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ラブラブハッピー番外編
かわいそうなオズヌと素敵なお婿さんのお話①
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アジリニ神のガチャを回し、花畑で目を覚ましたゴズメルとリリィは、しばしの間ミノタウロス族たちのもとに身を寄せることとなった。
過酷な戦いで疲れ切った心身を癒さなければならなかったし、身重のリリィを連れてアルティカに帰るにはそれなりの準備が必要だった。
なにより、言葉を取り戻したとはいえ、ミノタウロス族たちは多くの同胞と離れ離れになったままだ。気の逸ったミノタウロス族たちはポップルへ攻め入らんと鼻息を荒くしていた。
ゴズメルは現地を見てきた者として彼らを落ち着かせた。
「サゴンが元気そうだったんだから、ほかの仲間たちも無事に決まってる。やつらが安心して帰ってこられるように、まずは拠点をちゃんとしなきゃ」
休みつつ、旅の準備をしつつ、そんなふうに里の立て直しにも協力するので、なんだかんだと気ぜわしかった。リリィも手伝いたがったが、ゴズメルは「あんたはオズヌと一緒にいて!」と譲らなかった。
記憶が戻ったゴズメルはミノタウロス族への警戒心をも同時に思い出していた。自分の卵を抱いたリリィが同族から危険な目に遭わされたらと思うと気が気ではないのだった。
花咲き乱れる緑の森は、昼は生き生きしたこもれびに満ちているが、日が落ちるとシンと静まりかえる。壁のある暮らしが当たり前のミノタウロス族たちは、各家族ごとにキャンプを作ってひとまず落ち着いていた。枝葉を継いだ急ごしらえのテントだが、ないよりはずっといい。
薪拾いしていたゴズメルがオズヌ一家のキャンプに戻った時、子供たちはもうみんな寝ていた。『眩しくて疲れる』という声はよく聞かれた。大人でさえそうなのだから、地下の暮らししか知らない子供たちはなおのこと堪えるだろう。
オズヌは「静かでいいのだ」などと言うが、ゴズメルは心配だった。
「洞窟でも見つかればいいんだけどねえ」
「オズヌのお婿さんが探しに行ってくれているのよ」
「ああ! なるほど、あんたの旦那さんは山の外から来たから、日差しに慣れているんだね」
「うん……」
大人たちはパチパチと爆ぜる焚火を囲んでいた。地下でも地上でも、火は変わらない。リリィはオズヌの母と一緒に野草の処理をしていた。
オズヌは第四子の授乳だ。たっぷりした乳房を赤ん坊に吸わせているオズヌを見ていて、ゴズメルは不思議な気がした。自分はまだ子供のまま、幼馴染のオズヌだけが大人になってしまったように感じるのだ。
「ゴズメル、ここはいいところだね」
子供の頃とは違うオズヌの低い声に、ゴズメルはハッと我に返った。
「えっ?」
「広くて、空気がすかすかして、緑色のものがたくさんある」
「……そうか、あんたもずっと地下だったものね」
「うん」
「大丈夫かい。疲れてない?」
「ちょっとだけ」
『いいところ』と言うわりに、オズヌはどことなく気が沈んで見えた。瞬きをするゴズメルに、オズヌは小さく歯を見せて笑った。
「でも、これまでも外に出たことはあるよ。一回だけ」
「へえっ。用事でもあったの」
「ふふ……婿殿を迎えに行った時だ。ねえ、お母さん」
オズヌの母はニコニコとうなずいた。オズヌと違って小柄で無口なひとだ。こんなに満面の笑みを浮かべるのは珍しい。ゴズメルはもう少し詳しい話を聞きたい気がした。婿殿については何も知らないのだ。
「婿殿っていうけど、あのひと名前はなんて言うんだい」
「……トロイメライ・ヴァイスゲルバーガッセ」
「あん!?」
