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急・異種獣人同士で子づくり!?ノァズァークのヒミツ編
46.『リリィの世界』(中)
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受付嬢となったリリィは、とてもよく働いた。
初めのうちは、よく知らない他種族と関わることが少し怖かったが、冒険者協会のメンバーが悪いひとたちではないとわかってからは馴染むのが早かった。
「あなた、ほんとに物覚えがいいわねえ!」
「すごく助かったよ、リリィ」
「リリィ、これってどうやればいいんだっけ?」
同僚の受付嬢や冒険者たちに頼ってもらえると、リリィは踊りだしたくなるくらい嬉しかった。
祖母が授けたひとつひとつの教えが、いつも彼女を助けていた。
(料理や掃除みたいに、必要なことをひとつずつちゃんとやれば、みんな喜んでくれるんだわ)
種族を隠しているリリィは医者にかかることができない。だから簡単な治癒魔法を身に着けているのだが、冒険者を癒した時の喜ばれようは凄かった。
俺も俺もと冒険者たちがちょっとしたヤケドや古傷まで見せてきて、シラヌイが「有料にしよう」と新しい制度を取り入れたほどだ。
この件に関しては、シラヌイはリリィを執務室に呼び出して小言を言った。
「仕事熱心なのはいいが、目立つことは避けたほうがいい」
「はい。ごめんなさい……」
「あんまり能力を見せびらかして、ほかの受付嬢からひがまれたりしたらどうするんだ」
「んまあ、なんですって、会長! 誰がリリィをひがむですって!」
こっそり聞き耳を立てていた受付嬢たちは、怒って執務室になだれこんできた。
「あんまりバカにしないでほしいわ! リリィがどんなに私たちを助けてくれてるか、知りもしないで」
「リリィが業務のマニュアルを作ってくれたおかげで、受付嬢はみんな定時に上がれるようになったんです」
「それにリリィは本当に無欲なのよ。しようと思えばなんでも自分の手柄にできるのに、この子はみんながニコニコしていればそれで満足なんだもの。ひがむなんて、ありえないわ!」
「そうよ、今回のことだって冒険者のほうが悪いのに、なぜリリィが注意を受けるの」
「そんな態度を続けるつもりなら、見てらっしゃい。私たちは受付をボイコットしてやるんだから!」
「わかった、よくわかったから勝手に入ってくるな! 別におまえらの後輩をいじめたりはせん」
「やった、言質をとったわ!」
大喜びの受付嬢たちは、リリィに次々とハグやウィンクやグータッチをした。
嵐のような騒ぎに、リリィは驚くばかりだ。
やっとのことで彼女たちを締め出して、シラヌイは「まったく、かしましい奴らめ」と脱力した。
「まあ、気に入られたようで何よりだが……」
「きっと、私が妖精族だからですわ」
「なに?」
「翅を封じていても、周りのひとは魅了されてしまうようなのです」
「……じゃ、何かね。おまえが種族的な能力を使って、あいつらに自分を庇わせたって言うのか」
「ええ……じゃなかったら、みんながシラヌイ会長に逆らうなんてありえませんもの……」
シラヌイは呆れたようにリリィを見ていたが、やがて「なるほどな!」と吐き出した。
「ベゴニアは、魔法はともかく子育ての才能はなかったようだ。おまえがそんなだから、周りは可愛がりたくなるのかもしれんが」
リリィは混乱した。これは、侮辱されているのだろうか?
何か雇い主として要望があるのだろうかと指示を待ったが、シラヌイは「仕事に戻れ」と手を払っただけだった。
だが、ひとの気持ちを察するよう育てられたリリィは、考えないわけにいかなかった。
(私って、なにか問題があるのかしら? シラヌイ会長にはそれがわかるんだわ。どうして教えてくれないのかしら。悪いところを言ってくれれば、ちゃんと直せるのに……)
「どんな冒険者となら付き合ってもいいか」という話を受付嬢がしていたのは、そんな時だった。
受付嬢は冒険者たちからよくモーションをかけられる。直球で「つきあってくれ!」と告白されることもあれば、それとなくデートに誘われることもあった。
いつものことなので受付嬢もかわし方を心得ているが、あんまりしつこいと対策をとることになる。問題の冒険者が来たら受付嬢を休憩室に避難させたり、シラヌイに言いつけたり……。
その一方で、冒険者とこっそりつきあっている受付嬢もいるらしかった。
「プライベートで冒険者とつきあうなんて考えられない!」
「わかる。あのひとたちって汗くさいし、えらそうだもの」
「でも……ちゃんとしたひとなら、いいんじゃない?」
「まあ、高給取りならアリよね」
「お金よりハートよ! 気遣いができて、清潔感のあるひとが一番」
「その点を考えると鳥族の冒険者はいいわよ。とっても優しいんだから……」
「あらっ。あなた……さては、付き合っているひとがいるのね!」
女ばかりの休憩室で、キャーッと笑い声が上がる。
リリィはみんなの話を興味深く聞いていた。
シラヌイは叶える気がないようだったが、祖母の望みは孫をすばらしい男性と結婚させることだった。
リリィは、すばらしい男性というものがピンとこない。
仕事柄、冒険者のステータスを見ることはあるが、実際に話してみると、冒険者のレベルや報酬の多寡、人間性は必ずしも相関関係にはないことがよくわかった。
こいつの対応は二度としたくないと受付嬢から目されている冒険者が、冒険者のあいだでは尊敬されていたりする。
どちらの評価が正しいのか、リリィにはわからない。
「ね、リリィはどんな冒険者となら付き合う?」
「えっ、私……?」
浮いた話のひとつもないリリィを、みんな興味津々という顔で見ている。
リリィは咳払いをした。ちらっと受付嬢のひとりを見る。
「そうね……。まず、朝早くから仕事をこなす働き者で……」
「うんうん」
「髪は長くて、編み込みにしてリボンをつけているひとがいいわ」
「えっ……?」
「それに眼鏡をかけていて、爪を綺麗に飾っているの……(ハッと息をのむ)なんてことかしら、私の横に座っている、このひとは……!」
「やったー、私のことだわ! 急いで冒険者に転職しなくっちゃ!」
「あぁ嘘だと言って、リリィ! 私も眼鏡をかけたらいい?」
「もちろん嘘よ。みんなのことは、そのままだって好きだもの」
「キャーッ! すてき!」
ひと笑いとれて、リリィはホッとした。こういうことを正直に「わからない」と言うと、かわいこぶっていると思われてしまうのだ。
(……ちょっとごまかしてしまったけど、別に嘘をついたわけじゃないわ)
リリィは後ろめたい気持ちに自分でそう言い訳した。
(お祖母さまだって、他種族に完全に気を許すなと言っていたもの。私は、間違ったことをしているわけじゃない)
だが、周囲を常に騙しているかのような、この罪悪感はなんだろう。
みんなに好かれ、囲まれながら、リリィはとても孤独だった。
誰もリリィが妖精族の生き残りであることを知らないのだ。知らないひとは、嫌われることがない代わりに、好きにもなってもらえない。
「大変よ! 受付にゴズメルが並んでいるわ!」
昼食をとっていた受付嬢たちは、騒然とした。
リリィも、ゴズメルの噂は聞いたことがあった。
角を生やしたミノタウロス族の女冒険者で、受付には月に一度しか来ないが、とても大きくて怖いのだと言う。
新人冒険者を何人も手下みたいに囲っているうえ、とても乱暴で、くしゃみした勢いでカウンターテーブルを破壊したこともあるそうだ。
「来てしまったものは仕方ないわ……誰が対応するか、くじを引きましょう……」
みんな生け贄を選ぶみたいに震えている。見かねたリリィは「私が行くわ」と立候補した。
恐れ知らずのリリィに、受付嬢たちは、口々にアドバイスした。
「とにかく淡々と書類を処理すればいいのよ」
「あんまり正面で話しちゃだめ。噛みつかれてもすぐ躱せるように、半身に構えてね」
「ヘタクソな報告書を一か月ぶんも寄越してくるけど、とにかく受け付けていいから。後で私たちで書き直せばいいだけのことだもの」
「わ、わかったわ」
リリィは話を聞いていて、だんだん怖くなってきた。
ちょっとやそっとのことじゃ動じない受付嬢がこんなに恐れているなんて、どんな冒険者なのだろう。
昼休みが終わると、受付が一斉に開く。
ほかの受付嬢に目で合図されたリリィは、タッとゴズメルに駆け寄った。
「すみません、あの」
リリィはびっくりした。ゴズメルの胸の大きさときたら、うまく視界に入れないほどなのだ。
「ゴズメルさん、あの、えっと」
「おいゴズメル! チチの下から話しかけられてるぞ」
「ン?」
ほかの冒険者に言われて、ゴズメルは後ずさった。浅黒い肌も二本の角も、まるで神話の怪物のようだ。
だが、その怪物はニコーッと無邪気な笑みを浮かべた。
「ひゃあ、ちっちゃな可愛い妖精さん! あたしになんか用?」
リリィの喉が「ヒュッ」と笛のように鳴った。正体を言い当てられたと思ったのだ。
だが、そんなはずもなかった。
青ざめたリリィに、ゴズメルは首をかしげた。
「……あの、気を悪くしたんだったらごめんね。あんたが小柄で可愛いから、ついふざけちまった」
「い、いいえ……」
「えっと……あんた、名前はなんて言うの? あたしはゴズメルってんだ」
「リリィ……」
震えているリリィに、ゴズメルは「リリィ、よろしくね!」と、片手を差し出した。
いくら驚いたからといって、握手に応えないのは失礼だ。リリィがおずおずと差し出した手を、ゴズメルはパッと握ってしまった。
ゴズメルの手はとても大きくて、がさついていて……だが、ほかほかと温かかった。
だから、全部たまたまなのだと、後になってからリリィは思った。ゴズメルはたまたま自分を妖精だと呼んでくれて、たまたま手を握ってくれたひとなのだと。
それでも、その時のリリィは、暗いところから力強く引っ張り上げてもらえたような気がした。
こういうひとがいい、と痺れるみたいに直感する。
もしも冒険者と付き合うなら、ゴズメルみたいに大きくて温かくて、子どもみたいに笑ってくれるひとがいい。
そのひとは妖精のリリィを見つけてくれて、ぎゅっと握手をしてくれるのだ。
たとえミスだらけの報告書を一か月ぶん渡されても、構わない!
リリィはゴズメルを、空けてあるカウンターではなく、座って話せるブースに案内した。
ゴズメルはとにかく大きいのだ。カウンターに立つと腰をかがめることになる。そのまま立ちっぱなしで一か月ぶんの書類を処理したら、腰が痛くなってしまう。
ブースなら仕切りもついているし、他の受付嬢もおびえずに済む。
対面に置かれた椅子をゴズメルの隣に移動させたのは、受付嬢にそうアドバイスされたから。
時間をとってゴズメルに聞き取りをして、その場で報告書を修正したのは同僚の手間を省くため。
ひとつひとつの理由はもっともらしいが、本当はちがう。
リリィは受付嬢の立場を利用して、ゴズメルと親しくなろうとしたのだった。
ゴズメルはリリィの親身な対応に、いちいち驚いていた。報告書を溜めてばかりいるのも、受付嬢たちに怖がられていることを知っていたかららしい。
「前にカウンターを破壊しちゃったから、ちょっと申し訳なくてさ……」
「そうだったの……。もちろん時間のある時でかまわないのだけど、受付としては、なるべく溜めずに来てくれた方が助かるわ」
「ン……」
ゴズメルはちょっと期待のこもった目でリリィを見た。
「それじゃ、リリィがいる時に来るようにしてもいいかい?」
「……!」
「やっぱダメ? 今まで誰も言ってくんなかったけど、あたしの報告書って間違いだらけみたいだし。あんたみたいなしっかり者に見てもらえると助かるんだ」
「……いいわ」
なんだか気恥ずかしくて顔は上げられないし、短い返事しかできない。本当は自分のスケジュールを見せて『いつ来てくれるの? この日は? この日はどう?』と迫りたいくらいなのだが。
それでも、いつまでも報告書の処理をしているわけにもいかない。
「やー片付いて良かった! それじゃ、よろしくね」
せいせいしたように立ち上がるゴズメルの手を、リリィはなぜか、はっしと掴んでしまった。
どうしてそんなはしたない真似をしたのか、自分でもわからない。
ゴズメルに行ってほしくないのだ。そうしてもらうだけの理由が、ひとつも思い浮かばないのに。
「私のところに、また来てね。ゴズメル」
戸惑っているゴズメルに、リリィはそっと言った。
「きっとよ。私、あなたが来るのを待っているわ……」
「……う、うん! ごめんね!」
ゴズメルは慌てたように謝った。
「そうか、報告書を溜めるって大変なことだったんだ。あたし最近はソロだけど、ずっと野良でチーム組んでたからさ、こういうのは得意なやつに丸投げしてたんだよね。今度から依頼が終わったらすぐ来るようにする!」
別にそういうんじゃないのだが、ゴズメルには伝わらなかった。それでも、リリィはかまわなかった。
とにかく、ゴズメルがすぐ来ると言ってくれたことがとても嬉しかった。
それが祖母の教えに反することだったとしても。
初めのうちは、よく知らない他種族と関わることが少し怖かったが、冒険者協会のメンバーが悪いひとたちではないとわかってからは馴染むのが早かった。
「あなた、ほんとに物覚えがいいわねえ!」
「すごく助かったよ、リリィ」
「リリィ、これってどうやればいいんだっけ?」
同僚の受付嬢や冒険者たちに頼ってもらえると、リリィは踊りだしたくなるくらい嬉しかった。
祖母が授けたひとつひとつの教えが、いつも彼女を助けていた。
(料理や掃除みたいに、必要なことをひとつずつちゃんとやれば、みんな喜んでくれるんだわ)
種族を隠しているリリィは医者にかかることができない。だから簡単な治癒魔法を身に着けているのだが、冒険者を癒した時の喜ばれようは凄かった。
俺も俺もと冒険者たちがちょっとしたヤケドや古傷まで見せてきて、シラヌイが「有料にしよう」と新しい制度を取り入れたほどだ。
この件に関しては、シラヌイはリリィを執務室に呼び出して小言を言った。
「仕事熱心なのはいいが、目立つことは避けたほうがいい」
「はい。ごめんなさい……」
「あんまり能力を見せびらかして、ほかの受付嬢からひがまれたりしたらどうするんだ」
「んまあ、なんですって、会長! 誰がリリィをひがむですって!」
こっそり聞き耳を立てていた受付嬢たちは、怒って執務室になだれこんできた。
「あんまりバカにしないでほしいわ! リリィがどんなに私たちを助けてくれてるか、知りもしないで」
「リリィが業務のマニュアルを作ってくれたおかげで、受付嬢はみんな定時に上がれるようになったんです」
「それにリリィは本当に無欲なのよ。しようと思えばなんでも自分の手柄にできるのに、この子はみんながニコニコしていればそれで満足なんだもの。ひがむなんて、ありえないわ!」
「そうよ、今回のことだって冒険者のほうが悪いのに、なぜリリィが注意を受けるの」
「そんな態度を続けるつもりなら、見てらっしゃい。私たちは受付をボイコットしてやるんだから!」
「わかった、よくわかったから勝手に入ってくるな! 別におまえらの後輩をいじめたりはせん」
「やった、言質をとったわ!」
大喜びの受付嬢たちは、リリィに次々とハグやウィンクやグータッチをした。
嵐のような騒ぎに、リリィは驚くばかりだ。
やっとのことで彼女たちを締め出して、シラヌイは「まったく、かしましい奴らめ」と脱力した。
「まあ、気に入られたようで何よりだが……」
「きっと、私が妖精族だからですわ」
「なに?」
「翅を封じていても、周りのひとは魅了されてしまうようなのです」
「……じゃ、何かね。おまえが種族的な能力を使って、あいつらに自分を庇わせたって言うのか」
「ええ……じゃなかったら、みんながシラヌイ会長に逆らうなんてありえませんもの……」
シラヌイは呆れたようにリリィを見ていたが、やがて「なるほどな!」と吐き出した。
「ベゴニアは、魔法はともかく子育ての才能はなかったようだ。おまえがそんなだから、周りは可愛がりたくなるのかもしれんが」
リリィは混乱した。これは、侮辱されているのだろうか?
