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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」
11.がちゃん
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ラウムには騎士団の拠点がいくつもあった。アガタが立ち寄るとみな居住まいを正す。町はずれでは馬を借りた。緑の民の痕跡が薄れるにつれ、道は悪くなっていくのだった。
「あなたは一人で馬に乗れないのですか」
アガタがそう言ったのは、三頭よこされた馬のうち一頭を返した時だった。ルカは恥じ入った。
「一人で乗ったことがありません……」
アガタはルカよりもジェイルに驚いているようだった。
「教えないんですか」
「何を」
ジェイルは蹄鉄の具合が気に食わないらしい。馬をなだめながら様子を見ている。彼の出身地、イグナス領は名馬を産する。漆黒の騎士である彼からすれば「ひとに教わるようなことじゃない」らしい。
身分を隠す旅で、馬はひとの注意を惹きすぎることがある。聖都を出る際に手配した馬のことも、彼はこだわりなく路銀に変えていた。ジェイルは馬の手綱を引きながら言った。
「こっちは女王の命を受けて護衛しているんだ。一人で自由にさせて落馬でもされたらたまったもんじゃない」
「なんと、まあ。過保護な……」
赤面して顔も上げられないルカを、ジェイルは「ほら」と馬に乗せた。馬のほうも乗りやすいようにと頭を下げてくれるのだからいたたまれない。
(アガタ様の言うとおりだ……私は大人で、旅をしているのだから、自分で馬を駆れたほうがいいに決まっている)
しかし、荒れた道を行く間、ジェイルはルカに決して手綱を握らせなかった。アガタが前で悠々と馬を駆るのが、ルカは眩しかった。
(私は、もしかしてジェイル様に甘やかされすぎているのでは……?)
修道院では忌み子として遠ざけられ、自分のことはなんでも自分でしなければならなかった。修道士の技術を身に着け、女神の教えを学び、日々の日課をこなす。すべきことは多く、両親を失った悲しみを薄れさせた。
(……もしもジェイル様がいなくなってしまったら、私は……)
ルカの思考を読んだように、ジェイルは鼻で笑った。
「また妙なことを考えているな」
「えっ……」
「俺がいないと困るだろう。ルカ」
「…………!」
言葉に詰まるルカを、ジェイルは「どうなんだよ」と笑った。
「……はい。とても困ってしまう」
「へぇ。だから?」
「……こ、これからも……一緒にいてくれますか……?」
横ざまに流れていく景色が眩しい。町の中では水路だった流れが、道を行くに連れて川らしくなる。きらきらと光る水の反射がジェイルの手指や腕の輪郭を濃くする。耳に口づけられて、ルカは全身がむずがゆかった。馬が駆けるよりも迅く、心臓が脈打っている。
「おまえの望む通りに」
ルカは気を失いそうになる。ジェイルの囁きはあまりにも優しかった。
朝から移動を続け、渡し場に着いたのは昼にかかる頃だった。同地点にある雄黄の騎士団の拠点では、すでに三人が来ることが知らされていた。借りた馬を返して糧食を分けてもらう。船を待つ渡し場ではいさかいの声がよく聞かれた。ベルマインが下した移動制限がここでも行われているためだ。ダイバに向かう商人や職人たちは、ここで騎士に旅券を改められる。旅券には等級があり、低ければ先へ進むことができないのだった。
「まだ少しかかるようです」
様子を見に行っていたアガタが知らせに来た。騎士団専用の固形の糧食は保存がきくけれど乾燥している。ルカは喉がつかえて、とっさに返事ができなかった。ジェイルが「世話の焼ける……」と水を取りに行くあいだ、アガタはルカの背中をさすっていた。