目をシロクロさせたのはゴズメルだけではなかった。リリィも手を止めておずおずと尋ねる。
「もしかして別の大陸から来た方ですの……?」
「父親がそうらしい」
「気がつかなかった! じゃ、純種じゃないんだ」
「ああ、うん……」
オズヌは口をつぐんでしまった。ゴズメルは(まずいこと言ったかな)と思った。クメミ山には純種のミノタウロス族しかいない。ただでさえ侮られている最下層暮らしで、よそ者。苦労したに違いないのだ。何か嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。
あたふたしているゴズメルをよそに、リリィは微笑んだ。
「それじゃ、うちの子にとっては先輩ですわね。生まれたら仲良くしてやってくださいな」
「……うん、ヨロシク」
オズヌが笑ったので、ゴズメルはホッとした。と同時に、幼馴染の身に起こったさまざまな出来事を想像すると、ため息が漏れる。自分はまだ親になった実感もないというのに、オズヌはもうずっと先へ行っているのだ。
ちょうどオズヌの父が水汲みから戻ってきて、その場は流れた。もういい時間になっていたので、ゴズメルとリリィも自分たちのテントへ引き揚げた。母も赤ん坊を引き取って孫たちのテントへ入り、焚火を囲むのはオズヌと父の二人だけとなった。
オズヌは焚火に薪を投げ込んでぼんやり考えた。
(ゴズメルの子と、うちの婿殿は本当におんなじだろうか……)
違う気がした。二人はミノタウロス族のしがらみから自由だが、夫はいまだに網の中にいる。そう思うと、暗闇の密度がぐっと濃くなった気がした。オズヌは大きな体から細い息をついた。森の中、焚火を挟んだ向かいに父がいる。同じ光景を、オズヌは数年前にも目にしていた。
◇◇◇
ゴズメルは気にするだろうから言わずにおいているのだが、オズヌは種族語を使っていた日々のことを他人事のように感じる。どんな言葉を使っていたのか、うまく思い出せないからだ。
はっきりしているのは、当時のオズヌがいつもヘラヘラしていたこと。ゴズメルが去り、同世代の中で一番弱いと決まったオズヌは、ミノタウロス族らしい闘争心を完全に失ってしまった。もともと最下層に住んでいて、勝利や誉れと無縁だったせいもある。
長の娘であるゴズメルを通じて、強い家に生まれるのも苦労があることは知っていた。それでもたまにゴズメルに勝てた時は嬉しかった。この勝利をとっかかりに、いつかは自分も両親と共に上層へ行けるかもしれないと思ったからだ。
幼い夢だった。
クメミ山の下層は温かな泥のように居心地がよかった。強者は弱者を哀れみ世話してくれる。物もよくもらった。上層で不要になった物は順繰りに下層へ下りてくる。オズヌの家はさながら廃品回収所である。増えすぎれば処分したが、両親はありがたい、ありがたいとしきりに言っていた。
オズヌは食べ物をもらうことが多かった。格付けに参加していた時は勝たなければおやつを取り上げられていたのに、勝負にならないとわかればむしろ恵んでもらえるのは不思議なことだった。引き換えに何か人として大切なものを明け渡している気もしたが、食いしん坊のオズヌはよく食べた。
一般にミノタウロス族の女は筋肉質である。月に一度は生えるし、男と並んでも遜色ない力強さを持っている。男のほうもそういう女を妻にして、より強い子供を得ることを理想とする向きがあった。
オズヌはその理想から大きく外れていた。筋肉は脂肪に覆われ、体は大きいがずんぐりしていて、手足も短い。だから、よそから婿をもらうと父に言われた時、オズヌは(そりゃそうだ)と思った。
(でも、いやだなあ)とも思った。
結婚するとなると、結婚式で夫と殴りあわなければならない。それも家族ぐるみだ。負けるのに慣れているといっても、大人数の前で恥をかくのかと思うと憂鬱になる。
