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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」
10.sprash
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タジボルグ帝国への航路は濃紺領ダイバにあった。国内随一の漁港を有するダイバで、領主オリノコはベルマインと結び、帝国と秘密裏に交易を行っていた。
「……同じ航路で、女神の神器のことも帝国へ運んだわけか?」
「ああ」
ジェイルの問いに、ベルマインは全く悪びれなかった。
「シュテマで腐らせておくよりは有効な使い道だった」
ルカを半眼で見る。鮮緑の雷筒、その模造品として帝国が作り出した精霊銃で、ルカは死ぬはずだった。
「計画が不発に終わったとしても、帝国と関係を結べたメリットは大きい」
「人でなしが……!」
「そう思うのだとしたら、君は大局を理解していない」
多忙なベルマインは朝食の席に地図を広げていた。ルカの持ち物とは縮尺が違う。そこに描かれるタジボルグ帝国は、ルテニアの十五倍もの国土を有していた。ベルマインは言った。
「帝国は周辺の小国を飲み込み今なお拡大を続けている」
「……私は、ルテニアが武力で劣っているとは思いません」
鼻腔に血の臭いが蘇る。用意された朝食は王城と比較してもそん色ない豪勢なものだったが、ルカの皿は手つかずだった。ベルマインが血入りの腸詰をパキンと噛み砕く。ルカは声を張った。
「テイスティス様は、侵略軍を四度、いいえ五度も退けてくださいました」
「ああそうとも。おかげで国力は擦り減り、民に税を課すこととなった」
ベルマインの金属製の義手は食器を扱うのに適していなかった。アガタが彼の横につき食事を介助している。果物かごから赤い果実を取ると、小さなナイフで皮をスルスルと剥き、小皿に取る。
種を取り除かれ、食べやすく一口大に切り分けられたものをルカはルテニアの国土のように感じた。王自ら神器を明け渡し、女神への信仰は形骸化した。右往左往する民を尻目に王と領主は甘い汁をすするーーそんな計画だったのだろう。
アガタが差し出す果実を、ベルマインは当然のように口で受けた。
「タジボルグ帝国には小指を動かす程度のことだ。爪を割られたところで痛くも痒くもない」
「そう言うおまえは、動かせる小指もないようだが」
ジェイルが義手を皮肉ると、ベルマインの眉間に皺が寄る。ジェイルは二つに裂いた麺麭の片割れを、ルカの口に押し込んだ。
「むぐ」
「ルカ、こいつと喋るくらいならメシを食え。ベルマインがどんな御託を並べ立てようが、おまえは帝国へ行くんだろうが」
「んっ。うん……」
塊が大きすぎ、一度手に受けなければならなかった。くすっとアガタが笑う。果実はベルマインだけに取り分けられたのではなかった。ジェイルとルカの前にも小皿が一枚ずつ置かれる。
「オリノコ宛てに書状を用意した。持って、ダイバへ向かうといい」
ダイバまでは川を下ってゆくことになる。
「アガタ、領地を抜けるまで供をしておいで」
「……よろしいのですか?」
「ああ。君の目で見届けてほしい」
「承知いたしました」
すっかり許されたらしいアガタを見て、ジェイルが鼻を鳴らす。ルカは戸惑いを覚えた。二人のやりとりに、昨日まではなかった含みを感じる。勧められるまま口にした果実は、どこか甘苦かった。
支度を整え、水上邸を後にする。ベルマインは見送りに出なかったが、ルカは渡し船に乗る間、彼の視線を感じていた。おそらく屋敷の中から船が遠ざかるのを見ているのだろう。
「せっかくお似合いでしたのに、着替えてしまわれたのですね」
来た時との違いを思うのだろう。元の頭巾と修道服に戻ったルカに、アガタは言った。屋敷の地下にあるものを知らない彼女に事情を説明するのは難しい。ルカは謝った。
「すみません。あなたに用意していただいたのに」
「いいえ。自分の命を買い戻せたのですから、安い買い物でした」
アガタは「お二人には感謝しています」と言った。ジェイルの舌打ちを気にせず、彼女はずいっとルカに顔を近づけた。
「あなたは不思議な方ですね。結果的にベルマイン様をも手玉にとってしまわれた」
「そんな、手玉にとるだなんて……」
「修道士のあなたからすれば、これも女神の働きと思うのですか?」
「…………はい」
「起こることが、良いことでも悪いことでも、そう思うの?」
「……?」
陸に着いた。ルカはアガタの言動を怪訝に思った。朝食の席でもそうだった。
「アガタ様、怒っているのですか?」
表情こそ笑っているが、その奥に怒りを押し殺しているように感じる。アガタはルカの言葉に答えなかった。じっと凝視され、ルカは返事に困った。後から船を降りたジェイルが、イライラとルカを自分の背に庇う。
「おまえはベルマインに供するよう言われたのか、それとも邪魔しに来たのか、どっちだ」
「……邪魔など、とんでもありません」
アガタがニッコリと笑みを深くしたために、彼女の真意は読めなくなった。
「ベルマイン様の庇護を受けた私は、女の身でありながら騎士をしているのです。この黄色い帯はその目印。お二人で行くよりも領地内の移動は楽でしょう」
「あ」
ジェイルの隙を突くアガタの手は、しなやかだった。ルカの頭巾のまえがみを掴み、前へギュッと引っ張った。
「そして私自身も、忌み子――いいえ、修道士さまに興味があります」
