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24.ノァズァーク・プロジェクト(前)
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ロナウジーニョ氏が、とある島国でゲーム会社に就職したのは35歳の時だった。
両親の故郷は遠い南にある。戦火に追われた二人は命からがら異国の地にたどりつき、ロナウジーニョ氏を生んだ。下には弟と妹が一人ずつ。自分が周りのひとたちと肌の色が違い、扱いにも差があることは気づいていたけれど、どうにかこうにか大人になった。
両親は忙しく、母国語も現地語も教わる機会が少なかった。おかげで親子間のコミュニケーションはちぐはぐである。日常会話は聞き覚えでなんとかなっても、文法知識があやふやなので、こみいった会話には苦労する。就職にこぎつけるのは大変だった。
最初の職場は、運の悪いことに人種差別をする上司がいて長く続かなかった。比較してみると二つ目の職場は人間関係も仕事内容も大変良かったのだが、残念ながら会社のほうが潰れてしまった。
これが堪えた。氏は負けん気の強い性格で、嫌なやつに悪口を言われてもなにくそと跳ね返すことができる。ところが、良くしてもらった会社が潰れてしまったとなると(ああ俺の力不足のせいで)(俺は結局なんの役にも立たないだめな人間なんだ・・・!)などと簡単にへこたれてしまうのだった。
布団にひきこもってグスグスやっている兄を見かねて、弟妹は「がんばりすぎて疲れちゃったんだよ」「しばらくゲームでもして休んだらいい」と提案した。
「黙れ、兄ちゃんは遊んでる場合じゃないんだ」
「でもお医者さんにも、しばらく働いちゃダメって言われてるんでしょ……」
「せっかくお金がもらえるよう手続きしたんだから、遊んだらいいじゃん」
「うるさい! あの医者は俺をダメ人間にしようとしている!」
布団から動けないくせに、ロナウジーニョ氏は労働意欲がみなぎっていた。肌の色は違えど、湿気の強い国に生まれ育った彼はすっかり神経質もとい几帳面に成長していた。
「今に見てろよ、俺が社会の役に立つ人間だということを今度こそ証明してみせる! よォし職探しをするぞ」
その性質に母国由来のありあまるパワー、さらに憂鬱気分が加わるとどうなるかというと・・・。
「ウオエエエエエ」
「だめだこりゃ。仕事アレルギーがひどくなっている」
がむしゃらに働きたくても神経がついていかないのである。求人票を手にぶっ倒れた氏を、弟は説得した。
「ねえ、ゲームだって役に立つよ。他のプレイヤーとチームを組んでボスにトライするんだ。活躍すればみんなに喜ばれるし、スペシャルな報酬だってもらえる」
「ゲームなんてただの遊びだ!」
「どうかな。たとえ遊びでも、チームに貢献できない人間が社会の役に立てるだろうか」
「うっ……」
「ねぇ、兄ちゃんは何もしないでいると、かえって落ち込んじゃうでしょ。たまには一緒に遊ぼうよ」
年を重ねても二人から『一緒に遊ぼう』と言われると断れない。氏は仕方なく弟妹の口車に乗ってやることにした。ゲーム機とモニター、コントローラーを用意して、電源ボタンを押す。
『アジリニコーポレーション』。
モニターにゲーム会社のロゴが表示された。それが、三つ目の職場とのファーストインプレッションだった。
「この星に、勇気と魔法を。」
そんなキャッチフレーズを掲げるゲーム会社だった。ロナウジーニョ氏は初めてのゲーム体験に震えた。
シンプルだが心に訴えかけてくるストーリー。
プレイヤー間の連携を最大限に引き出すシステム。
自分が現実にモニターの中にいるかのように思える、圧巻のグラフィック。
キャラクターの魅力あふれるバトルモーションも、茶目っ気たっぷりのミニゲームも、なにもかも良かった。
すすめてきた弟妹が驚くほど、氏はゲーム世界にのめりこんだ。バトルシステムを完全に理解し、強くなるための研鑽を怠らなかった。そのうちゲームの中でマッチングプレイをして、友達ができた。会ったことがなくても大切な仲間で、何度命を救いあったかわからない。
「言葉に頼っていないところがとてもいいと思う」
「言葉?」
特に仲のいい友達に、氏は音声チャットで説明した。
「俺は字を読むのが遅いんだ。会話はまあできるけど」
「そうなの? 全然わかんなかった」
「でもこのゲームは、言葉より絵とか動きとかで説明してくれるから助かる」
「あー、アジリニの出すゲームは、全部そうらしいね」
「アジリニって、運営会社?」
「社長が超マイナーな国の出身らしいよ。他社もローカライズとかがんばってはいるけど、翻訳次第のところあるから。なるべく言語に左右されないようにしてるって」
友達は、ポンとインタビュー記事のリンクをプレゼントしてくれた。氏は、薄目で記事の内容を確認した。ぱっと見で内容を理解するのは難しかったが――それでも、ある文章が目に飛び込んできた。
『アジリニコーポレーションでは新規事業開拓に向け、新しい人材を求めています。』
『求 人 募 集 中』!
仕事アレルギーと働きたさのせめぎあいは数日続いたが、やがて彼はクローゼット代わりの押し入れを開いた。ほったらかしにしていたスーツをクリーニングに出すために!
◇◆◇
以上の経緯をかいつまんだロナウジーニョ氏の志望動機は、グループ面接でもそれなりにウケた。なにしろゲーム会社なので面接官もゲーム好きのようだ。短期間でランキング上位にまで上り詰めた氏は、実のところ社内でも話題のプレイヤーだった。
面接官に「あなたの活躍は耳にしていますよ」と言ってもらえて、氏はちょっと鼻が高かった。が、質問が隣の志望者に移ったとたん、その鼻をグシャッと潰されることになる。
そいつは、どう見ても場違いだった。
氏ともう一人の志望者が(三名での面接だった)ビシッとスーツを着込んでいるのに対し、彼ときたら襟のゆるくなったシャツに、ウエストのゆるいズボンを腰穿きしている。おまけに足元ときたら、底のすり減ったビーチサンダルだ。だいたい、若すぎる。氏の目には十代半ばくらいに見えた。
挨拶も、軽快そのものだった。
「うっすー。よろしくっすー」
社会人ナメてんのか、こいつ――。
思わず殺意のこもった横目で睨んだその時、ありえないことが起こった。
面接官が泣き出したのだ。
「あっ、あなた、ホントにカトーさん……ホンモノなんですね……!」
「うん。あれっ? 俺のこと知ってる感じ? ひょっとして一緒にチーム組んだことある?」
「ごめんなさい、ついっ感極まってしまって……!」
何が起こっているかわからずにいる氏の横で、カトー少年が立ち上がった。(おいおい、面接官の許可もなく立ち歩いていいと思ってんのか)頭に血が上る氏を差し置いて、彼は面接官にハンカチを渡す。それもいつ洗ったんだかわからない、くしゃくしゃのハンカチだった。
「泣くなって! 挨拶だけでわかるなんて相当の通だな~?」
「すみません、ホントにすみません……」
「いいんだって。俺の仲間なら知ってるだろ?」
カトーはハンカチを大剣に見立てて、ビシッとポーズをキメた。
「『涙を拭きな。勝たせてやるから、黙って俺についてこい!』」
「うっ、ううう~! かっこいい~!」
もう滅茶苦茶である。いったい何を見せられているのか・・・と絶句するうちに面接は終わった。
「まったく、なんて会社だ……! 絶対に訴えてやるからな!」
氏はもう、ガッカリである。せっかく仕事アレルギーを克服して書類を整えたのに、とんでもない面接官にあたってしまった。腹いせに会社の前の公園で、破いた履歴書を鳩に食わせようとしていると、後ろから声をかけられた。
「僕たちは運が悪かったよ。まさかあの勇者カトーと同じグループになっちゃうなんて」
「あぁ……?」
先ほどのグループ面接で一緒だった志望者だ。一人称とパンツスーツでわかりづらいが、どうやら女性のようだ。たしかリーとか名乗っていた気がする。
「……さっきのカトーってヤツは、そんなに有名なのか?」
「そりゃもう伝説級のプレイヤーよ。若くてびっくりしたけど、あのひとにキャリーされたことない新人っていないんじゃない? ……同じアジリニ系列でも、君とはプレイしてるゲームが違うみたいだけど」
「フン!」
機嫌の悪いロナウジーニョ氏に、リーは苦笑した。彼女はカトーと同じゲームをプレイしているらしい。
「順番が逆なんだけどね。僕はこの会社の新規プロジェクトに興味があって、就活のためにゲームを始めたんだ」
「あぁ……そういえば広報に書いてあったな」
氏とリーは平日午後の公園にいた。高い空に、雲がゆっくりと流れていく。管理された公園の木は枝を切り詰められ、花壇は整然と並んでいた。足元には鳩が山といる。
鳩は破れた書類を口に咥えては、『おいしくない!』とばかりに吐き出していた。オフィス街で、勤め人は餌を落とすものと思っているのだろう。人間を怖がらず、むしろ不満げに革靴をつついてくる。氏はイライラと蹴散らした。リーは微笑して、呟いた。
「こんなに平和な世界が、あと数年で終わっちゃうなんて。僕には信じがたいなあ……」
鳩が一斉に羽ばたく。氏は舌打ちをした。
「世界が平和だったことなんて、俺が知る限り一度もない」
両親の故郷を焼いた争いの炎は、氏の成長に比例するように拡大し、いまや世界を焼き尽くそうとしていた。氏とその弟妹も、自分の根源にあたる土地を、一度も見たことがない。
この地でも、どんな手続きをしたところで容姿を理由に外国人と見なされ、有事には排斥されるおそれを抱えている。今立っている大地も、いつ追われることになるかはわからなかった。
ロナウジーニョ氏は、吐き捨てた。
「馬鹿げた夢から目が覚めてよかった。長く休みすぎて俺はどうかしていたらしい。ゲームなんてたかが遊びだ。ありもしない世界のために働くなんて――残り少ない人生を費やすなんて、狂気の沙汰だ」
「そうかな……? でも、アジリニはさぁ……」
「うるさい。俺はどうせ落ちたんだ。ガキの遊びをやめるきっかけができたと思うことにする」
「どうしてそんなに後ろ向きなの? 結果はまだわからないよ」
氏は歯噛みした。前の会社では技術職だったが、グループ面接がどんなものかくらいは知っている。通す人間を選ぶために志望者を横並びに比較するのだ。カトーがあれだけ気に入られて、自分が通過しているとは思わない。
「……こっちから願い下げという意味だっ。覚えとけ!」
◇◆◇
ところがロナウジーニョ氏は一週間後、アジリニコーポレーションの社長室にいた。
高層ビルの最上階。応接用のソファに座る氏の目の前は、一面が窓である。この状況に、氏は大いに動揺した。
(あの面接で通っていたのも妙だが、役員をすっとばして社長面接だなんて絶対におかしい。……いやっ、相手が役員だろうが社長だろうが、俺の言うべきことは変わらない。『こんなふざけた会社は願い下げだ!』そう文句を言ってやる!)
めらめらと怒りを燃やす氏が座っているのに対し、社長は立っていた。面接だというのに窓のほうを向き、下界を見下ろしている。
「……前の面接では、担当者が失礼なふるまいをしたようです。申し訳ありません」
ふりむいた社長の面差しがあまりに眩くて、氏の口からは文句の代わりに「へぁ」と変な声が漏れた。企業のパンフレットやら資料やらで顔は何度も見ているはずなのに、まるで印象が違う。
誰に似ているとか、どこが綺麗だとか、具体的にうまく説明できないのだが、とにかく美しい男だった。いや、本当に男なのだろうか? そういえば性別を調べたことはなかった。女なのかもしれない。
(な、なんて写真うつりの悪い社長なんだ。いや、むしろ『現実うつり』が良すぎるのか?)
社長は静かに氏を見つめていたが、やがて首を振った。
「私の顔を、あまりまっすぐに見ないほうがいい。あなたはふつうのひとより目がいいようだから」
「……?」
「ゲームを始めたのは、最近から?」
「はい」
面接らしい質問に、仕事人間の氏は完全に気分を切り替えた。確かに彼の顔を見ると気がおかしくなりそうになるので、代わりに顎やネクタイに視線を向ける。それでもたまに視界がゆがむ感じがした。ネクタイのように見えているものが蓮の実や、日食の環に見えたりするのである。
(い、いったい、こいつは何者なんだ)
もはや文句を言うどころではなかった。志望者としてふるまいながら、氏は冷や汗と震えが止まらない。
そんな彼に、社長は「ごめんなさい」と謝った。
「あなたがこんなに怯えるとわかっていたら、私はこうして直接に顔を合わせようと思わなかった」
「は……」
「目を閉じなさい。少しは楽になりますから」
どういう面接だ、と氏は思ったが、なぜかその言葉に逆らうことができなかった。実際、目を閉じると呼吸が整った。(社長面接までこぎつけて、このていたらく……。結局は落ちるのかよ。クソッ)そう心の中で毒づくと、なぜか社長が小さく笑う気配があった。まるで氏の思いを読んだかのように。
「ロナウジーニョさん、あなたは神を信じていますか」
「神? まさか」
どうせ落ちるならと、ロナウジーニョ氏は吐き捨てた。
「このご時世にああいうものを信じるのは、よほど頭がおめでたいか、不幸すぎる目に遭ったかのどちらかだ。いずれにせよ一時の気休めにすぎない。そういうものがいたら、こんなひどい世の中にはなっていないんじゃないかね」
「いてほしいとも、全然思わない? 滅びようとしているこの星から救い出してほしいとは?」
「バカバカしい。今更しゃしゃり出てこられても迷惑だ」
「そう……?」
「大体な、俺みたいな役立たずが生き延びたところで、どうせなんにもならないんだよ」
「あなた、まじめなひとですね」
「ハ?」
「世界の終わりに至っても、何かの役に立たないといけないと思っている。どんな時にも一生懸命でひたむきなあなたは、実にこの星らしい人柄をしています」
氏は今度こそ文句を言った。
「なんなんだ、この茶番は。宗教の勧誘か?」
これだけ言ってやっても社長が終始穏やかで、笑っているようでもあるのが気に入らない。
「それではあなたを救うために、私が船を出してあげる」
ロナウジーニョ氏は震えていた。
怯えているからではない。超常的な存在に選ばれて、彼は歓喜していた。
社長の声はおっとりとしていて、耳に心地よかった。
「ロナウジーニョさん、あなたはたくさんの仲間たちと共に船に乗り込み、星を渡るのです。やがて船が乾いた大地にたどりつくまで。……ああ、あなたがたがそこを気に入ってくれるといいのだけど」
「どうして、そんな心配をするんだ」
それは、聞いてはいけないことだったのだろうか。社長は虚を突かれたように黙り込み、やがて、ひどく邪気のない笑い声をもらした。
「あなたがたが私と同じように長い旅をして、私と同じようにそこを気に入ってくれたら、その時にようやく、私たちは同じものになれると思うから」
「……悪いが、言っている意味が、よくわからない」
社長はこの不躾な物言いを怒るどころか、むしろ喜んだ。氏の言葉にかぶせるようにこう言った。
「だって私は、あなたがたのことをとても愛しているから。愛するひとに自分のふるさとを気に入ってほしいと思うのは自然なことでしょう」
両親の故郷は遠い南にある。戦火に追われた二人は命からがら異国の地にたどりつき、ロナウジーニョ氏を生んだ。下には弟と妹が一人ずつ。自分が周りのひとたちと肌の色が違い、扱いにも差があることは気づいていたけれど、どうにかこうにか大人になった。
両親は忙しく、母国語も現地語も教わる機会が少なかった。おかげで親子間のコミュニケーションはちぐはぐである。日常会話は聞き覚えでなんとかなっても、文法知識があやふやなので、こみいった会話には苦労する。就職にこぎつけるのは大変だった。
最初の職場は、運の悪いことに人種差別をする上司がいて長く続かなかった。比較してみると二つ目の職場は人間関係も仕事内容も大変良かったのだが、残念ながら会社のほうが潰れてしまった。
これが堪えた。氏は負けん気の強い性格で、嫌なやつに悪口を言われてもなにくそと跳ね返すことができる。ところが、良くしてもらった会社が潰れてしまったとなると(ああ俺の力不足のせいで)(俺は結局なんの役にも立たないだめな人間なんだ・・・!)などと簡単にへこたれてしまうのだった。
布団にひきこもってグスグスやっている兄を見かねて、弟妹は「がんばりすぎて疲れちゃったんだよ」「しばらくゲームでもして休んだらいい」と提案した。
「黙れ、兄ちゃんは遊んでる場合じゃないんだ」
「でもお医者さんにも、しばらく働いちゃダメって言われてるんでしょ……」
「せっかくお金がもらえるよう手続きしたんだから、遊んだらいいじゃん」
「うるさい! あの医者は俺をダメ人間にしようとしている!」
布団から動けないくせに、ロナウジーニョ氏は労働意欲がみなぎっていた。肌の色は違えど、湿気の強い国に生まれ育った彼はすっかり神経質もとい几帳面に成長していた。
「今に見てろよ、俺が社会の役に立つ人間だということを今度こそ証明してみせる! よォし職探しをするぞ」
その性質に母国由来のありあまるパワー、さらに憂鬱気分が加わるとどうなるかというと・・・。
「ウオエエエエエ」
「だめだこりゃ。仕事アレルギーがひどくなっている」
がむしゃらに働きたくても神経がついていかないのである。求人票を手にぶっ倒れた氏を、弟は説得した。
「ねえ、ゲームだって役に立つよ。他のプレイヤーとチームを組んでボスにトライするんだ。活躍すればみんなに喜ばれるし、スペシャルな報酬だってもらえる」
「ゲームなんてただの遊びだ!」
「どうかな。たとえ遊びでも、チームに貢献できない人間が社会の役に立てるだろうか」
「うっ……」
「ねぇ、兄ちゃんは何もしないでいると、かえって落ち込んじゃうでしょ。たまには一緒に遊ぼうよ」
年を重ねても二人から『一緒に遊ぼう』と言われると断れない。氏は仕方なく弟妹の口車に乗ってやることにした。ゲーム機とモニター、コントローラーを用意して、電源ボタンを押す。
『アジリニコーポレーション』。
モニターにゲーム会社のロゴが表示された。それが、三つ目の職場とのファーストインプレッションだった。
「この星に、勇気と魔法を。」
そんなキャッチフレーズを掲げるゲーム会社だった。ロナウジーニョ氏は初めてのゲーム体験に震えた。
シンプルだが心に訴えかけてくるストーリー。
プレイヤー間の連携を最大限に引き出すシステム。
自分が現実にモニターの中にいるかのように思える、圧巻のグラフィック。
キャラクターの魅力あふれるバトルモーションも、茶目っ気たっぷりのミニゲームも、なにもかも良かった。
すすめてきた弟妹が驚くほど、氏はゲーム世界にのめりこんだ。バトルシステムを完全に理解し、強くなるための研鑽を怠らなかった。そのうちゲームの中でマッチングプレイをして、友達ができた。会ったことがなくても大切な仲間で、何度命を救いあったかわからない。
「言葉に頼っていないところがとてもいいと思う」
「言葉?」
特に仲のいい友達に、氏は音声チャットで説明した。
「俺は字を読むのが遅いんだ。会話はまあできるけど」
「そうなの? 全然わかんなかった」
「でもこのゲームは、言葉より絵とか動きとかで説明してくれるから助かる」
「あー、アジリニの出すゲームは、全部そうらしいね」
「アジリニって、運営会社?」
「社長が超マイナーな国の出身らしいよ。他社もローカライズとかがんばってはいるけど、翻訳次第のところあるから。なるべく言語に左右されないようにしてるって」
友達は、ポンとインタビュー記事のリンクをプレゼントしてくれた。氏は、薄目で記事の内容を確認した。ぱっと見で内容を理解するのは難しかったが――それでも、ある文章が目に飛び込んできた。
『アジリニコーポレーションでは新規事業開拓に向け、新しい人材を求めています。』
『求 人 募 集 中』!