「あ……ありがとうございます。すみません」
「……いいえ」
アガタの手が離れる。ルカはハッとした。むせた拍子に頭巾がずれていたのだ。忌み子に喜んで触れるひとはいない。ルカは頭巾をかぶり直し、アガタに感謝した。
「本当にありがとうございます。私のような未熟者がここまで来ることができたのも、アガタ様のおかげです」
「私は何もしていませんが」
「いいえ。私とジェイル様だけでは、この道は開かれなかった」
その時、アガタの顔にはなんの表情も浮かんでいなかった。いつもの貼り付けたような笑みを失くすと、彼女の一重瞼や、女性にしては痩せた輪郭がよくわかった。
ルカは言った。
「……ここに来る前、良いことでも悪いことでも女神様の導きとして受け入れるのか、そう尋ねられましたね」
瞳を隠していても伝わるように、満面の笑みを浮かべてみせる。
「もちろんそうです。女神様のなさることに良いも悪いもないのです。ただ私たちには、女神様の深いお考えがわからないだけ」
「……本当かしら」
「本当です。それに、どんな時でも女神さまは祈れば応えてくださいます」
ルカは修道士らしくアガタの前に膝をつき、祈り手を組んだ。
「アガタ様、あなたに女神様の祝福があらんことを」
アガタは何を思ったか、祈るルカを抱擁した。
「!?」
「修道士さま。あなたは気の毒な方です」
「えっ……えっ!?」
合わせた胸のやわらかさにルカは狼狽した。アガタは女性だった。忌み子として、修道士として、絶対に意識してはならない相手である。
「な、なにをするのですかっ、アガタ様」
「……そうですね。私も、自分が何をしているのかわからない」
ルカは黙った。顔の見えないアガタが、なぜか泣いているような気がした。
「アガタ様……?」
「穢れた騎士に心を許してはいけません。彼はいつかあなたを害するから」
アガタの言葉に、ルカは耳を疑った。すっと体を離したアガタはもちろん泣いてなどおらず、いつもの筆で描いたような笑みを浮かべていた。
「あなたが女神の思い通りになるのかと思うと、癪に障るのです。私は……」
「えっ……」
ルカはそれ以上追及することができなかった。少し離れたところで水入れが落ちたからだ。ジェイルは、アガタがルカを抱くところを目撃していた。
「あなたは一人で馬に乗れないのですか」
アガタがそう言ったのは、三頭よこされた馬のうち一頭を返した時だった。ルカは恥じ入った。
「一人で乗ったことがありません……」
アガタはルカよりもジェイルに驚いているようだった。
「教えないんですか」
「何を」
ジェイルは蹄鉄の具合が気に食わないらしい。馬をなだめながら様子を見ている。彼の出身地、イグナス領は名馬を産する。漆黒の騎士である彼からすれば「ひとに教わるようなことじゃない」らしい。
身分を隠す旅で、馬はひとの注意を惹きすぎることがある。聖都を出る際に手配した馬のことも、彼はこだわりなく路銀に変えていた。ジェイルは馬の手綱を引きながら言った。
「こっちは女王の命を受けて護衛しているんだ。一人で自由にさせて落馬でもされたらたまったもんじゃない」
「なんと、まあ。過保護な……」
赤面して顔も上げられないルカを、ジェイルは「ほら」と馬に乗せた。馬のほうも乗りやすいようにと頭を下げてくれるのだからいたたまれない。
(アガタ様の言うとおりだ……私は大人で、旅をしているのだから、自分で馬を駆れたほうがいいに決まっている)
しかし、荒れた道を行く間、ジェイルはルカに決して手綱を握らせなかった。アガタが前で悠々と馬を駆るのが、ルカは眩しかった。
(私は、もしかしてジェイル様に甘やかされすぎているのでは……?)
