忌み子と騎士のいるところ

春Q

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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」

2.耳を貸してはなりません。☆

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 商業都市ラウム。シュテマの冠。ルテニア王国すべての領地と接する、いびつな黄金の三角地帯。

 腕に覚えのある職人たちはこぞってこの地を目指すという。税制上では優遇措置を設けられた商業特区であり、聖都シュテマとのつながりも深い。ラウムで選りすぐられた品々が聖都シュテマの貴族に愛好されることは多いからだ。

 ルカはセイボリーとはがらりと違う街並みに目をみはった。道は固く舗装されていて、雨が降ってもぬかるむことがない。濡れて光る路面を行き来する人々は多かった。

(お金持ちそうなひとも、馬車を使わずに歩いている)

 それがどうしてなのかはすぐにわかった。道幅が狭いからだ。ひとびとが肩をこすり合わせて歩くのと同じように、建物と建物の間隔も信じらないほど近い。高さを競うように石を積み重ねた街並み。必然的に空は狭かった。

(まるで植物が空に枝葉を伸ばすよう)

 ルカはシュテマともイグナスとも違う街並みをそう感じた。建造物が枝葉なら根は地下道だ。「濡れずに済みますから」とアガタに地下へもぐる階段を示されて、ルカは立ちすくんだ。足元から生ぬるい風が上がってくる。どこかへ通じているのは確かなようだが。

 思わずジェイルを振り向くと、彼は顎で背後の通りを示した。人波に交じって雄黄の騎士の姿が見えた。ここへ来る間にも巡回中の騎士を何人も見かけた。彼らの監視をかいくぐることは難しいだろう。

「手をお貸ししましょうか?」

 暗いところから、アガタの面白がるような声が響いた。

「……いえ。見慣れないので驚いただけです」

 街中に設置されているのだ、危険はないだろう。ルカはジェイルの手をギュッと握って、階段を下りた。

 銀色の手すりも、壁を伝う怪しげな管も、見たことのない材質でできている。足を踏み入れると管が鈍く光った。離れれば暗くなり近づけば明るくなる。ルカは困惑した。おとぎ話の妖精に誘われているような気がする。

「いったい、どんな仕掛けで……」

「さあ。よくは知りませんが緑の民の遺物だそうですよ」

「えっ」

 母の顔が頭に浮かんだ。立ち止まるルカを、アガタは振り向いた。

「かつてこの一帯には緑の民の集落があったそうです」

 女騎士の声は、地下道でわんと不気味に響いた。

「ルテニア人を家畜として虐待した緑の民。天より現れ、神に等しい力を振るった彼らは、得体の知れない技術を持っていました。ラウムにはその痕跡が多く見られます。……というより、壊せずに今でも遺っているというべきでしょうか」

 そう言って、手の甲で固い壁をコンコンと叩いてみせる。外の通りと違い、人気ひとけがないのも頷けた。こうした遺物は、ラウムにとって負の遺産なのだ。

 黙り込むルカに、アガタは距離を詰めた。

「あなたの母は緑の民だそうですね。どうですか? 先祖の遺物を見て思うところは」

「そんな、私は……」

「ああ、だけどあなたはルテニア人の血をもひいておられる。それでは嫌悪するのかしら? 虫けらのように殺されていった父祖たちのために?」

 息を飲んだルカを、ジェイルは自分のそばに引き戻した。アガタに向かって吐き捨てる。

「おまえに無駄話する余裕があるとは思わなかった」

「……うふふ!」

 アガタはくるりと踵を返し、再び歩き出した。

「そういえばベルマイン様のお屋敷でも遺物を所有しているそうですよ。興味があるようでしたら、見せていただいては?」

「ルカ、この女の軽口に耳を貸す必要はない」

「落下月、というそうです」

 ジェイルとアガタの声が左右の壁に同時に反響した。ルカは棒立ちになる。その名は母に聞いたことがあった。『わたしたちの、すばらしいふるさと』。

「……緑の民にとってはよほど重要なもののようで。ラウムが緑の民を一掃できたのも、何代か前の領主様がそれを押さえたからだと聞いています」

 アガタの声が肌を上滑りしていくようだった。固まったルカの手を、ジェイルは強く引いた。

 地下道の外は晴れていた。ルカは先ほどまでの通りより道幅が広くなっていることに気がついた。

(どこか聖都に似ているような……)

