忌み子と騎士のいるところ

春Q

文字の大きさ
上 下
106 / 138
新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」

12.舟歌

しおりを挟む
 ルカはもうアガタと話せなかった。持ち運びのためにばらけていたジェイルの槍は、石突に仕掛けがあった。一振りでぎゅんと組みあがった穂先を、彼はアガタに突きつけた。

「こいつに妙な真似をしてみろ。ただじゃおかない」

 アガタは笑って両手を顔の横に挙げた。

「短気なひとですね」

「ジェイル様、誤解です」

 ルカは首根っこを彼の左手に掴まれていた。胴に縋り「槍を収めてください」と頼み込む。人目があった。アガタに槍を突きつける彼を見て、黄色い騎士たちが動揺している。

 アガタは穂先を、手の甲でそっとわきへ避けた。

「いつもそうなのですか。忌み子の清さを盾に猛り狂っている?」

「おまえはベルマインの手先だ。何を企んでいるかわかったものじゃない」

「……うふ。私はただ、彼と名残を惜しんでいただけですのに」

 吐息交じりの言葉は妙に艶めかしい。ジェイルの眉間に青筋が立った。

「貴様、よくも……!」

「ジェイル様、落ち着いてください! アガタ様も大概になさってください。私たちをからかってあなたになんの得があるのです」

「何も」

 アガタは騎士たちを安心させるように軽く手を振った。また悪ふざけか、という声が聞こえてきたのはアガタがよくこうして異性をからかっているからなのだろう。

「先ほど言った通りです。私はあなたが女神のほしいままにされるのが気に食わない。だからご忠告申し上げたまで」

 アガタはジェイルが落とした水差しを拾った。

「返してきます」

 場を荒らすだけ荒らして行ってしまう。ジェイルは怒って「あの変態女に何をされた」とルカを揺さぶった。

「な、なにもされていません。私にも何がなんだかわからないのです」

「急に抱きつかれたのか。それだけか」

 ルカは言葉に迷った。『穢れた騎士に心を許すな』――アガタがそんなことを言ったと知ったら、ジェイルは問い詰めに行くだろう。本気で槍を振るうかもしれない。

「……彼女は私たちをからかって楽しんでいるのです。それだけです」

「…………」

「ジェイル様?」

 ジェイルはルカの頬に片手を当てた。そのまま頭巾の中に手を入れて首筋を撫でる。

「悪かった。たとえ一瞬でも、おまえから離れるべきじゃなかった」

「そんなことは……」

「おまえに何かあったら、俺は困る」

「私はここにいます」

 ルカはジェイルに抱きついた。ジェイルは怒っているのではなく、ただただルカの身を案じているのだった。妹の死に目にはあえなかったという。冬麗の戦では、一瞬のうちに多くの仲間を屠られた。力がなければ奪われる。気を緩めれば殺される。ジェイルの過保護さは病的だが、彼の経験に即していえば決して行き過ぎではなかった。

「ルカはずっとジェイル様のおそばにいます」

 愛しているからそうしたい。それだけではない。女神もルカがそのように働くことを望んでいると思った。ジェイルは無言で抱擁を受けていたが、やがて拗ねた声で「わかってるならいい」と言った。

(……本当に、こんなに優しい方が私を害するはずがないのに)

 しかしルカは、アガタの不吉な言葉を忘れることができなかった。昨夜見たジェイルの光る痣が心に残っていた。あれが悪夢だったかどうかを確かめるすべもないのだ。

 川下りの舟は小さかった。船頭が一人、ジェイルとルカ、途中の渡し場で降りるというアガタが乗り込めば、それで定員だ。黄みがかった岸壁が連続し、そこかしこに奇岩が見られる。

「流れが速いでしょ? このへんは土が固いのに水量が多いから勢いが凄くって」

 客慣れした船頭はそんなふうに説明した。ここ数日の雨で水嵩はさらに増していた。岸壁の隙から小さな滝がいくつも出現している。ルカは見たことのない自然に釘付けだった。

「落ちるぞ」

 ジェイルが背後から押さえていなければ、本当に落ちていたかもしれない。獅子の鼻に似た奇岩に見とれていた。前にも後ろにも、同じように川を下る舟影があった。谷川に舟歌がこだまする。棹で速度を制御する拍子も歌に合わせているのだった。節まわしが上がるにつれ、気温が上がった。水しぶきの混ざった風が山肌を冷やし、谷にもやがかかりはじめる。

「……あれぇっ、なんだぁ?」

 船頭がちらりと背後を振り向く。後続の舟から聞こえてくるはずの舟歌が、途絶えた。

「伏せろ!」

 叫んだのはアガタだった。ジェイルがガバッと覆いかぶさったので、ルカは船頭が水に落ちるところを見なかった。続けざまに矢を射かけられる。ジェイルが皮肉っぽく笑った。

「お次は緑の民のおでましか……!」

 ルカは見た。岸壁に立つ緑の民の軍勢を。その矢が自分を狙っていると、わかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

処理中です...