しかし、話をまとめてくれた父にそんなことを言うわけにはいかなかった。婿に来てもらえるだけで有難いことなのだ。このままでは両親が死んだ時にオズヌは独りぼっちになってしまう。
上層の強者たちはオズヌを養ってはくれるが、それは家畜を世話するのと同じ感覚である。いや役立たずである以上ヘラヘラして有難がる必要があって、家畜よりさらに分が悪い。先の長い人生、せめて傷を舐めあう相手くらいは欲しいものだ。
そんなわけで父は長に外出の許可を取り、母は婚約の品を支度し、オズヌは家にあったガラクタで背負子をこしらえた。両親が座れるように仕上げ、自分には杖も作った。ケンカが弱いだけで、力は十分にある。出入口の岩も問題なく閉じられて、オズヌは初めて地上へ出たのだった。
(ゴズメルはこんなに明るいところで暮らしているのか)
オズヌは里を出て行った幼馴染のことを、空の光と同じくらい眩しく思った。クメミ山での暮らしに違和感を覚えていたのは、自分もゴズメルもきっと同じだったはずだ。だが山の外に出るのは恐ろしかったし、家族から離れたいとも思えなかった。出ていくだけの理由と勢いがなかったのがいいことだったのか悪いことだったのか、オズヌにはわからない。
(ああ……やっぱり、結婚なんてしたくないなあ……)
いっそこのまま両親を背負って、どこか遠くへ逃げ出してしまおうかとも思った。だが長に告げた外出の期間は決まっている。支配されることに慣れたオズヌは、嫌だ嫌だと思いながら、婿に会いに行くしかなかった。
集落に近づくほどオズヌは憂鬱になった。ミノタウロス族というものは初対面の相手にはまずアイサツ代わりにケンカを売ることになっている。クメミ山の最下層から来た女など、打ってつけの獲物だろう。みんな相手と本気でやりあうことが最大の礼儀だと思っているのだ。
だから、到着してみてオズヌは拍子抜けした。柵の立った集落の入り口はガランとして、二人しか待っていない。背負子を降りた父に手を振った老人が親戚とすると・・・その横で気をつけして立っている、あの、やけに色の黒い、眼鏡をかけた男が――婿、なのだろうか。
向こうも同じようにオズヌに当たりをつけたようだった。
「オズヌさんですか」
たいそう優しい声だった。
「はァ、はい……」
オズヌは、しどろもどろだった。そう、そうだった。生まれてこのかた、さん付けされたことなどなかった。しゃべり方も声の調子も、クメミ山の男たちとは何もかも違っている。それでいて強靭なしなやかさというか、包丁の鋭い切っ先と丸い峰がつながっているみたいな、不思議な印象だった。
(な、なんだこいつ……)
気圧され、後ずさるオズヌの手を、彼は、さっと取った。
「ボクと結婚してくれますか」
「!?!?!?」
打ちかかられるのかと、そう思ったのである。ひとの手を引っ張って、体勢を崩させて後頭部を殴るようなアイサツを、オズヌは子供の頃から何度も食らってきた。やり返すような性分でもない。肩を緊張させて耐えようとしたのだが、彼はじっと動かなかった。
オズヌの心の中で激しい葛藤があった。殴ってこないのなら、こちらから殴るのが礼儀というものだ。向こうはこちらの出方を探っているのかもしれない。しかし、先に手を出して生意気な嫁だと思われたら、ずっとイビられ続ける結婚生活かも。いや、まず『結婚してくれますか』とはなんだ。わざわざ集落まで出向かせておいて、こちらに断る選択肢を示す意味がわからない。遠回しに『おまえみたいなヨメはおことわりだ』と言っているのだろうか。
だがオズヌは彼の目を見ているうちに、そんなふうに勘繰る自分の心が浅ましく思えてきた。弱いから、強者の顔色ばかり窺って生きているから、真剣な言葉を疑ってしまうのだ。間違いなく彼は真面目だった。緊張しすぎて、自分の意見を伝えるのも何年かぶりで、オズヌは声が出なかった。ただ、顎をかすかに上下に動かすことしかできなかった。
