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Ⅶ 祈り
2.立場
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いいえ、とルカは返した。
何を考えているのか読めないとしても、コパがルカに直接害を為すことはない。彼は実権を振るえる立場にあってなお、ナタリアに仕えていた。少なくとも、今のところは。
「改めましてルカ様、成人おめでとうございます」
「ありがとうございます」
礼儀として頭は下げたが、何を今さらという気持ちは否めない。
ルカに儀式を受けさせる手筈を整えたのはコパだ。司祭に任じたのもナタリアの戴冠式で表舞台に立たせるためだった。狙いは議会の貴族や国民に、ルカが王位を継ぐ気はないことをアピールすることにある。
アドルファスが王位を退いていっそう、ルカは政治の道具として扱われることになってしまった。それがいいことなのか悪いことなのかは、わからない。
「そう暗い顔をなさいますな」
コパは口のはしに皺を寄せて見せた。笑っている、らしい。
「今はまだあなたを忌み子と恐れる者は多いが、これから先、そのお力は忌まわしいものとしてではなく、聖なるものとして褒めたたえられることでしょう」
「……私がそのような者ではないことを、あなたは当然ご存じのはずです」
ルカは静かに返した。
「コパ様、ナタリア様に何をさせるおつもりなのです」
「女王となられる方に何かをさせるなど、穏やかではありませんな」
「これより先、ルテニアは乱れます」
ルカの言葉に、コパの白い眉がぴくりと動いた。
「帝国の脅威は未だ去ったわけではありません。急速すぎるアドルファス様の退位、例になく年若い女王、各領の対応は読めません。彼らをまとめあげていたのは女神アルカディアへの崇敬の念でした。しかし、それも……」
「……あまり、滅多なことを仰いますな」
ルカは首を横に振った。
「私には、わからないのです。もっと他に何か方法があったのではないですか?」
「いいえ」
コパはきっぱりと否定した。
「ナタリア様が女王として実権を持つためには、他に道はございませんでした」
「なぜ、そこまで……」
「その栄誉にふさわしい方です」
コパはそれ以上のことを言わなかった。永く国を支えた者にしかわからない境地というものがあるのだろうか。
だが。
「……アドルファス様のご様子は、いかがですか」
「無論、生かしてありますとも」
ルカは歯噛みした。コパのやり口は変わらない。父親を人質にとって、ナタリアに政治をやらせようと言うのだ。娘としての心痛はいかばかりだろうか。王家の一員としてのプライドだけが、彼女を支えているに違いなかった。
「『鮮緑の雷筒』に関する情報は吐かせましたが、戴冠式までは地下牢に繋いでおく予定です。ナタリア様が即位されたあかつきには、暖かい土地へ移すことになります。あの男は、土いじりさえできればそれで満足でしょうから」
コパの片眼鏡の光り方に、ルカは嫌なものを感じ取った。
「ナタリア様は、御父上を愛しておられます。女王のお心のためにも、どうか安全を守られますように」
「……もちろん。私も同じように祈っておりますよ。ルカ様」
「コパ様……」
棚のそばに薄く開いた窓が、二人の間に光の亀裂を作っていた。
人の声がして、コパは窓を大きく開けた。下に視線を落とす。
「……騎士たちが浮かれていますよ。御覧になられますか、ルカ様」
「えっ」
騎士と聞いて、ルカはコパの横へ行った。
コパの言葉通りで、鎧を脱いだ騎士たちが春の日差しの中で組み手をしている。その中央にいるのが、なんとジェイルだった。見たところ格闘訓練のようだが、ジェイルが投げ飛ばすたび笑い声が上がっている。
「……私、行かなくては」
「おや、そうでしたか。すっかり引き止めてしまいましたな」
ルカが再度一礼してその場を離れようとした時、背中からコパが「ルカ様」と呼んだ。
ふりむいた彼は、なにやら口をまごつかせていたが、やっと尋ねた。
「ウルスラ様のことを憶えておられますか」
「お母様のこと、ですか……?」
「……ウルスラ様は、立場というものを最後まで理解なさらなかった。なにしろ靴も履かない緑の民として自由に育った方です。メイドにも親しく口を聞き、声を上げて笑い、歌い踊る……リカルダス様はお咎めになりませんでしたけれど」
コパはそこで言葉を切り、じっとルカを見つめた。
「お二人のお子であるあなたは、ゆめゆめお忘れなさいませんように」
何を考えているのか読めないとしても、コパがルカに直接害を為すことはない。彼は実権を振るえる立場にあってなお、ナタリアに仕えていた。少なくとも、今のところは。
「改めましてルカ様、成人おめでとうございます」
「ありがとうございます」
礼儀として頭は下げたが、何を今さらという気持ちは否めない。
ルカに儀式を受けさせる手筈を整えたのはコパだ。司祭に任じたのもナタリアの戴冠式で表舞台に立たせるためだった。狙いは議会の貴族や国民に、ルカが王位を継ぐ気はないことをアピールすることにある。
アドルファスが王位を退いていっそう、ルカは政治の道具として扱われることになってしまった。それがいいことなのか悪いことなのかは、わからない。
「そう暗い顔をなさいますな」
コパは口のはしに皺を寄せて見せた。笑っている、らしい。
「今はまだあなたを忌み子と恐れる者は多いが、これから先、そのお力は忌まわしいものとしてではなく、聖なるものとして褒めたたえられることでしょう」
「……私がそのような者ではないことを、あなたは当然ご存じのはずです」
ルカは静かに返した。
「コパ様、ナタリア様に何をさせるおつもりなのです」
「女王となられる方に何かをさせるなど、穏やかではありませんな」
「これより先、ルテニアは乱れます」
ルカの言葉に、コパの白い眉がぴくりと動いた。
「帝国の脅威は未だ去ったわけではありません。急速すぎるアドルファス様の退位、例になく年若い女王、各領の対応は読めません。彼らをまとめあげていたのは女神アルカディアへの崇敬の念でした。しかし、それも……」
「……あまり、滅多なことを仰いますな」
ルカは首を横に振った。
「私には、わからないのです。もっと他に何か方法があったのではないですか?」
「いいえ」
コパはきっぱりと否定した。
「ナタリア様が女王として実権を持つためには、他に道はございませんでした」
「なぜ、そこまで……」
「その栄誉にふさわしい方です」
コパはそれ以上のことを言わなかった。永く国を支えた者にしかわからない境地というものがあるのだろうか。
だが。
「……アドルファス様のご様子は、いかがですか」
「無論、生かしてありますとも」
ルカは歯噛みした。コパのやり口は変わらない。父親を人質にとって、ナタリアに政治をやらせようと言うのだ。娘としての心痛はいかばかりだろうか。王家の一員としてのプライドだけが、彼女を支えているに違いなかった。
「『鮮緑の雷筒』に関する情報は吐かせましたが、戴冠式までは地下牢に繋いでおく予定です。ナタリア様が即位されたあかつきには、暖かい土地へ移すことになります。あの男は、土いじりさえできればそれで満足でしょうから」
コパの片眼鏡の光り方に、ルカは嫌なものを感じ取った。
「ナタリア様は、御父上を愛しておられます。女王のお心のためにも、どうか安全を守られますように」
「……もちろん。私も同じように祈っておりますよ。ルカ様」
「コパ様……」
棚のそばに薄く開いた窓が、二人の間に光の亀裂を作っていた。
人の声がして、コパは窓を大きく開けた。下に視線を落とす。
「……騎士たちが浮かれていますよ。御覧になられますか、ルカ様」
「えっ」
騎士と聞いて、ルカはコパの横へ行った。
コパの言葉通りで、鎧を脱いだ騎士たちが春の日差しの中で組み手をしている。その中央にいるのが、なんとジェイルだった。見たところ格闘訓練のようだが、ジェイルが投げ飛ばすたび笑い声が上がっている。
「……私、行かなくては」
「おや、そうでしたか。すっかり引き止めてしまいましたな」
ルカが再度一礼してその場を離れようとした時、背中からコパが「ルカ様」と呼んだ。
ふりむいた彼は、なにやら口をまごつかせていたが、やっと尋ねた。
「ウルスラ様のことを憶えておられますか」
「お母様のこと、ですか……?」
「……ウルスラ様は、立場というものを最後まで理解なさらなかった。なにしろ靴も履かない緑の民として自由に育った方です。メイドにも親しく口を聞き、声を上げて笑い、歌い踊る……リカルダス様はお咎めになりませんでしたけれど」
コパはそこで言葉を切り、じっとルカを見つめた。
「お二人のお子であるあなたは、ゆめゆめお忘れなさいませんように」
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