修道院では忌み子として遠ざけられ、自分のことはなんでも自分でしなければならなかった。修道士の技術を身に着け、女神の教えを学び、日々の日課をこなす。すべきことは多く、両親を失った悲しみを薄れさせた。
(……もしもジェイル様がいなくなってしまったら、私は……)
ルカの思考を読んだように、ジェイルは鼻で笑った。
「また妙なことを考えているな」
「えっ……」
「俺がいないと困るだろう。ルカ」
「…………!」
言葉に詰まるルカを、ジェイルは「どうなんだよ」と笑った。
「……はい。とても困ってしまう」
「へぇ。だから?」
「……こ、これからも……一緒にいてくれますか……?」
横ざまに流れていく景色が眩しい。町の中では水路だった流れが、道を行くに連れて川らしくなる。きらきらと光る水の反射がジェイルの手指や腕の輪郭を濃くする。耳に口づけられて、ルカは全身がむずがゆかった。馬が駆けるよりも迅く、心臓が脈打っている。
「おまえの望む通りに」
ルカは気を失いそうになる。ジェイルの囁きはあまりにも優しかった。
朝から移動を続け、渡し場に着いたのは昼にかかる頃だった。同地点にある雄黄の騎士団の拠点では、すでに三人が来ることが知らされていた。借りた馬を返して糧食を分けてもらう。船を待つ渡し場ではいさかいの声がよく聞かれた。ベルマインが下した移動制限がここでも行われているためだ。ダイバに向かう商人や職人たちは、ここで騎士に旅券を改められる。旅券には等級があり、低ければ先へ進むことができないのだった。
「まだ少しかかるようです」
様子を見に行っていたアガタが知らせに来た。騎士団専用の固形の糧食は保存がきくけれど乾燥している。ルカは喉がつかえて、とっさに返事ができなかった。ジェイルが「世話の焼ける……」と水を取りに行くあいだ、アガタはルカの背中をさすっていた。
「あ……ありがとうございます。すみません」
「……いいえ」
アガタの手が離れる。ルカはハッとした。むせた拍子に頭巾がずれていたのだ。忌み子に喜んで触れるひとはいない。ルカは頭巾をかぶり直し、アガタに感謝した。
「本当にありがとうございます。私のような未熟者がここまで来ることができたのも、アガタ様のおかげです」
「私は何もしていませんが」
「いいえ。私とジェイル様だけでは、この道は開かれなかった」
その時、アガタの顔にはなんの表情も浮かんでいなかった。いつもの貼り付けたような笑みを失くすと、彼女の一重瞼や、女性にしては痩せた輪郭がよくわかった。
ルカは言った。
「……ここに来る前、良いことでも悪いことでも女神様の導きとして受け入れるのか、そう尋ねられましたね」
瞳を隠していても伝わるように、満面の笑みを浮かべてみせる。
「もちろんそうです。女神様のなさることに良いも悪いもないのです。ただ私たちには、女神様の深いお考えがわからないだけ」
「……本当かしら」
「本当です。それに、どんな時でも女神さまは祈れば応えてくださいます」
ルカは修道士らしくアガタの前に膝をつき、祈り手を組んだ。
「アガタ様、あなたに女神様の祝福があらんことを」
アガタは何を思ったか、祈るルカを抱擁した。
「!?」
「修道士さま。あなたは気の毒な方です」
「えっ……えっ!?」
合わせた胸のやわらかさにルカは狼狽した。アガタは女性だった。忌み子として、修道士として、絶対に意識してはならない相手である。
「な、なにをするのですかっ、アガタ様」
「……そうですね。私も、自分が何をしているのかわからない」
ルカは黙った。顔の見えないアガタが、なぜか泣いているような気がした。
「アガタ様……?」
「穢れた騎士に心を許してはいけません。彼はいつかあなたを害するから」
アガタの言葉に、ルカは耳を疑った。すっと体を離したアガタはもちろん泣いてなどおらず、いつもの筆で描いたような笑みを浮かべていた。
「あなたが女神の思い通りになるのかと思うと、癪に障るのです。私は……」
「えっ……」
ルカはそれ以上追及することができなかった。少し離れたところで水入れが落ちたからだ。ジェイルは、アガタがルカを抱くところを目撃していた。
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