忌み子と騎士のいるところ

春Q

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Ⅶ 祈り

5.冠

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 ルテニアは、雷鳴石と呼ばれる鉱物を産する。

 音を吸収する働きを持つ石だ。

 この石のそばで手を叩くと、音は柔らかい周辺部から中央の微小な核へと伝わり、音を貯めこむ。

 長い時間をかけ、核が音で満ちると、石は弾けて結晶化する。

 その結晶がまた核となり、新たなる雷鳴石が育つのである。核を親石、周辺部を子石ともいう。

 弾けたあとも、石の親子関係は切れるわけではない。結晶化するまでの間、子石には親石が貯め込んだ音が伝播することが確認されている。あたかも孵化したての幼虫が、自分を養っていた卵の殻を栄養源にするように。

 古代ルテニア人は加工したこの石を祭祀の場で利用した。

 親石の首飾りを下げた王や司祭の言葉は、子石のある場所へ広く伝わる。王の決定や祈りの歌を多くの民に聞かせることは、王家の権力を高めるために有用だった。

 戴冠式は、司祭の祈り歌から始まる。

 女神の足元で、ルカは親石に向かって聖なる歌をうたった。

 歌は聖都の各所に設置された子石へと伝わる。

 祈りの言葉と節回しは荘厳な響きを帯びているが、一定で覚えやすい。

 民は歌を口ずさんだ。旅芸人が旋律を合わせる。親石の吸い込んだ音を子石が拡散する。

 ジェイルはどこかでこの歌を聴いているだろうか、とルカは思う。イグナス領からの来賓はベアシュだと聞いた。そばで彼を守っているだろうか。それとも女神を称える歌を嫌い、雑踏で顔を伏せているのか。

 人々の意識を十分に惹きつけた、その瞬間にルカは息を吸い込み、歌に終止符を打つ。

 ルカが清めた場に、ナタリアが姿を現す。

 王となる者は代々、王城を出て女神の足元に下るのがならわしだった。

 純白のドレスに取り付けた長い裾の左右を、くじで選ばれた市井の子どもに持たせている。そうすることで新王の治世が末長く続くことを祈るのだという。

 ナタリアがルカの元へ来ると、裾は地へ降ろされた。

 美しいナタリアは、女神そのものだった。民の畏れと喜びを、ルカは肌でびりびりと感じた。

 この重圧に、震えない方がおかしい。

 ルカは汗ばんだ手で祭具を繰り、女神の威光を借りた。

 三方に適切な聖水を振りまき、ルテニアの地を讃する祈りを、舌を噛みそうになりながら三度繰り返す。

 頭に叩き込んだ司祭の型をルカが演じる間、ナタリアは膝を折って女神像を拝した。

 民は美しい女王に目を奪われていた。高い鳥影が上空を斜めに横切った時は声が上がった。ナタリアに大きな翼が生えたように見えたのだ。偶然さえもが必然として彼女に味方した。

 やがてルカは、ナタリアの銀髪に王冠を授けた。祈りの手を組み、宣言する。

「女王ナタリアの誕生を、ここにあかしします」

 ナタリアが立ち、くるりと民を振り向いた。割れんばかりの声援が上がる。

 ルカは密かに胸を撫で下した。司祭としての役割はひとまず済んだ。後は女王ナタリアが親石に向かって結びの言葉を述べるだけだ。

 ルカは一刻も早くこの場から解放されたかった。ナタリアの真意を確かめなければならない。

 ナタリアが親石の前に立つ。

 ルカはその後ろ姿に違和感を持った。

 わずかに屈んだナタリアが、ドレスの脇から何かを取り出した。

 陽光の下で銀色に光る、筒状のそれは。

 

 ルカは止める間もなかった。ナタリアが高い空に銃口を突きつける。

 雷鳴石がバチバチと鳴った。大気中から取り出された緑の光の粒が精霊銃に、円を描くように集まる。

「ナタリア様……!」

 ルカの声は空を穿つ轟音に飲み込まれた。

 人々は耳をふさぎ、体を伏せる。万民をひれ伏させ、女王ナタリアは言った。

「高き天におわす女神も、低き地に繋がれた罪びとも、わたくしを言祝いでいると信じています」

 ルカは、群衆の中でコパが叫ぶのを見た。彼の計画にないことが起ころうとしている。

 ナタリアは精霊銃を捨てた。

「これは女神の神器ではない」

 ルカは蒼褪めた。

「我が父アドルファスは王家の誇りを捨て、鮮緑の雷筒をタジボルグ帝国に明け渡したのです。そのために冬麗の戦で多くの民が犠牲を被ったことは、王家の者として慙愧の念に堪えません」

 それは、一般には伏されている真実だ。ナタリアは雷鳴石の力で、ルテニアの民にすべてを暴露しているのだ。

「わたくしは耳障りのいい嘘を好みません。女神の足元で、今、すべてが明らかにされました」

 民は困惑しているに違いなかった。新たな女王を得て彼らは安心したかったのに、美しいナタリアはこの国の根底を揺るがそうとしているのだ。

「一人ひとりの勇気ある決断を私は求めています。わたくしが女王であるのではない。あなたがたが、わたくしを女王にするのです。嘘偽りなく、力の限り、わたくしはこの国を守りましょう」

 さあ、と、ナタリアは群衆に両手を差し出した。

「あなたがたは、わたくしに言うべきことがあるのではありませんか」

 一瞬の静寂のあと、群衆が沸いた。女王陛下万歳、女王陛下万歳。地を揺るがすほどの熱い気勢に、ルカは思わず前に出てナタリアを庇った。

 配置された近衛騎士が、手で鎖を作って人波を押さえようとする。興奮した民によって大混乱が起ころうとしていた。彼らの顔には、喜びと怒りが混然としていた。

 目の前で何が起こっているのか、彼らにはわからないのだろう。まったく新しい出来事に混乱しているのだ。

 ルカとナタリアの二人は、女神の足元に身を伏せた。

「ナタリア様、なぜこのようなことを。これからどうするおつもりなのです!」

「すべきことは決まっています」

 ナタリアは静かだった。ルカとよく似た顔で、ルカが決して浮かべることのない冷然とした表情を浮かべている。

「わたくしたちは王家の者として、鮮緑の雷筒を取り返さねばならない」

「そんな。どうやって」

「行きなさい、ルカ」

「何をするのです」

 ナタリアはルカを引きずった。女神像の地下に、大聖堂とつながる細い解散がある。司祭職はそこを行き来して儀式の準備をしていた。

「父を人質にとられたわたくしに、おまえを守る力はありません。混乱に乗じて逃がすことしか」

「おやめください、ナタリア様、おねえさま、どうか」

「早く行きなさい」

 ナタリアがルカの頬を打った。ルカは驚いて一歩後ずさる。

 後ろは階段だ。足が空を切り、転がり落ちたルカはしりもちをついた。

「約束を忘れないで」

 ナタリアは頭上から言った。

「姉の言葉を守らぬ者に戻って来られても、わたくしは迷惑です」

 光を背負ったナタリアの顔は、眩しくてルカには見えなかった。
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