過酷な戦いで疲れ切った心身を癒さなければならなかったし、身重のリリィを連れてアルティカに帰るにはそれなりの準備が必要だった。
なにより、言葉を取り戻したとはいえ、ミノタウロス族たちは多くの同胞と離れ離れになったままだ。気の逸ったミノタウロス族たちはポップルへ攻め入らんと鼻息を荒くしていた。
ゴズメルは現地を見てきた者として彼らを落ち着かせた。
「サゴンが元気そうだったんだから、ほかの仲間たちも無事に決まってる。やつらが安心して帰ってこられるように、まずは拠点をちゃんとしなきゃ」
休みつつ、旅の準備をしつつ、そんなふうに里の立て直しにも協力するので、なんだかんだと気ぜわしかった。リリィも手伝いたがったが、ゴズメルは「あんたはオズヌと一緒にいて!」と譲らなかった。
記憶が戻ったゴズメルはミノタウロス族への警戒心をも同時に思い出していた。自分の卵を抱いたリリィが同族から危険な目に遭わされたらと思うと気が気ではないのだった。
花咲き乱れる緑の森は、昼は生き生きしたこもれびに満ちているが、日が落ちるとシンと静まりかえる。壁のある暮らしが当たり前のミノタウロス族たちは、各家族ごとにキャンプを作ってひとまず落ち着いていた。枝葉を継いだ急ごしらえのテントだが、ないよりはずっといい。
薪拾いしていたゴズメルがオズヌ一家のキャンプに戻った時、子供たちはもうみんな寝ていた。『眩しくて疲れる』という声はよく聞かれた。大人でさえそうなのだから、地下の暮らししか知らない子供たちはなおのこと堪えるだろう。
オズヌは「静かでいいのだ」などと言うが、ゴズメルは心配だった。
「洞窟でも見つかればいいんだけどねえ」
「オズヌのお婿さんが探しに行ってくれているのよ」
「ああ! なるほど、あんたの旦那さんは山の外から来たから、日差しに慣れているんだね」
「うん……」
大人たちはパチパチと爆ぜる焚火を囲んでいた。地下でも地上でも、火は変わらない。リリィはオズヌの母と一緒に野草の処理をしていた。
オズヌは第四子の授乳だ。たっぷりした乳房を赤ん坊に吸わせているオズヌを見ていて、ゴズメルは不思議な気がした。自分はまだ子供のまま、幼馴染のオズヌだけが大人になってしまったように感じるのだ。
「ゴズメル、ここはいいところだね」
子供の頃とは違うオズヌの低い声に、ゴズメルはハッと我に返った。
「えっ?」
「広くて、空気がすかすかして、緑色のものがたくさんある」
「……そうか、あんたもずっと地下だったものね」
「うん」
「大丈夫かい。疲れてない?」
「ちょっとだけ」
『いいところ』と言うわりに、オズヌはどことなく気が沈んで見えた。瞬きをするゴズメルに、オズヌは小さく歯を見せて笑った。
「でも、これまでも外に出たことはあるよ。一回だけ」
「へえっ。用事でもあったの」
「ふふ……婿殿を迎えに行った時だ。ねえ、お母さん」
オズヌの母はニコニコとうなずいた。オズヌと違って小柄で無口なひとだ。こんなに満面の笑みを浮かべるのは珍しい。ゴズメルはもう少し詳しい話を聞きたい気がした。婿殿については何も知らないのだ。
「婿殿っていうけど、あのひと名前はなんて言うんだい」
「……トロイメライ・ヴァイスゲルバーガッセ」
「あん!?」
目をシロクロさせたのはゴズメルだけではなかった。リリィも手を止めておずおずと尋ねる。
「もしかして別の大陸から来た方ですの……?」
「父親がそうらしい」
「気がつかなかった! じゃ、純種じゃないんだ」
「ああ、うん……」
