けて見える。
逃げた家畜を捕えようと緑の民が腕を広げる。ジェイルはその腿を踏みつけて逃れた。彼の眼光は鋭かった。未来が見えるかのようにひとの動きを読み、常に先手をとる。
「ジェイル様、伏せてっ」
ひゅん、と頭上を飛び道具がかすめた。矢ではない。鳥のように滑空しては使い手の手に返る飛去来器だった。ジェイルの指が無い槍を握るかたちに動く。素手では抜けられない壁だった。
「!」
その瞬間、白い閃光が二人を包んだ。目くらましにジェイルは舌打ちした。視界を奪われてなお、彼の平衡感覚は万全だった。敵から距離を保ち吐き捨てる。
「ずいぶんと人間くさい手を……!」
「それはそれはありがとう」
その声は真後ろからした。ぞッとジェイルの首筋が粟立つのをルカは感じる。音と感触だけの世界でジェイルの肌が遠のいた。地面に叩きつけられてようやく、ルカは振り落とされたのだと気づいた。
「ルカ! 狙いはおまえだ、どっか、ひっこんで……」
声が奇妙に歪む。ルカは息を呑んだ。低く打ち据える音。肉を裂く音。なめらかに囁くような緑の民の声。
「なんてなんて生きのいい守り手。まだ死なない。まだ、まだ死なない。うわぁー」
ルカは喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「繧?a縺ヲ!!!」
声は夜気にキンと響き渡った。耳だけで聞き覚えた言葉だ。抑揚も発音も不確かで、内臓がひっくり返ったような心地がする。思い切り咳き込むルカを、緑の民は取り囲んだ。さぞ驚いたことだろう。彼らにとってはカエルが人語を発するようなものだ。
(今のうちに、逃げて)
光に潰れた視力が戻ってくる。
(え……)
目の前にいるひとの姿にルカは目を疑った。血まみれで自分を覗き込んでくる女性は、母によく似ていた。
「ああ、私たちの子羊!」
豊かな胸にルカを抱き、頬ずりをする。懐かしい香りにルカは抗う力を失くした。
(ああ、私は本当に、)
突きつけられた事実に涙が止まらない。
(人間とは違うものなんだ……)
女は集落の有力者らしかった。ルカを軽々と抱き上げると、背後の血だまりを指して「かたづけておいて」と言いつける。数名の緑の民たちが武器を収め、ジェイルに近寄った。
「本当に生きのいい守り手」
「食いでのいい肉」
「ギャッ!」
一人が血だまりに腰を抜かした。震える指でジェイルの顔を指さす。
「神の人の、しるし……!」
血を浴びた彼の顔には光る痣が浮かんでいた。
人数は二人。武器も持たない軽装だった。腰に巻きつけた大布を肩に回しかけ、背に下ろしている。露わな片胸に、聖なる幾何学の紋様を彫りこんでいた。
先頭の男が、松明を高く掲げた。
「起きろ、ヒツジ」
ルカは薄目を開けたまま、うつ伏せに倒れていた。その唇を伝う血を見て、男たちは即座に膝を折った。
「死?死死死死?」
「待て、もう一匹は」
あたりを見回した男の首に、ジェイルは背後から踵を叩き込んだ。悲鳴を上げようとしたもう一人の顎を蹴り上げ、「……ふん」とため息をつく。
「神を気取るわりに急所も人と同じか」
口に付けた血はジェイルのものだ。目を開けたルカを引っ張り起こしながら、ジェイルは笑った。
「おまえの親戚はずいぶん俺たちと近いらしいな? ルカ」
「……自然と似てしまったそうです」
ルカは気絶した男たちを見下ろした。母からおとぎ話のように聞いたことがある。
「このひとたちの……いいえ、私たちの祖先は空から来ました。ルテニアに降り立った時点では、こういった姿かたちをしていなかったはずです。環境に適した姿をただただひたすらに真似て、時が経ちすぎた今ではもう元に戻れなくなってしまったと、そう聞きました」
「……ふうん」
ジェイルはルカを負ぶって走った。地下牢を上がれば、切り立った石壁の真上。下で月光を反射しているのは川の流れだ。降りるのは不可能であることはわかっている。ジェイルはここまで連れて来られた道を覚えていた。前を塞ぐ緑の民を見据え、ジェイルが叫んだ。
「突破する。舌噛むなよ!」
「はい!」
駆け抜ける緑の民の集落――彼らの言葉でサモンと呼ばれるすみかはひどく奇妙な構造をしていた。よくしなる木をあばら骨として成形した巨大な幕屋は、まるで四つ足の獣の体内だ。骨と骨の隙は薄い被膜に覆われ、星が透けて見える。
逃げた家畜を捕えようと緑の民が腕を広げる。ジェイルはその腿を踏みつけて逃れた。彼の眼光は鋭かった。未来が見えるかのようにひとの動きを読み、常に先手をとる。
「ジェイル様、伏せてっ」
ひゅん、と頭上を飛び道具がかすめた。矢ではない。鳥のように滑空しては使い手の手に返る飛去来器だった。ジェイルの指が無い槍を握るかたちに動く。素手では抜けられない壁だった。
「!」
その瞬間、白い閃光が二人を包んだ。目くらましにジェイルは舌打ちした。視界を奪われてなお、彼の平衡感覚は万全だった。敵から距離を保ち吐き捨てる。
「ずいぶんと人間くさい手を……!」
「それはそれはありがとう」
その声は真後ろからした。ぞッとジェイルの首筋が粟立つのをルカは感じる。音と感触だけの世界でジェイルの肌が遠のいた。地面に叩きつけられてようやく、ルカは振り落とされたのだと気づいた。
「ルカ! 狙いはおまえだ、どっか、ひっこんで……」
声が奇妙に歪む。ルカは息を呑んだ。低く打ち据える音。肉を裂く音。なめらかに囁くような緑の民の声。
「なんてなんて生きのいい守り手。まだ死なない。まだ、まだ死なない。うわぁー」
ルカは喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「繧?a縺ヲ!!!」
声は夜気にキンと響き渡った。耳だけで聞き覚えた言葉だ。抑揚も発音も不確かで、内臓がひっくり返ったような心地がする。思い切り咳き込むルカを、緑の民は取り囲んだ。さぞ驚いたことだろう。彼らにとってはカエルが人語を発するようなものだ。
(今のうちに、逃げて)
光に潰れた視力が戻ってくる。
(え……)
目の前にいるひとの姿にルカは目を疑った。血まみれで自分を覗き込んでくる女性は、母によく似ていた。
「ああ、私たちの子羊!」
豊かな胸にルカを抱き、頬ずりをする。懐かしい香りにルカは抗う力を失くした。
(ああ、私は本当に、)
突きつけられた事実に涙が止まらない。
(人間とは違うものなんだ……)
女は集落の有力者らしかった。ルカを軽々と抱き上げると、背後の血だまりを指して「かたづけておいて」と言いつける。数名の緑の民たちが武器を収め、ジェイルに近寄った。
「本当に生きのいい守り手」
「食いでのいい肉」
「ギャッ!」
一人が血だまりに腰を抜かした。震える指でジェイルの顔を指さす。
「神の人の、しるし……!」
血を浴びた彼の顔には光る痣が浮かんでいた。
36
お気に入りに追加
86
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。
アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。
今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。
私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。
これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。
【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる