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Ⅰ 呪われた忌み子
8.髪を結ぶ
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それからの数日は、戸惑いの連続だった。テイスティスが口うるさいと言っていたのは本当で、ジェイルはありとあらゆることでルカに小言を言った。
朝の祈りを捧げていると「早く支度しろ」とせかされ、急いだら急いだで「もっと厚着しろ!」と頭から外套を被らされる。行軍でも修道士として風を読んでいるのに「上ばかり見るな!」と怒鳴られる。ルカはかえって驚き、雪道で転んでしまった。
ルカは、ずっと落ち着かなかった。挙動を気にされた経験もそうないのに、ジェイルは転んだルカのために、馬から降りて手を差し伸べてくれさえする。
そんな彼の様子は、他の騎士たちの目にも過保護に映るらしい。「ジェイル坊やが本当に愛に目覚めてしまった」と、驚いていた。
騎士たちの忌み子の受け入れ方は様々だった。度胸試しのように積極的に関わりに来る者がいる一方で、嫌悪感を拭い去れない様子で距離をおく者もいた。
それでも、ルカは漆黒の騎士団の規律正しさに驚かずにはいられなかった。テイスティスの態度に倣った彼らは皆、紳士的だった。忌み子に苦手意識を持つ者でさえ挨拶はしてくれるし、暴力は一切振るわれなかった。
中には、おっかなびっくりだが治癒を求めてくる騎士もいた。軽いしもやけだったのでルカが自作した塗り薬で対応すると、それが意外にも好評で、他の修道士が勇気を奮って製法を乞いに来たりもした。
一度だけ、ジェイルといる時に、他の騎士から「この堅物を狂わせるとは緑の民の血は恐ろしい」と言われた。ルカが何か思うより先に、ジェイルは相手に掴みかかっていた。荒事に慣れた騎士たちはひき笑いしていたがルカは笑うどころではなかった。
人を癒す修道士として、暴力を見過ごせるわけがない。無言で拳を振るい続けるジェイルを懸命に止めながら、だが、心は鈴が鳴るように震えてしまっていた。
忌み子の自分のために、こんなにも怒ってくれる人は、ジェイルだけだった。
テイスティスはジェイルの振る舞いを容認していた。その目に、彼を憐れむような光が宿っていることにルカは気がついていた。それを自分のせいだと感じていても、ジェイルから離れようとは思えなかった。
戸惑いは、いつしか喜びに変わっていた。怒られても優しくされても嬉しい。忌み子には分不相応な喜びをもう少しだけ、できるだけ長く感じていたいと思った。
だから、その寒い夜「その髪は結んだ方がいい」と注意された時もルカは嬉しかった。
修道士にとって、女神の力が宿る髪は特別なものだ。成人の儀までは自分で結うことを許されず、同じ女神の兄弟に結んでもらう。
だから結べないと説明すると、ジェイルは「そんな理由ならなおさら結べ」と怒った。
「無防備にきらきらしていたら帝国の豆鉄砲で射殺されるぞ。おまえのせいで戦に負けるかもしれない。いいのか、それで!」
「……わかりました。えっと……では、女神の兄弟にお願いしてみますから」
ルカは、薬の製法を教えた修道士に頼んでみようと思っていた。だが、テントの入り口を這い出ようとした時、「待て」とジェイルの腕に胴を押さえられた。四つん這いのままきょとんとしていると、ジェイルが言った。
「だから……俺がやってやるから」
狭いなかで寝起きを共にするようになったせいか、ジェイルはルカによく触った。手で髪を掬いあげて、指で梳く。
「……後ろを向けよ。結んでやる」
「え、で、でも……」
「いいから。早く」
ジェイルに強く言われると、ルカは拒めなかった。確かに忌み子が押しかけて他の修道士に負担をかけるより、言い出した彼がそうする方が、筋が通っているようではある。
「……では、お願いします」
なんだか、ドキドキした。荷から出した櫛と紐を渡して背を向けて座る。髪を手で包む彼は「本当にふわふわだな」と言った。
「柔らかくて、仔猫の毛みたいだ」
「あ、扱いづらくて、すみません……」
「別に、そうは言ってない」
思いのほか慣れた手つきに身を任せていると、ジェイルがぽつりと言った。
「妹の髪も、よくこうして結んでやった」
「妹君がおられるのですか」
「なんだ? 俺に妹がいたらおかしいか」
キュッと髪をうなじで強く縛られ、ルカは上を向かされてしまう。むしろジェイルの兄らしい気質に納得してそう言ったのだが。