仕事アレルギーと働きたさのせめぎあいは数日続いたが、やがて彼はクローゼット代わりの押し入れを開いた。ほったらかしにしていたスーツをクリーニングに出すために!
◇◆◇
以上の経緯をかいつまんだロナウジーニョ氏の志望動機は、グループ面接でもそれなりにウケた。なにしろゲーム会社なので面接官もゲーム好きのようだ。短期間でランキング上位にまで上り詰めた氏は、実のところ社内でも話題のプレイヤーだった。
面接官に「あなたの活躍は耳にしていますよ」と言ってもらえて、氏はちょっと鼻が高かった。が、質問が隣の志望者に移ったとたん、その鼻をグシャッと潰されることになる。
そいつは、どう見ても場違いだった。
氏ともう一人の志望者が(三名での面接だった)ビシッとスーツを着込んでいるのに対し、彼ときたら襟のゆるくなったシャツに、ウエストのゆるいズボンを腰穿きしている。おまけに足元ときたら、底のすり減ったビーチサンダルだ。だいたい、若すぎる。氏の目には十代半ばくらいに見えた。
挨拶も、軽快そのものだった。
「うっすー。よろしくっすー」
社会人ナメてんのか、こいつ――。
思わず殺意のこもった横目で睨んだその時、ありえないことが起こった。
面接官が泣き出したのだ。
「あっ、あなた、ホントにカトーさん……ホンモノなんですね……!」
「うん。あれっ? 俺のこと知ってる感じ? ひょっとして一緒にチーム組んだことある?」
「ごめんなさい、ついっ感極まってしまって……!」
何が起こっているかわからずにいる氏の横で、カトー少年が立ち上がった。(おいおい、面接官の許可もなく立ち歩いていいと思ってんのか)頭に血が上る氏を差し置いて、彼は面接官にハンカチを渡す。それもいつ洗ったんだかわからない、くしゃくしゃのハンカチだった。
「泣くなって! 挨拶だけでわかるなんて相当の通だな~?」
「すみません、ホントにすみません……」
「いいんだって。俺の仲間なら知ってるだろ?」
カトーはハンカチを大剣に見立てて、ビシッとポーズをキメた。
「『涙を拭きな。勝たせてやるから、黙って俺についてこい!』」
「うっ、ううう~! かっこいい~!」
もう滅茶苦茶である。いったい何を見せられているのか・・・と絶句するうちに面接は終わった。
「まったく、なんて会社だ……! 絶対に訴えてやるからな!」
氏はもう、ガッカリである。せっかく仕事アレルギーを克服して書類を整えたのに、とんでもない面接官にあたってしまった。腹いせに会社の前の公園で、破いた履歴書を鳩に食わせようとしていると、後ろから声をかけられた。
「僕たちは運が悪かったよ。まさかあの勇者カトーと同じグループになっちゃうなんて」
「あぁ……?」
先ほどのグループ面接で一緒だった志望者だ。一人称とパンツスーツでわかりづらいが、どうやら女性のようだ。たしかリーとか名乗っていた気がする。
「……さっきのカトーってヤツは、そんなに有名なのか?」
「そりゃもう伝説級のプレイヤーよ。若くてびっくりしたけど、あのひとにキャリーされたことない新人っていないんじゃない? ……同じアジリニ系列でも、君とはプレイしてるゲームが違うみたいだけど」
「フン!」
機嫌の悪いロナウジーニョ氏に、リーは苦笑した。彼女はカトーと同じゲームをプレイしているらしい。
「順番が逆なんだけどね。僕はこの会社の新規プロジェクトに興味があって、就活のためにゲームを始めたんだ」
「あぁ……そういえば広報に書いてあったな」
氏とリーは平日午後の公園にいた。高い空に、雲がゆっくりと流れていく。管理された公園の木は枝を切り詰められ、花壇は整然と並んでいた。足元には鳩が山といる。
鳩は破れた書類を口に咥えては、『おいしくない!』とばかりに吐き出していた。オフィス街で、勤め人は餌を落とすものと思っているのだろう。人間を怖がらず、むしろ不満げに革靴をつついてくる。氏はイライラと蹴散らした。リーは微笑して、呟いた。
「こんなに平和な世界が、あと数年で終わっちゃうなんて。僕には信じがたいなあ……」
鳩が一斉に羽ばたく。氏は舌打ちをした。
「世界が平和だったことなんて、俺が知る限り一度もない」
両親の故郷を焼いた争いの炎は、氏の成長に比例するように拡大し、いまや世界を焼き尽くそうとしていた。氏とその弟妹も、自分の根源にあたる土地を、一度も見たことがない。
この地でも、どんな手続きをしたところで容姿を理由に外国人と見なされ、有事には排斥されるおそれを抱えている。今立っている大地も、いつ追われることになるかはわからなかった。
ロナウジーニョ氏は、吐き捨てた。
「馬鹿げた夢から目が覚めてよかった。長く休みすぎて俺はどうかしていたらしい。ゲームなんてたかが遊びだ。ありもしない世界のために働くなんて――残り少ない人生を費やすなんて、狂気の沙汰だ」
「そうかな……? でも、アジリニはさぁ……」
「うるさい。俺はどうせ落ちたんだ。ガキの遊びをやめるきっかけができたと思うことにする」
「どうしてそんなに後ろ向きなの? 結果はまだわからないよ」
氏は歯噛みした。前の会社では技術職だったが、グループ面接がどんなものかくらいは知っている。通す人間を選ぶために志望者を横並びに比較するのだ。カトーがあれだけ気に入られて、自分が通過しているとは思わない。
「……こっちから願い下げという意味だっ。覚えとけ!」
◇◆◇
ところがロナウジーニョ氏は一週間後、アジリニコーポレーションの社長室にいた。
高層ビルの最上階。応接用のソファに座る氏の目の前は、一面が窓である。この状況に、氏は大いに動揺した。
(あの面接で通っていたのも妙だが、役員をすっとばして社長面接だなんて絶対におかしい。……いやっ、相手が役員だろうが社長だろうが、俺の言うべきことは変わらない。『こんなふざけた会社は願い下げだ!』そう文句を言ってやる!)
めらめらと怒りを燃やす氏が座っているのに対し、社長は立っていた。面接だというのに窓のほうを向き、下界を見下ろしている。
「……前の面接では、担当者が失礼なふるまいをしたようです。申し訳ありません」
ふりむいた社長の面差しがあまりに眩くて、氏の口からは文句の代わりに「へぁ」と変な声が漏れた。企業のパンフレットやら資料やらで顔は何度も見ているはずなのに、まるで印象が違う。
誰に似ているとか、どこが綺麗だとか、具体的にうまく説明できないのだが、とにかく美しい男だった。いや、本当に男なのだろうか? そういえば性別を調べたことはなかった。女なのかもしれない。
(な、なんて写真うつりの悪い社長なんだ。いや、むしろ『現実うつり』が良すぎるのか?)