 そう思ってみれば、軒を連ねる商店の看板はどれも有名な、高級店ばかりだ。富裕層向けの商業地に出たということだろう。アガタは高級衣料店の前で立ち止まった。

「ベルマイン様の失礼にならないよう、こちらでお召替えしていただきます」

「はっ?」

 肩を怒らせるジェイルを、アガタは気にしなかった。

「お二人とも、あの方に気に入られたいのでしょう。打てる手はすべて打っておかなくては」

 ガラス戸を押して店に入る。従業員たちはアガタを見て緊張した様子だった。

「騎士様、どういったご用件でしょう。うちはなにも後ろ暗い商売は……」

 商業特区だ。法に則り、雄黄の騎士たちが監査を行うこともあるのだろう。アガタはこういった店での買い物に慣れているらしい。ルカとジェイルをにこやかに指し示した。

「こちらの方々にいくつか見繕っていただけますか。……お二人とも、なぜそんなに端に寄っているの?」

「冗談じゃない」ジェイルが苦々しげに言った。「おまえの指図で、それもこんな高い店で、服なんて買わされてたまるか」

「ふっ……!」

 アガタが口を押さえて俯く。肩を震わせて笑っている。

「な、なるほど……ずいぶんと苦労なさったようですね、お気の毒に……!」

「やかましい!」

 堂々と怒るジェイルに対し、ルカは赤面していた。修道士は清貧を旨としている。張る見栄などないけれど、そのせいでジェイルにまで苦労をかけているのかと思うといたたまれない。

「はぁ……庶民的ですね。私は好きですよ、そういうの」

 アガタはやれやれと店の椅子に腰を下ろした。

「しかし私は私を救わなければならないのです。支払いはこちらで済ませますから着替えて来てくださいな」

「タダより高いものはないって知ってるか?」

「いいえ。聞いたこともない」

 ジェイルが言い返すより先に、従業員が一抱えほども服を運んできた。ルカはジェイルの肘を握って言った。

「ジェイル様、ここはアガタ様のお世話になりましょう」

「……わからん。修道士は修道服を着るものなんじゃないのか」

「そうです。しかし服が祈るのではありません。私が祈るのです、ジェイル様」

 背伸びして見上げると、ジェイルは苛立たしげに頭巾のまえがみ・・・・を引っ張った。

「ったく……」

 服の入ったカゴを預かり、二人は店の奥にある広い試着室へ一緒に入った。

 背中合わせに着替えながらジェイルが言った。

「ルカ、逃げるなら今だぞ」
 
「え……?」

「この店には女しかいない。騎士たちも歩き回っちゃいるが、場所が場所だからか大人しく見える」

 ルカは服の留め具を開けるのに苦戦していた。(あれっ? でもこれ……)裾に施された、いかにも手の混んだレース飾りを見て、ルカは戦慄した。(もしかして、女性ものなのでは……)

 屈んだまま慌てふためくルカを、ジェイルが「おい、聞いてんのか」と振り向く。ジェイルはすでに着替え終えていたが、ルカはまだ修道服を半分脱いだところだった。

「…………」

 ジェイルの瞳が揺れていた。その表情の幼さにルカは驚く。まるで初めて他人の肌を見たような顔をするのだ。ルカの裸など、彼はもう何度も見て、知り尽くしているはずなのに。

「おまえは、こんなに無防備で……」

 かすれた呟きに返すことはできなかった。

 両手が頬にかかる。ルカは口づけるために立ち上がらせられた。片手をついたのは大きな鏡だ。頭巾を被らない自分の顔がすぐ横に映っている。恍惚とした表情で覆いかぶさってくるジェイルの姿も。

「あ、だ、だめ……」

 店の奥まったところとはいえ、カーテンの外にはひとがいる。ジェイルはルカの唇に唇を付けては離した。二度、三度と繰り返す口づけはまるで許しを請うかのようだ。ルカは吸い返さずにはいられない。舌を交わす水音が鼓膜に響くのが恐ろしかった。自分のいやらしさを思い知らされるようで。

「おまえをベルマインなんかに会わせたくない」

 ジェイルはルカを掻き抱いて言った。

「行きたくないって言えよ……今なら、俺がどうにかしてやれるから」

 本当に嫌なのだと、ルカには痛いほどわかった。それでもルカが行くと言うから騎士らしく従っているのだ。

「ジェイル様……」

 彼の望むことをルカは言ってあげられなかった。無言で抱き返すと、拗ねた犬のように鼻を鳴らして「行くのか」と言う。ルカは力なく「はい……」とうなずいた。

 ジェイルは深いため息をつき、ルカから体を離した。

「なら、これだけは言っておく。ルカ」

 伏せられていた瞳がまっすぐにルカを見ていた。襟のついた服にタイを締め、正装したジェイルを見て、ルカは従業員の見立ては確かだったとほうけたように思った。顔をゆがめてさえ、彼は美しかった。

「ベルマインがどんな要求をしてきても、やつの言葉には決して従うな」
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