オズヌは口をつぐんでしまった。ゴズメルは(まずいこと言ったかな)と思った。クメミ山には純種のミノタウロス族しかいない。ただでさえ侮られている最下層暮らしで、よそ者。苦労したに違いないのだ。何か嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。
あたふたしているゴズメルをよそに、リリィは微笑んだ。
「それじゃ、うちの子にとっては先輩ですわね。生まれたら仲良くしてやってくださいな」
「……うん、ヨロシク」
オズヌが笑ったので、ゴズメルはホッとした。と同時に、幼馴染の身に起こったさまざまな出来事を想像すると、ため息が漏れる。自分はまだ親になった実感もないというのに、オズヌはもうずっと先へ行っているのだ。
ちょうどオズヌの父が水汲みから戻ってきて、その場は流れた。もういい時間になっていたので、ゴズメルとリリィも自分たちのテントへ引き揚げた。母も赤ん坊を引き取って孫たちのテントへ入り、焚火を囲むのはオズヌと父の二人だけとなった。
オズヌは焚火に薪を投げ込んでぼんやり考えた。
(ゴズメルの子と、うちの婿殿は本当におんなじだろうか……)
違う気がした。二人はミノタウロス族のしがらみから自由だが、夫はいまだに網の中にいる。そう思うと、暗闇の密度がぐっと濃くなった気がした。オズヌは大きな体から細い息をついた。森の中、焚火を挟んだ向かいに父がいる。同じ光景を、オズヌは数年前にも目にしていた。
◇◇◇
ゴズメルは気にするだろうから言わずにおいているのだが、オズヌは種族語を使っていた日々のことを他人事のように感じる。どんな言葉を使っていたのか、うまく思い出せないからだ。
はっきりしているのは、当時のオズヌがいつもヘラヘラしていたこと。ゴズメルが去り、同世代の中で一番弱いと決まったオズヌは、ミノタウロス族らしい闘争心を完全に失ってしまった。もともと最下層に住んでいて、勝利や誉れと無縁だったせいもある。
長の娘であるゴズメルを通じて、強い家に生まれるのも苦労があることは知っていた。それでもたまにゴズメルに勝てた時は嬉しかった。この勝利をとっかかりに、いつかは自分も両親と共に上層へ行けるかもしれないと思ったからだ。
幼い夢だった。
クメミ山の下層は温かな泥のように居心地がよかった。強者は弱者を哀れみ世話してくれる。物もよくもらった。上層で不要になった物は順繰りに下層へ下りてくる。オズヌの家はさながら廃品回収所である。増えすぎれば処分したが、両親はありがたい、ありがたいとしきりに言っていた。
オズヌは食べ物をもらうことが多かった。格付けに参加していた時は勝たなければおやつを取り上げられていたのに、勝負にならないとわかればむしろ恵んでもらえるのは不思議なことだった。引き換えに何か人として大切なものを明け渡している気もしたが、食いしん坊のオズヌはよく食べた。
一般にミノタウロス族の女は筋肉質である。月に一度は生えるし、男と並んでも遜色ない力強さを持っている。男のほうもそういう女を妻にして、より強い子供を得ることを理想とする向きがあった。
オズヌはその理想から大きく外れていた。筋肉は脂肪に覆われ、体は大きいがずんぐりしていて、手足も短い。だから、よそから婿をもらうと父に言われた時、オズヌは(そりゃそうだ)と思った。
(でも、いやだなあ)とも思った。
結婚するとなると、結婚式で夫と殴りあわなければならない。それも家族ぐるみだ。負けるのに慣れているといっても、大人数の前で恥をかくのかと思うと憂鬱になる。
しかし、話をまとめてくれた父にそんなことを言うわけにはいかなかった。婿に来てもらえるだけで有難いことなのだ。このままでは両親が死んだ時にオズヌは独りぼっちになってしまう。