「おい……!」
ジェイルがうなり声を上げて、ルカを抱き上げる。アガタは二人を見比べてにこにことうなずいた。
「信じる女神に裏切られた時、あなたがどのような反応を示すのか……私は知りたくてたまらない。ダイバ領への川下り、ぜひお供させてくださいな」
「……同じ航路で、女神の神器のことも帝国へ運んだわけか?」
「ああ」
ジェイルの問いに、ベルマインは全く悪びれなかった。
「シュテマで腐らせておくよりは有効な使い道だった」
ルカを半眼で見る。鮮緑の雷筒、その模造品として帝国が作り出した精霊銃で、ルカは死ぬはずだった。
「計画が不発に終わったとしても、帝国と関係を結べたメリットは大きい」
「人でなしが……!」
「そう思うのだとしたら、君は大局を理解していない」
多忙なベルマインは朝食の席に地図を広げていた。ルカの持ち物とは縮尺が違う。そこに描かれるタジボルグ帝国は、ルテニアの十五倍もの国土を有していた。ベルマインは言った。
「帝国は周辺の小国を飲み込み今なお拡大を続けている」
「……私は、ルテニアが武力で劣っているとは思いません」
鼻腔に血の臭いが蘇る。用意された朝食は王城と比較してもそん色ない豪勢なものだったが、ルカの皿は手つかずだった。ベルマインが血入りの腸詰をパキンと噛み砕く。ルカは声を張った。
「テイスティス様は、侵略軍を四度、いいえ五度も退けてくださいました」
「ああそうとも。おかげで国力は擦り減り、民に税を課すこととなった」
ベルマインの金属製の義手は食器を扱うのに適していなかった。アガタが彼の横につき食事を介助している。果物かごから赤い果実を取ると、小さなナイフで皮をスルスルと剥き、小皿に取る。
種を取り除かれ、食べやすく一口大に切り分けられたものをルカはルテニアの国土のように感じた。王自ら神器を明け渡し、女神への信仰は形骸化した。右往左往する民を尻目に王と領主は甘い汁をすするーーそんな計画だったのだろう。
アガタが差し出す果実を、ベルマインは当然のように口で受けた。
「タジボルグ帝国には小指を動かす程度のことだ。爪を割られたところで痛くも痒くもない」
「そう言うおまえは、動かせる小指もないようだが」
ジェイルが義手を皮肉ると、ベルマインの眉間に皺が寄る。ジェイルは二つに裂いた麺麭の片割れを、ルカの口に押し込んだ。
「むぐ」
「ルカ、こいつと喋るくらいならメシを食え。ベルマインがどんな御託を並べ立てようが、おまえは帝国へ行くんだろうが」
「んっ。うん……」
塊が大きすぎ、一度手に受けなければならなかった。くすっとアガタが笑う。果実はベルマインだけに取り分けられたのではなかった。ジェイルとルカの前にも小皿が一枚ずつ置かれる。
「オリノコ宛てに書状を用意した。持って、ダイバへ向かうといい」
ダイバまでは川を下ってゆくことになる。
「アガタ、領地を抜けるまで供をしておいで」
「……よろしいのですか?」
「ああ。君の目で見届けてほしい」
「承知いたしました」
すっかり許されたらしいアガタを見て、ジェイルが鼻を鳴らす。ルカは戸惑いを覚えた。二人のやりとりに、昨日まではなかった含みを感じる。勧められるまま口にした果実は、どこか甘苦かった。
支度を整え、水上邸を後にする。ベルマインは見送りに出なかったが、ルカは渡し船に乗る間、彼の視線を感じていた。おそらく屋敷の中から船が遠ざかるのを見ているのだろう。
「せっかくお似合いでしたのに、着替えてしまわれたのですね」
来た時との違いを思うのだろう。元の頭巾と修道服に戻ったルカに、アガタは言った。屋敷の地下にあるものを知らない彼女に事情を説明するのは難しい。ルカは謝った。
「すみません。あなたに用意していただいたのに」
「いいえ。自分の命を買い戻せたのですから、安い買い物でした」
アガタは「お二人には感謝しています」と言った。ジェイルの舌打ちを気にせず、彼女はずいっとルカに顔を近づけた。
「あなたは不思議な方ですね。結果的にベルマイン様をも手玉にとってしまわれた」
「そんな、手玉にとるだなんて……」
「修道士のあなたからすれば、これも女神の働きと思うのですか?」
「…………はい」
「起こることが、良いことでも悪いことでも、そう思うの?」
「……?」
陸に着いた。ルカはアガタの言動を怪訝に思った。朝食の席でもそうだった。
「アガタ様、怒っているのですか?」
表情こそ笑っているが、その奥に怒りを押し殺しているように感じる。アガタはルカの言葉に答えなかった。じっと凝視され、ルカは返事に困った。後から船を降りたジェイルが、イライラとルカを自分の背に庇う。
「おまえはベルマインに供するよう言われたのか、それとも邪魔しに来たのか、どっちだ」
「……邪魔など、とんでもありません」
アガタがニッコリと笑みを深くしたために、彼女の真意は読めなくなった。
「ベルマイン様の庇護を受けた私は、女の身でありながら騎士をしているのです。この黄色い帯はその目印。お二人で行くよりも領地内の移動は楽でしょう」
「あ」
ジェイルの隙を突くアガタの手は、しなやかだった。ルカの頭巾のまえがみを掴み、前へギュッと引っ張った。
「そして私自身も、忌み子――いいえ、修道士さまに興味があります」
「おい……!」
ジェイルがうなり声を上げて、ルカを抱き上げる。アガタは二人を見比べてにこにことうなずいた。
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