「昔の話だ。妹はもうとっくに死んだ」
「そうだったのですか……」
「体が弱いのに、路上に居させたからな」
ランプの灯心はぢりぢりと音を立てて光を放っていた。
朝の祈りを捧げていると「早く支度しろ」とせかされ、急いだら急いだで「もっと厚着しろ!」と頭から外套を被らされる。行軍でも修道士として風を読んでいるのに「上ばかり見るな!」と怒鳴られる。ルカはかえって驚き、雪道で転んでしまった。
ルカは、ずっと落ち着かなかった。挙動を気にされた経験もそうないのに、ジェイルは転んだルカのために、馬から降りて手を差し伸べてくれさえする。
そんな彼の様子は、他の騎士たちの目にも過保護に映るらしい。「ジェイル坊やが本当に愛に目覚めてしまった」と、驚いていた。
騎士たちの忌み子の受け入れ方は様々だった。度胸試しのように積極的に関わりに来る者がいる一方で、嫌悪感を拭い去れない様子で距離をおく者もいた。
それでも、ルカは漆黒の騎士団の規律正しさに驚かずにはいられなかった。テイスティスの態度に倣った彼らは皆、紳士的だった。忌み子に苦手意識を持つ者でさえ挨拶はしてくれるし、暴力は一切振るわれなかった。
中には、おっかなびっくりだが治癒を求めてくる騎士もいた。軽いしもやけだったのでルカが自作した塗り薬で対応すると、それが意外にも好評で、他の修道士が勇気を奮って製法を乞いに来たりもした。
一度だけ、ジェイルといる時に、他の騎士から「この堅物を狂わせるとは緑の民の血は恐ろしい」と言われた。ルカが何か思うより先に、ジェイルは相手に掴みかかっていた。荒事に慣れた騎士たちはひき笑いしていたがルカは笑うどころではなかった。
人を癒す修道士として、暴力を見過ごせるわけがない。無言で拳を振るい続けるジェイルを懸命に止めながら、だが、心は鈴が鳴るように震えてしまっていた。
忌み子の自分のために、こんなにも怒ってくれる人は、ジェイルだけだった。
テイスティスはジェイルの振る舞いを容認していた。その目に、彼を憐れむような光が宿っていることにルカは気がついていた。それを自分のせいだと感じていても、ジェイルから離れようとは思えなかった。
戸惑いは、いつしか喜びに変わっていた。怒られても優しくされても嬉しい。忌み子には分不相応な喜びをもう少しだけ、できるだけ長く感じていたいと思った。
だから、その寒い夜「その髪は結んだ方がいい」と注意された時もルカは嬉しかった。
修道士にとって、女神の力が宿る髪は特別なものだ。成人の儀までは自分で結うことを許されず、同じ女神の兄弟に結んでもらう。
だから結べないと説明すると、ジェイルは「そんな理由ならなおさら結べ」と怒った。
「無防備にきらきらしていたら帝国の豆鉄砲で射殺されるぞ。おまえのせいで戦に負けるかもしれない。いいのか、それで!」
「……わかりました。えっと……では、女神の兄弟にお願いしてみますから」
ルカは、薬の製法を教えた修道士に頼んでみようと思っていた。だが、テントの入り口を這い出ようとした時、「待て」とジェイルの腕に胴を押さえられた。四つん這いのままきょとんとしていると、ジェイルが言った。
「だから……俺がやってやるから」
狭いなかで寝起きを共にするようになったせいか、ジェイルはルカによく触った。手で髪を掬いあげて、指で梳く。
「……後ろを向けよ。結んでやる」
「え、で、でも……」
「いいから。早く」
ジェイルに強く言われると、ルカは拒めなかった。確かに忌み子が押しかけて他の修道士に負担をかけるより、言い出した彼がそうする方が、筋が通っているようではある。
「……では、お願いします」
なんだか、ドキドキした。荷から出した櫛と紐を渡して背を向けて座る。髪を手で包む彼は「本当にふわふわだな」と言った。
「柔らかくて、仔猫の毛みたいだ」
「あ、扱いづらくて、すみません……」
「別に、そうは言ってない」
思いのほか慣れた手つきに身を任せていると、ジェイルがぽつりと言った。
「妹の髪も、よくこうして結んでやった」
「妹君がおられるのですか」
「なんだ? 俺に妹がいたらおかしいか」
キュッと髪をうなじで強く縛られ、ルカは上を向かされてしまう。むしろジェイルの兄らしい気質に納得してそう言ったのだが。
「昔の話だ。妹はもうとっくに死んだ」
「そうだったのですか……」
「体が弱いのに、路上に居させたからな」
ランプの灯心はぢりぢりと音を立てて光を放っていた。
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