42 / 145
Ⅵ 決意
6.アドルファス
しおりを挟む
「私は、牢には入りません」
ルカの声はかすれていた。体を土に擦りつけるようにして起き上がる。
もとより痛みはなかった。ただ、これほどの憎悪を受けてなお死ねないことが、本当に哀しい。
「何、を」
アドルファスが後ずさった。ルカは近づいた。
「……私が自分を軽んじると、悲しむ方がいます。女神様もきっと、私の愚かさに心を痛めておられた。だから私を憐れんで、私のために泣く方を遣わしてくださった」
ジェイルはきっと怒るだろう。だがルカは、たとえ淫蕩な忌み子だったとしても、修道士だった。
「不甲斐なく思います。もっと早くこの歪みに気づくべきだった。私はいつも自分のことばかりで、周りの人のことなどちっとも考えなかった。傷つかない私が、傷つく方にこれ以上の犠牲を払わせるわけにはいきません。叔父上」
ジェイルの言葉は正しかったと、ルカは実感する。
ルカはずっと心のどこかでアドルファスを憐れんでいた。
ルカは、震える指でアドルファスを指さした。
「牢に入るのは、あなただ」
「何、を」
「誇りを捨て、民を害し、国境を帝国の恣にさせた。そんなことができてしまうあなたは、初めから王などではなかった」
「黙れ。寄るなッ化け物!」
「あなたは私が恐ろしいのだ。私がナタリア様によく似ているから。あなたは父と双子だったから」
管理された花園は一切の異物を許さない。すべてがアドルファスの意のままになる美しい世界だ。
ルカは間違ってそこにいた。自分の存在のほうが間違っていると思いたかった。
秩序ある王の庭は夢のように美しい。現実はもっと混沌としていて、醜い。
「あなたは片割れの犯した罪を死に物狂いで雪ごうとしておられる。その実、私を見ると何が罪なのかわからなくなるのでしょう。私の存在を罪たらしめるために、あなたは国境という、より大きな犠牲を払いさえした。結局、あなたは貴族に扇動されただけで、本当は、誰のことも――」
「ほざけッ毒虫が!」
口角泡を飛ばして、両手で首を絞めに来るアドルファスを、ルカは避けなかった。
二人の間に鋭く槍が穿たれた。
王の手からルカを守ったのはジェイルだった。ルカを自分に引き寄せ、槍を抜く。
「……もう、十分だろう」
苛立ちを隠そうともせず、頬の血を手で拭ってくれる。
アドルファスは突然の闖入者に腰を抜かしていた。
彼は、ルカとジェイルの向こうにもう一人の人影を見ていた。
「ナタリア……」
「お父様。娘として残念に思います」
彼女が手に握る扇子は、力が入りすぎて、今にも折れそうに見えた。
「コパがすべて教えてくれました。わたくしは信じたくなかった。王が、自ら国を危険に晒すなど……」
ナタリアの言葉にアドルファスの口は歪み、やがて氷のような笑みを形づくった。
「ああ、ナタリア。おまえは正しい。ただ、物を知らないだけだ。緑の民とルテニアは、永遠に相容れぬ」
ナタリアは静かに王へ向かい立った。
「永遠を語るなど、わたくしには過ぎたことです。どうか、お恨みください、お父様」
彼女は扇を振るって、王の庭を守る衛兵に命じた。
「逆賊アドルファスを捕らえよ。鮮緑の雷筒の行方を吐かせねばならぬ」
兵たちはナタリアに従う。王であるアドルファスを庇う者は、庭に一人もいなかった。
いたとしても、美しい庭を血に汚すことを、アドルファスは許さなかっただろう。
予め計画されていた無血のクーデターに、力なき王が抗う術はなかった。
「ふん……」
縄をかけられたアドルファスは二人並んだ娘と甥を睥睨する。
彼の氷のような瞳は、かすかに揺らいだかに見えた。
「忌々しいほど、よく似ておるわ……」
ルカの声はかすれていた。体を土に擦りつけるようにして起き上がる。
もとより痛みはなかった。ただ、これほどの憎悪を受けてなお死ねないことが、本当に哀しい。
「何、を」
アドルファスが後ずさった。ルカは近づいた。
「……私が自分を軽んじると、悲しむ方がいます。女神様もきっと、私の愚かさに心を痛めておられた。だから私を憐れんで、私のために泣く方を遣わしてくださった」
ジェイルはきっと怒るだろう。だがルカは、たとえ淫蕩な忌み子だったとしても、修道士だった。
「不甲斐なく思います。もっと早くこの歪みに気づくべきだった。私はいつも自分のことばかりで、周りの人のことなどちっとも考えなかった。傷つかない私が、傷つく方にこれ以上の犠牲を払わせるわけにはいきません。叔父上」
ジェイルの言葉は正しかったと、ルカは実感する。
ルカはずっと心のどこかでアドルファスを憐れんでいた。
ルカは、震える指でアドルファスを指さした。
「牢に入るのは、あなただ」
「何、を」
「誇りを捨て、民を害し、国境を帝国の恣にさせた。そんなことができてしまうあなたは、初めから王などではなかった」