社長は静かに氏を見つめていたが、やがて首を振った。
「私の顔を、あまりまっすぐに見ないほうがいい。あなたはふつうのひとより目がいいようだから」
「……?」
「ゲームを始めたのは、最近から?」
「はい」
面接らしい質問に、仕事人間の氏は完全に気分を切り替えた。確かに彼の顔を見ると気がおかしくなりそうになるので、代わりに顎やネクタイに視線を向ける。それでもたまに視界がゆがむ感じがした。ネクタイのように見えているものが蓮の実や、日食の環に見えたりするのである。
(い、いったい、こいつは何者なんだ)
もはや文句を言うどころではなかった。志望者としてふるまいながら、氏は冷や汗と震えが止まらない。
そんな彼に、社長は「ごめんなさい」と謝った。
「あなたがこんなに怯えるとわかっていたら、私はこうして直接に顔を合わせようと思わなかった」
「は……」
「目を閉じなさい。少しは楽になりますから」
どういう面接だ、と氏は思ったが、なぜかその言葉に逆らうことができなかった。実際、目を閉じると呼吸が整った。(社長面接までこぎつけて、このていたらく……。結局は落ちるのかよ。クソッ)そう心の中で毒づくと、なぜか社長が小さく笑う気配があった。まるで氏の思いを読んだかのように。
「ロナウジーニョさん、あなたは神を信じていますか」
「神? まさか」
どうせ落ちるならと、ロナウジーニョ氏は吐き捨てた。
「このご時世にああいうものを信じるのは、よほど頭がおめでたいか、不幸すぎる目に遭ったかのどちらかだ。いずれにせよ一時の気休めにすぎない。そういうものがいたら、こんなひどい世の中にはなっていないんじゃないかね」
「いてほしいとも、全然思わない? 滅びようとしているこの星から救い出してほしいとは?」
「バカバカしい。今更しゃしゃり出てこられても迷惑だ」
「そう……?」
「大体な、俺みたいな役立たずが生き延びたところで、どうせなんにもならないんだよ」
「あなた、まじめなひとですね」
「ハ?」
「世界の終わりに至っても、何かの役に立たないといけないと思っている。どんな時にも一生懸命でひたむきなあなたは、実にこの星らしい人柄をしています」
氏は今度こそ文句を言った。
「なんなんだ、この茶番は。宗教の勧誘か?」
これだけ言ってやっても社長が終始穏やかで、笑っているようでもあるのが気に入らない。
「それではあなたを救うために、私が船を出してあげる」
ロナウジーニョ氏は震えていた。
怯えているからではない。超常的な存在に選ばれて、彼は歓喜していた。
社長の声はおっとりとしていて、耳に心地よかった。
「ロナウジーニョさん、あなたはたくさんの仲間たちと共に船に乗り込み、星を渡るのです。やがて船が乾いた大地にたどりつくまで。……ああ、あなたがたがそこを気に入ってくれるといいのだけど」
「どうして、そんな心配をするんだ」
それは、聞いてはいけないことだったのだろうか。社長は虚を突かれたように黙り込み、やがて、ひどく邪気のない笑い声をもらした。
「あなたがたが私と同じように長い旅をして、私と同じようにそこを気に入ってくれたら、その時にようやく、私たちは同じものになれると思うから」
「……悪いが、言っている意味が、よくわからない」
社長はこの不躾な物言いを怒るどころか、むしろ喜んだ。氏の言葉にかぶせるようにこう言った。
「だって私は、あなたがたのことをとても愛しているから。愛するひとに自分のふるさとを気に入ってほしいと思うのは自然なことでしょう」
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※この物語はフィクションであり実在の地名は登場しますが、人物・団体とは関係ありません。
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