上層の強者たちはオズヌを養ってはくれるが、それは家畜を世話するのと同じ感覚である。いや役立たずである以上ヘラヘラして有難がる必要があって、家畜よりさらに分が悪い。先の長い人生、せめて傷を舐めあう相手くらいは欲しいものだ。
そんなわけで父は長に外出の許可を取り、母は婚約の品を支度し、オズヌは家にあったガラクタで背負子をこしらえた。両親が座れるように仕上げ、自分には杖も作った。ケンカが弱いだけで、力は十分にある。出入口の岩も問題なく閉じられて、オズヌは初めて地上へ出たのだった。
(ゴズメルはこんなに明るいところで暮らしているのか)
オズヌは里を出て行った幼馴染のことを、空の光と同じくらい眩しく思った。クメミ山での暮らしに違和感を覚えていたのは、自分もゴズメルもきっと同じだったはずだ。だが山の外に出るのは恐ろしかったし、家族から離れたいとも思えなかった。出ていくだけの理由と勢いがなかったのがいいことだったのか悪いことだったのか、オズヌにはわからない。
(ああ……やっぱり、結婚なんてしたくないなあ……)
いっそこのまま両親を背負って、どこか遠くへ逃げ出してしまおうかとも思った。だが長に告げた外出の期間は決まっている。支配されることに慣れたオズヌは、嫌だ嫌だと思いながら、婿に会いに行くしかなかった。
集落に近づくほどオズヌは憂鬱になった。ミノタウロス族というものは初対面の相手にはまずアイサツ代わりにケンカを売ることになっている。クメミ山の最下層から来た女など、打ってつけの獲物だろう。みんな相手と本気でやりあうことが最大の礼儀だと思っているのだ。
だから、到着してみてオズヌは拍子抜けした。柵の立った集落の入り口はガランとして、二人しか待っていない。背負子を降りた父に手を振った老人が親戚とすると・・・その横で気をつけして立っている、あの、やけに色の黒い、眼鏡をかけた男が――婿、なのだろうか。
向こうも同じようにオズヌに当たりをつけたようだった。
「オズヌさんですか」
たいそう優しい声だった。
「はァ、はい……」
オズヌは、しどろもどろだった。そう、そうだった。生まれてこのかた、さん付けされたことなどなかった。しゃべり方も声の調子も、クメミ山の男たちとは何もかも違っている。それでいて強靭なしなやかさというか、包丁の鋭い切っ先と丸い峰がつながっているみたいな、不思議な印象だった。
(な、なんだこいつ……)
気圧され、後ずさるオズヌの手を、彼は、さっと取った。
「ボクと結婚してくれますか」
「!?!?!?」
打ちかかられるのかと、そう思ったのである。ひとの手を引っ張って、体勢を崩させて後頭部を殴るようなアイサツを、オズヌは子供の頃から何度も食らってきた。やり返すような性分でもない。肩を緊張させて耐えようとしたのだが、彼はじっと動かなかった。
オズヌの心の中で激しい葛藤があった。殴ってこないのなら、こちらから殴るのが礼儀というものだ。向こうはこちらの出方を探っているのかもしれない。しかし、先に手を出して生意気な嫁だと思われたら、ずっとイビられ続ける結婚生活かも。いや、まず『結婚してくれますか』とはなんだ。わざわざ集落まで出向かせておいて、こちらに断る選択肢を示す意味がわからない。遠回しに『おまえみたいなヨメはおことわりだ』と言っているのだろうか。
だがオズヌは彼の目を見ているうちに、そんなふうに勘繰る自分の心が浅ましく思えてきた。弱いから、強者の顔色ばかり窺って生きているから、真剣な言葉を疑ってしまうのだ。間違いなく彼は真面目だった。緊張しすぎて、自分の意見を伝えるのも何年かぶりで、オズヌは声が出なかった。ただ、顎をかすかに上下に動かすことしかできなかった。
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