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急・異種獣人同士で子づくり!?ノァズァークのヒミツ編
64.牛頭丸と左近
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下へ降りるにつれ、金属製のハシゴは湿り気を帯びた。
オレンジの自動灯がとぎれた壁面は、光る苔にびっしりと覆われている。
染み出す湧き水を養分として育つ苔は、一日の間に誕生と枯死を繰り返す性質を持っている。
生まれたばかりの朝は仄かに、生殖活動が行われる昼には明るく光る。
やがて死へ近づくとともに暗闇と同化するのだ。
この苔の性質により、ミノタウロス族の集落は地上と変わりない一日のサイクルを繰り返すことができた。
優しく光る苔と、状況は真逆だった。
(さて、どうしよう)
うっかり自虐的な口をきいたせいで、真下にカンカンになった同族が待ち構えているのだ。
ゴズメルは、滑るハシゴに片手をかけたまま考えていたが、やがて腕の中のリリィに囁いた。
「リリィ、あたしの背中側に来られるかい? ……そう、ゆっくりね。落っこちないように気をつけて」
敵がハシゴを上って来てくれれば蹴り落してやるところだが、そこまで頭は悪くないようだ。
「どうするの?」
「どうって」
リリィのすぼめた唇が耳たぶに当たってくすぐったい。
「二、三発殴れば言うこと聞くだろうから、そうするよ」
「そんなのよくないわ……! 状況を説明して、協力してもらえばいいじゃない」
ゴズメルは軽く笑っただけで答えなかった。
望みは力づくで叶えるのがミノタウロス流だ。地上とはルールが違う。
「目と口を閉じてておくれ。舌を噛むよ」
リリィがその通りにした次の瞬間、ゴズメルはハシゴから手を離した。リリィは悲鳴を上げる代わりに、ゴズメルに力いっぱいしがみついた。
落下は一瞬だった。靴底に触れたフカフカの苔を、ゴズメルは即座に後ろ足で蹴り上げた。
目つぶしを食らった相手がくぐもった声を上げるのを待たず、まずは顎に掌底を食らわせ、次は腹だ。
「……もう目を開けていい? ゴズメル」
「まだ」
ゴズメルは倒れた相手の股ぐらをゴスゴスと蹴っていた。
相手が「参った」と言うまではやり続けるのがルールだが、上品なリリィには刺激が強すぎる。
だが、久しぶりで加減が難しい。
「……リリィ」
「なぁに? もういいの?」
「ごめん、やりすぎたかも……」
「なんですって?」
ノビてしまった同族をリリィが癒してくれるのを、ゴズメルは面目ない気持ちで待った。
「まったくもう、ゴズメルったら……」
リリィはロッドで気付けの魔法をかけながら、ゴズメルを諫めた。
「助けを求める相手のことを殴り飛ばすなんて、いったい何をしているのよ……」
「だって必死だったんだよ! こんなに弱っちいと思わなかったんだ、ホントに」
それは本心だった。隙を突くような手段をとったのも、そうでもしなければリリィを守れないと思ったからだ。まさかノックアウトできるなんて予想外だった。
「う……うう……」
「だめよ、まだ動いてはいけないわ」
腹を蹴られたミノタウロス族は、うつろな目をしばたかせてリリィを見た。
「おお……天女さま……?」
ゴズメルはムッとしてリリィと男の間に割って入った。
「寝ぼけんじゃねぇッ! あんたはうちに負けたっちゃ、サゴン!」
里を出て長いとはいえ、身内の顔は見分けられる。
サゴンは糸目をさらに細めてゴズメルに焦点を合わせようとしたが、思い出せないらしい。
「あんた、誰ね?」
「なんかちゃ。きさん寝ぼけちょるんか? ゴズメルたい、ゴ・ズ・メ・ル!」
「ゴズメル、ゴズメル、落ち着いて」
ゴズメルは聞く耳持たずに、サゴンの襟首をぐらぐらと揺すぶった。
ナメられたらおしまいなのもそうだが、さんざんハナクソハナクソといじめてきた相手がそれを忘れているのかと思うと腹が立って仕方ない。
「くんぬクソボケが! きさん妹の顔も忘れたち言いゆうか、おおん!?」
「えっ」
次兄である。
サゴンはリリィ以上に驚愕していた。
ゴズメルは次兄を放心状態からもとに戻すために、頬を何度かひっぱたかなければならなかった。
「ううん、信じられん」
頬を真っ赤に腫らしたサゴンは地べたにあぐらをかいて呟いた。ゴズメルは怒って次兄を突き飛ばした。
「いい度胸ちゃ、次は正面からぶちくらかしたる」
「ゴズメル、乱暴はやめてったら!」
リリィに飛びつかれて、ゴズメルはハッと我に返った。久々に故郷の空気に触れて、思考が狂暴化していたようだ。
逆立てた尾をシュンと垂らすゴズメルに、サゴンは両手で角を掻きむしった。
「……隙を突かれたとはいえ、負けは負けちゃ。弱者は強者に従う」
「それじゃ、助けてくださるのですか? お兄さま」
リリィの『お兄さま』呼びにサゴンは一瞬ぎょっとしたようだったが、すぐに「あんたには負けとらん!」と歯をぎっと剥き出しにした。
「そんなクソボケはほっときな、リリィ。別にうちの連中に何してもらおうってわけでもないんだ」
「……なん。親父には会わんのけ」
「会ってどうすんだい、わざわざあんな怪物と殴り合えっての? バカバカしい」
「母ちゃがおったらそう言うやろもん……」
その一言で、ゴズメルの角に火花が走った。サゴンに掴みかかる。
「しゃーしい! 母ちゃがいったい、誰のせいで、」
「わーった、わかったき、そげにギリギリこくな。こまいのも見ゆうが……」
顎で指されて、ゴズメルはリリィを振り向いた。
がさつな兄妹の言い合いを、リリィは心細そうに見上げているのだった。
オレンジの自動灯がとぎれた壁面は、光る苔にびっしりと覆われている。
染み出す湧き水を養分として育つ苔は、一日の間に誕生と枯死を繰り返す性質を持っている。
生まれたばかりの朝は仄かに、生殖活動が行われる昼には明るく光る。
やがて死へ近づくとともに暗闇と同化するのだ。
この苔の性質により、ミノタウロス族の集落は地上と変わりない一日のサイクルを繰り返すことができた。
優しく光る苔と、状況は真逆だった。
(さて、どうしよう)
うっかり自虐的な口をきいたせいで、真下にカンカンになった同族が待ち構えているのだ。
ゴズメルは、滑るハシゴに片手をかけたまま考えていたが、やがて腕の中のリリィに囁いた。
「リリィ、あたしの背中側に来られるかい? ……そう、ゆっくりね。落っこちないように気をつけて」
敵がハシゴを上って来てくれれば蹴り落してやるところだが、そこまで頭は悪くないようだ。
「どうするの?」
「どうって」
リリィのすぼめた唇が耳たぶに当たってくすぐったい。
「二、三発殴れば言うこと聞くだろうから、そうするよ」
「そんなのよくないわ……! 状況を説明して、協力してもらえばいいじゃない」
ゴズメルは軽く笑っただけで答えなかった。
望みは力づくで叶えるのがミノタウロス流だ。地上とはルールが違う。
「目と口を閉じてておくれ。舌を噛むよ」
リリィがその通りにした次の瞬間、ゴズメルはハシゴから手を離した。リリィは悲鳴を上げる代わりに、ゴズメルに力いっぱいしがみついた。
落下は一瞬だった。靴底に触れたフカフカの苔を、ゴズメルは即座に後ろ足で蹴り上げた。
目つぶしを食らった相手がくぐもった声を上げるのを待たず、まずは顎に掌底を食らわせ、次は腹だ。
「……もう目を開けていい? ゴズメル」
「まだ」
ゴズメルは倒れた相手の股ぐらをゴスゴスと蹴っていた。
相手が「参った」と言うまではやり続けるのがルールだが、上品なリリィには刺激が強すぎる。
だが、久しぶりで加減が難しい。
「……リリィ」
「なぁに? もういいの?」
「ごめん、やりすぎたかも……」
「なんですって?」
ノビてしまった同族をリリィが癒してくれるのを、ゴズメルは面目ない気持ちで待った。
「まったくもう、ゴズメルったら……」
リリィはロッドで気付けの魔法をかけながら、ゴズメルを諫めた。
「助けを求める相手のことを殴り飛ばすなんて、いったい何をしているのよ……」
「だって必死だったんだよ! こんなに弱っちいと思わなかったんだ、ホントに」
それは本心だった。隙を突くような手段をとったのも、そうでもしなければリリィを守れないと思ったからだ。まさかノックアウトできるなんて予想外だった。
「う……うう……」
「だめよ、まだ動いてはいけないわ」
腹を蹴られたミノタウロス族は、うつろな目をしばたかせてリリィを見た。
「おお……天女さま……?」
ゴズメルはムッとしてリリィと男の間に割って入った。
「寝ぼけんじゃねぇッ! あんたはうちに負けたっちゃ、サゴン!」
里を出て長いとはいえ、身内の顔は見分けられる。
サゴンは糸目をさらに細めてゴズメルに焦点を合わせようとしたが、思い出せないらしい。
「あんた、誰ね?」
「なんかちゃ。きさん寝ぼけちょるんか? ゴズメルたい、ゴ・ズ・メ・ル!」
「ゴズメル、ゴズメル、落ち着いて」
ゴズメルは聞く耳持たずに、サゴンの襟首をぐらぐらと揺すぶった。
ナメられたらおしまいなのもそうだが、さんざんハナクソハナクソといじめてきた相手がそれを忘れているのかと思うと腹が立って仕方ない。
「くんぬクソボケが! きさん妹の顔も忘れたち言いゆうか、おおん!?」
「えっ」
次兄である。
サゴンはリリィ以上に驚愕していた。
ゴズメルは次兄を放心状態からもとに戻すために、頬を何度かひっぱたかなければならなかった。
「ううん、信じられん」
頬を真っ赤に腫らしたサゴンは地べたにあぐらをかいて呟いた。ゴズメルは怒って次兄を突き飛ばした。
「いい度胸ちゃ、次は正面からぶちくらかしたる」
「ゴズメル、乱暴はやめてったら!」
リリィに飛びつかれて、ゴズメルはハッと我に返った。久々に故郷の空気に触れて、思考が狂暴化していたようだ。
逆立てた尾をシュンと垂らすゴズメルに、サゴンは両手で角を掻きむしった。
「……隙を突かれたとはいえ、負けは負けちゃ。弱者は強者に従う」
「それじゃ、助けてくださるのですか? お兄さま」
リリィの『お兄さま』呼びにサゴンは一瞬ぎょっとしたようだったが、すぐに「あんたには負けとらん!」と歯をぎっと剥き出しにした。
「そんなクソボケはほっときな、リリィ。別にうちの連中に何してもらおうってわけでもないんだ」
「……なん。親父には会わんのけ」
「会ってどうすんだい、わざわざあんな怪物と殴り合えっての? バカバカしい」
「母ちゃがおったらそう言うやろもん……」
その一言で、ゴズメルの角に火花が走った。サゴンに掴みかかる。
「しゃーしい! 母ちゃがいったい、誰のせいで、」
「わーった、わかったき、そげにギリギリこくな。こまいのも見ゆうが……」
顎で指されて、ゴズメルはリリィを振り向いた。
がさつな兄妹の言い合いを、リリィは心細そうに見上げているのだった。
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