何か雇い主として要望があるのだろうかと指示を待ったが、シラヌイは「仕事に戻れ」と手を払っただけだった。
だが、ひとの気持ちを察するよう育てられたリリィは、考えないわけにいかなかった。
(私って、なにか問題があるのかしら? シラヌイ会長にはそれがわかるんだわ。どうして教えてくれないのかしら。悪いところを言ってくれれば、ちゃんと直せるのに……)
「どんな冒険者となら付き合ってもいいか」という話を受付嬢がしていたのは、そんな時だった。
受付嬢は冒険者たちからよくモーションをかけられる。直球で「つきあってくれ!」と告白されることもあれば、それとなくデートに誘われることもあった。
いつものことなので受付嬢もかわし方を心得ているが、あんまりしつこいと対策をとることになる。問題の冒険者が来たら受付嬢を休憩室に避難させたり、シラヌイに言いつけたり……。
その一方で、冒険者とこっそりつきあっている受付嬢もいるらしかった。
「プライベートで冒険者とつきあうなんて考えられない!」
「わかる。あのひとたちって汗くさいし、えらそうだもの」
「でも……ちゃんとしたひとなら、いいんじゃない?」
「まあ、高給取りならアリよね」
「お金よりハートよ! 気遣いができて、清潔感のあるひとが一番」
「その点を考えると鳥族の冒険者はいいわよ。とっても優しいんだから……」
「あらっ。あなた……さては、付き合っているひとがいるのね!」
女ばかりの休憩室で、キャーッと笑い声が上がる。
リリィはみんなの話を興味深く聞いていた。
シラヌイは叶える気がないようだったが、祖母の望みは孫をすばらしい男性と結婚させることだった。
リリィは、すばらしい男性というものがピンとこない。
仕事柄、冒険者のステータスを見ることはあるが、実際に話してみると、冒険者のレベルや報酬の多寡、人間性は必ずしも相関関係にはないことがよくわかった。
こいつの対応は二度としたくないと受付嬢から目されている冒険者が、冒険者のあいだでは尊敬されていたりする。
どちらの評価が正しいのか、リリィにはわからない。
「ね、リリィはどんな冒険者となら付き合う?」
「えっ、私……?」
浮いた話のひとつもないリリィを、みんな興味津々という顔で見ている。
リリィは咳払いをした。ちらっと受付嬢のひとりを見る。
「そうね……。まず、朝早くから仕事をこなす働き者で……」
「うんうん」
「髪は長くて、編み込みにしてリボンをつけているひとがいいわ」
「えっ……?」
「それに眼鏡をかけていて、爪を綺麗に飾っているの……(ハッと息をのむ)なんてことかしら、私の横に座っている、このひとは……!」
「やったー、私のことだわ! 急いで冒険者に転職しなくっちゃ!」
「あぁ嘘だと言って、リリィ! 私も眼鏡をかけたらいい?」
「もちろん嘘よ。みんなのことは、そのままだって好きだもの」
「キャーッ! すてき!」
ひと笑いとれて、リリィはホッとした。こういうことを正直に「わからない」と言うと、かわいこぶっていると思われてしまうのだ。
(……ちょっとごまかしてしまったけど、別に嘘をついたわけじゃないわ)
リリィは後ろめたい気持ちに自分でそう言い訳した。
(お祖母さまだって、他種族に完全に気を許すなと言っていたもの。私は、間違ったことをしているわけじゃない)
だが、周囲を常に騙しているかのような、この罪悪感はなんだろう。
みんなに好かれ、囲まれながら、リリィはとても孤独だった。
誰もリリィが妖精族の生き残りであることを知らないのだ。知らないひとは、嫌われることがない代わりに、好きにもなってもらえない。
「大変よ! 受付にゴズメルが並んでいるわ!」
昼食をとっていた受付嬢たちは、騒然とした。
リリィも、ゴズメルの噂は聞いたことがあった。
角を生やしたミノタウロス族の女冒険者で、受付には月に一度しか来ないが、とても大きくて怖いのだと言う。
新人冒険者を何人も手下みたいに囲っているうえ、とても乱暴で、くしゃみした勢いでカウンターテーブルを破壊したこともあるそうだ。
「来てしまったものは仕方ないわ……誰が対応するか、くじを引きましょう……」
みんな生け贄を選ぶみたいに震えている。見かねたリリィは「私が行くわ」と立候補した。
恐れ知らずのリリィに、受付嬢たちは、口々にアドバイスした。
「とにかく淡々と書類を処理すればいいのよ」
「あんまり正面で話しちゃだめ。噛みつかれてもすぐ躱せるように、半身に構えてね」
「ヘタクソな報告書を一か月ぶんも寄越してくるけど、とにかく受け付けていいから。後で私たちで書き直せばいいだけのことだもの」
「わ、わかったわ」
リリィは話を聞いていて、だんだん怖くなってきた。
ちょっとやそっとのことじゃ動じない受付嬢がこんなに恐れているなんて、どんな冒険者なのだろう。
昼休みが終わると、受付が一斉に開く。
ほかの受付嬢に目で合図されたリリィは、タッとゴズメルに駆け寄った。
「すみません、あの」
リリィはびっくりした。ゴズメルの胸の大きさときたら、うまく視界に入れないほどなのだ。
「ゴズメルさん、あの、えっと」
「おいゴズメル! チチの下から話しかけられてるぞ」
「ン?」
ほかの冒険者に言われて、ゴズメルは後ずさった。浅黒い肌も二本の角も、まるで神話の怪物のようだ。
だが、その怪物はニコーッと無邪気な笑みを浮かべた。
「ひゃあ、ちっちゃな可愛い妖精さん! あたしになんか用?」
リリィの喉が「ヒュッ」と笛のように鳴った。正体を言い当てられたと思ったのだ。
だが、そんなはずもなかった。
青ざめたリリィに、ゴズメルは首をかしげた。
「……あの、気を悪くしたんだったらごめんね。あんたが小柄で可愛いから、ついふざけちまった」
「い、いいえ……」
「えっと……あんた、名前はなんて言うの? あたしはゴズメルってんだ」
「リリィ……」
震えているリリィに、ゴズメルは「リリィ、よろしくね!」と、片手を差し出した。
いくら驚いたからといって、握手に応えないのは失礼だ。リリィがおずおずと差し出した手を、ゴズメルはパッと握ってしまった。
ゴズメルの手はとても大きくて、がさついていて……だが、ほかほかと温かかった。
だから、全部たまたまなのだと、後になってからリリィは思った。ゴズメルはたまたま自分を妖精だと呼んでくれて、たまたま手を握ってくれたひとなのだと。
それでも、その時のリリィは、暗いところから力強く引っ張り上げてもらえたような気がした。
こういうひとがいい、と痺れるみたいに直感する。
もしも冒険者と付き合うなら、ゴズメルみたいに大きくて温かくて、子どもみたいに笑ってくれるひとがいい。
そのひとは妖精のリリィを見つけてくれて、ぎゅっと握手をしてくれるのだ。
たとえミスだらけの報告書を一か月ぶん渡されても、構わない!
リリィはゴズメルを、空けてあるカウンターではなく、座って話せるブースに案内した。
ゴズメルはとにかく大きいのだ。カウンターに立つと腰をかがめることになる。そのまま立ちっぱなしで一か月ぶんの書類を処理したら、腰が痛くなってしまう。
ブースなら仕切りもついているし、他の受付嬢もおびえずに済む。
対面に置かれた椅子をゴズメルの隣に移動させたのは、受付嬢にそうアドバイスされたから。
時間をとってゴズメルに聞き取りをして、その場で報告書を修正したのは同僚の手間を省くため。
ひとつひとつの理由はもっともらしいが、本当はちがう。
リリィは受付嬢の立場を利用して、ゴズメルと親しくなろうとしたのだった。
ゴズメルはリリィの親身な対応に、いちいち驚いていた。報告書を溜めてばかりいるのも、受付嬢たちに怖がられていることを知っていたかららしい。
「前にカウンターを破壊しちゃったから、ちょっと申し訳なくてさ……」
「そうだったの……。もちろん時間のある時でかまわないのだけど、受付としては、なるべく溜めずに来てくれた方が助かるわ」
「ン……」
ゴズメルはちょっと期待のこもった目でリリィを見た。
「それじゃ、リリィがいる時に来るようにしてもいいかい?」
「……!」
「やっぱダメ? 今まで誰も言ってくんなかったけど、あたしの報告書って間違いだらけみたいだし。あんたみたいなしっかり者に見てもらえると助かるんだ」
「……いいわ」
なんだか気恥ずかしくて顔は上げられないし、短い返事しかできない。本当は自分のスケジュールを見せて『いつ来てくれるの? この日は? この日はどう?』と迫りたいくらいなのだが。
それでも、いつまでも報告書の処理をしているわけにもいかない。
「やー片付いて良かった! それじゃ、よろしくね」
せいせいしたように立ち上がるゴズメルの手を、リリィはなぜか、はっしと掴んでしまった。
どうしてそんなはしたない真似をしたのか、自分でもわからない。
ゴズメルに行ってほしくないのだ。そうしてもらうだけの理由が、ひとつも思い浮かばないのに。
「私のところに、また来てね。ゴズメル」
戸惑っているゴズメルに、リリィはそっと言った。
「きっとよ。私、あなたが来るのを待っているわ……」
「……う、うん! ごめんね!」
ゴズメルは慌てたように謝った。
「そうか、報告書を溜めるって大変なことだったんだ。あたし最近はソロだけど、ずっと野良でチーム組んでたからさ、こういうのは得意なやつに丸投げしてたんだよね。今度から依頼が終わったらすぐ来るようにする!」
別にそういうんじゃないのだが、ゴズメルには伝わらなかった。それでも、リリィはかまわなかった。
とにかく、ゴズメルがすぐ来ると言ってくれたことがとても嬉しかった。
それが祖母の教えに反することだったとしても。
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