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Ⅰ 呪われた忌み子
11.血
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翌日の二人は言葉少なだった。ジェイルはいつもの小言を言わないし、ルカの方は目を合わせることもできない。
一緒にテントを畳む時には手が触れそうになった。「ごめんなさい」と、慌てて手を引っ込めたルカに、ジェイルは無言だった。
行軍では、ジェイルは持ち場を他の騎士と代わったようだ。ルカは申し訳ないような寂しいような変な気分で、歩きながらずっと、昨夜結んでもらった髪を手で確かめていた。
こうなってさえ、まだ抱きしめてほしがる自分がいることが恐ろしかった。頭は冷えているのに体は変に火照っている。彼がこの胸に唇をつけたのだと思うと、大して歩いてもいないのに息が上がってしまうのだ。まるで肺の中に火が燻っているみたいに。
その日の道は積雪でふさがっていた。急遽力に自信のある者は雪をよけ、そうでない者は小休止の支度をすることになる。
ルカは後者の人員に混ざり、食材集めに森へ入った。国境は近い。戦いに備えて精のつく食材で鍋物を作ることになっていた。
タヌキの巣穴を見つけたと騒ぐ者たちから離れて、ルカは薬草とキノコを集めた。
『獣の肉を貪るな』。
聖典にある女神の御言葉は、かつては厳格な肉食禁止を示していたが、今では感謝を捧げずに食べてはならないという意味に再解釈されている。修道院でも祝い日の肉食が許されるようになって久しい。時代への迎合を俗化と嘆く声はよく聞かれるし、肉を断つことで信仰心を示す者も多いが、若い修道士たちは健康維持のために摂取を推奨されていた。
同性愛に関しては依然として異端と見なされることが多い。
女神アルカディアは『家庭生活を愛、慎み、互いの合意をもって営むこと』をルテニアの民に求める。子を為せない同性愛は家庭生活にあたらないととられる文脈だが、教派によっては、罪深い同性愛者たちにこそ女神の愛が必要なのだと寛容を示してもいる。
各地の修道院を転々としてきたルカは同性愛的傾向のある修道士が、どこの修道院にも一定数いることを知っていた。多くの場合、彼らは女神への背信を悩み、苦しんでいた。中には自ら命を絶つ者もいるほどだ。
その苦痛と死が女神の望みなのだろうか。
物思いに耽ったルカは、食材を他の修道士に託して一人で薬草摘みを続けた。
「……痛っ」
手に走った痛みに現実に引き戻される。尖った葉で切れた傷に、赤い血が滲んでいた。
「ルカ!」
その時、ジェイルが背後から来た。
「メシも食わずに何をはぐれている」
いつもの小言にルカは胸を震わせた。だが、喜べる状況ではない。硬直しているルカにジェイルはため息をついた。
「おまえは俺の顔も見たくないんだろうが、それとこれとは話が……なんだ、怪我をしているのか?」
彼はルカの手を伝う血に目をとめていた。ルカは隠そうとしたが力では敵わない。抵抗するルカにジェイルは声を荒げた。
「傷を見るだけだ! 落ち着け!」
身をよじったルカは、涙声だった。
「やめてください、放して……血が……」
ルカの血で、ジェイルの手が汚れる。
「ああ、派手に切ったな……治るまで数日はかかるぞ。とにかく、手当してやるから」
「や、やめて、見ないで……」
「……あぁ?」
ジェイルは青筋を立てて怒鳴った。
「俺が乱暴するとでも言いたいか!」
ルカは怯えて顔を伏せた。血がぬるぬると二人の手の間を伝う。ジェイルは舌打ちして、その手を自分の顔に引き寄せた。生温かいものに、ルカは総毛立つ。ジェイルはルカの手から血を舐めとっていた。
「やだ、そんな……だ、だめです、やめて」
「うるさい、今だけだ。まともに手当されるのが嫌ならこれくらい我慢しろ」
そう言ったジェイルはルカの赤い血を、飢えた肉食獣のように舌で舐め、唇で啜った。
「あぁ……あっ、やだ、いやぁ……」
手の平に唇をつけられたルカは、気が変になりそうだった。傷を舌でなぞられると痛いのに、彼に舐められていると思うと暗い官能を刺激される。ルカの漏らす声に、心なしかジェイルの息も荒くなっている気がした。
「嫌われたもんだな、まったく……」
彼は、ちゅっと音を立てて唇を離した。
「……ほら、もう済んだ。血も止まって、」
急に口をつぐんだジェイルが、それを見たことが、ルカにははっきりとわかった。
力の抜けた指から、自分の手を取り返す。
そこにあった傷は、もう跡形もない。ルカは呪われた体を腕で庇うようにして言った。
「これでおわかりになったでしょう……?」
ルカは、ジェイルにだけは絶対に体の秘密を知られたくなかった。
「私は何をされても傷つかない化け物だから、守っていただく価値など無いのです」
一緒にテントを畳む時には手が触れそうになった。「ごめんなさい」と、慌てて手を引っ込めたルカに、ジェイルは無言だった。
行軍では、ジェイルは持ち場を他の騎士と代わったようだ。ルカは申し訳ないような寂しいような変な気分で、歩きながらずっと、昨夜結んでもらった髪を手で確かめていた。
こうなってさえ、まだ抱きしめてほしがる自分がいることが恐ろしかった。頭は冷えているのに体は変に火照っている。彼がこの胸に唇をつけたのだと思うと、大して歩いてもいないのに息が上がってしまうのだ。まるで肺の中に火が燻っているみたいに。
その日の道は積雪でふさがっていた。急遽力に自信のある者は雪をよけ、そうでない者は小休止の支度をすることになる。
ルカは後者の人員に混ざり、食材集めに森へ入った。国境は近い。戦いに備えて精のつく食材で鍋物を作ることになっていた。
タヌキの巣穴を見つけたと騒ぐ者たちから離れて、ルカは薬草とキノコを集めた。
『獣の肉を貪るな』。
聖典にある女神の御言葉は、かつては厳格な肉食禁止を示していたが、今では感謝を捧げずに食べてはならないという意味に再解釈されている。修道院でも祝い日の肉食が許されるようになって久しい。時代への迎合を俗化と嘆く声はよく聞かれるし、肉を断つことで信仰心を示す者も多いが、若い修道士たちは健康維持のために摂取を推奨されていた。
同性愛に関しては依然として異端と見なされることが多い。
女神アルカディアは『家庭生活を愛、慎み、互いの合意をもって営むこと』をルテニアの民に求める。子を為せない同性愛は家庭生活にあたらないととられる文脈だが、教派によっては、罪深い同性愛者たちにこそ女神の愛が必要なのだと寛容を示してもいる。
各地の修道院を転々としてきたルカは同性愛的傾向のある修道士が、どこの修道院にも一定数いることを知っていた。多くの場合、彼らは女神への背信を悩み、苦しんでいた。中には自ら命を絶つ者もいるほどだ。
その苦痛と死が女神の望みなのだろうか。
物思いに耽ったルカは、食材を他の修道士に託して一人で薬草摘みを続けた。
「……痛っ」
手に走った痛みに現実に引き戻される。尖った葉で切れた傷に、赤い血が滲んでいた。
「ルカ!」
その時、ジェイルが背後から来た。
「メシも食わずに何をはぐれている」
いつもの小言にルカは胸を震わせた。だが、喜べる状況ではない。硬直しているルカにジェイルはため息をついた。
「おまえは俺の顔も見たくないんだろうが、それとこれとは話が……なんだ、怪我をしているのか?」
彼はルカの手を伝う血に目をとめていた。ルカは隠そうとしたが力では敵わない。抵抗するルカにジェイルは声を荒げた。
「傷を見るだけだ! 落ち着け!」
身をよじったルカは、涙声だった。
「やめてください、放して……血が……」
ルカの血で、ジェイルの手が汚れる。
「ああ、派手に切ったな……治るまで数日はかかるぞ。とにかく、手当してやるから」
「や、やめて、見ないで……」
「……あぁ?」
ジェイルは青筋を立てて怒鳴った。
「俺が乱暴するとでも言いたいか!」
ルカは怯えて顔を伏せた。血がぬるぬると二人の手の間を伝う。ジェイルは舌打ちして、その手を自分の顔に引き寄せた。生温かいものに、ルカは総毛立つ。ジェイルはルカの手から血を舐めとっていた。
「やだ、そんな……だ、だめです、やめて」
「うるさい、今だけだ。まともに手当されるのが嫌ならこれくらい我慢しろ」
そう言ったジェイルはルカの赤い血を、飢えた肉食獣のように舌で舐め、唇で啜った。
「あぁ……あっ、やだ、いやぁ……」
手の平に唇をつけられたルカは、気が変になりそうだった。傷を舌でなぞられると痛いのに、彼に舐められていると思うと暗い官能を刺激される。ルカの漏らす声に、心なしかジェイルの息も荒くなっている気がした。
「嫌われたもんだな、まったく……」
彼は、ちゅっと音を立てて唇を離した。
「……ほら、もう済んだ。血も止まって、」
急に口をつぐんだジェイルが、それを見たことが、ルカにははっきりとわかった。
力の抜けた指から、自分の手を取り返す。
そこにあった傷は、もう跡形もない。ルカは呪われた体を腕で庇うようにして言った。
「これでおわかりになったでしょう……?」
ルカは、ジェイルにだけは絶対に体の秘密を知られたくなかった。
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