忌み子と騎士のいるところ

春Q

文字の大きさ
上 下
17 / 138
Ⅲ 別離

2.ナタリア

しおりを挟む
 状況が変わったのは、数日後だった。

 天窓を見上げていたルカは、鍵が回る音に慌てて涙をぬぐう。侍女が掃除に来たのだと思った。忌み子の姿を気持ち悪がられるのが嫌で、寝台にもぐりこむ。

 だが、聞こえてきた声は凛としていた。

「まあ、なんてことなのかしら! もう日も高いというのにゴロゴロして」

 え、と思った次の瞬間、上掛けを取り上げられていた。ルカは呆気にとられる。

「ナタリアお姉さま……?」

 くりくりとした銀の巻き毛が、この城での彼女の身分を示していた。アドルファスの娘ナタリアは怜悧な青い瞳をすっと細めた。

 脇で咳払いする片眼鏡をかけた老人にも見覚えがあった。元老院の貴族、コパだ。

 ナタリアは上掛けを放り出して言った。

「このわたくしが見舞いに来たというのに、挨拶もなしとは。偉くなったものですね」

 自分の失言に気づいたルカは、慌てて従姉に跪き、臣下の礼をとった。

「も、申し訳ありません、ナタリア王女様」

 二つ年上の彼女を『お姉さま』と呼んだのはもう十年前だ。今のルカは王子ではない。

 王女は扇子の下で大仰に息をついた。

「……いいわ。特に許します」

 部屋の中央に、侍女が茶会の支度を整える。香草を煮出したお茶に、卵の甘い蒸し物、果物、木の実と蜂蜜入りの粥まで付く。

 ジェイルのことを思うとルカは食欲が沸かなかったが、王女の誘いは断れない。幸い、胃に優しいものが少しずつ用意されたので、ルカもなんとか食べられそうだった。

「ありがとう。行っていいわ」

 ナタリアの素っ気ないともとれる感謝の言葉に侍女たちが一斉に色めき立つ。幼少期からいっそう増して見える従姉の人気ぶりにルカは微笑した。昔から、どんな時でも凛とした態度で人を魅了する王女だった。

 ナタリアに命じられ、ルカは恐れ多くも彼女と同じ長椅子に腰かけた。コパはその対面で、いつもの険しい顔をふっと崩した。

「いやはや、お二人とも幼い頃のまま、よく似ておられる。まるでご姉弟のようですな」

「ふふん、従姉弟ですもの」

 ナタリアは扇子で口を隠して笑った。城で誰もがそう思いつつ口にできないことを言われて小気味よかったらしい。

 実際、ナタリアとルカはよく似ていた。目の色はもちろん違うし、ナタリアのほうが巻き毛の癖が強い。だが声や輪郭、耳の形といった細部が驚くほど似ている。

 だからだろうか。ルカは今でも心の中で、彼女を姉のように思っていた。修道院に送られる日、まだ十歳のナタリアは、侍女の静止も聞かずルカを強く抱きしめてくれたのだ。

 それから十年が経った今、ルカの横でカップを手にしたナタリアは言った。

「お父様の気が知れないわ。わたくしによく似たルカを手酷く扱うのですもの。政治的な立ち回りとはいえ、背筋が寒くなります」

 よく似ているからこそ、とルカは思ったが口には出さなかった。ナタリアにはわからない心理のように感じたからだ。

 愛する娘の姿を真似るように成長したルカは憎き緑の民の血をひいていて、しかも男児だ。アドルファスからしてみれば、目障りで気味悪い化け物でしかないのだろう。

 コパも同じように思うらしく、曖昧な笑みを浮かべた。ルカに話題を向ける。

「国境に比べると、ここは暖かいでしょう」

「はい…… 。雪がもうないのですね」

「イグナス領の急峻な山が雪雲を遮ります。彼の地が聖都を守っているのです。天候においても、軍事においても」

 イグナス領は、漆黒の騎士団の本拠地だ。ルカは、コパが穏やかな口調で何かを伝えようとしているのを感じた。

「テイスティスは亡くすに惜しい男でした」

「あの方をご存知なのですか」

「もちろん。彼は騎士団長にして領主です。愛妻家で……式典などの折には奥方のギルダと共に王城へ来ていました。確か、ナタリア様も親交がおありだったかと思いますが」

 ナタリアは澄まし顔して言った。

「お父様の代理で付き合ったまでです。まあ、二人とも悪い人間ではなかったわ……」

 ナタリアはテイスティスに『高い高い』をされたわけではないらしい。そう思ったルカは、不意に懐かしさに胸が締め付けられた。戦地の記憶がすでに遠ざかりつつあることがルカには耐えがたかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...