「黙れ。寄るなッ化け物!」
「あなたは私が恐ろしいのだ。私がナタリア様によく似ているから。あなたは父と双子だったから」
管理された花園は一切の異物を許さない。すべてがアドルファスの意のままになる美しい世界だ。
ルカは間違ってそこにいた。自分の存在のほうが間違っていると思いたかった。
秩序ある王の庭は夢のように美しい。現実はもっと混沌としていて、醜い。
「あなたは片割れの犯した罪を死に物狂いで雪ごうとしておられる。その実、私を見ると何が罪なのかわからなくなるのでしょう。私の存在を罪たらしめるために、あなたは国境という、より大きな犠牲を払いさえした。結局、あなたは貴族に扇動されただけで、本当は、誰のことも――」
「ほざけッ毒虫が!」
口角泡を飛ばして、両手で首を絞めに来るアドルファスを、ルカは避けなかった。
二人の間に鋭く槍が穿たれた。
王の手からルカを守ったのはジェイルだった。ルカを自分に引き寄せ、槍を抜く。
「……もう、十分だろう」
苛立ちを隠そうともせず、頬の血を手で拭ってくれる。
アドルファスは突然の闖入者に腰を抜かしていた。
彼は、ルカとジェイルの向こうにもう一人の人影を見ていた。
「ナタリア……」
「お父様。娘として残念に思います」
彼女が手に握る扇子は、力が入りすぎて、今にも折れそうに見えた。
「コパがすべて教えてくれました。わたくしは信じたくなかった。王が、自ら国を危険に晒すなど……」
ナタリアの言葉にアドルファスの口は歪み、やがて氷のような笑みを形づくった。
「ああ、ナタリア。おまえは正しい。ただ、物を知らないだけだ。緑の民とルテニアは、永遠に相容れぬ」
ナタリアは静かに王へ向かい立った。
「永遠を語るなど、わたくしには過ぎたことです。どうか、お恨みください、お父様」
彼女は扇を振るって、王の庭を守る衛兵に命じた。
「逆賊アドルファスを捕らえよ。鮮緑の雷筒の行方を吐かせねばならぬ」
兵たちはナタリアに従う。王であるアドルファスを庇う者は、庭に一人もいなかった。
いたとしても、美しい庭を血に汚すことを、アドルファスは許さなかっただろう。
予め計画されていた無血のクーデターに、力なき王が抗う術はなかった。
「ふん……」
縄をかけられたアドルファスは二人並んだ娘と甥を睥睨する。
彼の氷のような瞳は、かすかに揺らいだかに見えた。
「忌々しいほど、よく似ておるわ……」
35
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
冷遇された第七皇子はいずれぎゃふんと言わせたい! 赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていました
taki210
ファンタジー
旧題:娼婦の子供と冷遇された第七皇子、赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていた件
『穢らわしい娼婦の子供』
『ロクに魔法も使えない出来損ない』
『皇帝になれない無能皇子』
皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。
だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。
毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき……
『なんだあの威力の魔法は…?』
『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』
『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』
『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』
そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する
美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」
御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。
ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。
✳︎不定期更新です。
21/12/17 1巻発売!
22/05/25 2巻発売!
コミカライズ決定!
20/11/19 HOTランキング1位
ありがとうございます!
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる